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【咲SS:咲久】咲「…責任、取ってください」【ヤンデレ】
<あらすじ>
「部長のせいです。部長が私を麻雀部に引きこんだから…
ありもしない希望を持っちゃったんです」
「責任、取ってください」
<シリーズの趣旨>
白久さんと黒咲ちゃんシリーズ。
心優しい久さんは、黒咲さんの世話を焼くうちに、
いつのまにか黒く染まっていきます。
<登場人物>
竹井久,宮永咲,染谷まこ
<症状>
・共依存
・ヤンデレ
・狂気
<その他>
※原作キャラ崩壊。
※久は両親が離婚して一人暮らし設定。
※これまでのSSと比較して段違いの重苦しさです。
ご注意ください。
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清澄高校麻雀部に異変が起きている。
私がそれを知ったのは、
残念なことに外部の友達からだった。
「最近、麻雀部って全然活動してないみたいだよ?」
その話を聞いた時、私はすぐに
信じることはできなかった。
なぜなら、私が部室に行く時は
いつもみんな揃っているからだ。
でも、話を聞かせてくれた友達は、
嘘をつくような子ではなかった。
聞けば、下校中に麻雀部の部員を何度か見かけたらしい。
インターハイで麻雀部を熱心に応援してくれた彼女は、
部員全員の顔を覚えていた。
それで疑問に思って麻雀部の部室を眺めていたが、
最近は電気がついてない日ばかりとのことだった。
話を聞いた私は、放課後になるとすぐ部室を訪れた。
それは、いつもなら当然活動している時間帯。
でも、友達が言ったように、部室の灯りは消えていて。
中に入ってみても、やっぱりもぬけの殻だった。
私は思わず、携帯電話を手に取った。
まこ「すまんかった…」
私の問いかけに、まこはあっさりと白状した。
その姿はあまりにもくたびれていて。
麻雀部の近況もさることながら、
まこの方が心配になってしまう。
まこ「お前さんから胸張って引き継いだ手前…
とても言い出せんかった」
つまりは、こういうことらしい。
私が麻雀部を引退した。
そしたら、咲が来なくなった。
つられて、優希や須賀君も来なくなった。
誰も来ないから、活動を休止した。
私が部室に来ると連絡があった時だけは、
皆に頼み込んで部室に来てもらっていたらしい。
まこ「すまん…かった…!」
まこが深々と頭を下げる。その肩は小さく震えていた。
まこがどういう子かは、私が一番よくわかっている。
こんな状況に至るまで、何もせず
ぼーっとしていたということはないだろう。
おそらくは、必死に説得したはず。
何度も下級生のところに足を運んで、
部活に来るように訴えかけたはず。
そう、きっと、何度も、何度も。
それでも、駄目だった。
そんなまこを、どうして私が責められるだろうか。
今の今までこの惨状に気づきもしなかった私が。
私がするべきことは、まこを責めることじゃない。
この現状を打開して、麻雀部を復活させること。
そして、その上で今度こそきっちり引継ぎをして、
次代へとタスキを渡すこと。
そう決意した私は、まず咲のところに行くことにした。
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携帯を持っていない咲だけど、
見つけるのはそれほど難しくはなかった。
私はまず下駄箱に行き、咲の靴がないことを確認する。
そして、私自身も靴を履きかえて、
そのまま学校の裏庭に向かう。
予想通り、咲は森林に囲まれたそこで、
いつも通り読書をしていた。
「……」
咲は私の姿を目に止めると、言葉もなく軽く会釈をする。
そしてそのまま、動かした視線を本に戻した。
その行動にも驚いたけど、何よりも私が驚いたのは…
咲の目から、一切の輝きが失われていたこと。
私は今まで、こんなに冷たい咲の目を見たことは
ただの一度もなかった。
無言のまま、咲の隣に腰掛ける。
そんな私にかけられた咲の言葉は、
とても意外なものだった。
「やっと、来てくれたんですね」
「…私が来るのを、待っていたの?」
「はい」
そう言った咲は、ようやく読んでいた本を閉じると、
私の方に向き直る。それでもその目は、死んだままだ。
「どうして、部活に来なくなったの?」
「だって…麻雀部、終わっちゃったじゃないですか」
「終わってないわよ?」
「いいえ。終わりました。何もかも」
「あそこには、もう何もありません」
「部長も、和ちゃんも、麻雀を打つ目的も」
「もう、何もありません」
そう言って私を見つめる咲。
でも、その目は私を映してはいなかった。
そこに映るのは、ただ深く。
深く吸い込まれそうな闇だけだった。
咲のあまりの変わりように、私は思わず気圧された。
あそこにはもう何もない。そう言い切った咲。
私はそれを、覆せるのだろうか。
二の句を継げないでいる私に対して、
すっ…と咲の目が鋭くなる。
「…何も言わないんですね」
その目は、明らかに私を責めていた。
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咲がインターハイに懸ける思いは、
全てが終わってから知った。
疎遠となったお姉さんと、もう一度やり直すため。
でも、それは叶わなかった。
和のインターハイで負わされた宿命も、
全てが終わってから知った。
インターハイで全国優勝できなければ、
父親の転勤についていく。
そして、それは現実となった。
そのことを知った時、私はひどく悲しかったけど、
だからといってどうすることもできなかった。
咲の事情を知っていたら、何か違っていたというの?
家族の問題に、私がおいそれと口を出せる?
多分、余計に話をこじらせただけでしょう。
和の事情を知っていたら、優勝できていたというの?
そもそも私は、今回だって全力で戦った。
結果は、きっと変わっていなかったでしょう。
そもそも私は、それがそこまで致命的な問題だとは思わなかった。
それでもなお、私達は強い絆で結ばれている。
私はそう信じていたから。
お姉さんがいなくても、離れ離れになってしまっても、
私達はいつまでも仲間でいられると思っていた。
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でも、私が渦中の彼女達に、
何もしてあげなかったのは事実だった。
私が何もしないうちに、咲が大切と思うものは、
全て無くなってしまった。
『あそこには、もう何もありません』
そう言い放つ咲に対して、
今さら、事の深刻さすら理解できていなかった私が、
何らかの言葉で説得したところで、
それに意味はあるのだろうか。
「かけられる…言葉がないわ」
「なら…何しに来たんですか?」
「あなたを、連れ戻しに」
「自分はいなくなっちゃった場所にですか?」
咲の言葉は、一つ一つが鋭くて。
それは的確に私の心を抉って(えぐって)いく。
ちょっと前までは、大人しくて優しい子だったのに。
絶望は、こうまで人を変えてしまうものなのか。
「あそこにいると、思い出すんです」
「楽しかった日々を」
「まだ希望があると勘違いしていた、幸せな日々を」
そう言って、咲は遠くを見て笑った。
でも、その笑みは自虐にまみれている。
「そして、ふと現実に引き戻されるんです」
「もう、希望はなくなっちゃったって」
「みんな、みんないなくなっちゃったって」
皆いなくなった。私はその言葉に違和感を感じた。
きっと、今の咲に言っても意味のない事だろうけど。
…そこには、残った人もいたはずなのだ。
「…まだ、まこも優希も須賀君もいるじゃない」
「それが、私の心に響かないって、
わかって言ってますよね?」
「……っ」
まるで咲は私の心を読んでいるようで。
それでいて、言葉の暴力で私を殴り続ける。
「私を、麻雀部に引きこんだのは部長でしょう?」
「私に、勝つ楽しさを教えてくれたのは、部長でしょう?」
「…私に、まやかしの希望をくれたのは…部長でしょう!?」
気がつけば、咲のよどんだ目には涙が浮かんでいた。
「麻雀部になんて、入らなければよかった!」
「希望なんて、最初から持たなければよかった!」
「そうすれば…こんな絶望を味あわなくてすんだのに…!」
「これ、全部…部長のせいじゃないですか!!」
「…責任、取ってください」
咲は私をなじりながら、刺すような視線を私に向ける。
支離滅裂。そう断じて話を打ち切ることもできたと思う。
逆恨みもいいところ。そう切り返すこともできたと思う。
でも、私には咲の気持ちが痛いくらいによくわかった。
だって、私にも似たような経験があったから。
麻雀部を開設した時に抱いた、かすかな希望。
仮入部とはいえ部員が入ってくれた時の、
思わず泣きそうになったほどの喜び。
そして…
その部員が去って行った時の、深い失望。
それらは私が勝手に抱いた希望だったけど。
それでも、私をひどく傷つけたのは事実で。
私には咲の悲しみを、自分には関係ないと
突っぱねることはできなかった。
「…どうすれば許してくれるの?」
「部長の、卒業までの時間を私に下さい」
「私を、慰めることに全力を尽くしてください」
「私が、元通り笑えるようになるために」
「お姉ちゃんの、代わりになってください」
そう言って、私の目を鋭く見据える咲。
私には、頷く以外に他はなかった。
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咲と私が、部活に戻ってきた。
そしたら、優希と須賀君も戻ってきた。
「今まで勝手にサボっちゃって…すいませんでした」
「私も…すまなかったじぇ…」
「俺も…すいませんでした」
口々に謝罪の言葉を述べながら、頭を下げる三人。
まこは…目に涙を浮かべながら、一言だけこう言った。
「わしが…わしが至らんかったんじゃ…
わしの方こそ…許してくれ…」
その姿に、胸がずきんと痛みを告げる。
違う、まこは何も悪くない。
悪いのは…こうなることを予測できずに去った私。
咲のことも含めて、私が頑張って修復しなきゃ。
安心して、卒業して行けるように。
その日は、しばらくぶりに打牌の音が響いた。
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部活終了後。みんなと別れた私は、咲と一緒に帰路につく。
みんなと麻雀を打つことで、
少しは咲の気が紛れることを期待した私は、
ふとうかがった咲の表情に失望する。
表情(かお)のない顔。
光を通さない暗い瞳。
咲は、何一つ変わっていなかった。
「…そんなに簡単に、変わると思ったんですか?」
顔に出ていたのだろうか。
咲は驚くほど的確に、私の心情を見透かしていた。
「そんなに簡単に、絶望から脱出できたら幸せでしょうね」
皮肉めいた声音で吐き捨てると、私を鼻で笑う咲。
本当に、これは咲なんだろうか。
私の知っている咲と違いすぎる。
「私をこんな風にしたのは、部長ですよ?」
本当に、読心術でも身につけているんじゃないだろうか。
咲は、まるで私の心中と会話するように、
言葉のナイフを突き刺した。
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咲は一時的に、私の家で暮らすことになった。
元々一人暮らしの私にとって、
それはそこまで問題となることではなかったけれど。
驚いたのは、咲の主張を、
咲のお父さんがあっさりと受け入れたこと。
「俺からも、どうかお願いしたい」
そう言って彼は私に頭を下げた。
なるほどこれは駄目なわけだ。
去る者を追わず、深く心に立ち入ろうとしない。
彼からはそんな印象を受けた。
もっともそれがこの人の本質なのか、
この人も絶望してしまった結果なのかはわからないけど。
どちらにせよ、この人に期待はできなさそうだった。
私は、咲の手を引いて自宅に戻った。
私が、何とかしなければいけない。
誰の力も借りず、たった一人で。
こうして、私の孤独な戦いが始まった。
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咲との生活は、一言で言えば「苦痛」だった。
咲は、ほとんど笑わない。
笑ったとしても、それは私を傷つけるためだ。
大抵は感情のない表情のまま、ただ私を傷つける。
私はそれにひたすら耐えるしかなかった。
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ただ、一度だけ、希望が見えるような出来事もあった。
「いい加減に…してよっ…!」
「私が、したことってっ…
そんなにっ、ひどいことっ!?」
「ただっ…新入生を…勧誘してっ…
麻雀を…打った…だけ、じゃないっ…!!」
ある日ふと、急に耐えられなくなって。
目から涙が止まらなくなって。
咲に感情をぶつけてしまった。
私はその場にへたりこんで、子供みたいに泣きじゃくった。
もっとも、そうやって悲劇のヒロインを気取りながらも、
こんなことには意味はないとも思っていた。
どうせ、咲はいつもの冷たい目で私を罵倒するだけ。
私の自業自得でしょって、きっぱりと切り捨てるだけ。
そう思っていた。
なのに…
咲は、謝罪の言葉を口にしながら泣き始めた。
ごめんなさい…
本当は、わかってるんです
部長は悪くないって、わかってるんです
でも、もう私、駄目なんです
誰かに、こうやってすがらないと
悲しみを、吐き出さないと
これ以上、生きていられないんです
ごめんなさい…
ごめんなさい…!
私達は抱き合いながら、二人でひたすら泣き続けた。
ごめんなさい、ごめんなさいって、お互いに謝りながら。
私達は、意識がなくなるまで泣き続けた。
この経験は、私にとって大きな心の拠り所になった。
いわれのない叱責を受ける度に、私は頭の中で繰り返す。
咲だって、本当は心の中で苦しんでる
あの日、二人で一緒に泣いたじゃない
頑張って、咲を癒さなくちゃ
それが、咲を麻雀部に引きこんだ私の責任
大丈夫、いつか咲も治ってくれる
そう言い聞かせると、少しだけ、心が軽くなる気がするのだ。
後少しだけ、頑張れるような気がするのだ。
だから私は、呪文のように繰り返す。
咲も、頑張ってる。私も、頑張らないとって。
それでも、少しずつ。
少しずつ私は疲弊していった。
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周りにはバレないように気を使っていたつもりだったけど、
付き合いの長いまこにはバレてしまったみたい。
私はお昼休み、密かにまこに呼び出された。
「久…ずいぶん、やつれたの…」
「…そうかしら?」
自覚がないわけではない。最近は夜も眠れなくなった。
最後にぐっすり眠ったのはいつのことだっただろう。
ずっと体調が悪いのも多分そのせいだ。
でも。
「まあ、最近ちょっと寝れなくてねー。
心配しなくても、そのうちすぐ治ると思うわ」
「じゃけぇ…」
「もう、そんな顔しないの!ほら、笑顔笑顔!」
まこには心配をかけたくなかった。
この子は、私が何も気づかず能天気に過ごしていた間、
一人で苦しみながら頑張っていたのだから。
私は、無理矢理笑顔を作る。
なんとか、まこを安心させてあげたい。
そう言えば、私も笑ったのはいつぶりだろう。
「もうええっ…久っ…
それ以上、一人で抱え込まんでくれっ…」
私は笑ったはずなのに。
それを見たまこの目からは、涙があふれ出してくる。
え、なんでいきなり泣き始めるのよ!?
「わしゃ…今の久をもう見とれん…」
「一体、何がわりゃをそこまで苦しめるんじゃ…」
「そこまで苦しむくらいなら…
もう、いっそやめたらええ!」
「元々久が始めた麻雀部じゃ…!
誰も文句言う奴なんておらん!」
まこの言葉は、私への気遣いにあふれていて。
私はつい、その言葉にあまえてしまいたくなるけれど。
でも、それは許されない。
事態はもう、麻雀部の存続なんて次元ではないのだ。
「私の責任なの」
「私が、咲を壊してしまった」
「だから、私は咲を元に戻す責任があるの」
「私が…私が…私が…!」
「久…!!」
まこが、泣きながら私を抱きしめる。
でも、私はそれを振り払った。
「ひっ…久っ…?」
「ごめんなさい。今、優しくされたら…
私、立ち上がる自信がないから」
「心配してくれてありがとう、でも気にしないで」
「まこは…自分の傷を癒すことに専念して?」
「久っ…!待つんじゃ…!話はまだ、終わっとらん…!!」
叫ぶようなまこの声。でも、私はもう振り返らなかった。
だって、そうでもしなければ…
私は、もう、前を向けなくなる。
本当に、動くことができなくなってしまう。
まこの優しさにすがって…全てを投げ出してしまう。
「久っ…!ひさっ!!」
なおも、まこは叫び続けた。
だから私は駆け出した。まこの声から逃れるために。
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まこと会話したことは、咲にはあっさりバレてしまった。
帰路ではずっと無言を貫いた咲は、
家に着くなり、私のことを尋問し始めた。
「染谷先輩と、何をお話したんですか?」
「別に。ただ、心配されただけ」
私は、隠すことなく本当のことを話した。
どうせ今の咲に、今の私が隠し事できるとは思えないし、
そんなことで咲の機嫌を損ねたくない。
「もう私なんて捨ててしまえって言われたんですか?」
「まこには、そこまで事情を話してないわよ」
「部長は、染谷先輩の話を聞いて、
どう思ったんですか?」
「どうって…別に。咲との関係をやめるつもりはないし、
まこの忠告も振り払ったわよ?」
「本当ですか!?」
「嘘をつく意味がないじゃない。
私の考えてることなんか、咲は全部読めるんでしょ?」
「…携帯、貸してください」
「何する気?」
「染谷先輩に確かめます」
「お好きにどうぞ」
咲は携帯をスピーカーホンにすると、
まこに電話をかけ始める。
できれば、今の咲をまこと接触させたくないけど…
そうしなければ、咲の機嫌を損ねるとあれば仕方がない。
プルルルル…ガチャッ
『久!?』
「違います…私です。宮永咲」
『咲!?…久をどうしたんじゃ!』
ワンコールで応答したまこは、
まるで詰め寄るかのように咲を問い詰める。
「どうしたんじゃって…どうもしてないわよ。
咲があなたに確認したいことがあるっていうから、
携帯を貸しただけよ」
『…すまん、早とちりした…』
「別にいいです。何を早とちりしたのかも聞きません」
「ただ、一つだけ教えてください」
『…なんじゃ』
「部長は…投げ出そうとしましたか?」
『……』
「答えてください」
『……』
『久は…諦めんかったよ』
『お前さんを元に戻すのが…自分の責任じゃと』
『わしがすがっても…まるで言う事を聞かんかった』
「…そうですか」
『…なぁ、お前さんたちに一体何があ』
「染谷先輩」
『な、なんじゃ』
「邪魔です」
『なっ!?』
「もう、私たちに関わらないでください。それじゃ」
プツッ…
咲はまこの言葉には一切耳を貸すことなく、
一方的に聞きたいことだけを聞いて通話を打ち切った。
でも、心なしか…咲の表情に、
珍しく明るい色が宿っている気がした。
「……」
「部長の言ったとおりでしたね…」
「だから言ったでしょ?」
「本当に私のこと、治してくれる気なんですね」
「当たり前でしょ」
「えへへ…」
「!?」
張りつめた何かが、ようやく解けたかのように。
突然咲が破顔する。私は思わず目を見開いた。
咲が…普通に笑った!?
「私だって、うれしかったら笑いますよ?」
「もう、笑わないかと思ったものっ…!」
「ええ…私も、笑える日が来るとは思いませんでした」
「部長の、おかげです」
胸に、熱いものがこみあげてくる。
目に涙が浮かんできて、みるみるうちに視界がかすむ。
私は、思わず咲に抱きついた。
咲が笑った…!笑った…!笑った!!
「っ…!そんなに強く抱きしめないでください」
「だって、だってっ…!」
この日をどれだけ待っただろうか。
咲が、再び笑ってくれる日を。
本当は、もう限界が近かった。
もう、そんな日は来ないかもと思い始めていた。
もう、咲は元に戻らないのかもしれないと思い始めていた。
絶望に埋め尽くされそうになっていた。
咲の笑顔は…そんな私の不安を、拭い去ってくれた。
「これからも…頑張ってください」
「うんっ…頑張るからっ…私…頑張るからっ…!」
私は、咲の胸で泣き続けた。
咲は、そんな私を黙って抱きしめてくれていた。
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自由登校が始まった。
周りの友達はみんな学校を休んで自宅で勉強にいそしんだり、
遊びに行ったりと、それぞれに高校生活最後の日々を
満喫しているようだった。
かく言う私はというと、勉強をするでもなく、
かといって遊びに行くでもなく、
ただ漫然と学校に来て図書館で時間を潰している。
何かをする気が起きなかった。
身体がくたびれているせいもあるかもしれない。
でも、それを差し引いても、
気力がごっそり抜け落ちている気がした。
でも、それでいい。そもそも何かをする気力があるなら、
それは咲と一緒にいる時のために温存しておくべきだ。
そんなわけで、私はただぼーっとすることになる。
ちなみに、こんな私でも拾ってくれる大学はあるみたいで。
インターハイで準優勝したおかげか、
私はいくつかの大学から麻雀特待のオファーを受けていた。
それはそれで、とてもありがたいことなのだけど。
でも、そこで頭に浮かぶのは咲の存在。
約束では、私が咲に時間を捧げるのは卒業まで。
でも、卒業したらそれで終わりでいいんだろうか。
オファーを受けた大学には、長野の大学の名前はない。
もしこれを受領したら、
私は長野から離れることになるだろう。
咲は、確かに良くなっている気がする。
でも、私がいなくなっても大丈夫なんだろうか。
私がいなくなったら、
また元に戻ってしまうんじゃないだろうか。
私は咲に、確認してみることにした。
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「逃げる気ですか?」
それが咲の第一声だった。
「卒業を機に私から逃げる気ですね?」
「ど、どうしてそうなるのよ!?」
「だって…長野の大学の推薦はないんですよね?
それを私に話してくる時点で、
逃げるつもりがあるってことじゃないですか」
いつも以上に辛辣な咲の言葉。
私は、そんなつもりで聞いたんじゃなかったのに。
ただ…ただ一言「行かないで」って言ってくれたら…
それで、話を終わらせるつもりだったのに。
「部長には失望しました。結局、部長は
私の事なんか、本気で治す気はなかったんですね」
さすがにこれは、私も黙って聞いてはいられなかった。
私がどれだけ…どれだけ咲のために頑張ってきたのか。
咲だってそれをわかってくれていると思っていたのに。
今までの努力を全て否定されたような気分になった。
それでつい、私は…
今まで思ってもなかったことを口に出してしまう。
「あなたが私を拘束できるのは卒業までって話よね?
だったら別にその後は、
私に何かする義務はないんじゃない?」
「責任取るんじゃなかったんですか?
だったら、卒業まで待ったからって、
回復してなかったら意味ないですよね?」
「それとも、単なる期間限定の自己満足だったんですか?」
「だったらどうすればいいっていうのよ!」
「本気で責任を取る気があるなら…
卒業後も続けるべきです」
「もちろん、私にそれを言う権利はありませんし、
部長にその義務はありません」
「部長が責任を取ったと勝手に満足するのなら…
私はあえてそれを止めませんよ」
咲は、私が悪いという主張を取り下げなかった。
私が聞きたかったのは、そんな言葉じゃなくて。
ただ、一言。たった一言。欲しかっただけなのに。
「行かないで」
「一緒にいてほしい」
義務とか責任とかじゃなくて、
私を求めてほしかっただけなのに。
冷静でいられなくなった私は、売り文句に買い文句で、
思わず「じゃぁ勝手にするわ!」と言いそうになる。
でもその言葉を発するすんでのところで、
私はあることに気づいた。
咲の足は…かすかに震えていた。
「……!」
冷や水をぶっかけられたかのように、
一気に頭が冷めていく。
よく見れば、震えているのは足だけではなかった。
身体全体が震えている。
さらにその震えを抑えるかのように、
咲は腕をかき抱いていた。
「…どうしたんですか?」
聞けば、その声も震えていた。
私は、自分のしでかしたことを深く後悔する。
私はまた、気づいていなかったのだ。
咲は…こんなにも「行かないで」って
私に訴えかけていたのに。
冷静になって考えてみれば、
咲の主張はどれも正しいと感じた。
咲の言う通り、卒業したからって、
治ってなければ何の意味もない。
本気で責任を取る気なら、
それこそ治るまで一生かかってでも
取り組まないといけないのだ。
それなのに、今から別れにつながる話をすれば、
咲が怒るのも当然だろう。
咲が、私と別れたくないと
思ってくれているのなら、なおさら。
「ごめん、咲…私が間違ってた」
私は、震える咲の肩を抱く。
びくりと大きく震える咲。
でも、意外にも抵抗はしなかった。
「ぶ…部長?」
突然の私の様変わりに、珍しく戸惑う咲。
私は努めて優しい声音で咲に話しかける。
「咲が思ったより良くなっていたから…
油断しちゃってたみたい」
「大学推薦は、全部蹴るわ」
「ほ…本当ですか…?」
「元々ね、咲に行かないでって言われたら、
全部蹴るつもりだったの」
「咲の言うとおり、もし治ってなかったら、
卒業後も続けないといけないものね」
「いいんですか…?それって、
卒業後も私と一緒にいるってことですよ?」
「治ってなかったらね?」
「…そんなにすぐ、治らないよ?」
私の腕の中で咲が笑った。
その笑顔は、確かに安らぎを感じるもので。
私はこの時、心に決めた。
卒業までと言わず、咲が求める限りは責任を果たそう。
咲の、この笑顔を守るために。
私は再度、咲を強く抱き寄せた。
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もっとも、私の意識を大きく変えたこの事件は、
実際には大した問題にはならなかった。
というのも、まるでタイミングを見計らったかのように、
長野の大学からオファーが来たからだ。
オファーが来た大学なら、
今住んでいるところからも問題なく通える。
高校卒業後も咲との生活を続けられそうだった。
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咲は、あの日から目に見えて症状が改善した。
まず大きく変わったのは言葉遣いだ。
あの日から、咲は私に対して丁寧語を使わなくなった。
そして、それ以上に大きな変化は…私の呼び方。
「久お姉ちゃん、携帯捨ててくれないかな?」
「いやいや、うちは固定電話ないし、
事務連絡もあるから捨てるのはさすがに無理よ」
「じゃぁせめて、事務連絡以外のアドレスは
全部消してくれないかな?」
「はいはい、わかりましたよ」
久お姉ちゃん。咲は、私のことをそう呼ぶようになった。
私は思わず笑みがこぼれた。
ようやく咲に、家族として認めてもらえたのかもしれない。
後、少しずつ冗談も言い合えるようになってきた。
「もうすぐ久お姉ちゃん卒業だね」
「そうねー、新しい大学でうまく馴染めるかしら?」
「友達作っちゃだめだよ?私だって一人ぼっちなんだから」
「それじゃ何のために大学行くのよ」
「勉強するためでしょ?」
「間違いない!」
「もう、久お姉ちゃんはほおっておくとすぐ
浮気しようとするんだから…」
「友達作るだけで浮気ですか!?」
「私以外の人のことを考えることイコール浮気だよ?」
そう言いながら、コロコロ笑う咲。
まあ笑いながらも、友達作ったら
本気で刺しに来るくらいはしそうだけど。
それでも、咲が笑ってくれるのはうれしかった。
この調子なら、もしかしたら卒業までには
元通りよくなるかもしれない。
また麻雀も再開できて、
インカレで、同じチームで出場することもできるかもしれない。
私は、少しずつ未来が開けてくるのを感じた。
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もっとも、そう順風満帆には行かないのが世の常で。
私は、ついにある人物に捕まってしまった。
「久…今までどうしとったんじゃ!?」
そう、染谷まこ。
あの日以来、まことは一度も会話してなかった。
だって、どう考えても咲は怒るだろうから。
だから、メールで一言
「悪いけど、私たちのことは当分気にしないで頂戴」
とだけ送って放置していた。
それからは、できるだけ会わないように
気を付けていたんだけど…
まさか、授業をサボって下駄箱で
待ち伏せしてるとは思わなかった。
「何してたって…見ての通り普通に学校に来て、
普通に帰ってたけど…」
「それは知っとる…でもそれなら何で
わしに話しかけてくれんかったんじゃ…!」
「だって咲が嫌がるし」
「咲…咲咲咲!お前さんはずっとそればっかりじゃ!
一体、お前さんと咲はどういう関係なんじゃ!?」
「どうって…先輩と後輩だけど?」
「それだけでこがぁ有様はないじゃろう!?」
私はだんだん苛立ちを覚えてきた。
まこに心配をかけるのはいやだけど、
今は咲がようやく快方に向かっている大切な時期。
余計な邪魔をして、咲の回復を妨げないでほしい。
「というか、帰っていい?咲が嫌がるから、
今はあなたとは話したくないのよ」
「なっ…!?」
「じゃぁもう行くわね?」
「待て!待ってくれ!」
「バイバイ」
私は一方的に話を打ち切って、
振り向きもせず帰ろうとする。
何を言われても話を続ける気はなかったんだけど、
まこは一つだけ、聞き捨てならない言葉を吐いた。
「久!頼む…気づいてくれ!!
わりゃぁ狂っとる!狂っとるんじゃ!」
「もう、咲から離れんしゃい!!」
「は?」
「…今、何て言ったの?」
「じゃけぇ、咲から離れろっちゅうんじゃ!
このままじゃ、お前さんまでおかしゅうなる!」
この台詞は、到底看過できるものではなかった。
咲が、どれだけ苦しんだと思ってるの?
私が、どれだけ頑張ってきたと思ってるの?
私がいなかったら、咲はどうなると思ってるの?
何も知らないくせに。
何もわかってないくせに。
「咲から離れる?私が?」
「あなた、その言葉の意味わかって言ってるの?」
「私がどれだけ苦労して咲を治してきたと思ってるの?」
「私が咲から離れちゃったら、また元に戻っちゃうじゃない」
「咲はね、私がいないと駄目なのよ」
「それをわかって、あなたは私を咲から引き離そうというの?」
「ひ…久っ…?」
弾丸のように言葉を紡ぐうちに、
私の怒りはどんどんヒートアップしていく。
もう、私はまこを許せなくなってきた。
二度と、私に近づかないでほしい。
咲から私を遠ざけようとするまこは、
私にとってはもう邪魔でしかない。
「咲の言うとおりだわ…あなた、邪魔ね」
「もう、金輪際話しかけないでくれる?」
「久っ…!!」
「バイバイ!もう二度と会わないでね!」
踵を返したその後ろで、まこが何かを叫んでいた。
でも、もう聞く耳は持たない。
彼女は、私にとって敵でしかないのだから。
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私は今日起こったことを、今まで通り
包み隠さず話すことにした。
まこと話した事実を隠すよりも、
私がまこをしっかりと拒絶したことを話す方が、
今よりいい方向に向かうと思ったのだ。
「あらぬ疑いをかけられるのがいやだから
先に言っておくけど…今日まこに捕まったわ」
「!?それで、どうしたの!?」
「もう二度と会わないでってきっぱり拒絶したわ」
「本当!?」
「本当よ?何なら本人に…ってもう確認しようがないか」
「そっか…えへへ」
私の予想通り、咲は最初こそ愕然としたものの、
私がまこを切り捨てたことを聞いて、
むしろ機嫌がよくなった。
「咲を治すのが一番だもの…
今の咲にとって邪魔なものは、
私にとっても邪魔でしかないわ」
「えへへ…うれしいな…」
ふにゃりと安堵の笑みを浮かべる咲。
ああ、もっと早くこうしておけばよかった。
私も思わず笑顔になった。
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その後は特にイベントを迎えることもなく、
私は高校を卒業した。
卒業式の日も、特に誰かと別れを惜しむこともなく、
そそくさと咲を連れて家に帰った。
そして、そのまま大学に入学した私は、
自分の見通しの甘さにほとほと嫌気がさすことになった。
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麻雀特待生。
それが、私が大学に入学した方法だ。
受験と学費が免除になる上、
むしろ援助金がもらえるという
私にはうってつけの制度であったのは事実だけど。
その方法で大学に入った以上、
孤独でいるというのは困難で。
麻雀部に所属しなければならない以上、
どうしても咲以外の人と接することになる。
私にとってそれは、想像以上に苦痛なことだった。
「清澄高校出身の竹井久です。
よろしくお願いします」
「わぁ!竹井さん来たんだー!!」
「インターハイ見てたよ!」
「竹井さんが入るならインカレも全国狙えるかも!」
「これから一緒に頑張ろうね!!」
当たり障りのない挨拶をした私を、
麻雀部の人達は温かく迎えてくれた。
数年前なら、夢にまで見たその光景。
でもそれは、今の私にとっては足枷でしかない。
だって、きっと。
咲は怒るだろう。悲しむだろう。
案の定、帰ってきた私に咲は言い放った。
「もう家から出ないでください!」
その頬には、涙の跡がくっきりと残っていて。
咲を悲しませてしまったこと、
丁寧語が戻ってしまったことが悲しかった。
でも、どうすればいいんだろう。
このまま、咲の言う通り大学を辞めるのはたやすい。
でも、それでどうやって生きていくの?
親からの援助は、大学卒業と同時に
打ち切られることが確定している。
今大学を辞めたら、私達は住むところすら失ってしまう。
でも、このまま大学に通い続けたら、
せっかくよくなった咲がまた逆戻りしてしまう。
私は、どうすればいいの?
泣き疲れて眠る咲を抱きながら、
答えのない問いをぐるぐるとひたすら問いかけ続ける。
気がつけば、空が白んでいた。
私には、この問題を解決する妙案は思いつかなかった。
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結局私が選んだのは、今の生活を続けていくことだった。
例えどんなに辛くても、咲と二人で暮らす場所を
失うわけにはいかなかった。
麻雀部の人達とはできるだけ関わらないようにして。
部活が終わったらできるだけ早く帰る。
それでも、帰るなり泣きはらした咲が私に抱きついてくる。
「ごめんねっ…寂しい思いさせてごめんねっ…!」
私も咲に泣きながら謝って。咲と一緒に泣き疲れて眠る。
毎日そんな日々が続いた。
私達は次第に消耗していった。
咲はどんどん不安定になっていく。
そんな咲を見て、私も冷静さを保てなくなってくる。
私は何のためにこんな生活を続けているんだろう。
私が今こうしているのは、咲を治すためじゃなかったの?
なのに、咲を不安がらせてどうするのよ。
しかも、どうすることもできないなんて。
なんだか、人生に嫌気がさしてきた。
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そして、私達はついに限界を迎えてしまう。
--------------------------------------------------------
その日、帰った私は、いつもと様子が違うことに気がついた。
いつもなら泣きながら
私に覆いかぶさってくる咲が姿を見せない。
いぶかしみながらリビングに足を進めると、
そこには妙に晴れやかな顔をした咲がいた。
私は直感的に、これは何かあるな、と思った。
「久お姉ちゃん…お話があるんだ」
「何かしら?」
「いきなりだけどね…私、もう限界なんだ」
「…そっか」
「だからね…もう、逝っちゃおう?」
目の前に置かれたノートパソコンには、
こんな検索結果が表示されていた。
『自殺 苦しまない』
いくつかのページが参照済みを示す濃い紫色を示していた。
私はそれを見て納得がいった。
咲は、もう諦めることにしたのだ。
「そっか…咲は、そっちを選んだのね」
「うん…駄目かな…?」
上目遣いで私の顔をうかがう咲。
答えはもう決まっていた。
私は今まで、咲のために頑張ってきたのだから。
咲がこの世界を諦める以上、
私がこの世界にとどまる理由はない。
「実を言うと、私も限界だったのよねー」
「どっちが先に言うかって感じだったよね」
「言わせちゃってごめんね?」
「謝るのは私の方だよ…
久お姉ちゃんは、二人で生きる道を
頑張って進んでくれてたんだもん」
「でも、私考えちゃったんだ…
この先、大学を卒業した後はどうなるのかなって」
「結局、就職して離れ離れになっちゃうよね」
「だったら…この苦しみが、ずっと、
ずっと続くだけなんじゃないかなって…」
「そう考えたら、もうダメになっちゃった」
「そか」
咲の考えた将来への不安。それは、
私の脳裏によぎりながらも、
考えないようにしていたものだった。
私は、それに向き合わないようにして、逃げ続けた。
咲は、それに向き合って、諦めた。
でもきっと、咲の方が正しいんだろう。
「じゃぁどうやって逝こうか」
「やっぱり苦しくない方法がいいな」
「じゃぁ切腹は駄目ねー」
「いくらなんでも切腹はしないよ?」
「じゃあ、よくあるあれは?手首切るやつ」
「うーん…致死率低いみたいだよ?」
「じゃぁ服毒」
「ものすごい苦しいし、致死率も低いって」
「じゃぁ、首つりは…悪くないけど、
できれば二人で一緒に逝きたいところよね」
「じゃぁ、やっぱり…飛び降りかな」
「そうね」
「じゃぁ、明日からは最期の場所探しの旅に出ましょう!」
次の日、私達は学校を無断で休んだ。
私達は思い出の場所をめぐりながら、
どこが最期の場所としてふさわしいかを検討する。
それは、とても安らかな旅だった。
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清澄高校麻雀部屋上。
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私達は、二人で手を繋ぎながら麻雀部の部室を眺めていた。
「やっぱりここになっちゃうかー」
「私たちの思い出が、いっぱい詰まってるもんね」
私が卒業した後、麻雀部は廃部してしまった。
今そこにあるのは、思い出の抜け殻だけだ。
それでも、私が3年間過ごした大切な場所。
咲と出会って、咲とともに幸せな時間を過ごした、大切な場所。
「さすがに、皆に申し訳ないかな」
「どうせ自殺する時点で迷惑なんだから諦めましょ」
「そうだね…」
ためらう気持ちがないわけでもなかった。
私達の行為は、皆の大切な思い出を穢すことになるだろう。
私達の行為は、第二の私達を生むことになるかもしれない。
それでも。
私達は、ここで人生に終止符を打ちたいと思った。
みんな、迷惑をかけてごめんなさい。
「じゃぁ…逝きましょうか」
「うん」
部室から離れて歩き出す。
次第に視界は空色が多くなって、
私達は空との境界で立ち止まった。
「部長…今まで、ありがとうございました」
「何よ、急に改まって」
「どうしても、最期に言っておきたかったんです」
「どうしようもない私のために、ここまで頑張ってくれて」
「私と一緒に、傷ついてくれて」
「こうして一緒に…旅立ってくれて」
「本当に…ありがとうございました」
「…巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「……」
「なーにお別れみたいなことを言ってるのよ」
「私たちはね、一緒に、新しい一歩を踏み出すの」
「『向こう』でも、ずっと一緒にいましょう?」
「…はい!」
最期の挨拶を済ませると、私達は抱きあって。
空に向けて、自分の足を踏み出した。
一面が空一色。
強い風と重力に晒される。
遠のく意識の中で私が最期に見たものは、
涙を浮かべた咲の笑顔だった。
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--------------------------------------------------------
ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…
無機質な空間に、無機質な音だけが響き渡る。
それ以外に音を発する物はなく。
辺りには重苦しい雰囲気が漂っている。
「……」
私の横には、祈るように両手を重ね、
目を閉じる女が一人。
今、あの手術室の中で生と死の境を彷徨っている
女の子の姉…宮永照だ。
握りしめられた両手には、自らの爪が食い込んで、
ぷつりと血の玉が浮かんでいた。
「思いつめすぎだ」
「…でも、これは私のせい」
「私が、咲に応えてあげられなかったから」
「私が、咲を拒絶したから」
「私が、咲を自殺に追いやったようなもの」
「……」
「今のうちに言っておくぞ」
「もし、彼女がこのままこの世を去ったとして…」
「そこに、お前の責任はない」
「あえて、誰かが間違っていたというのなら…
それは、他でもない彼女自身だ」
「卒業しても長野に戻らない?
それだけのことで自殺されたとして、
それでお前の罪状は何になるんだ?」
「一生そばから離れるなって?
それでどうやって生きていくんだ。
結果は今、この二人が証明しているじゃないか」
「気にするなとは言わん。だが、気にしすぎるな」
「この手の病は、伝染する」
「菫…」
ブゥ…ンッ…
「手術中」のランプが消えた。
そして、いくばくかの沈黙の後…
硬い顔をした医者がやってきた。
「ひとまずは…一命をとりとめました」
照が、安堵の涙を流す。
私も大きなため息を一つついた。
とりあえずは最悪の事態は免れた。
もっとも、実際にはこれからが本番だろうが。
これからのことを思い浮かべながら、
私はもう一度、大きなため息をついた。
--------------------------------------------------------
激痛で目を覚ました。
最初に目に映ったのは、クリーム色の壁。
次に気づいたのは、尋常じゃない痛み。
痛い、痛い、痛い、痛い
私は咲と飛び降りたはず。
なぜこんなところで、痛みに耐えているの?
そんなの、結論は一つしかない。
私は、失敗したのだ。
私が起きたことに気づいたのか、
ナースと思わしき女性が走って駆けていく。
しばらくすると、医者っぽい女性が私のもとにやってきた。
「まずは確認させてください。
あなたは、自分が誰かわかりますか?」
「咲はどうなったの?」
「まずは落ち着いてください。
お名前を伺ってもよろしいですか?」
「咲はどうなったの!!」
「質問に答えていただければ教えます」
「竹井久よ!咲は!?」
「生きてます。一緒にこの病院に搬送されていますよ」
「そっか…」
複雑な気持ちだった。一緒にこの世を去ろうとしたのに、
今は咲が生きていることがうれしいなんて。
「あなたの方は、奇跡的に軽傷で済みました」
「ものすごく痛いんですけど」
「あの高さから飛び降りて、
後遺症が残らなさそうというだけで奇跡ですよ?」
「…そうですか」
「あなたに、何があったのかは聞きません。
ですが…せっかく拾った命。
本当に捨てなければならないのか…
今一度、考えてみてください」
そう言って、彼女は病室から去って行った。
そして、私は一人残される。
咲はどうなったんだろうか。
あの医者は、「私の方は」軽傷で済んだと言った。
だとすれば…咲は、間違いなく重症なのだろう。
今すぐ助けに行きたい。
そして、苦しんでいるなら…今度こそ一緒に。
でも、思考がうまく定まらない。
身体が思うように動いてくれない。
焦っているうちに、痛みが徐々に薄れていく。
もしかして、薬でも打たれているんだろうか。
なんだかよくわからないうちに、
私は眠りに落ちていた。
--------------------------------------------------------
それなりの日数が経っても、
私はまだ咲に会うことができずにいた。
「軽傷」だった私も、複雑骨折とかそれなりの
損傷を負っていたというのもあったけど。
それ以上に、私も咲もまともな精神状態じゃないと
判断されたことが大きかった。
逃げようにも、骨折してるわけだから
そもそも満足に動くこともできず。
文句を言おうにも、薬を打たれているせいか
行動を起こすという意志がわいてこない。
結果として、私はただの木偶人形のように
回復する日を待つしかなかった。
ピンポーン
その日も、ぼーっと空を眺めていると、
突然ドアホンの音が鳴り響いた。
もしかして咲だろうか?
期待に胸を膨らませてドアが開くのを待つと…
そこに現れたのは、予想もしなかった人物だった。
「失礼するよ」
「えーと…弘世さん…だったかしら?」
「覚えられていたとは光栄だな。
意識もしっかりしていそうで何よりだ」
「なんで、弘世さんが?」
「状況を説明しに来た」
そう言って、彼女は私のベッドのそばにあった
パイプ椅子に腰をかけた。
「咲はどうなったの?」
「君と同じく、この病院に入院している」
「状況は?」
「一命はとりとめた。だが、
かなりの後遺症が残るそうだ」
「とりあえず、もう歩くことはできないだろう」
「…そっか」
「それと、もう一つ…重大な事実がある」
「…何?」
「それを伝える前に、一つ忠告しておこう」
「宮永咲に会いたいなら、今はじっと時を待つことだ」
「君は精神病と診断されている。
ここで問題を起こすと…精神病院の閉鎖病棟に移される。
そしたら…彼女に会うことは絶望的になる。
…理解できたか?」
「…わかった」
「じゃぁ、話を戻そう」
「宮永咲は…彼女の姉を探している。
だが…照のことは覚えていなかった」
--------------------------------------------------------
話を要約すると、こういうことらしい。
私達は一緒に飛び降りたけど即死には至らず。
通りがかった人の通報によって、
救急車でこの病院に搬送された。
私は比較的軽症で済んだものの、咲の方は重症で。
数時間にわたる緊急手術によって、
ようやく一命を取り留めたらしい。
そして、意識を取り戻した時には、
駆け寄ったお姉さんに対して、
「誰ですか?」
と尋ねたそうだ。
そして、次に放った言葉は…こうだった。
「えと…お姉ちゃんは生きてますか…?
私と一緒に飛び降りた、
赤い髪の人なんですけど…」
--------------------------------------------------------
次に来たのは、咲のお姉さん。
つまりは、宮永照だった。
「私のせいで、本当に申し訳ありませんでした…」
なんだか、あの時と似ているなと思った。
あれは、まこに謝られた時だっただろうか。
あの時のまこと同じように、宮永さんは憔悴しきっていた。
いや、まこ以上かもしれない。
目にはクマがくっきりと浮かび、
頬もげっそりと痩せこけてしまっている。
「咲と私が自分の意志でやったことよ。
そこに宮永さんの責任はないわ」
それは、偽らざる本心だった。
彼女と咲の間に何があったのかは、
事前に弘世さんから聞いていた。
この件で彼女を責めるというのは
あまりにもお門違いというものだろう。
「私だって…最初の段階で、
何もかも諦めて一生一緒に居なさい、
なんて言われたら、多分断ってたもの」
「それでも…あなたは咲を選んだんですよね」
「そして…この世を去る選択をした」
「あー、一応言っておくけど、
私たちが飛び降りたのは、咲の重さに耐えかねて、
というわけじゃないわよ?」
「え…?」
「理由は単純に生活苦。
咲は私から離れられないし、でも大学に行かないと、
親からの援助がなくなっちゃうし」
「両立ができなかったから、
いっそリタイアしようって思っただけ」
この事実は、彼女にとって予想外だったらしい。
一瞬あっけにとられたような顔をすると、
すぐに真剣な表情になって私の顔を見つめる。
「そういうことなら…力になれるかもしれません」
「ご存知かもしれませんが…
私は今、プロ雀士をやってます。
だから、お金のことなら…何とかできると思います」
「情けない話ですが…どうか、今まで通り
咲のことを支えてもらえないでしょうか」
「私はもう…咲の中にはいないみたいですから…」
そう言って彼女は再び頭を下げた。
それは、私にとって思いがけない僥倖だった。
--------------------------------------------------------
「そんなわけで、優しいプロ雀士さんのおかげで
将来の心配はなくなったわ」
「え、えと…でも…なんでその人、
そんなに親切にしてくれるの?
インターハイで一回対戦したってだけだよね?」
「あー…なんか咲が、いなくなった自分の妹の
生き写しみたいだからだってさ」
「そ、そうなんだ…でも、それって
結局は赤の他人だよね?」
「………まあね」
「ま、こっちとしても別にタダで
養ってもらうつもりはないわよ?
彼女が麻雀で生計を立てているように、
私たちだって彼女の練習相手をすることでお金をもらう」
「そう考えれば、単なる穀つぶしってわけでもないでしょ」
「それとも…もう一回、チャレンジする?」
「ううん…お姉ちゃんと、生きたまま
ずっと一緒に居られる道があるのなら…
やっぱりそっちを選びたいよ」
「そか」
「じゃぁ、彼女には私たちの養分になってもらいましょう!」
「言い方悪すぎだよ!?」
--------------------------------------------------------
そんなわけで、私達は今、照さんの援助を受けて
二人っきりで暮らしている。
もっとも、隣には照さんの家もあるけれど、
彼女がやってくる機会はそんなに多くない。
一応、タイトル戦みたいな大切な試合の前には
こっちに来て集中的に打っていくから、
まったくの穀つぶしではないと信じたいけど。
今日も私は、咲の車椅子を押しながら、
日課となっている散歩に出かけることにした。
「いい天気だね」
「そうねえ…ちょっと遠出でもしてみよっか?」
「あ、だったらあそこ行きたいな…山」
「了解。だったら車に乗り換えないとね」
……
「はい、到着ー。さすがに疲れたわー」
「ご、ごめんね…?私が歩けたらよかったんだけど」
「気にしない気にしない。
それにしても、咲は本当にここが好きねぇ」
「うん…なんだか、とっても懐かしい気がするんだ。
なんでそう思うのかはわからないけど」
そう言って咲は、気持ちよさそうに目を伏せた。
咲が懐かしいといったこの場所。
ここは、小さい頃に
照さんと二人でよく散歩した場所らしい。
照さんに関する記憶とともに、
この場所の記憶もなくなってしまったわけだけど。
それでも残滓(ざんし)くらいは残っていたみたい。
「ねえ、咲。ちょっと変なこと聞くわね?」
「私って…あなたの何なのかな?」
「へ?何って…お姉ちゃんでしょ?」
「血は繋がってないのに?」
「生まれよりも、どうやって関わってきたか、
の方が大切なんじゃないかな?」
「そっか」
咲の記憶は、いまだに戻っていない。
飛び降りた時に頭を打ったのか、
咲自身の頭が、自分の都合のいいように
記憶を改ざんしたのか…
どちらにせよ、咲の中で私は、
よくわからないけど最初からお姉ちゃんだった、
という扱いらしい。
「もう一つ聞いてもいいかしら?」
「何?」
「私は…責任を果たせたのかしら」
「責任?」
「ええ。まあ、今のあなたには
意味が分からないかもしれないから…
その時はフィーリングで答えてくれたらいいわ」
「うーん…責任かぁ」
「…まだ、なんじゃないかな?」
「そうなんだ」
「うん…自分でもよくわからないけど…
その質問には『うん』って
言っちゃいけない気がするんだ」
「そっか」
どうやら、私の義務はまだまだ続くらしい。
そして、それは多分一生続くのだろう。
「ま、むしろそうじゃないと困るけどね?」
私は、そう言って咲に笑いかけた。
(完)
「部長のせいです。部長が私を麻雀部に引きこんだから…
ありもしない希望を持っちゃったんです」
「責任、取ってください」
<シリーズの趣旨>
白久さんと黒咲ちゃんシリーズ。
心優しい久さんは、黒咲さんの世話を焼くうちに、
いつのまにか黒く染まっていきます。
<登場人物>
竹井久,宮永咲,染谷まこ
<症状>
・共依存
・ヤンデレ
・狂気
<その他>
※原作キャラ崩壊。
※久は両親が離婚して一人暮らし設定。
※これまでのSSと比較して段違いの重苦しさです。
ご注意ください。
--------------------------------------------------------
清澄高校麻雀部に異変が起きている。
私がそれを知ったのは、
残念なことに外部の友達からだった。
「最近、麻雀部って全然活動してないみたいだよ?」
その話を聞いた時、私はすぐに
信じることはできなかった。
なぜなら、私が部室に行く時は
いつもみんな揃っているからだ。
でも、話を聞かせてくれた友達は、
嘘をつくような子ではなかった。
聞けば、下校中に麻雀部の部員を何度か見かけたらしい。
インターハイで麻雀部を熱心に応援してくれた彼女は、
部員全員の顔を覚えていた。
それで疑問に思って麻雀部の部室を眺めていたが、
最近は電気がついてない日ばかりとのことだった。
話を聞いた私は、放課後になるとすぐ部室を訪れた。
それは、いつもなら当然活動している時間帯。
でも、友達が言ったように、部室の灯りは消えていて。
中に入ってみても、やっぱりもぬけの殻だった。
私は思わず、携帯電話を手に取った。
まこ「すまんかった…」
私の問いかけに、まこはあっさりと白状した。
その姿はあまりにもくたびれていて。
麻雀部の近況もさることながら、
まこの方が心配になってしまう。
まこ「お前さんから胸張って引き継いだ手前…
とても言い出せんかった」
つまりは、こういうことらしい。
私が麻雀部を引退した。
そしたら、咲が来なくなった。
つられて、優希や須賀君も来なくなった。
誰も来ないから、活動を休止した。
私が部室に来ると連絡があった時だけは、
皆に頼み込んで部室に来てもらっていたらしい。
まこ「すまん…かった…!」
まこが深々と頭を下げる。その肩は小さく震えていた。
まこがどういう子かは、私が一番よくわかっている。
こんな状況に至るまで、何もせず
ぼーっとしていたということはないだろう。
おそらくは、必死に説得したはず。
何度も下級生のところに足を運んで、
部活に来るように訴えかけたはず。
そう、きっと、何度も、何度も。
それでも、駄目だった。
そんなまこを、どうして私が責められるだろうか。
今の今までこの惨状に気づきもしなかった私が。
私がするべきことは、まこを責めることじゃない。
この現状を打開して、麻雀部を復活させること。
そして、その上で今度こそきっちり引継ぎをして、
次代へとタスキを渡すこと。
そう決意した私は、まず咲のところに行くことにした。
--------------------------------------------------------
携帯を持っていない咲だけど、
見つけるのはそれほど難しくはなかった。
私はまず下駄箱に行き、咲の靴がないことを確認する。
そして、私自身も靴を履きかえて、
そのまま学校の裏庭に向かう。
予想通り、咲は森林に囲まれたそこで、
いつも通り読書をしていた。
「……」
咲は私の姿を目に止めると、言葉もなく軽く会釈をする。
そしてそのまま、動かした視線を本に戻した。
その行動にも驚いたけど、何よりも私が驚いたのは…
咲の目から、一切の輝きが失われていたこと。
私は今まで、こんなに冷たい咲の目を見たことは
ただの一度もなかった。
無言のまま、咲の隣に腰掛ける。
そんな私にかけられた咲の言葉は、
とても意外なものだった。
「やっと、来てくれたんですね」
「…私が来るのを、待っていたの?」
「はい」
そう言った咲は、ようやく読んでいた本を閉じると、
私の方に向き直る。それでもその目は、死んだままだ。
「どうして、部活に来なくなったの?」
「だって…麻雀部、終わっちゃったじゃないですか」
「終わってないわよ?」
「いいえ。終わりました。何もかも」
「あそこには、もう何もありません」
「部長も、和ちゃんも、麻雀を打つ目的も」
「もう、何もありません」
そう言って私を見つめる咲。
でも、その目は私を映してはいなかった。
そこに映るのは、ただ深く。
深く吸い込まれそうな闇だけだった。
咲のあまりの変わりように、私は思わず気圧された。
あそこにはもう何もない。そう言い切った咲。
私はそれを、覆せるのだろうか。
二の句を継げないでいる私に対して、
すっ…と咲の目が鋭くなる。
「…何も言わないんですね」
その目は、明らかに私を責めていた。
--------------------------------------------------------
咲がインターハイに懸ける思いは、
全てが終わってから知った。
疎遠となったお姉さんと、もう一度やり直すため。
でも、それは叶わなかった。
和のインターハイで負わされた宿命も、
全てが終わってから知った。
インターハイで全国優勝できなければ、
父親の転勤についていく。
そして、それは現実となった。
そのことを知った時、私はひどく悲しかったけど、
だからといってどうすることもできなかった。
咲の事情を知っていたら、何か違っていたというの?
家族の問題に、私がおいそれと口を出せる?
多分、余計に話をこじらせただけでしょう。
和の事情を知っていたら、優勝できていたというの?
そもそも私は、今回だって全力で戦った。
結果は、きっと変わっていなかったでしょう。
そもそも私は、それがそこまで致命的な問題だとは思わなかった。
それでもなお、私達は強い絆で結ばれている。
私はそう信じていたから。
お姉さんがいなくても、離れ離れになってしまっても、
私達はいつまでも仲間でいられると思っていた。
--------------------------------------------------------
でも、私が渦中の彼女達に、
何もしてあげなかったのは事実だった。
私が何もしないうちに、咲が大切と思うものは、
全て無くなってしまった。
『あそこには、もう何もありません』
そう言い放つ咲に対して、
今さら、事の深刻さすら理解できていなかった私が、
何らかの言葉で説得したところで、
それに意味はあるのだろうか。
「かけられる…言葉がないわ」
「なら…何しに来たんですか?」
「あなたを、連れ戻しに」
「自分はいなくなっちゃった場所にですか?」
咲の言葉は、一つ一つが鋭くて。
それは的確に私の心を抉って(えぐって)いく。
ちょっと前までは、大人しくて優しい子だったのに。
絶望は、こうまで人を変えてしまうものなのか。
「あそこにいると、思い出すんです」
「楽しかった日々を」
「まだ希望があると勘違いしていた、幸せな日々を」
そう言って、咲は遠くを見て笑った。
でも、その笑みは自虐にまみれている。
「そして、ふと現実に引き戻されるんです」
「もう、希望はなくなっちゃったって」
「みんな、みんないなくなっちゃったって」
皆いなくなった。私はその言葉に違和感を感じた。
きっと、今の咲に言っても意味のない事だろうけど。
…そこには、残った人もいたはずなのだ。
「…まだ、まこも優希も須賀君もいるじゃない」
「それが、私の心に響かないって、
わかって言ってますよね?」
「……っ」
まるで咲は私の心を読んでいるようで。
それでいて、言葉の暴力で私を殴り続ける。
「私を、麻雀部に引きこんだのは部長でしょう?」
「私に、勝つ楽しさを教えてくれたのは、部長でしょう?」
「…私に、まやかしの希望をくれたのは…部長でしょう!?」
気がつけば、咲のよどんだ目には涙が浮かんでいた。
「麻雀部になんて、入らなければよかった!」
「希望なんて、最初から持たなければよかった!」
「そうすれば…こんな絶望を味あわなくてすんだのに…!」
「これ、全部…部長のせいじゃないですか!!」
「…責任、取ってください」
咲は私をなじりながら、刺すような視線を私に向ける。
支離滅裂。そう断じて話を打ち切ることもできたと思う。
逆恨みもいいところ。そう切り返すこともできたと思う。
でも、私には咲の気持ちが痛いくらいによくわかった。
だって、私にも似たような経験があったから。
麻雀部を開設した時に抱いた、かすかな希望。
仮入部とはいえ部員が入ってくれた時の、
思わず泣きそうになったほどの喜び。
そして…
その部員が去って行った時の、深い失望。
それらは私が勝手に抱いた希望だったけど。
それでも、私をひどく傷つけたのは事実で。
私には咲の悲しみを、自分には関係ないと
突っぱねることはできなかった。
「…どうすれば許してくれるの?」
「部長の、卒業までの時間を私に下さい」
「私を、慰めることに全力を尽くしてください」
「私が、元通り笑えるようになるために」
「お姉ちゃんの、代わりになってください」
そう言って、私の目を鋭く見据える咲。
私には、頷く以外に他はなかった。
--------------------------------------------------------
咲と私が、部活に戻ってきた。
そしたら、優希と須賀君も戻ってきた。
「今まで勝手にサボっちゃって…すいませんでした」
「私も…すまなかったじぇ…」
「俺も…すいませんでした」
口々に謝罪の言葉を述べながら、頭を下げる三人。
まこは…目に涙を浮かべながら、一言だけこう言った。
「わしが…わしが至らんかったんじゃ…
わしの方こそ…許してくれ…」
その姿に、胸がずきんと痛みを告げる。
違う、まこは何も悪くない。
悪いのは…こうなることを予測できずに去った私。
咲のことも含めて、私が頑張って修復しなきゃ。
安心して、卒業して行けるように。
その日は、しばらくぶりに打牌の音が響いた。
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部活終了後。みんなと別れた私は、咲と一緒に帰路につく。
みんなと麻雀を打つことで、
少しは咲の気が紛れることを期待した私は、
ふとうかがった咲の表情に失望する。
表情(かお)のない顔。
光を通さない暗い瞳。
咲は、何一つ変わっていなかった。
「…そんなに簡単に、変わると思ったんですか?」
顔に出ていたのだろうか。
咲は驚くほど的確に、私の心情を見透かしていた。
「そんなに簡単に、絶望から脱出できたら幸せでしょうね」
皮肉めいた声音で吐き捨てると、私を鼻で笑う咲。
本当に、これは咲なんだろうか。
私の知っている咲と違いすぎる。
「私をこんな風にしたのは、部長ですよ?」
本当に、読心術でも身につけているんじゃないだろうか。
咲は、まるで私の心中と会話するように、
言葉のナイフを突き刺した。
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咲は一時的に、私の家で暮らすことになった。
元々一人暮らしの私にとって、
それはそこまで問題となることではなかったけれど。
驚いたのは、咲の主張を、
咲のお父さんがあっさりと受け入れたこと。
「俺からも、どうかお願いしたい」
そう言って彼は私に頭を下げた。
なるほどこれは駄目なわけだ。
去る者を追わず、深く心に立ち入ろうとしない。
彼からはそんな印象を受けた。
もっともそれがこの人の本質なのか、
この人も絶望してしまった結果なのかはわからないけど。
どちらにせよ、この人に期待はできなさそうだった。
私は、咲の手を引いて自宅に戻った。
私が、何とかしなければいけない。
誰の力も借りず、たった一人で。
こうして、私の孤独な戦いが始まった。
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咲との生活は、一言で言えば「苦痛」だった。
咲は、ほとんど笑わない。
笑ったとしても、それは私を傷つけるためだ。
大抵は感情のない表情のまま、ただ私を傷つける。
私はそれにひたすら耐えるしかなかった。
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ただ、一度だけ、希望が見えるような出来事もあった。
「いい加減に…してよっ…!」
「私が、したことってっ…
そんなにっ、ひどいことっ!?」
「ただっ…新入生を…勧誘してっ…
麻雀を…打った…だけ、じゃないっ…!!」
ある日ふと、急に耐えられなくなって。
目から涙が止まらなくなって。
咲に感情をぶつけてしまった。
私はその場にへたりこんで、子供みたいに泣きじゃくった。
もっとも、そうやって悲劇のヒロインを気取りながらも、
こんなことには意味はないとも思っていた。
どうせ、咲はいつもの冷たい目で私を罵倒するだけ。
私の自業自得でしょって、きっぱりと切り捨てるだけ。
そう思っていた。
なのに…
咲は、謝罪の言葉を口にしながら泣き始めた。
ごめんなさい…
本当は、わかってるんです
部長は悪くないって、わかってるんです
でも、もう私、駄目なんです
誰かに、こうやってすがらないと
悲しみを、吐き出さないと
これ以上、生きていられないんです
ごめんなさい…
ごめんなさい…!
私達は抱き合いながら、二人でひたすら泣き続けた。
ごめんなさい、ごめんなさいって、お互いに謝りながら。
私達は、意識がなくなるまで泣き続けた。
この経験は、私にとって大きな心の拠り所になった。
いわれのない叱責を受ける度に、私は頭の中で繰り返す。
咲だって、本当は心の中で苦しんでる
あの日、二人で一緒に泣いたじゃない
頑張って、咲を癒さなくちゃ
それが、咲を麻雀部に引きこんだ私の責任
大丈夫、いつか咲も治ってくれる
そう言い聞かせると、少しだけ、心が軽くなる気がするのだ。
後少しだけ、頑張れるような気がするのだ。
だから私は、呪文のように繰り返す。
咲も、頑張ってる。私も、頑張らないとって。
それでも、少しずつ。
少しずつ私は疲弊していった。
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周りにはバレないように気を使っていたつもりだったけど、
付き合いの長いまこにはバレてしまったみたい。
私はお昼休み、密かにまこに呼び出された。
「久…ずいぶん、やつれたの…」
「…そうかしら?」
自覚がないわけではない。最近は夜も眠れなくなった。
最後にぐっすり眠ったのはいつのことだっただろう。
ずっと体調が悪いのも多分そのせいだ。
でも。
「まあ、最近ちょっと寝れなくてねー。
心配しなくても、そのうちすぐ治ると思うわ」
「じゃけぇ…」
「もう、そんな顔しないの!ほら、笑顔笑顔!」
まこには心配をかけたくなかった。
この子は、私が何も気づかず能天気に過ごしていた間、
一人で苦しみながら頑張っていたのだから。
私は、無理矢理笑顔を作る。
なんとか、まこを安心させてあげたい。
そう言えば、私も笑ったのはいつぶりだろう。
「もうええっ…久っ…
それ以上、一人で抱え込まんでくれっ…」
私は笑ったはずなのに。
それを見たまこの目からは、涙があふれ出してくる。
え、なんでいきなり泣き始めるのよ!?
「わしゃ…今の久をもう見とれん…」
「一体、何がわりゃをそこまで苦しめるんじゃ…」
「そこまで苦しむくらいなら…
もう、いっそやめたらええ!」
「元々久が始めた麻雀部じゃ…!
誰も文句言う奴なんておらん!」
まこの言葉は、私への気遣いにあふれていて。
私はつい、その言葉にあまえてしまいたくなるけれど。
でも、それは許されない。
事態はもう、麻雀部の存続なんて次元ではないのだ。
「私の責任なの」
「私が、咲を壊してしまった」
「だから、私は咲を元に戻す責任があるの」
「私が…私が…私が…!」
「久…!!」
まこが、泣きながら私を抱きしめる。
でも、私はそれを振り払った。
「ひっ…久っ…?」
「ごめんなさい。今、優しくされたら…
私、立ち上がる自信がないから」
「心配してくれてありがとう、でも気にしないで」
「まこは…自分の傷を癒すことに専念して?」
「久っ…!待つんじゃ…!話はまだ、終わっとらん…!!」
叫ぶようなまこの声。でも、私はもう振り返らなかった。
だって、そうでもしなければ…
私は、もう、前を向けなくなる。
本当に、動くことができなくなってしまう。
まこの優しさにすがって…全てを投げ出してしまう。
「久っ…!ひさっ!!」
なおも、まこは叫び続けた。
だから私は駆け出した。まこの声から逃れるために。
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まこと会話したことは、咲にはあっさりバレてしまった。
帰路ではずっと無言を貫いた咲は、
家に着くなり、私のことを尋問し始めた。
「染谷先輩と、何をお話したんですか?」
「別に。ただ、心配されただけ」
私は、隠すことなく本当のことを話した。
どうせ今の咲に、今の私が隠し事できるとは思えないし、
そんなことで咲の機嫌を損ねたくない。
「もう私なんて捨ててしまえって言われたんですか?」
「まこには、そこまで事情を話してないわよ」
「部長は、染谷先輩の話を聞いて、
どう思ったんですか?」
「どうって…別に。咲との関係をやめるつもりはないし、
まこの忠告も振り払ったわよ?」
「本当ですか!?」
「嘘をつく意味がないじゃない。
私の考えてることなんか、咲は全部読めるんでしょ?」
「…携帯、貸してください」
「何する気?」
「染谷先輩に確かめます」
「お好きにどうぞ」
咲は携帯をスピーカーホンにすると、
まこに電話をかけ始める。
できれば、今の咲をまこと接触させたくないけど…
そうしなければ、咲の機嫌を損ねるとあれば仕方がない。
プルルルル…ガチャッ
『久!?』
「違います…私です。宮永咲」
『咲!?…久をどうしたんじゃ!』
ワンコールで応答したまこは、
まるで詰め寄るかのように咲を問い詰める。
「どうしたんじゃって…どうもしてないわよ。
咲があなたに確認したいことがあるっていうから、
携帯を貸しただけよ」
『…すまん、早とちりした…』
「別にいいです。何を早とちりしたのかも聞きません」
「ただ、一つだけ教えてください」
『…なんじゃ』
「部長は…投げ出そうとしましたか?」
『……』
「答えてください」
『……』
『久は…諦めんかったよ』
『お前さんを元に戻すのが…自分の責任じゃと』
『わしがすがっても…まるで言う事を聞かんかった』
「…そうですか」
『…なぁ、お前さんたちに一体何があ』
「染谷先輩」
『な、なんじゃ』
「邪魔です」
『なっ!?』
「もう、私たちに関わらないでください。それじゃ」
プツッ…
咲はまこの言葉には一切耳を貸すことなく、
一方的に聞きたいことだけを聞いて通話を打ち切った。
でも、心なしか…咲の表情に、
珍しく明るい色が宿っている気がした。
「……」
「部長の言ったとおりでしたね…」
「だから言ったでしょ?」
「本当に私のこと、治してくれる気なんですね」
「当たり前でしょ」
「えへへ…」
「!?」
張りつめた何かが、ようやく解けたかのように。
突然咲が破顔する。私は思わず目を見開いた。
咲が…普通に笑った!?
「私だって、うれしかったら笑いますよ?」
「もう、笑わないかと思ったものっ…!」
「ええ…私も、笑える日が来るとは思いませんでした」
「部長の、おかげです」
胸に、熱いものがこみあげてくる。
目に涙が浮かんできて、みるみるうちに視界がかすむ。
私は、思わず咲に抱きついた。
咲が笑った…!笑った…!笑った!!
「っ…!そんなに強く抱きしめないでください」
「だって、だってっ…!」
この日をどれだけ待っただろうか。
咲が、再び笑ってくれる日を。
本当は、もう限界が近かった。
もう、そんな日は来ないかもと思い始めていた。
もう、咲は元に戻らないのかもしれないと思い始めていた。
絶望に埋め尽くされそうになっていた。
咲の笑顔は…そんな私の不安を、拭い去ってくれた。
「これからも…頑張ってください」
「うんっ…頑張るからっ…私…頑張るからっ…!」
私は、咲の胸で泣き続けた。
咲は、そんな私を黙って抱きしめてくれていた。
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自由登校が始まった。
周りの友達はみんな学校を休んで自宅で勉強にいそしんだり、
遊びに行ったりと、それぞれに高校生活最後の日々を
満喫しているようだった。
かく言う私はというと、勉強をするでもなく、
かといって遊びに行くでもなく、
ただ漫然と学校に来て図書館で時間を潰している。
何かをする気が起きなかった。
身体がくたびれているせいもあるかもしれない。
でも、それを差し引いても、
気力がごっそり抜け落ちている気がした。
でも、それでいい。そもそも何かをする気力があるなら、
それは咲と一緒にいる時のために温存しておくべきだ。
そんなわけで、私はただぼーっとすることになる。
ちなみに、こんな私でも拾ってくれる大学はあるみたいで。
インターハイで準優勝したおかげか、
私はいくつかの大学から麻雀特待のオファーを受けていた。
それはそれで、とてもありがたいことなのだけど。
でも、そこで頭に浮かぶのは咲の存在。
約束では、私が咲に時間を捧げるのは卒業まで。
でも、卒業したらそれで終わりでいいんだろうか。
オファーを受けた大学には、長野の大学の名前はない。
もしこれを受領したら、
私は長野から離れることになるだろう。
咲は、確かに良くなっている気がする。
でも、私がいなくなっても大丈夫なんだろうか。
私がいなくなったら、
また元に戻ってしまうんじゃないだろうか。
私は咲に、確認してみることにした。
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「逃げる気ですか?」
それが咲の第一声だった。
「卒業を機に私から逃げる気ですね?」
「ど、どうしてそうなるのよ!?」
「だって…長野の大学の推薦はないんですよね?
それを私に話してくる時点で、
逃げるつもりがあるってことじゃないですか」
いつも以上に辛辣な咲の言葉。
私は、そんなつもりで聞いたんじゃなかったのに。
ただ…ただ一言「行かないで」って言ってくれたら…
それで、話を終わらせるつもりだったのに。
「部長には失望しました。結局、部長は
私の事なんか、本気で治す気はなかったんですね」
さすがにこれは、私も黙って聞いてはいられなかった。
私がどれだけ…どれだけ咲のために頑張ってきたのか。
咲だってそれをわかってくれていると思っていたのに。
今までの努力を全て否定されたような気分になった。
それでつい、私は…
今まで思ってもなかったことを口に出してしまう。
「あなたが私を拘束できるのは卒業までって話よね?
だったら別にその後は、
私に何かする義務はないんじゃない?」
「責任取るんじゃなかったんですか?
だったら、卒業まで待ったからって、
回復してなかったら意味ないですよね?」
「それとも、単なる期間限定の自己満足だったんですか?」
「だったらどうすればいいっていうのよ!」
「本気で責任を取る気があるなら…
卒業後も続けるべきです」
「もちろん、私にそれを言う権利はありませんし、
部長にその義務はありません」
「部長が責任を取ったと勝手に満足するのなら…
私はあえてそれを止めませんよ」
咲は、私が悪いという主張を取り下げなかった。
私が聞きたかったのは、そんな言葉じゃなくて。
ただ、一言。たった一言。欲しかっただけなのに。
「行かないで」
「一緒にいてほしい」
義務とか責任とかじゃなくて、
私を求めてほしかっただけなのに。
冷静でいられなくなった私は、売り文句に買い文句で、
思わず「じゃぁ勝手にするわ!」と言いそうになる。
でもその言葉を発するすんでのところで、
私はあることに気づいた。
咲の足は…かすかに震えていた。
「……!」
冷や水をぶっかけられたかのように、
一気に頭が冷めていく。
よく見れば、震えているのは足だけではなかった。
身体全体が震えている。
さらにその震えを抑えるかのように、
咲は腕をかき抱いていた。
「…どうしたんですか?」
聞けば、その声も震えていた。
私は、自分のしでかしたことを深く後悔する。
私はまた、気づいていなかったのだ。
咲は…こんなにも「行かないで」って
私に訴えかけていたのに。
冷静になって考えてみれば、
咲の主張はどれも正しいと感じた。
咲の言う通り、卒業したからって、
治ってなければ何の意味もない。
本気で責任を取る気なら、
それこそ治るまで一生かかってでも
取り組まないといけないのだ。
それなのに、今から別れにつながる話をすれば、
咲が怒るのも当然だろう。
咲が、私と別れたくないと
思ってくれているのなら、なおさら。
「ごめん、咲…私が間違ってた」
私は、震える咲の肩を抱く。
びくりと大きく震える咲。
でも、意外にも抵抗はしなかった。
「ぶ…部長?」
突然の私の様変わりに、珍しく戸惑う咲。
私は努めて優しい声音で咲に話しかける。
「咲が思ったより良くなっていたから…
油断しちゃってたみたい」
「大学推薦は、全部蹴るわ」
「ほ…本当ですか…?」
「元々ね、咲に行かないでって言われたら、
全部蹴るつもりだったの」
「咲の言うとおり、もし治ってなかったら、
卒業後も続けないといけないものね」
「いいんですか…?それって、
卒業後も私と一緒にいるってことですよ?」
「治ってなかったらね?」
「…そんなにすぐ、治らないよ?」
私の腕の中で咲が笑った。
その笑顔は、確かに安らぎを感じるもので。
私はこの時、心に決めた。
卒業までと言わず、咲が求める限りは責任を果たそう。
咲の、この笑顔を守るために。
私は再度、咲を強く抱き寄せた。
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もっとも、私の意識を大きく変えたこの事件は、
実際には大した問題にはならなかった。
というのも、まるでタイミングを見計らったかのように、
長野の大学からオファーが来たからだ。
オファーが来た大学なら、
今住んでいるところからも問題なく通える。
高校卒業後も咲との生活を続けられそうだった。
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咲は、あの日から目に見えて症状が改善した。
まず大きく変わったのは言葉遣いだ。
あの日から、咲は私に対して丁寧語を使わなくなった。
そして、それ以上に大きな変化は…私の呼び方。
「久お姉ちゃん、携帯捨ててくれないかな?」
「いやいや、うちは固定電話ないし、
事務連絡もあるから捨てるのはさすがに無理よ」
「じゃぁせめて、事務連絡以外のアドレスは
全部消してくれないかな?」
「はいはい、わかりましたよ」
久お姉ちゃん。咲は、私のことをそう呼ぶようになった。
私は思わず笑みがこぼれた。
ようやく咲に、家族として認めてもらえたのかもしれない。
後、少しずつ冗談も言い合えるようになってきた。
「もうすぐ久お姉ちゃん卒業だね」
「そうねー、新しい大学でうまく馴染めるかしら?」
「友達作っちゃだめだよ?私だって一人ぼっちなんだから」
「それじゃ何のために大学行くのよ」
「勉強するためでしょ?」
「間違いない!」
「もう、久お姉ちゃんはほおっておくとすぐ
浮気しようとするんだから…」
「友達作るだけで浮気ですか!?」
「私以外の人のことを考えることイコール浮気だよ?」
そう言いながら、コロコロ笑う咲。
まあ笑いながらも、友達作ったら
本気で刺しに来るくらいはしそうだけど。
それでも、咲が笑ってくれるのはうれしかった。
この調子なら、もしかしたら卒業までには
元通りよくなるかもしれない。
また麻雀も再開できて、
インカレで、同じチームで出場することもできるかもしれない。
私は、少しずつ未来が開けてくるのを感じた。
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もっとも、そう順風満帆には行かないのが世の常で。
私は、ついにある人物に捕まってしまった。
「久…今までどうしとったんじゃ!?」
そう、染谷まこ。
あの日以来、まことは一度も会話してなかった。
だって、どう考えても咲は怒るだろうから。
だから、メールで一言
「悪いけど、私たちのことは当分気にしないで頂戴」
とだけ送って放置していた。
それからは、できるだけ会わないように
気を付けていたんだけど…
まさか、授業をサボって下駄箱で
待ち伏せしてるとは思わなかった。
「何してたって…見ての通り普通に学校に来て、
普通に帰ってたけど…」
「それは知っとる…でもそれなら何で
わしに話しかけてくれんかったんじゃ…!」
「だって咲が嫌がるし」
「咲…咲咲咲!お前さんはずっとそればっかりじゃ!
一体、お前さんと咲はどういう関係なんじゃ!?」
「どうって…先輩と後輩だけど?」
「それだけでこがぁ有様はないじゃろう!?」
私はだんだん苛立ちを覚えてきた。
まこに心配をかけるのはいやだけど、
今は咲がようやく快方に向かっている大切な時期。
余計な邪魔をして、咲の回復を妨げないでほしい。
「というか、帰っていい?咲が嫌がるから、
今はあなたとは話したくないのよ」
「なっ…!?」
「じゃぁもう行くわね?」
「待て!待ってくれ!」
「バイバイ」
私は一方的に話を打ち切って、
振り向きもせず帰ろうとする。
何を言われても話を続ける気はなかったんだけど、
まこは一つだけ、聞き捨てならない言葉を吐いた。
「久!頼む…気づいてくれ!!
わりゃぁ狂っとる!狂っとるんじゃ!」
「もう、咲から離れんしゃい!!」
「は?」
「…今、何て言ったの?」
「じゃけぇ、咲から離れろっちゅうんじゃ!
このままじゃ、お前さんまでおかしゅうなる!」
この台詞は、到底看過できるものではなかった。
咲が、どれだけ苦しんだと思ってるの?
私が、どれだけ頑張ってきたと思ってるの?
私がいなかったら、咲はどうなると思ってるの?
何も知らないくせに。
何もわかってないくせに。
「咲から離れる?私が?」
「あなた、その言葉の意味わかって言ってるの?」
「私がどれだけ苦労して咲を治してきたと思ってるの?」
「私が咲から離れちゃったら、また元に戻っちゃうじゃない」
「咲はね、私がいないと駄目なのよ」
「それをわかって、あなたは私を咲から引き離そうというの?」
「ひ…久っ…?」
弾丸のように言葉を紡ぐうちに、
私の怒りはどんどんヒートアップしていく。
もう、私はまこを許せなくなってきた。
二度と、私に近づかないでほしい。
咲から私を遠ざけようとするまこは、
私にとってはもう邪魔でしかない。
「咲の言うとおりだわ…あなた、邪魔ね」
「もう、金輪際話しかけないでくれる?」
「久っ…!!」
「バイバイ!もう二度と会わないでね!」
踵を返したその後ろで、まこが何かを叫んでいた。
でも、もう聞く耳は持たない。
彼女は、私にとって敵でしかないのだから。
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私は今日起こったことを、今まで通り
包み隠さず話すことにした。
まこと話した事実を隠すよりも、
私がまこをしっかりと拒絶したことを話す方が、
今よりいい方向に向かうと思ったのだ。
「あらぬ疑いをかけられるのがいやだから
先に言っておくけど…今日まこに捕まったわ」
「!?それで、どうしたの!?」
「もう二度と会わないでってきっぱり拒絶したわ」
「本当!?」
「本当よ?何なら本人に…ってもう確認しようがないか」
「そっか…えへへ」
私の予想通り、咲は最初こそ愕然としたものの、
私がまこを切り捨てたことを聞いて、
むしろ機嫌がよくなった。
「咲を治すのが一番だもの…
今の咲にとって邪魔なものは、
私にとっても邪魔でしかないわ」
「えへへ…うれしいな…」
ふにゃりと安堵の笑みを浮かべる咲。
ああ、もっと早くこうしておけばよかった。
私も思わず笑顔になった。
--------------------------------------------------------
その後は特にイベントを迎えることもなく、
私は高校を卒業した。
卒業式の日も、特に誰かと別れを惜しむこともなく、
そそくさと咲を連れて家に帰った。
そして、そのまま大学に入学した私は、
自分の見通しの甘さにほとほと嫌気がさすことになった。
--------------------------------------------------------
麻雀特待生。
それが、私が大学に入学した方法だ。
受験と学費が免除になる上、
むしろ援助金がもらえるという
私にはうってつけの制度であったのは事実だけど。
その方法で大学に入った以上、
孤独でいるというのは困難で。
麻雀部に所属しなければならない以上、
どうしても咲以外の人と接することになる。
私にとってそれは、想像以上に苦痛なことだった。
「清澄高校出身の竹井久です。
よろしくお願いします」
「わぁ!竹井さん来たんだー!!」
「インターハイ見てたよ!」
「竹井さんが入るならインカレも全国狙えるかも!」
「これから一緒に頑張ろうね!!」
当たり障りのない挨拶をした私を、
麻雀部の人達は温かく迎えてくれた。
数年前なら、夢にまで見たその光景。
でもそれは、今の私にとっては足枷でしかない。
だって、きっと。
咲は怒るだろう。悲しむだろう。
案の定、帰ってきた私に咲は言い放った。
「もう家から出ないでください!」
その頬には、涙の跡がくっきりと残っていて。
咲を悲しませてしまったこと、
丁寧語が戻ってしまったことが悲しかった。
でも、どうすればいいんだろう。
このまま、咲の言う通り大学を辞めるのはたやすい。
でも、それでどうやって生きていくの?
親からの援助は、大学卒業と同時に
打ち切られることが確定している。
今大学を辞めたら、私達は住むところすら失ってしまう。
でも、このまま大学に通い続けたら、
せっかくよくなった咲がまた逆戻りしてしまう。
私は、どうすればいいの?
泣き疲れて眠る咲を抱きながら、
答えのない問いをぐるぐるとひたすら問いかけ続ける。
気がつけば、空が白んでいた。
私には、この問題を解決する妙案は思いつかなかった。
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結局私が選んだのは、今の生活を続けていくことだった。
例えどんなに辛くても、咲と二人で暮らす場所を
失うわけにはいかなかった。
麻雀部の人達とはできるだけ関わらないようにして。
部活が終わったらできるだけ早く帰る。
それでも、帰るなり泣きはらした咲が私に抱きついてくる。
「ごめんねっ…寂しい思いさせてごめんねっ…!」
私も咲に泣きながら謝って。咲と一緒に泣き疲れて眠る。
毎日そんな日々が続いた。
私達は次第に消耗していった。
咲はどんどん不安定になっていく。
そんな咲を見て、私も冷静さを保てなくなってくる。
私は何のためにこんな生活を続けているんだろう。
私が今こうしているのは、咲を治すためじゃなかったの?
なのに、咲を不安がらせてどうするのよ。
しかも、どうすることもできないなんて。
なんだか、人生に嫌気がさしてきた。
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そして、私達はついに限界を迎えてしまう。
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その日、帰った私は、いつもと様子が違うことに気がついた。
いつもなら泣きながら
私に覆いかぶさってくる咲が姿を見せない。
いぶかしみながらリビングに足を進めると、
そこには妙に晴れやかな顔をした咲がいた。
私は直感的に、これは何かあるな、と思った。
「久お姉ちゃん…お話があるんだ」
「何かしら?」
「いきなりだけどね…私、もう限界なんだ」
「…そっか」
「だからね…もう、逝っちゃおう?」
目の前に置かれたノートパソコンには、
こんな検索結果が表示されていた。
『自殺 苦しまない』
いくつかのページが参照済みを示す濃い紫色を示していた。
私はそれを見て納得がいった。
咲は、もう諦めることにしたのだ。
「そっか…咲は、そっちを選んだのね」
「うん…駄目かな…?」
上目遣いで私の顔をうかがう咲。
答えはもう決まっていた。
私は今まで、咲のために頑張ってきたのだから。
咲がこの世界を諦める以上、
私がこの世界にとどまる理由はない。
「実を言うと、私も限界だったのよねー」
「どっちが先に言うかって感じだったよね」
「言わせちゃってごめんね?」
「謝るのは私の方だよ…
久お姉ちゃんは、二人で生きる道を
頑張って進んでくれてたんだもん」
「でも、私考えちゃったんだ…
この先、大学を卒業した後はどうなるのかなって」
「結局、就職して離れ離れになっちゃうよね」
「だったら…この苦しみが、ずっと、
ずっと続くだけなんじゃないかなって…」
「そう考えたら、もうダメになっちゃった」
「そか」
咲の考えた将来への不安。それは、
私の脳裏によぎりながらも、
考えないようにしていたものだった。
私は、それに向き合わないようにして、逃げ続けた。
咲は、それに向き合って、諦めた。
でもきっと、咲の方が正しいんだろう。
「じゃぁどうやって逝こうか」
「やっぱり苦しくない方法がいいな」
「じゃぁ切腹は駄目ねー」
「いくらなんでも切腹はしないよ?」
「じゃあ、よくあるあれは?手首切るやつ」
「うーん…致死率低いみたいだよ?」
「じゃぁ服毒」
「ものすごい苦しいし、致死率も低いって」
「じゃぁ、首つりは…悪くないけど、
できれば二人で一緒に逝きたいところよね」
「じゃぁ、やっぱり…飛び降りかな」
「そうね」
「じゃぁ、明日からは最期の場所探しの旅に出ましょう!」
次の日、私達は学校を無断で休んだ。
私達は思い出の場所をめぐりながら、
どこが最期の場所としてふさわしいかを検討する。
それは、とても安らかな旅だった。
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清澄高校麻雀部屋上。
--------------------------------------------------------
私達は、二人で手を繋ぎながら麻雀部の部室を眺めていた。
「やっぱりここになっちゃうかー」
「私たちの思い出が、いっぱい詰まってるもんね」
私が卒業した後、麻雀部は廃部してしまった。
今そこにあるのは、思い出の抜け殻だけだ。
それでも、私が3年間過ごした大切な場所。
咲と出会って、咲とともに幸せな時間を過ごした、大切な場所。
「さすがに、皆に申し訳ないかな」
「どうせ自殺する時点で迷惑なんだから諦めましょ」
「そうだね…」
ためらう気持ちがないわけでもなかった。
私達の行為は、皆の大切な思い出を穢すことになるだろう。
私達の行為は、第二の私達を生むことになるかもしれない。
それでも。
私達は、ここで人生に終止符を打ちたいと思った。
みんな、迷惑をかけてごめんなさい。
「じゃぁ…逝きましょうか」
「うん」
部室から離れて歩き出す。
次第に視界は空色が多くなって、
私達は空との境界で立ち止まった。
「部長…今まで、ありがとうございました」
「何よ、急に改まって」
「どうしても、最期に言っておきたかったんです」
「どうしようもない私のために、ここまで頑張ってくれて」
「私と一緒に、傷ついてくれて」
「こうして一緒に…旅立ってくれて」
「本当に…ありがとうございました」
「…巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「……」
「なーにお別れみたいなことを言ってるのよ」
「私たちはね、一緒に、新しい一歩を踏み出すの」
「『向こう』でも、ずっと一緒にいましょう?」
「…はい!」
最期の挨拶を済ませると、私達は抱きあって。
空に向けて、自分の足を踏み出した。
一面が空一色。
強い風と重力に晒される。
遠のく意識の中で私が最期に見たものは、
涙を浮かべた咲の笑顔だった。
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…
無機質な空間に、無機質な音だけが響き渡る。
それ以外に音を発する物はなく。
辺りには重苦しい雰囲気が漂っている。
「……」
私の横には、祈るように両手を重ね、
目を閉じる女が一人。
今、あの手術室の中で生と死の境を彷徨っている
女の子の姉…宮永照だ。
握りしめられた両手には、自らの爪が食い込んで、
ぷつりと血の玉が浮かんでいた。
「思いつめすぎだ」
「…でも、これは私のせい」
「私が、咲に応えてあげられなかったから」
「私が、咲を拒絶したから」
「私が、咲を自殺に追いやったようなもの」
「……」
「今のうちに言っておくぞ」
「もし、彼女がこのままこの世を去ったとして…」
「そこに、お前の責任はない」
「あえて、誰かが間違っていたというのなら…
それは、他でもない彼女自身だ」
「卒業しても長野に戻らない?
それだけのことで自殺されたとして、
それでお前の罪状は何になるんだ?」
「一生そばから離れるなって?
それでどうやって生きていくんだ。
結果は今、この二人が証明しているじゃないか」
「気にするなとは言わん。だが、気にしすぎるな」
「この手の病は、伝染する」
「菫…」
ブゥ…ンッ…
「手術中」のランプが消えた。
そして、いくばくかの沈黙の後…
硬い顔をした医者がやってきた。
「ひとまずは…一命をとりとめました」
照が、安堵の涙を流す。
私も大きなため息を一つついた。
とりあえずは最悪の事態は免れた。
もっとも、実際にはこれからが本番だろうが。
これからのことを思い浮かべながら、
私はもう一度、大きなため息をついた。
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激痛で目を覚ました。
最初に目に映ったのは、クリーム色の壁。
次に気づいたのは、尋常じゃない痛み。
痛い、痛い、痛い、痛い
私は咲と飛び降りたはず。
なぜこんなところで、痛みに耐えているの?
そんなの、結論は一つしかない。
私は、失敗したのだ。
私が起きたことに気づいたのか、
ナースと思わしき女性が走って駆けていく。
しばらくすると、医者っぽい女性が私のもとにやってきた。
「まずは確認させてください。
あなたは、自分が誰かわかりますか?」
「咲はどうなったの?」
「まずは落ち着いてください。
お名前を伺ってもよろしいですか?」
「咲はどうなったの!!」
「質問に答えていただければ教えます」
「竹井久よ!咲は!?」
「生きてます。一緒にこの病院に搬送されていますよ」
「そっか…」
複雑な気持ちだった。一緒にこの世を去ろうとしたのに、
今は咲が生きていることがうれしいなんて。
「あなたの方は、奇跡的に軽傷で済みました」
「ものすごく痛いんですけど」
「あの高さから飛び降りて、
後遺症が残らなさそうというだけで奇跡ですよ?」
「…そうですか」
「あなたに、何があったのかは聞きません。
ですが…せっかく拾った命。
本当に捨てなければならないのか…
今一度、考えてみてください」
そう言って、彼女は病室から去って行った。
そして、私は一人残される。
咲はどうなったんだろうか。
あの医者は、「私の方は」軽傷で済んだと言った。
だとすれば…咲は、間違いなく重症なのだろう。
今すぐ助けに行きたい。
そして、苦しんでいるなら…今度こそ一緒に。
でも、思考がうまく定まらない。
身体が思うように動いてくれない。
焦っているうちに、痛みが徐々に薄れていく。
もしかして、薬でも打たれているんだろうか。
なんだかよくわからないうちに、
私は眠りに落ちていた。
--------------------------------------------------------
それなりの日数が経っても、
私はまだ咲に会うことができずにいた。
「軽傷」だった私も、複雑骨折とかそれなりの
損傷を負っていたというのもあったけど。
それ以上に、私も咲もまともな精神状態じゃないと
判断されたことが大きかった。
逃げようにも、骨折してるわけだから
そもそも満足に動くこともできず。
文句を言おうにも、薬を打たれているせいか
行動を起こすという意志がわいてこない。
結果として、私はただの木偶人形のように
回復する日を待つしかなかった。
ピンポーン
その日も、ぼーっと空を眺めていると、
突然ドアホンの音が鳴り響いた。
もしかして咲だろうか?
期待に胸を膨らませてドアが開くのを待つと…
そこに現れたのは、予想もしなかった人物だった。
「失礼するよ」
「えーと…弘世さん…だったかしら?」
「覚えられていたとは光栄だな。
意識もしっかりしていそうで何よりだ」
「なんで、弘世さんが?」
「状況を説明しに来た」
そう言って、彼女は私のベッドのそばにあった
パイプ椅子に腰をかけた。
「咲はどうなったの?」
「君と同じく、この病院に入院している」
「状況は?」
「一命はとりとめた。だが、
かなりの後遺症が残るそうだ」
「とりあえず、もう歩くことはできないだろう」
「…そっか」
「それと、もう一つ…重大な事実がある」
「…何?」
「それを伝える前に、一つ忠告しておこう」
「宮永咲に会いたいなら、今はじっと時を待つことだ」
「君は精神病と診断されている。
ここで問題を起こすと…精神病院の閉鎖病棟に移される。
そしたら…彼女に会うことは絶望的になる。
…理解できたか?」
「…わかった」
「じゃぁ、話を戻そう」
「宮永咲は…彼女の姉を探している。
だが…照のことは覚えていなかった」
--------------------------------------------------------
話を要約すると、こういうことらしい。
私達は一緒に飛び降りたけど即死には至らず。
通りがかった人の通報によって、
救急車でこの病院に搬送された。
私は比較的軽症で済んだものの、咲の方は重症で。
数時間にわたる緊急手術によって、
ようやく一命を取り留めたらしい。
そして、意識を取り戻した時には、
駆け寄ったお姉さんに対して、
「誰ですか?」
と尋ねたそうだ。
そして、次に放った言葉は…こうだった。
「えと…お姉ちゃんは生きてますか…?
私と一緒に飛び降りた、
赤い髪の人なんですけど…」
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次に来たのは、咲のお姉さん。
つまりは、宮永照だった。
「私のせいで、本当に申し訳ありませんでした…」
なんだか、あの時と似ているなと思った。
あれは、まこに謝られた時だっただろうか。
あの時のまこと同じように、宮永さんは憔悴しきっていた。
いや、まこ以上かもしれない。
目にはクマがくっきりと浮かび、
頬もげっそりと痩せこけてしまっている。
「咲と私が自分の意志でやったことよ。
そこに宮永さんの責任はないわ」
それは、偽らざる本心だった。
彼女と咲の間に何があったのかは、
事前に弘世さんから聞いていた。
この件で彼女を責めるというのは
あまりにもお門違いというものだろう。
「私だって…最初の段階で、
何もかも諦めて一生一緒に居なさい、
なんて言われたら、多分断ってたもの」
「それでも…あなたは咲を選んだんですよね」
「そして…この世を去る選択をした」
「あー、一応言っておくけど、
私たちが飛び降りたのは、咲の重さに耐えかねて、
というわけじゃないわよ?」
「え…?」
「理由は単純に生活苦。
咲は私から離れられないし、でも大学に行かないと、
親からの援助がなくなっちゃうし」
「両立ができなかったから、
いっそリタイアしようって思っただけ」
この事実は、彼女にとって予想外だったらしい。
一瞬あっけにとられたような顔をすると、
すぐに真剣な表情になって私の顔を見つめる。
「そういうことなら…力になれるかもしれません」
「ご存知かもしれませんが…
私は今、プロ雀士をやってます。
だから、お金のことなら…何とかできると思います」
「情けない話ですが…どうか、今まで通り
咲のことを支えてもらえないでしょうか」
「私はもう…咲の中にはいないみたいですから…」
そう言って彼女は再び頭を下げた。
それは、私にとって思いがけない僥倖だった。
--------------------------------------------------------
「そんなわけで、優しいプロ雀士さんのおかげで
将来の心配はなくなったわ」
「え、えと…でも…なんでその人、
そんなに親切にしてくれるの?
インターハイで一回対戦したってだけだよね?」
「あー…なんか咲が、いなくなった自分の妹の
生き写しみたいだからだってさ」
「そ、そうなんだ…でも、それって
結局は赤の他人だよね?」
「………まあね」
「ま、こっちとしても別にタダで
養ってもらうつもりはないわよ?
彼女が麻雀で生計を立てているように、
私たちだって彼女の練習相手をすることでお金をもらう」
「そう考えれば、単なる穀つぶしってわけでもないでしょ」
「それとも…もう一回、チャレンジする?」
「ううん…お姉ちゃんと、生きたまま
ずっと一緒に居られる道があるのなら…
やっぱりそっちを選びたいよ」
「そか」
「じゃぁ、彼女には私たちの養分になってもらいましょう!」
「言い方悪すぎだよ!?」
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そんなわけで、私達は今、照さんの援助を受けて
二人っきりで暮らしている。
もっとも、隣には照さんの家もあるけれど、
彼女がやってくる機会はそんなに多くない。
一応、タイトル戦みたいな大切な試合の前には
こっちに来て集中的に打っていくから、
まったくの穀つぶしではないと信じたいけど。
今日も私は、咲の車椅子を押しながら、
日課となっている散歩に出かけることにした。
「いい天気だね」
「そうねえ…ちょっと遠出でもしてみよっか?」
「あ、だったらあそこ行きたいな…山」
「了解。だったら車に乗り換えないとね」
……
「はい、到着ー。さすがに疲れたわー」
「ご、ごめんね…?私が歩けたらよかったんだけど」
「気にしない気にしない。
それにしても、咲は本当にここが好きねぇ」
「うん…なんだか、とっても懐かしい気がするんだ。
なんでそう思うのかはわからないけど」
そう言って咲は、気持ちよさそうに目を伏せた。
咲が懐かしいといったこの場所。
ここは、小さい頃に
照さんと二人でよく散歩した場所らしい。
照さんに関する記憶とともに、
この場所の記憶もなくなってしまったわけだけど。
それでも残滓(ざんし)くらいは残っていたみたい。
「ねえ、咲。ちょっと変なこと聞くわね?」
「私って…あなたの何なのかな?」
「へ?何って…お姉ちゃんでしょ?」
「血は繋がってないのに?」
「生まれよりも、どうやって関わってきたか、
の方が大切なんじゃないかな?」
「そっか」
咲の記憶は、いまだに戻っていない。
飛び降りた時に頭を打ったのか、
咲自身の頭が、自分の都合のいいように
記憶を改ざんしたのか…
どちらにせよ、咲の中で私は、
よくわからないけど最初からお姉ちゃんだった、
という扱いらしい。
「もう一つ聞いてもいいかしら?」
「何?」
「私は…責任を果たせたのかしら」
「責任?」
「ええ。まあ、今のあなたには
意味が分からないかもしれないから…
その時はフィーリングで答えてくれたらいいわ」
「うーん…責任かぁ」
「…まだ、なんじゃないかな?」
「そうなんだ」
「うん…自分でもよくわからないけど…
その質問には『うん』って
言っちゃいけない気がするんだ」
「そっか」
どうやら、私の義務はまだまだ続くらしい。
そして、それは多分一生続くのだろう。
「ま、むしろそうじゃないと困るけどね?」
私は、そう言って咲に笑いかけた。
(完)
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2人が幸せなら
心暖まるハッピーエンドでした(錯乱
また書いてくれるよね?(病
だだ甘のやつください(病目
私もそろそろ甘いのが欲しかったり(病目
てるてるを許すな!
やっぱりこの話はちょっと重かったですね。
書いてる自分が、途中で
別のあまあまを書き始めてました。
というわけでそのうちお口直し登場予定。
でも、わりとご都合主義でハッピーエンドなのです。
いずれはくる未来が嫌で、現状維持を望んでいるところとか・・・
物語としては、未来への歩みを永遠に止めるという結論に至ってまさかの死が救いになるパターンっ!?とか思いましたが、何とか現世でハッピーエンドになってよかったです