現在リクエスト消化中です。リクエスト状況はこちら。
【咲SS:霞初】霞初「鬼に堕ちた巫女」【狂気】
<あらすじ>
ひょんなことで夜中に目を覚まし、
夜の散歩としゃれこんだ神代小蒔。
そんな彼女が見たものは。
<登場人物>
石戸霞,薄墨初美,神代小蒔,滝見春,狩宿巴
<症状>
狂気
ホラー?
<その他>
※原作とはキャラと展開が大きく異なります。
ご注意を。
※人によってはバッドエンドかも。
※「鬼門」については原作の意味でとらえています。
「鬼門の意味取り違えてるよ」と
おっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが
スルーしてあげてください。
--------------------------------------------------------
丑寅(うしとら)時…ふと目が覚めて、
そのまま眠れなくなってしまった私は、
ちょっとだけ夜の世界を散歩することにしました。
夜の社はどこかひんやりと厳かな雰囲気が漂っています。
それは、身がきりりと引き締められていく気がして、
気持ちがよいものです。
いつもなら辺りを少しだけお散歩したら戻るのですが、
その日はちょっとだけ、遠出をしてみることにしました。
清らかな空気に身をゆだねながら、
気もそぞろに歩いていると…
突然、辺りに禍々しい瘴気(しょうき)が
立ち込めてきました。
「こ…これは、一体…?」
なぜ、神境…しかも神にほど近い
この場所で瘴気を感じるのか。
予想外の事態に私は戸惑いながらも、
必死で思いを巡らせます。
そして…一つの解に辿りつきました。
そう、ここは…鬼門。
初美ちゃんのお部屋です。
--------------------------------------------------------
丑寅時。時刻にして鬼門を示すこの時間は、
鬼さんがいっぱい集まってくる時間です。
しかも、方角的にも鬼門に位置する私のお部屋。
この時間になると、それはもう
とんでもないことになるわけで。
いつも通り、お部屋が百鬼夜行状態です。
(うーん、眠れませんねー)
小さいころから慣れっこなので、
いつもならこの状態でも、
らっくらくに眠れちゃう私なのですが、
今日はちょっとだけ勝手が違いました。
(なんか、気が散りますよー)
お部屋の近くに、妙に綺麗な空気が
漂っている気がします。
そのせいで、鬼さんたちも殺気立っているようです。
この鬼門中の鬼門状態でなお、
それを保てるとしたら、
おそらくは姫様くらいのものでしょう。
夜のお散歩にでもしゃれこんだのでしょうか。
(…早く逃げてくださいよー)
もし本当に姫様がいるのであれば、
今すぐ駆けつけてこんな不浄なところからは
すぐ立ち退くよう進言すべきところなのですが…
今このお部屋の扉を開けたら、
それこそ漏れ出した百鬼さんが
姫様に襲い掛かりかねません。
なにより…
(むしろ、今は私が鬼ですよー)
巫女としてはあってはならないことなのですが。
この時間の私は巫女…いいえ、
人間からも脱落してしまってます。
毎晩のように百鬼さんに侵された私は…
この時間はもはや完全に鬼なのです。
(早く…行ってくださいよー)
姫様はなかなか立ち退こうとはしません。
もしかしたら優しい姫様は、
この瘴気の中にあって、
私の身を案じているのかもしれません。
でも。
姫様の優しさが身に染みるのも、
姫様の身を案じているのも本心ではありますが。
今はそんな姫様の清らかな魂が、
刺すように痛い今日この頃。
少しずつ、少しずつ。
心がささくれ立っていきます。
(…早く…消えてくださいよー)
あ、駄目です。心まで黒くなってきています。
このままでは、姫様を…
この手にかけてしまいかねません。
あまり使いたくはありませんでしたが、
奥の手を使わざるをえないようです。
(霞ちゃーん…来てくださいー。
姫様が夜遊びしてますよー)
私は、霞ちゃんに助けを求めました。
--------------------------------------------------------
(……!)
北東の方角から、夥しい(おびただしい)邪気を感じて、
私は目を覚ました。
北東は…鬼門。そこから漂う邪気は…初美ちゃんのもの。
すなわちこれは、初美ちゃんからの救援信号。
およそ神境という神の住みかに相応しくないその信号は、
よほどのことがない限りは使われないもので。
私は即座に起き上がり、
その方角に向かって足早に歩を進める。
程なくして辿りついたそこには、
涙を浮かべた小蒔ちゃんが、
初美ちゃんのお部屋の前に張り付いていた。
(なるほど…これは確かに困るわね…)
事態を理解した私は、少し硬い声音で
小蒔ちゃんに声をかけた。
「何をしているのですか、姫様」
その一言に、わかりやすくびくりと
身体を震わせる小蒔ちゃん。
「あ、か…霞ちゃん…」
「このような時刻に、このような不浄の場所で
何をなさっているのですか?」
「え…あ…私は…初美ちゃんを…助けようと」
「どうか寝室にお戻りください」
普段とは違い突き放した態度をとる私に、
明らかに気圧される小蒔ちゃん。
涙の跡がついた小蒔ちゃんの顔に、
少しだけ心がゆらぐけれど、
叱る時はちゃんと叱らなければいけない。
「で、でも…初美ちゃんが」
「この場所には近づいてはならないと申し上げたはずです」
「お戻りください」
「彼女の身を案じるなら、なおさら」
「で、ですが…」
今この時間、初美ちゃんは人ならざる物と化しているはず。
であれば、小蒔ちゃんの神気は毒でしかない。
「事情は夜が明けてから説明いたします。今はどうか、
この場から一刻も早くお立ち退きください」
「わ…わかりました…」
取り付く島もなく拒絶の姿勢を崩さない私に対して、
小蒔ちゃんがついに折れる。
小蒔ちゃんは、半べそをかきながら、
後ろを何度も振り向きながら帰っていった。
その様子に心を痛めつつも、とりあえずは一安心。
「さて…次は、初美ちゃんね」
小蒔ちゃんの姿が見えなくなったのを確認してから、
私は常備している鍵で、固く閉ざされた扉を開く。
隙間から尋常じゃない濃度の瘴気と小鬼(しょうき)が
漏れ出してくるけれど、無視して中を突き進む。
そして、その最奥には。
「あらあら」
鬼と化した初美ちゃんがいた。
「オソイデスヨー」
「アトスコシデ、ヤッチャウ、トコロデシタヨー」
「トイウカ、モウ、ダレデモイイカラ、ヤッチャイタイ、デスヨー」
「はいはい…私が受け止めてあげますから」
私は初美ちゃんを抱きしめる。
初美ちゃんに沁み(しみ)こんだ
邪気が、瘴気が、妖気が、
瞬く間に私に流れ込んでくる。
私の魂が、黒ずんで穢れて(けがれて)いく。
「カスミチャンモ、
ヨゴレテシマエバイイデスヨー」
私の胸に包まれた鬼が、壊れた笑みを浮かべている。
「はいはい。一緒に穢れましょう?」
私は彼女に、穏やかに微笑みかけた。
--------------------------------------------------------
私達は、生ける天倪(あまがつ)。
私は、神の依巫(よりまし)である小蒔ちゃんを守るため。
初美ちゃんは、小蒔ちゃんの住居たる神境を守るため。
それぞれに、悪しきものを纏う(まとう)定めにある。
その運命に不満はない。
誰かがやらなければならないことで、
それで大切な人を守れるというのなら。
私達は喜んで身代わりとなりましょう。
--------------------------------------------------------
翌朝。
私達は沈んだ面持ちの小蒔ちゃんのもとを訪れて、
昨夜の事情を説明した。
「というわけで…あの時間帯はとっても危険なのですよー」
「だから、これからは行っては駄目よ?」
「でも、でも…それでは…
初美ちゃんだって危険じゃないですか!」
「私はむしろあれを取り込む役割ですから、
あそこにいないといけないんですよー」
「そんな…」
絶句する小蒔ちゃん。こうなるのはわかっていたから、
今まで説明していなかったのだけれど。
ある意味いい機会なのかもしれない。
「いい?小蒔ちゃん。よく聞いてちょうだい」
「私達六女仙は、あなたを守るためにここにいるの」
「それはもちろん、お役目という事もあるけれど」
「何よりも、大切なあなたを守りたいから」
「私達は望んで天倪となるの」
「私達の気持ち、汲んでもらえないかしら?」
私の言葉に、涙をあふれさせる小蒔ちゃん。
でも、こればかりは仕方ない。
実際のところ小蒔ちゃんは、
自身が思っている以上に大切な存在なのだから。
神の依代(よりしろ)である自分を守るために、
巫女がその身を生贄に捧げる。
それは確かに哀れかもしれないけれど。
本人達が納得している以上、
守られなければならない小蒔ちゃんに、
異を唱える権限はない。
「で、でも…」
「駄目ですよー。姫様が何と言おうと、
私は今の役目を譲りませんよー」
「私はこのお役目、好きでやってますからねー」
そう言って、初美ちゃんがけらけらと笑う。
これで、この話はお開きとなった。
小蒔ちゃんはまだぐずっていたけど、
飲み込んでもらうしかない。
もっとも私は小蒔ちゃんよりも、
最後の初美ちゃんの言葉の方が
気になったのだけれど。
私は、私達がまだ小さかった、
あの頃を思い浮かべていた。
……
--------------------------------------------------------
『怖いです!怖いですよー!』
『死んじゃいます!こんなのに襲われたら
死んじゃいますよー!?』
『誰か、誰か助けてくださいよー!!』
『いや!?鬼が!?鬼が!!』
『入ってきます!私の中に!』
『いやっ…!誰か…誰かぁ!!』
『たすけて…くださいよぉ!!』
『このままじゃ…こわれちゃいますよぉー…!』
『たすけて…だれか…!
たすけてくださいよぉ…!!』
--------------------------------------------------------
……
--------------------------------------------------------
『はつみちゃん!!』
『かっかすみちゃん!?きちゃ、きちゃだめですよー!』
『ここは、ひとがいていい、ばしょじゃないですよー!』
『でも、はつみちゃんが!!』
『わたしはっ…わたしはもういいんです!』
『どうせ、もうけがれてます!』
『こないでください!』
『かすみちゃんまで…けがれちゃいますよぉ!!』
『わたしも…もう、いっしょです!!』
『ておくれです!!』
『!?』
『だから、せめて…そばにいさせてください』
『かっ…かすみちゃ…』
--------------------------------------------------------
……
あれだけ、怖がっていた初美ちゃんが。
あれだけ、泣きじゃくっていた初美ちゃんが。
『私はこのお役目、好きでやってますからねー』
そのお役目を『好き』だと言った。
…初美ちゃんは、もう長くないのかもしれない。
--------------------------------------------------------
六女仙と一括りにされることが多い私たちですが、
実はその役割によって、二つの班に分かれます。
一つは、祓う側。
巴ちゃんやはるるがこっち側ですね。
もう一つは、穢れを溜めこんでから祓われる側。
私や霞ちゃんはこちら側にあたります。
そんなわけで、いわば汚れ役である私は、
同じ立場の霞ちゃんとは特別仲がいいのです。
百鬼さんに取り込まれた私を
そのまま受け入れてくれるのは霞ちゃんだけです。
同様に、霞ちゃんに降りてくるあれも、
他のみんなにとっては祓うべき
怖ろしい存在らしいですが…
私にとっては、どちらかと言えば
親しみがわく存在です。
昨夜も、霞ちゃんは鬼と化した私を
受け入れてくれました。
私の穢れをそのまま吸い取って、
一緒に穢れてくれました。
穢れた私と一緒にいられるのは、霞ちゃんだけです。
あれに憑かれた霞ちゃんをそのまま抱きしめられるのも、
私だけです。
この特権だけは、姫様にも譲れないのですよー。
--------------------------------------------------------
かねてから抱いていた一つの懸念。
それは、私達がいつまで持つのだろうかということ。
初美ちゃん。日に日に、
鬼に堕ちるまでの時間が短くなっている気がする。
「霞ちゃーん、瘴気吸ってくださいー」
「あらまあ。もうそんな時間かしら?」
「未申(ひつじさる)時だから裏鬼門ですよー」
「ふんふむ…じゃぁ、おやつとしていただこうかしら」
「ご賞味あれですよー」
ぎゅっ。
「…初美ちゃん、ちょっといつもより穢れてないかしら?」
「最近吸引率が上がりましたよー」
「ふふっ…掃除機じゃないんだから」
普段の生活の中でも、何気ない会話の節々に、
闇を思わせる言葉が増えてきた気がする。
「まあ、それだけ境内の瘴気を回収している、
というわけだけど…」
「そうですよー、もっと評価されるべきですよー」
「それにー」
「霞ちゃんも、汚れるの早くなってきてますよー?」
「…そうかしら?」
「そうですよー。これなら、
霞ちゃんが鬼になる日も
そう遠くないかもしれませんねー」
「鬼になった霞ちゃん…
ちょーっと、見てみたいですねー」
私の方もそうだ。初美ちゃんが言うように、
穢れに対する抵抗力が
目に見えて落ちてきている。
理由は至極単純で。私が初美ちゃんのことを、
受け入れてしまっているのが原因。
本来ならば、巫女として祓い、
清めなければいけない穢れ。
私はそれを、穢れのまま受け入れてしまっている。
結果、私自身が穢れとなり始めている。
「初美ちゃんは、私を鬼にしたいのかしら?」
「いやー、それはさすがにまずいですよー」
「ふふっ…そうね」
「でも…もし、本当に私がやらかしたら、
霞ちゃんは受け入れてくれますかー?」
「もちろん拒絶しますよ?」
「ですよねー」
そう言って二人で笑いあう。
でも、初美ちゃんの目は笑っていなかった。
もし本当に、そんな機会が来たら…
初美ちゃんは、本気で私を狙うのだろう。
私を鬼にするために。
全てを捨てて、私を狙うのだろう。
その時私は、本当に初美ちゃんを拒めるだろうか。
「でも…そうね」
「?」
「もし本当にそんな時が来たら…
条件付きなら、受け入れてあげましょうか」
「本当ですかー!?
条件ってなんですかー!」
「ちょっと言いにくいのだけれど…」
「鬼になった私と一緒に、
大人しく退治されてくれるなら…受け入れましょう」
初美ちゃんの顔から表情が消える。
「じゃぁ駄目ですねー。
私は死にたくありませんよー?」
「あら、私を手に入れることよりも、
生きることの方が大切なのかしら?」
「私は欲張りですからねー。
両方手に入れて見せますよー」
「鬼になってかつこの世に留まるということ?」
「みんなに迷惑をかける気はありませんよー」
「だったらどうする気?」
「……」
「初美ちゃん?」
「…鬼門の向こうに…
行っちゃえばいいんですよー」
「そしたら…邪魔するものはいませんよー?」
--------------------------------------------------------
「という話を、初美ちゃんとしたわ」
「ハッちゃん…!」
「…危険」
逢魔時(おうまがとき)。
なにげなく霞さんから持ち掛けられた話は、
思いがけず深刻なものだった。
「ええ。最悪の事態も考えて、
今から備えておいた方がいいかもしれないわね」
淡々と話す霞さん。そんな霞さんは、
いつもの穏やかな姿勢を崩さず。
一体、どうしてそんなに
落ち着いていられるのだろうか。
「備えですか…どうしたらいいでしょう」
「そうね…まずは、覚悟をしておいてくれるかしら」
「覚悟ですか…」
「ええ」
「私達二人が、いなくなってしまってもいいように」
「!」
「霞さん…あなたは…」
「初美ちゃん一人じゃかわいそうですからね」
それはつまり、ハッちゃんと一緒に、
この世を去るということを意味していて。
これまた予想以上に、事態は危機的状況にあると
痛感させられる。
でも…何より問題なのは。
「連れ戻そうという気はないんですか!?」
「巴ちゃん。人形(ひとがた)の末路は…
どんなものだったかしら?」
「……っ」
「答えてくれる?」
「…穢れを宿したまま…川に流される…」
「正解」
「だったら、迷惑をかけないで
鬼門に消えるというのは…
人形として正しいんじゃないかしら?」
思わず言葉に詰まる。霞さんは、
ハッちゃんのことを生贄の人形だと言い捨てた。
そして、おそらくは自分のことも。
「その考え方が間違ってるんです!!」
「ハッちゃんが鬼になったというのなら、
私が鬼を祓って見せます!
なぜ、道を正す方法を考えないんですか!?」
「ハッちゃんも…『あなた』も!
使い捨ての人形じゃありません!!」
私はなかば叫ぶように訴える。
その思いは、霞さんに届いたのだろうか。
霞さんは、穏やかに笑みを浮かべた。
その笑顔からは、内面を読み取ることはできなかった。
--------------------------------------------------------
丑寅時。私は初美ちゃんと閨(ねや)を共にしていた。
昨日の今日で、また小蒔ちゃんが来るとは思えないけど…
いろいろあって、今日は初美ちゃんと一緒にいたいと思った。
ついでなので、今日巴ちゃんと話したことを打ち明ける。
「うーん。何もわかっちゃいませんねー」
「…仕方ないわ。巴ちゃんはお祓いする側だもの」
「魂まで鬼になった私を祓ったら、
それすなわち鬼退治ですよー」
「こんなにかわいい鬼を祓うとかそれこそ鬼畜ねえ」
「いやー、遠野あたりだったら見逃してもらえませんかねー」
「ふふっ…確かにあそこなら、他にもいろいろいるものね」
そう言いながら、私にくるまる初美ちゃんの頭を撫でる。
そこには、ちょこんと可愛らしい角が二本生えていた。
例のごとく、初美ちゃんは鬼になっている。
といっても、頭に申し訳程度の角が生えて、
ちょっと牙が鋭くなって…後は、爪が伸びたくらいで。
可愛らしさはそのままだ。
「今日は狂っていないのね」
「いつもあんなじゃありませんよー?
昨日のは、言うなれば
アナフィラキシーショックですよー」
鬼の姿のまま、初美ちゃんがコロコロ笑う。
確かに可愛らしいのだけれど、
この瘴気まみれの状況でこの平静さは、
逆に正気を疑ってしまう。
「そう。なら、私はお暇(いとま)しましょうか」
「へ?今からですかー?」
「初美ちゃんが心配だっただけだもの。
問題ないなら帰るわ」
「あっはっはー。問題ないと思いますかー?」
帰る。そう言った途端、
初美ちゃんの瘴気が一気に濃くなった。
悪しき気が私を取り囲み、
やがてそれは、荒縄のように私を締め付ける。
「今帰ったら、私狂っちゃいますよー?」
「うーん、もう狂ってないかしら?」
「今よりもっと狂いますよー?」
初美ちゃんの邪気に呼応して、鬼達が集まってくる。
それらはまるで初美ちゃんの意図をくみ取ったかのように、
出口への道のりを数の暴力で塞いでしまった。
「初美ちゃん、ちょっと本当のこと言ってもいいかしら?」
「なんですかー?」
「昨日の今日だから…私、本当に危険なのだけれど…」
「知ってますよー?」
「見逃してもらえないかしら?」
「だから今日聞いたじゃないですかー」
ぞわり
「んっ…!」
初美ちゃんの邪気にまさぐられ、
私の中で、黒い何かが蠢き出す。
身体から、禍々しい瘴気が漏れ始める。
それは、初美ちゃんから吸収したものではなく…
私自身が生み出したものだった。
「あはっ…霞ちゃんの瘴気、おいしいですよー…」
「あらまあ…鬼化が始まっちゃったじゃない」
「大丈夫ですよー。理性さえ保ってれば
何とかなりますよー?」
「今のあなたが理性を保ってるとは思えないのだけど…」
「そりゃあ、この日が来るのを、
ずっと夢に見てましたからねー」
「いっそ、二人で狂えたら」
「二人で堕ちてしまえたら」
「どれだけ、幸せだろうって」
「ずっと、ずっと、考えてたんですよー?」
いつもならキラキラと輝いている初美ちゃんの目は、
漆黒に塗りこめられている。
そこにいるのは、ただの一匹の鬼だった。
「それに…むしろ、狂ってるのは霞ちゃんもですよー」
「私も?」
「そうですよー。昨日の今日で、
なんで、のこのこ来ちゃったんですかー?」
「私、それとなく警告しましたよねー?」
「どうして…来ちゃったんですかー?」
「そうねえ…」
深く考えてなかった。というのが正直なところ。
確かに、こうなることも
予想していなかったわけじゃないのだけれど。
でも、私はここに来てしまった。
私も、心の底ではこうなることを
望んでいたのかもしれない。
「初美ちゃんの瘴気を吸いすぎて、
当てられちゃったのかしらね?」
「なるほどー」
「だったら、もっとしっかり吸ってもらいましょうかねー」
初美ちゃんが立ち上がり、寝間着の帯を解く。
初美ちゃんを包んでいた布がすとんと落ちて、
一糸まとわぬ姿を見せる。
「…っ…綺麗な日焼けねぇ」
ふと失いそうになる理性を繋ぎとめながら、
私は何とか軽口を叩いた。
本音を言えば、もうこれだけで溶けてしまいそうだった。
素肌の初美ちゃんから放たれる瘴気は、
清められた布越しのそれとでは、
まるで味わいが違う。
「そこはもっと別の褒め方をしてほしかったですよー」
そうこぼしながら、今度は私の帯に手をかける。
しゅるっ…と、緩めたところで手を止めて、
私の瞳を覗きこんだ。
「えーと、抵抗しないんですかー?」
「止めるなら今のうちですよー?」
「私、本気で霞ちゃんのこと、
食べちゃうつもりですよー?」
わかってる。ここが私の、人生の分岐点。
でも…さっきからぬるりと入り込んできた
初美ちゃんの瘴気が、私の中で暴れまわっている。
私の中でも、どんどん新しい瘴気が生まれ始めている。
膨れ上がる情動を、もう止められそうにない。
「いいんですー…んっ…」
「……っ」
「んはぁっ…それが…霞ちゃんの…答えですかー…」
「ええ…」
「えへへ…うれしいですよー…」
蕩けそうな笑みを浮かべる初美ちゃん。
それは、いつものあどけない初美ちゃんからは
想像もできないくらい淫猥な笑みだった。
今度こそ、初美ちゃんが帯をほどく。
私をくるんでいた布がはらりとはだけて、
私も、生まれたままの姿をさらす。
ぞわりっ…
「あー…これだけでっ…
どうにかなっちゃいそうですよー…っ」
「ふふっ…わたし…も…」
互いの身体から放たれる濃密な瘴気。
それは、無遠慮に私達の身体を、内から外からかき回す。
身体に甘い疼きが走り、私は初美ちゃんに絡みついた。
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
朝。
目が覚めた私は、辺りの異様な騒がしさに違和感を覚えました。
確かに朝は、朝餉(あさげ)の準備をする皆さんで
それなりににぎにぎしいのは事実です。
でも、今日はまるで、何か問題が発生したような…
そんな喧騒に包まれていました。
何より、私の心をざわつかせたのは…泣き声。
そう、喧騒には、確かに泣き声が混じっていました。
私は居てもたってもいられなくなり、
寝間着のまま部屋の外に飛び出してしまいます。
泣き声の方に向かいます。
方角は、北東。そう、それは…鬼門でした。
一瞬躊躇(ちゅうちょ)したものの、
私は胸中の警鐘を振り払い、
そのまま歩みを進めます。
そして、そこでは…
そこでは、いつも冷静な巴ちゃんが、
大声をあげて泣きじゃくっていました。
「どうして…どうして行ってしまったんですか!?」
「私が祓うって、言ったじゃないですか!?」
「どうして…どうしてっ!!」
「どうしてっ……!」
--------------------------------------------------------
同時刻。私達は鬼門の外から、
外界で泣き崩れる巴ちゃんを眺めていた。
「どうしてって言われてもねぇ…」
「鬼の私たちがいつまでもあそこにいたら、
退治されちゃいますよねー」
「うっかり祓われたら消滅しちゃうものね」
思うところがないわけではない。
後ろ髪引かれる気持ちがないわけではない。
でも、私達はもうあそこにはいられなかった。
「でも…確かにもう少し
猶予はあったかもしれませんねー」
「いいえ。なかったわ」
「そうですかー?そもそも、私なんか
鬼になってから結構経ちますよー?」
「それは、巫女だったからでしょう?
私達、もうその資格を喪失したじゃない」
「あぁ…なるほどー…えへへ…」
頬を赤らめながら、初美ちゃんが髪の毛をいじる。
そう、初美ちゃんが鬼と人間の境を
行ったり来たりできたのは…
初美ちゃんの巫女としての力。
今はもう…私達は、巫女じゃない。
純潔を失った…二匹の鬼。
「でも、それならそれで
置き手紙くらいはしておいた方が
よかったかもしれませんねー」
「ああ、それなら大丈夫。私がしておいたから」
「ええ!?こうなるって予測してたんですかー!?」
「というよりは、不測の事態が起きた時のために
遺書は定期的に書いていたの」
「いつ死ぬかわからないお役目だったもの」
「…もっと早く、こうすればよかったですよー。
霞ちゃんが死んでたら、私も生きてられないですよー」
「まあまあ。こうなった以上、
もう私達には関係ないわ」
「行きましょう」
「そうですねー。この世界で、
どれだけ生きられるか挑戦ですよー」
互いに手を取り、歩き出す。
外界がどんどん遠ざかる。
思うところがないわけではない。
後ろ髪引かれる気持ちがないわけではない。
でも、どの道私達は…あの世界には戻れない。
私は、もう振り返らなかった。
(完)
ひょんなことで夜中に目を覚まし、
夜の散歩としゃれこんだ神代小蒔。
そんな彼女が見たものは。
<登場人物>
石戸霞,薄墨初美,神代小蒔,滝見春,狩宿巴
<症状>
狂気
ホラー?
<その他>
※原作とはキャラと展開が大きく異なります。
ご注意を。
※人によってはバッドエンドかも。
※「鬼門」については原作の意味でとらえています。
「鬼門の意味取り違えてるよ」と
おっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが
スルーしてあげてください。
--------------------------------------------------------
丑寅(うしとら)時…ふと目が覚めて、
そのまま眠れなくなってしまった私は、
ちょっとだけ夜の世界を散歩することにしました。
夜の社はどこかひんやりと厳かな雰囲気が漂っています。
それは、身がきりりと引き締められていく気がして、
気持ちがよいものです。
いつもなら辺りを少しだけお散歩したら戻るのですが、
その日はちょっとだけ、遠出をしてみることにしました。
清らかな空気に身をゆだねながら、
気もそぞろに歩いていると…
突然、辺りに禍々しい瘴気(しょうき)が
立ち込めてきました。
「こ…これは、一体…?」
なぜ、神境…しかも神にほど近い
この場所で瘴気を感じるのか。
予想外の事態に私は戸惑いながらも、
必死で思いを巡らせます。
そして…一つの解に辿りつきました。
そう、ここは…鬼門。
初美ちゃんのお部屋です。
--------------------------------------------------------
丑寅時。時刻にして鬼門を示すこの時間は、
鬼さんがいっぱい集まってくる時間です。
しかも、方角的にも鬼門に位置する私のお部屋。
この時間になると、それはもう
とんでもないことになるわけで。
いつも通り、お部屋が百鬼夜行状態です。
(うーん、眠れませんねー)
小さいころから慣れっこなので、
いつもならこの状態でも、
らっくらくに眠れちゃう私なのですが、
今日はちょっとだけ勝手が違いました。
(なんか、気が散りますよー)
お部屋の近くに、妙に綺麗な空気が
漂っている気がします。
そのせいで、鬼さんたちも殺気立っているようです。
この鬼門中の鬼門状態でなお、
それを保てるとしたら、
おそらくは姫様くらいのものでしょう。
夜のお散歩にでもしゃれこんだのでしょうか。
(…早く逃げてくださいよー)
もし本当に姫様がいるのであれば、
今すぐ駆けつけてこんな不浄なところからは
すぐ立ち退くよう進言すべきところなのですが…
今このお部屋の扉を開けたら、
それこそ漏れ出した百鬼さんが
姫様に襲い掛かりかねません。
なにより…
(むしろ、今は私が鬼ですよー)
巫女としてはあってはならないことなのですが。
この時間の私は巫女…いいえ、
人間からも脱落してしまってます。
毎晩のように百鬼さんに侵された私は…
この時間はもはや完全に鬼なのです。
(早く…行ってくださいよー)
姫様はなかなか立ち退こうとはしません。
もしかしたら優しい姫様は、
この瘴気の中にあって、
私の身を案じているのかもしれません。
でも。
姫様の優しさが身に染みるのも、
姫様の身を案じているのも本心ではありますが。
今はそんな姫様の清らかな魂が、
刺すように痛い今日この頃。
少しずつ、少しずつ。
心がささくれ立っていきます。
(…早く…消えてくださいよー)
あ、駄目です。心まで黒くなってきています。
このままでは、姫様を…
この手にかけてしまいかねません。
あまり使いたくはありませんでしたが、
奥の手を使わざるをえないようです。
(霞ちゃーん…来てくださいー。
姫様が夜遊びしてますよー)
私は、霞ちゃんに助けを求めました。
--------------------------------------------------------
(……!)
北東の方角から、夥しい(おびただしい)邪気を感じて、
私は目を覚ました。
北東は…鬼門。そこから漂う邪気は…初美ちゃんのもの。
すなわちこれは、初美ちゃんからの救援信号。
およそ神境という神の住みかに相応しくないその信号は、
よほどのことがない限りは使われないもので。
私は即座に起き上がり、
その方角に向かって足早に歩を進める。
程なくして辿りついたそこには、
涙を浮かべた小蒔ちゃんが、
初美ちゃんのお部屋の前に張り付いていた。
(なるほど…これは確かに困るわね…)
事態を理解した私は、少し硬い声音で
小蒔ちゃんに声をかけた。
「何をしているのですか、姫様」
その一言に、わかりやすくびくりと
身体を震わせる小蒔ちゃん。
「あ、か…霞ちゃん…」
「このような時刻に、このような不浄の場所で
何をなさっているのですか?」
「え…あ…私は…初美ちゃんを…助けようと」
「どうか寝室にお戻りください」
普段とは違い突き放した態度をとる私に、
明らかに気圧される小蒔ちゃん。
涙の跡がついた小蒔ちゃんの顔に、
少しだけ心がゆらぐけれど、
叱る時はちゃんと叱らなければいけない。
「で、でも…初美ちゃんが」
「この場所には近づいてはならないと申し上げたはずです」
「お戻りください」
「彼女の身を案じるなら、なおさら」
「で、ですが…」
今この時間、初美ちゃんは人ならざる物と化しているはず。
であれば、小蒔ちゃんの神気は毒でしかない。
「事情は夜が明けてから説明いたします。今はどうか、
この場から一刻も早くお立ち退きください」
「わ…わかりました…」
取り付く島もなく拒絶の姿勢を崩さない私に対して、
小蒔ちゃんがついに折れる。
小蒔ちゃんは、半べそをかきながら、
後ろを何度も振り向きながら帰っていった。
その様子に心を痛めつつも、とりあえずは一安心。
「さて…次は、初美ちゃんね」
小蒔ちゃんの姿が見えなくなったのを確認してから、
私は常備している鍵で、固く閉ざされた扉を開く。
隙間から尋常じゃない濃度の瘴気と小鬼(しょうき)が
漏れ出してくるけれど、無視して中を突き進む。
そして、その最奥には。
「あらあら」
鬼と化した初美ちゃんがいた。
「オソイデスヨー」
「アトスコシデ、ヤッチャウ、トコロデシタヨー」
「トイウカ、モウ、ダレデモイイカラ、ヤッチャイタイ、デスヨー」
「はいはい…私が受け止めてあげますから」
私は初美ちゃんを抱きしめる。
初美ちゃんに沁み(しみ)こんだ
邪気が、瘴気が、妖気が、
瞬く間に私に流れ込んでくる。
私の魂が、黒ずんで穢れて(けがれて)いく。
「カスミチャンモ、
ヨゴレテシマエバイイデスヨー」
私の胸に包まれた鬼が、壊れた笑みを浮かべている。
「はいはい。一緒に穢れましょう?」
私は彼女に、穏やかに微笑みかけた。
--------------------------------------------------------
私達は、生ける天倪(あまがつ)。
私は、神の依巫(よりまし)である小蒔ちゃんを守るため。
初美ちゃんは、小蒔ちゃんの住居たる神境を守るため。
それぞれに、悪しきものを纏う(まとう)定めにある。
その運命に不満はない。
誰かがやらなければならないことで、
それで大切な人を守れるというのなら。
私達は喜んで身代わりとなりましょう。
--------------------------------------------------------
翌朝。
私達は沈んだ面持ちの小蒔ちゃんのもとを訪れて、
昨夜の事情を説明した。
「というわけで…あの時間帯はとっても危険なのですよー」
「だから、これからは行っては駄目よ?」
「でも、でも…それでは…
初美ちゃんだって危険じゃないですか!」
「私はむしろあれを取り込む役割ですから、
あそこにいないといけないんですよー」
「そんな…」
絶句する小蒔ちゃん。こうなるのはわかっていたから、
今まで説明していなかったのだけれど。
ある意味いい機会なのかもしれない。
「いい?小蒔ちゃん。よく聞いてちょうだい」
「私達六女仙は、あなたを守るためにここにいるの」
「それはもちろん、お役目という事もあるけれど」
「何よりも、大切なあなたを守りたいから」
「私達は望んで天倪となるの」
「私達の気持ち、汲んでもらえないかしら?」
私の言葉に、涙をあふれさせる小蒔ちゃん。
でも、こればかりは仕方ない。
実際のところ小蒔ちゃんは、
自身が思っている以上に大切な存在なのだから。
神の依代(よりしろ)である自分を守るために、
巫女がその身を生贄に捧げる。
それは確かに哀れかもしれないけれど。
本人達が納得している以上、
守られなければならない小蒔ちゃんに、
異を唱える権限はない。
「で、でも…」
「駄目ですよー。姫様が何と言おうと、
私は今の役目を譲りませんよー」
「私はこのお役目、好きでやってますからねー」
そう言って、初美ちゃんがけらけらと笑う。
これで、この話はお開きとなった。
小蒔ちゃんはまだぐずっていたけど、
飲み込んでもらうしかない。
もっとも私は小蒔ちゃんよりも、
最後の初美ちゃんの言葉の方が
気になったのだけれど。
私は、私達がまだ小さかった、
あの頃を思い浮かべていた。
……
--------------------------------------------------------
『怖いです!怖いですよー!』
『死んじゃいます!こんなのに襲われたら
死んじゃいますよー!?』
『誰か、誰か助けてくださいよー!!』
『いや!?鬼が!?鬼が!!』
『入ってきます!私の中に!』
『いやっ…!誰か…誰かぁ!!』
『たすけて…くださいよぉ!!』
『このままじゃ…こわれちゃいますよぉー…!』
『たすけて…だれか…!
たすけてくださいよぉ…!!』
--------------------------------------------------------
……
--------------------------------------------------------
『はつみちゃん!!』
『かっかすみちゃん!?きちゃ、きちゃだめですよー!』
『ここは、ひとがいていい、ばしょじゃないですよー!』
『でも、はつみちゃんが!!』
『わたしはっ…わたしはもういいんです!』
『どうせ、もうけがれてます!』
『こないでください!』
『かすみちゃんまで…けがれちゃいますよぉ!!』
『わたしも…もう、いっしょです!!』
『ておくれです!!』
『!?』
『だから、せめて…そばにいさせてください』
『かっ…かすみちゃ…』
--------------------------------------------------------
……
あれだけ、怖がっていた初美ちゃんが。
あれだけ、泣きじゃくっていた初美ちゃんが。
『私はこのお役目、好きでやってますからねー』
そのお役目を『好き』だと言った。
…初美ちゃんは、もう長くないのかもしれない。
--------------------------------------------------------
六女仙と一括りにされることが多い私たちですが、
実はその役割によって、二つの班に分かれます。
一つは、祓う側。
巴ちゃんやはるるがこっち側ですね。
もう一つは、穢れを溜めこんでから祓われる側。
私や霞ちゃんはこちら側にあたります。
そんなわけで、いわば汚れ役である私は、
同じ立場の霞ちゃんとは特別仲がいいのです。
百鬼さんに取り込まれた私を
そのまま受け入れてくれるのは霞ちゃんだけです。
同様に、霞ちゃんに降りてくるあれも、
他のみんなにとっては祓うべき
怖ろしい存在らしいですが…
私にとっては、どちらかと言えば
親しみがわく存在です。
昨夜も、霞ちゃんは鬼と化した私を
受け入れてくれました。
私の穢れをそのまま吸い取って、
一緒に穢れてくれました。
穢れた私と一緒にいられるのは、霞ちゃんだけです。
あれに憑かれた霞ちゃんをそのまま抱きしめられるのも、
私だけです。
この特権だけは、姫様にも譲れないのですよー。
--------------------------------------------------------
かねてから抱いていた一つの懸念。
それは、私達がいつまで持つのだろうかということ。
初美ちゃん。日に日に、
鬼に堕ちるまでの時間が短くなっている気がする。
「霞ちゃーん、瘴気吸ってくださいー」
「あらまあ。もうそんな時間かしら?」
「未申(ひつじさる)時だから裏鬼門ですよー」
「ふんふむ…じゃぁ、おやつとしていただこうかしら」
「ご賞味あれですよー」
ぎゅっ。
「…初美ちゃん、ちょっといつもより穢れてないかしら?」
「最近吸引率が上がりましたよー」
「ふふっ…掃除機じゃないんだから」
普段の生活の中でも、何気ない会話の節々に、
闇を思わせる言葉が増えてきた気がする。
「まあ、それだけ境内の瘴気を回収している、
というわけだけど…」
「そうですよー、もっと評価されるべきですよー」
「それにー」
「霞ちゃんも、汚れるの早くなってきてますよー?」
「…そうかしら?」
「そうですよー。これなら、
霞ちゃんが鬼になる日も
そう遠くないかもしれませんねー」
「鬼になった霞ちゃん…
ちょーっと、見てみたいですねー」
私の方もそうだ。初美ちゃんが言うように、
穢れに対する抵抗力が
目に見えて落ちてきている。
理由は至極単純で。私が初美ちゃんのことを、
受け入れてしまっているのが原因。
本来ならば、巫女として祓い、
清めなければいけない穢れ。
私はそれを、穢れのまま受け入れてしまっている。
結果、私自身が穢れとなり始めている。
「初美ちゃんは、私を鬼にしたいのかしら?」
「いやー、それはさすがにまずいですよー」
「ふふっ…そうね」
「でも…もし、本当に私がやらかしたら、
霞ちゃんは受け入れてくれますかー?」
「もちろん拒絶しますよ?」
「ですよねー」
そう言って二人で笑いあう。
でも、初美ちゃんの目は笑っていなかった。
もし本当に、そんな機会が来たら…
初美ちゃんは、本気で私を狙うのだろう。
私を鬼にするために。
全てを捨てて、私を狙うのだろう。
その時私は、本当に初美ちゃんを拒めるだろうか。
「でも…そうね」
「?」
「もし本当にそんな時が来たら…
条件付きなら、受け入れてあげましょうか」
「本当ですかー!?
条件ってなんですかー!」
「ちょっと言いにくいのだけれど…」
「鬼になった私と一緒に、
大人しく退治されてくれるなら…受け入れましょう」
初美ちゃんの顔から表情が消える。
「じゃぁ駄目ですねー。
私は死にたくありませんよー?」
「あら、私を手に入れることよりも、
生きることの方が大切なのかしら?」
「私は欲張りですからねー。
両方手に入れて見せますよー」
「鬼になってかつこの世に留まるということ?」
「みんなに迷惑をかける気はありませんよー」
「だったらどうする気?」
「……」
「初美ちゃん?」
「…鬼門の向こうに…
行っちゃえばいいんですよー」
「そしたら…邪魔するものはいませんよー?」
--------------------------------------------------------
「という話を、初美ちゃんとしたわ」
「ハッちゃん…!」
「…危険」
逢魔時(おうまがとき)。
なにげなく霞さんから持ち掛けられた話は、
思いがけず深刻なものだった。
「ええ。最悪の事態も考えて、
今から備えておいた方がいいかもしれないわね」
淡々と話す霞さん。そんな霞さんは、
いつもの穏やかな姿勢を崩さず。
一体、どうしてそんなに
落ち着いていられるのだろうか。
「備えですか…どうしたらいいでしょう」
「そうね…まずは、覚悟をしておいてくれるかしら」
「覚悟ですか…」
「ええ」
「私達二人が、いなくなってしまってもいいように」
「!」
「霞さん…あなたは…」
「初美ちゃん一人じゃかわいそうですからね」
それはつまり、ハッちゃんと一緒に、
この世を去るということを意味していて。
これまた予想以上に、事態は危機的状況にあると
痛感させられる。
でも…何より問題なのは。
「連れ戻そうという気はないんですか!?」
「巴ちゃん。人形(ひとがた)の末路は…
どんなものだったかしら?」
「……っ」
「答えてくれる?」
「…穢れを宿したまま…川に流される…」
「正解」
「だったら、迷惑をかけないで
鬼門に消えるというのは…
人形として正しいんじゃないかしら?」
思わず言葉に詰まる。霞さんは、
ハッちゃんのことを生贄の人形だと言い捨てた。
そして、おそらくは自分のことも。
「その考え方が間違ってるんです!!」
「ハッちゃんが鬼になったというのなら、
私が鬼を祓って見せます!
なぜ、道を正す方法を考えないんですか!?」
「ハッちゃんも…『あなた』も!
使い捨ての人形じゃありません!!」
私はなかば叫ぶように訴える。
その思いは、霞さんに届いたのだろうか。
霞さんは、穏やかに笑みを浮かべた。
その笑顔からは、内面を読み取ることはできなかった。
--------------------------------------------------------
丑寅時。私は初美ちゃんと閨(ねや)を共にしていた。
昨日の今日で、また小蒔ちゃんが来るとは思えないけど…
いろいろあって、今日は初美ちゃんと一緒にいたいと思った。
ついでなので、今日巴ちゃんと話したことを打ち明ける。
「うーん。何もわかっちゃいませんねー」
「…仕方ないわ。巴ちゃんはお祓いする側だもの」
「魂まで鬼になった私を祓ったら、
それすなわち鬼退治ですよー」
「こんなにかわいい鬼を祓うとかそれこそ鬼畜ねえ」
「いやー、遠野あたりだったら見逃してもらえませんかねー」
「ふふっ…確かにあそこなら、他にもいろいろいるものね」
そう言いながら、私にくるまる初美ちゃんの頭を撫でる。
そこには、ちょこんと可愛らしい角が二本生えていた。
例のごとく、初美ちゃんは鬼になっている。
といっても、頭に申し訳程度の角が生えて、
ちょっと牙が鋭くなって…後は、爪が伸びたくらいで。
可愛らしさはそのままだ。
「今日は狂っていないのね」
「いつもあんなじゃありませんよー?
昨日のは、言うなれば
アナフィラキシーショックですよー」
鬼の姿のまま、初美ちゃんがコロコロ笑う。
確かに可愛らしいのだけれど、
この瘴気まみれの状況でこの平静さは、
逆に正気を疑ってしまう。
「そう。なら、私はお暇(いとま)しましょうか」
「へ?今からですかー?」
「初美ちゃんが心配だっただけだもの。
問題ないなら帰るわ」
「あっはっはー。問題ないと思いますかー?」
帰る。そう言った途端、
初美ちゃんの瘴気が一気に濃くなった。
悪しき気が私を取り囲み、
やがてそれは、荒縄のように私を締め付ける。
「今帰ったら、私狂っちゃいますよー?」
「うーん、もう狂ってないかしら?」
「今よりもっと狂いますよー?」
初美ちゃんの邪気に呼応して、鬼達が集まってくる。
それらはまるで初美ちゃんの意図をくみ取ったかのように、
出口への道のりを数の暴力で塞いでしまった。
「初美ちゃん、ちょっと本当のこと言ってもいいかしら?」
「なんですかー?」
「昨日の今日だから…私、本当に危険なのだけれど…」
「知ってますよー?」
「見逃してもらえないかしら?」
「だから今日聞いたじゃないですかー」
ぞわり
「んっ…!」
初美ちゃんの邪気にまさぐられ、
私の中で、黒い何かが蠢き出す。
身体から、禍々しい瘴気が漏れ始める。
それは、初美ちゃんから吸収したものではなく…
私自身が生み出したものだった。
「あはっ…霞ちゃんの瘴気、おいしいですよー…」
「あらまあ…鬼化が始まっちゃったじゃない」
「大丈夫ですよー。理性さえ保ってれば
何とかなりますよー?」
「今のあなたが理性を保ってるとは思えないのだけど…」
「そりゃあ、この日が来るのを、
ずっと夢に見てましたからねー」
「いっそ、二人で狂えたら」
「二人で堕ちてしまえたら」
「どれだけ、幸せだろうって」
「ずっと、ずっと、考えてたんですよー?」
いつもならキラキラと輝いている初美ちゃんの目は、
漆黒に塗りこめられている。
そこにいるのは、ただの一匹の鬼だった。
「それに…むしろ、狂ってるのは霞ちゃんもですよー」
「私も?」
「そうですよー。昨日の今日で、
なんで、のこのこ来ちゃったんですかー?」
「私、それとなく警告しましたよねー?」
「どうして…来ちゃったんですかー?」
「そうねえ…」
深く考えてなかった。というのが正直なところ。
確かに、こうなることも
予想していなかったわけじゃないのだけれど。
でも、私はここに来てしまった。
私も、心の底ではこうなることを
望んでいたのかもしれない。
「初美ちゃんの瘴気を吸いすぎて、
当てられちゃったのかしらね?」
「なるほどー」
「だったら、もっとしっかり吸ってもらいましょうかねー」
初美ちゃんが立ち上がり、寝間着の帯を解く。
初美ちゃんを包んでいた布がすとんと落ちて、
一糸まとわぬ姿を見せる。
「…っ…綺麗な日焼けねぇ」
ふと失いそうになる理性を繋ぎとめながら、
私は何とか軽口を叩いた。
本音を言えば、もうこれだけで溶けてしまいそうだった。
素肌の初美ちゃんから放たれる瘴気は、
清められた布越しのそれとでは、
まるで味わいが違う。
「そこはもっと別の褒め方をしてほしかったですよー」
そうこぼしながら、今度は私の帯に手をかける。
しゅるっ…と、緩めたところで手を止めて、
私の瞳を覗きこんだ。
「えーと、抵抗しないんですかー?」
「止めるなら今のうちですよー?」
「私、本気で霞ちゃんのこと、
食べちゃうつもりですよー?」
わかってる。ここが私の、人生の分岐点。
でも…さっきからぬるりと入り込んできた
初美ちゃんの瘴気が、私の中で暴れまわっている。
私の中でも、どんどん新しい瘴気が生まれ始めている。
膨れ上がる情動を、もう止められそうにない。
「いいんですー…んっ…」
「……っ」
「んはぁっ…それが…霞ちゃんの…答えですかー…」
「ええ…」
「えへへ…うれしいですよー…」
蕩けそうな笑みを浮かべる初美ちゃん。
それは、いつものあどけない初美ちゃんからは
想像もできないくらい淫猥な笑みだった。
今度こそ、初美ちゃんが帯をほどく。
私をくるんでいた布がはらりとはだけて、
私も、生まれたままの姿をさらす。
ぞわりっ…
「あー…これだけでっ…
どうにかなっちゃいそうですよー…っ」
「ふふっ…わたし…も…」
互いの身体から放たれる濃密な瘴気。
それは、無遠慮に私達の身体を、内から外からかき回す。
身体に甘い疼きが走り、私は初美ちゃんに絡みついた。
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
朝。
目が覚めた私は、辺りの異様な騒がしさに違和感を覚えました。
確かに朝は、朝餉(あさげ)の準備をする皆さんで
それなりににぎにぎしいのは事実です。
でも、今日はまるで、何か問題が発生したような…
そんな喧騒に包まれていました。
何より、私の心をざわつかせたのは…泣き声。
そう、喧騒には、確かに泣き声が混じっていました。
私は居てもたってもいられなくなり、
寝間着のまま部屋の外に飛び出してしまいます。
泣き声の方に向かいます。
方角は、北東。そう、それは…鬼門でした。
一瞬躊躇(ちゅうちょ)したものの、
私は胸中の警鐘を振り払い、
そのまま歩みを進めます。
そして、そこでは…
そこでは、いつも冷静な巴ちゃんが、
大声をあげて泣きじゃくっていました。
「どうして…どうして行ってしまったんですか!?」
「私が祓うって、言ったじゃないですか!?」
「どうして…どうしてっ!!」
「どうしてっ……!」
--------------------------------------------------------
同時刻。私達は鬼門の外から、
外界で泣き崩れる巴ちゃんを眺めていた。
「どうしてって言われてもねぇ…」
「鬼の私たちがいつまでもあそこにいたら、
退治されちゃいますよねー」
「うっかり祓われたら消滅しちゃうものね」
思うところがないわけではない。
後ろ髪引かれる気持ちがないわけではない。
でも、私達はもうあそこにはいられなかった。
「でも…確かにもう少し
猶予はあったかもしれませんねー」
「いいえ。なかったわ」
「そうですかー?そもそも、私なんか
鬼になってから結構経ちますよー?」
「それは、巫女だったからでしょう?
私達、もうその資格を喪失したじゃない」
「あぁ…なるほどー…えへへ…」
頬を赤らめながら、初美ちゃんが髪の毛をいじる。
そう、初美ちゃんが鬼と人間の境を
行ったり来たりできたのは…
初美ちゃんの巫女としての力。
今はもう…私達は、巫女じゃない。
純潔を失った…二匹の鬼。
「でも、それならそれで
置き手紙くらいはしておいた方が
よかったかもしれませんねー」
「ああ、それなら大丈夫。私がしておいたから」
「ええ!?こうなるって予測してたんですかー!?」
「というよりは、不測の事態が起きた時のために
遺書は定期的に書いていたの」
「いつ死ぬかわからないお役目だったもの」
「…もっと早く、こうすればよかったですよー。
霞ちゃんが死んでたら、私も生きてられないですよー」
「まあまあ。こうなった以上、
もう私達には関係ないわ」
「行きましょう」
「そうですねー。この世界で、
どれだけ生きられるか挑戦ですよー」
互いに手を取り、歩き出す。
外界がどんどん遠ざかる。
思うところがないわけではない。
後ろ髪引かれる気持ちがないわけではない。
でも、どの道私達は…あの世界には戻れない。
私は、もう振り返らなかった。
(完)
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/103496450
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/103496450
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
霞初はお気に入りなのです。
シリアスもギャグもよし。
永水はその神聖さを保つための闇も深そうで
その辺はまた別の話で書いてみたいです。
宮守ならその辺まったりスルーなんですけどね。