現在リクエスト消化中です。リクエスト状況はこちら。
【咲SS:久咲】咲「私には、もう部長しかいないんです」【ヤンデレ】
<あらすじ>
一か月前。この部室には、
明るい笑い声が絶えませんでした。
みんなで仲良く雀卓を囲んで、
和気あいあいと、全国制覇を夢見て
特訓にいそしんでいました。
あれから一か月後。
もう、部室から麻雀を打つ音は聞こえません。
だって、みんな…いなくなっちゃいましたから。
<登場人物>
竹井久,宮永咲,その他清澄
<症状>
・異常行動
・ヤンデレ
・依存
<その他>
※話の都合上、過去最大級に重苦しく、暗い話になります。
苦手な方はご注意を。
--------------------------------------------------------
インターハイ全国大会準優勝。
その知らせに、清澄はにわかに色めき立ちました。
確かに、今年の始めには部員が二人しかいなかった部活が、
初出場で全国大会に駒を進め、さらには準優勝したのですから。
それは相当な快挙と言えたでしょう。
戻ってきた私達を皆が笑顔で讃えてくれました。
それはさながら、英雄が凱旋したかのように。
『準優勝おめでとー!』
『あんた達は清澄の誇りだよ!』
『こ、これからも応援してます!』
たくさんの賞賛の声を浴び、
笑顔を浮かべて手を振りながら。
それでも私達はみんな、どこかその表情に
陰りを帯びていました。
なぜなら、私達にとってあの対局は、
取り返しのつかない致命的な敗北だったからです。
…そう、それは本当に。
取り返しのつかない、敗北だったんです。
--------------------------------------------------------
全国大会にまで出場してようやく私が得たものは、
結局あの時のリフレインでした。
「お姉ちゃん!待って、お姉ちゃん!!」
「…私に、妹はいない」
「お、ねえ、ちゃん…」
お姉ちゃんは、私を一言で拒絶しました。
まるで、凍りついているかのように、
一切の感情を排除した表情のまま。
「あ、う…えっと…!えっと…!」
あまりにも痛烈な拒絶を前に、
うまく言葉を繋ぎ合わせることができず、
しどろもどろに狼狽えるだけの私。
お姉ちゃんは、そんな私の事を意に介することもなく、
無情にも背を向けて。
そのまま、規則的な足音を刻みながら姿を消しました。
残されたのは、私一人。
何一つ成し遂げられなかった、私一人。
本当に、何もかもがあの時の再現で。
いくら愚鈍な私でも、ここまでされれば
気づかざるを得ませんでした。
『もう、私達は終わった』
『ううん、違う』
『本当は、ずっと前からとっくに終わっていた』
それを理解してしまった私は、
圧し掛かる絶望の重さに耐えきれず。
ぺたりと、その場に座り込んでしまいました。
「あ、あはは…はは……」
「なくなっちゃった……」
「私の、希望……」
--------------------------------------------------------
失意のまま臨んだインターハイの決勝戦は、
明らかな不完全燃焼で幕を閉じました。
結果、清澄高校は優勝を逃し。
私は同時に、大切な人を失うことになりました。
「今まで、お世話になりました」
目の前で、深々と頭を下げる和ちゃん。
起き上がった時に見えたその瞳は、
どこか虚ろで、遠い彼方を眺めているようでした。
そう、今日は和ちゃんが転校する日。
つまりは、お別れの日です。
部室はまるでお通夜のように、
重く、苦しい空気に支配されていました。
「…本当に行ってしまうのね」
「…はい。親の転勤の都合じゃ
仕方がありませんから…」
肩をすくめながら、残念そうにこぼす部長に対して、
和ちゃんは淡々と答えました。
それでも、その声音には。
隠しきれない悲しみの音が含まれていて。
私の胸を、ぎりぎりと締め付けました。
私だけが知っているんです。
和ちゃんが転校する、本当の理由を。
私が、負けてしまったから。
私のせいで、和ちゃんは転校する羽目になったのです。
和ちゃんは、私を責めたりはしませんでした。
ただ、ぽっかりと何かが抜け落ちたように。
何もかもを諦めた、無気力な目を私に向けました。
そんな和ちゃんに、気の利かない私は、
当たり障りのない言葉をかけることしかできなくて。
「の、和ちゃん…今までありがとう」
「こちらこそありがとうございました。
咲さんもお元気で」
「さようなら…」
再会を誓うような言葉は交わせませんでした。
和ちゃんとの繋がりを自ら断ち切った私に、
どうしてそんな烏滸がましい
言葉がかけられたでしょう。
こうしてこの日、また一人。
大切な人が、私のもとを去りました。
--------------------------------------------------------
夢を、見るようになりました。
それは、自分が少しずつ削り取られていく夢。
私は、何もない空間に、たった一人で浮かんでいます。
両腕を広げられた、磔のような姿で。
程なくすると、辺りに黒い闇が灯って。
それは、私の身体に近づいて。
闇が私の身体に触れると、
私の身体は、まるで腐敗した木々のように
ぼろぼろと崩れ落ちていくのです。
闇は、少しずつ広がって。
少しずつ、少しずつ。
私が削れて失われていくんです。
「いやぁっ!!!」
私は自分の叫び声で目を覚ましました。
それは、まるで予知夢のようで。
震える肩をかき抱き、恐怖に震えながら
朝が来るのを待ちました。
朝は、なかなかやってきてはくれませんでした。
--------------------------------------------------------
インターハイ準優勝という結果は、
もう一つ、私達の環境に大きな変化をもたらしました。
染谷先輩が、ほとんど部活に参加できなくなったのです。
「すまん!今日も店が手一杯でな…
手伝わんといかんのじゃ」
「ま、仕方ないわねぇ…いってらっしゃい」
インターハイでは選手紹介もあって、
全国ネットでお店を宣伝したようなもので。
染谷先輩の雀荘は、毎日ひっきりなしの
大賑わいだそうです。
対応に追われた染谷先輩は、
当分部室には顔を出せないと言って、
足早に去っていきました。
--------------------------------------------------------
和ちゃんが転校して、
染谷先輩が部活に出られなくなった今。
清澄高校麻雀部は、四人で卓を囲むことすら
ままならなくなってしまいました。
「ロン!親ッパネだじぇ!18000!」
「うげ…また飛んじまった…」
「あはは、なかなか南入できないわねー」
もちろん京ちゃんを入れれば、
数の上では四人にはなります。
でも、残念ながら京ちゃんと他の三人では、
あまりに実力差がありすぎて。
すぐに京ちゃんが飛ばされて、
南入することすらできず終わってしまいます。
そのうち、京ちゃんからは上がらない、
京ちゃんはいくら点数を失ってもハコらないという
特別ルールが考案されました。
でも、それはもう普通の麻雀とは呼べなくて。
また一つ私の中から、
大切な日常が零れ落ちていくのを感じました。
--------------------------------------------------------
転がり始めた歯車は、まだまだ
止まる気配はありませんでした。
「…今日も、須賀君は欠席かー」
京ちゃんが、部活に来なくなりました。
もう、何日も何日も。
考えてみれば、無理もない事でした。
麻雀部が準優勝したと言っても、
それはあくまで女子部員の話。
たった一人の男子部員で、
早々に予選敗退した京ちゃんは、
これまでどんな思いで
私達を支えていたのでしょうか?
雑用ばかり押し付けられて、
自らは成長する機会を与えられず、
ただもくもくと小間使いのように作業をこなす。
きっと、後ろ指をさされることもあったと思います。
嘲笑されることもあったと思います。
相当、肩身の狭い思いをしてきたでしょう。
それでも、京ちゃんは愚痴一つ言わず、
笑顔で私達を支えてくれました。
なのに、インターハイが終わった後。
ようやく京ちゃんを鍛える
時間の余裕ができたというのに、
そこに現れたのは特別ルールです。
それは、まるで京ちゃんを
ツモ切り用コンピュータとして扱うような、
冷徹な扱いでした。
京ちゃんが、麻雀部を見限っても
仕方がないと思います。
結論だけ言えば、京ちゃんが再び
部室に戻ってくる事はありませんでした。
「…須賀君は、退部したわ」
部長から聞いた話では、
京ちゃんはただ一言謝罪の言葉を述べた後、
退部届を提出して去って行ったそうです。
それを聞いた私は、また一部、
自分の身体が削り取られたような錯覚を覚えました。
--------------------------------------------------------
この頃、私は夜が更けると、
ひとりでに身体が震えるようになりました。
それは、これから見る夢への恐怖。
寝ると、あの夢を見てしまいます。
そう、あの自分が削り取られる夢。
そして、あの夢のように、
現実の私も食いちぎられていて。
あの夢を見るたびに、
現実でも崩壊が進行するような気がして。
恐怖で震えが止まらないのです。
自分の身を守るように、
自らの腕で身体を抱えても、
震えは止まってくれません。
そして、いつしか私は疲れて眠り。
また、あの夢を見てしまうのです。
--------------------------------------------------------
ついに、優希ちゃんも部室に来なくなりました。
「…優希、今日おやすみだって」
もっとも、京ちゃんがいなくなった時点で、
この結末は予想できていました。
優希ちゃんは京ちゃんと仲がよかったからです。
きっと、優希ちゃんは京ちゃんを追いかけたのでしょう。
そして、京ちゃんの胸の内を聞いて、
京ちゃんを支えることにしたのでしょう。
つまり、優希ちゃんは私達より京ちゃんを選んだ。
そう、ただそれだけのことです。
--------------------------------------------------------
一か月前には、活気にあふれていた部室。
皆の笑顔に包まれていた部室。
今は、もう見る影もなく。
そこにたたずむのは、
取り残された私一人でした。
部室に飾られた写真立ての中では、
まだ幸せだった頃の私が、
皆と一緒に控えめな笑みを浮かべています。
私は写真を指でなぞりながら、
ぼそりと一言つぶやきました。
「こんな事になるなら…最初から、
ほおっておいてくれればよかったのに」
そうすれば、こんな苦痛を
味わわなくてもすんだのに。
そもそも最初は、あまり乗り気じゃなかった私を、
皆が強引に引きずり込んだのに。
大切な存在になってから、あの人達は消えていく。
私の心を抉り取って、
ぽっかりと大きな穴を空けたまま。
私の心の中を、やるせなさが支配していきました。
--------------------------------------------------------
夢を見ました。
それはいつもの、自分が削り取られていく夢。
夢が始まった時点で、
私の身体は、すでにいくつかの箇所が欠損しています。
夢の内容は以前と変わらず。
私の身体に闇が灯ると、そこを起点に、
身体が闇に、ボロボロと食い荒らされていきます。
ただ、今までと違うのは。
もはや私には、拒絶する力も残っていないというだけです。
夢が終わる頃。
私の身体はもう下半身が塵芥(ちりあくた)と化して、
人間としての形状を留めていませんでした。
夢が覚めても、私はもううずくまることもなく。
ただ、呆然と薄暗い天井を眺めていました。
もう既に、何人もの人が私の前から姿を消しました。
残っているのは、ただ一人。
その人もいずれ、私のもとから
去って行くことが確定しています。
だって、残っているのは唯一の三年生。
引退を迎えた部長だけなのですから。
--------------------------------------------------------
「結局、二人きりになっちゃいましたね…」
「そうねー」
今日は、部長が引退する日。
そんな日ですら、部室に来たのは私だけでした。
「…部長は、つらくないんですか?」
部長は、1年生の時は一人きりだったと聞きました。
そして、2年生になって、染谷先輩が来て。
3年生になってようやく、大会に出られるようになって。
せっかく、部として動き始めたばかりだったのに。
最後に、こんなことになってしまうなんて。
「咲は、つらいの?」
部長は私の問いには答えず、
そのまま同じ質問を私に返しました。
「…つらいです。正直、おかしくなっちゃいそうです」
「…そか」
一度手に入ったものが無くなること。
それは、最初から手に入らないよりもずっとつらくて。
まるで、この身をばらばらに引きちぎられるようで。
つらくてつらくて、気が狂いそうでした。
沈み込んだ私の様子を見て、
部長は少しだけ肩をすくめながらも。
「何も感じないと言ったら、
さすがに嘘になるけどねー」
「でも、私にはまだ、咲がいてくれるもの」
そう言って、口もとをほころばせて、
穏やかに笑いかけてくれました。
でも、私には笑みを浮かべる余裕はなくて。
「…でも、部長は今日で引退しちゃうじゃないですか」
「そしたら私は、本当に一人ぼっちです」
気づけば私は、隠していた本音を
吐き出してしまっていました。
それは、言っても仕方のない事。
言っても、ただ部長を困らせるだけ。
わかってはいたけれど
少しでも吐き出さなければ、
絶望に押し潰されてしまいそうだったんです。
それでも部長は、木漏れ日のような
温かい笑顔を私に向けて、
ゆっくりと諭すように語り掛けます。
「ねえ、咲。私は確かに、今日麻雀部を引退するわ」
「でもね?だからって別に退部するわけじゃないのよ?」
「部活だって普通に来るし、今までと何も変わらないわ」
「安心して。私は、あなたを一人になんかしないから」
「ね?」
そう言って、部長は私の腰に手を回して。
そのままぎゅっと、優しく抱き寄せてくれました。
その温もりは、それまで失ってばかりだった
私に、ゆっくりと染み渡っていって。
ぽっかり空いた心の穴すら、
塞いでくれるような錯覚を私に与えてくれました。
おかげで私は、少しだけ。
少しだけ、安心することができたんです。
--------------------------------------------------------
もっとも、これで私の喪失が
終わったわけではありませんでした。
--------------------------------------------------------
違和感を感じ始めました。
まるで、皆から避けられているような。
そんな、空気を感じました。
そして、それは気のせいではありませんでした。
「み、宮永さん…プリント、ここに置いておくね…」
ほんの少し前まで、インターハイ終了直後には
頼んでもいないのに話しかけてきたクラスメート達。
その人達が、妙によそよそしくなって、
まるで腫物を触るかのように、
接触を避けるようになってきました。
そして、それはクラスの中だけではなく。
廊下を歩いていても、どこか居心地の悪い視線を
感じるようになりました。
でもこれも、考えてみれば当たり前の事です。
栄光に輝いた麻雀部。
その麻雀部の、あっという間の瓦解。
そこに、最後に一人だけ残った部員。
噂にならないはずがありません。
偶然トイレに居合わせた時に、
何気なく耳に入ってきた誰かの話声。
『麻雀部が空中分解したのって、
宮永さんのせいらしいよ?』
『そうなの!?あんな大人しそうな顔してるのに』
『だって、あの議会長がさじ投げるとか相当でしょ』
『原村さんが転校したのも宮永さんが原因っぽいよ?』
『マジで!?』
それは、麻雀部崩壊に関する全ての原因は、
私にあったという内容でした。
『私、麻雀部入ろっかなーって思ってたんだけどなー』
『やめといたほうがいいよ…今年のメンバー、
宮永さん以外残らないんじゃない?
何されるかわかんないよ?』
『だよねー。せめて会長が残ってくれてればなー』
『会長もかわいそうだよねー。
せっかく一から麻雀部立ち上げたのに、
引退間際で壊されちゃうなんて』
……
……
やがて、名も知らない彼女達の声は遠ざかっていき。
声の主が居なくなった事がわかっても、
私は個室から出ることができませんでした。
ぽたり、ぽたり。
はらはらと、涙がこぼれ落ちてきて。
その涙は、止まることがなくて。
涙と一緒に、自分の身体から、
何かがゆっくりと抜け落ちていくような気がして。
私は、寒々しいトイレの中で、
一人惨めに泣き続けました。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴っても、
私はその場を動くことができず、
ただ一人涙を流し続けました。
『麻雀部が空中分解したのって、
宮永さんのせいらしいよ?』
それが、根も葉もないただのデマであったなら。
私もここまで打ちのめされはしなかったのでしょう。
でも、それはきっと、当たっていて。
私に問題があったから、麻雀部は終わってしまったんです。
それに気づいた時、ううん、改めて思い知らされた時。
私はもう、自分が壊れるのを
止めることはできませんでした。
--------------------------------------------------------
教室に戻る勇気もなく、ただ休める場所を求めてさまよって。
私の行き着いた先は、それでも麻雀部の部室でした。
自分で壊してしまったくせに。
それでも、私はここに縋るしかなかったんです。
電源の入ってない麻雀卓を意味もなく眺めながら、
動くことなくただひたすらそこに居ました。
もう、何もする気が起きませんでした。
やがて、放課を告げるチャイムが鳴り響き。
いつものように入ってきた部長が、
壊れた私に目を留めました。
「さ、咲!?どうしたの!?」
「…部長」
「ごめんなさい、壊しちゃってごめんなさい」
「部長の居場所、壊しちゃってごめんなさい」
「許してください」
それは、さながら壊れたプレイヤーのように。
私はただ、謝罪の言葉を繰り返すだけでした。
--------------------------------------------------------
壊れてしまった私を見ても、
部長は私を見捨てたりはしませんでした。
何も言わず、ただやさしく私の手を取ると、
そのまま部長のアパートに連れてきてくれて。
そして、その両腕で私の身体をくるみながら、
辛抱強く、私が話せるようになるまで
待っていてくれました。
「そっか…そんな噂が流れてるんだ」
「…はい」
「でも、噂じゃないです。本当なんです」
「麻雀部を、駄目にしちゃったのは、私なんです」
「ごめんなさい、麻雀部、壊してごめんなさい」
「そっか」
「じゃあ、麻雀部はもう諦めましょう!」
「…え?」
ぽんっ、と手を叩いて、
あっけらかんと言い放つ部長。
だって、麻雀部は部長にとって、
とっても大切な場所のはずで。
それを、そんなにあっさり諦めるなんて…
「残念だけど、失ったものは簡単には戻らないわ。
どれだけ頑張っても、
戻らないものは絶対にある」
「どれだけ綺麗事を並べても、それは真実なの」
「だからって、その残滓に囚われていたら、
あなたはいつまでたっても幸せになれないわ。
だから、無いものねだりはもうやめましょ?」
「幸い、残った物もあるでしょ?」
部長は私を抱き寄せた体勢のままで、
諭すように優しく囁きました。
「例えば、私」
「麻雀部としての私は居なくなっちゃうけど、
ただの竹井久ならまだ残ってるでしょ?」
「で、でも…部長だって、もうすぐ
卒業しちゃうじゃないですか」
「そんなの大した問題じゃないわよ。
今だって、咲は私の部屋に来てるでしょ?」
「この部屋は大学に行っても、
そのまま使う予定だし、
いつだって会えるわよ?」
「それでも信じられないなら、
いっそ竹井咲にでもなってみる?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
部長が私の顔を覗きこみます。
部長は冗談で言ったのかもしれないけれど。
私は、その考えに囚われてしまいます。
もし、本当にそうなれたなら。
部長と、一緒に過ごすことができたなら。
私はもう、苦しまなくてすむ。
私の頭の中で、部長の言葉だけが
ぐるぐると木霊していました。
--------------------------------------------------------
麻雀部は廃部になりました。
どの道私だけでは再興は難しいですし、
それならまだ部長がいるうちに廃部しておく方が、
私に向く非難の目が少なくてすむからだそうです。
とはいえ、廃部したことで噂は真実味を増したのか、
今では連絡事項以外で私と会話する人はいなくなりました。
そう、部長を除いては。
とはいえ、もはや私にとって学校は
部長に会うための手段に過ぎませんでした。
機械的に登校し、教室の椅子に座って、
ただひたすら時間が流れるのを待ちます。
そして放課後になったらすぐ、
下駄箱置き場で部長を待ちます。
周りの人が私を見て露骨に顔をしかめる中、
部長だけは、笑顔で私を迎えてくれました。
それは私の生活の中で、
唯一安らぐことができる瞬間です。
そんな生活を繰り返していくうちに、
私の中で、不思議なことが起きていました。
目に見えるもののうち、
部長以外から色が消えていくのです。
モノクロームの世界が広がる中で、
部長だけが、部長の周りだけが、
色鮮やかに輝いています。
それはきっと、私にとって。
部長が、最後の心の拠り所だからなのでしょう。
--------------------------------------------------------
それでも。
それでも、それでも、それでも。
まだ、世界は私を罰するんです。
私を、許してはくれないんです。
--------------------------------------------------------
すっかり日課となった下駄箱置き場での待ち合わせ。
放課のチャイムが鳴り終わり、
私はいつものように下駄箱置き場に向かいます。
でもその日、部長は
なかなか来ませんでした。
いつもだったら、15分以内にはやってくるのに。
15分経っても、30分経っても、
部長は姿を現しませんでした。
そして、ついに一時間経った時。
私は、体の震えが止まらなくなって。
部長を探してさまよい歩くことにしました。
人の目が怖くて、いつもは行かない三年生の教室。
部長はそこで、私の知らない誰かと話していました。
私はそれだけで、どこか陰鬱な気持ちになります。
私が廊下で耳をそばだてていることには
気づいていないのか、二人は
私の事を特に気にせず会話を続けました。
「久ー。次はこれ教えてー」
「あー、ごめんね。そろそろ私、
本当に行かなくちゃ」
「下駄箱の宮永さん?」
「うん、きっと今日も待ってるだろうから」
「…ねえ、いい加減、あの子にかまうのやめたら?
あんたまで変になっちゃうよ?」
どくん、と心臓が跳ね上がりました。
胸の動悸が激しくなります。
それは、呼吸すら困難になるほどに。
「…変って?」
「いやだって、あの子明らかにおかしいじゃん。
いっつも下駄箱置き場に突っ立って微動だにしないし、
なんか目の焦点があってないし…
ぶっちゃけ、あれ間違いなく病気だって」
(やめて)
「…一時的なものよ。今、咲は
立て続けにつらいことがあって参ってるだけなの」
「あんたの悪い癖だよ。
そうやってすぐ、面倒事を背負い込んじゃうんだから」
(それ以上話さないで)
「そもそも、うちらも後半年で卒業でしょ?
今独り立ちさせないと、それこそあの子、
立ち直れないんじゃない?」
「あの子のためにも、もう別れた方がいいよ」
(やめてぇっ!!!)
私は、もう聞いていることができなくて。
気がつけば、廊下を走り出していました。
--------------------------------------------------------
どうやって来たのかもわからないまま、
私は部室の前に居ました。
でも、その扉はもう開きません。
扉は固く鍵で閉ざされており、
私はもう、鍵を持ってはいませんでした。
視界が、涙で滲んでいきます。
すぐに世界はぐじゃぐじゃになりました。
最後の居場所すら、私にはなくなって。
大切な人すら、失いそうで。
私は、教会のような部室の前で、
大声をあげて泣きじゃくるしかありませんでした。
それはさながら、懺悔する罪びとのように。
--------------------------------------------------------
これは、きっと罰なんです
私が、悪い子だったから
麻雀部を壊してしまったから
だから、私は罰せられているんです
甘んじて、罰を受けます
悔い改めます
もう、お姉ちゃんとの復縁を望んだりしません
これ以上、よけいに人と関わったりしません
でも、部長だけは
どうか、部長だけは
私から、奪わないでください
部長がいなくなってしまったら
私にはもう、何もないんです
もう、私には部長しかいないんです
--------------------------------------------------------
「それそれ、その考え方が問題なのよ」
--------------------------------------------------------
泣きじゃくりながら祈り続ける私の背後から、
突然かけられた部長の声。
振り向いたそこには、部長が
温かい笑みを浮かべて佇んでいました。
「咲はね、悲観的に考えすぎなのよ」
「そこは『私しかいない』じゃなくて」
「『私しかいらない』って、
そう考えたらどうかしら?」
「そしたら、今のあなたは、
実はすっごい幸せなんだってわかるから」
くすくすと笑いながら、
部長はいつものように私の手を引いて、
腕の中に私を導きました。
「部長…さっきの人は…?」
「ああ、あの子の言った事なら
気にしなくていいわよ?
あんなの、何にも知らない他人の戯言だから」
「言ったでしょ?私は咲を一人にしないって」
そう言って、部長は私を強く抱きしめます。
私は部長の胸に頬を寄せて、
その温かさに身をゆだねました。
不思議な事に、ただそれだけで。
私を塗り潰していた絶望は、
瞬く間に消え失せてしまうのです。
「まあでも、ああいう心無い発言で
咲が苦しむのはよろしくないわね」
「咲、もういっその事学校やめて、
うちに嫁いじゃわない?」
「咲が、私しかいらないっていうなら、
その方がいいんじゃないかしら?」
そう言って、部長は私の顔を覗き込みました。
以前も、同じような事を
冗談っぽく言われた事があったけど。
私には、もうそれを冗談として
受け止めることはできなくて。
私はぐずぐずとしゃくりあげながら、
震える声で何度も願いました。
そう、何度も、何度も…
「どうか、私を…部長の側に、
居させてっ、ください…!」
「なんでも、なんでも…しますから…!」
「私は…もう…部長しかっ…いりませんっ…!」
「もう…部長しか…いらないんですっ…!」
私の言葉に、部長は満足気に頷きました。
「そっか!じゃあ、これからは
私の事だけ考えて過ごしなさい?」
「ずっと、一緒に居てあげるから」
--------------------------------------------------------
こうして、私は学校を退学しました。
結婚を前提に部長との同棲も認められ、
今は家事をこなしながら、部長の帰りを待つ日々です。
「よし、部長のお部屋の掃除も終わったよ…」
「暇になったし、いつものあれでもしようかな」
「えへへ、今日はこの部長にしよう」
私は、いくつかの写真立てから一つを取り出すと、
ヘッドフォンを頭に装着します。
そして、音楽プレイヤーの再生ボタンを押しました。
『やっほー、咲、元気ー?』
「はい、元気です!」
『寂しい思いさせてごめんねー、
卒業してプロになったら、
もっと一緒にいられるから許してね』
「いえ、大丈夫です。
まだ我慢できますから」
『じゃ、始めよっか。咲が一番好きなのは誰?』
「もちろん、部長です!」
『うんうん、じゃあ、私以外に好きな人は誰?』
「いません」
『そっか。じゃあ、私以外はいらないわよね?』
「はい!部長以外、私にはいらないです!」
部長の言ったとおりでした。
『部長しかいない』って考えるんじゃなくて、
『部長しかいらない』って考えれば。
私は不幸でもなんでもなくて。
もうずっと前から、最高の幸せを掴んでいたんです。
なんで、こんな簡単なことに気づかなかったんでしょう。
『えへへー。うれしいこと言ってくれるじゃない!
もっと言ってくれないかしら?』
「はい!何度でも言います!
私は部長以外何もいりません!」
プレイヤーの部長の声に合わせて、
私は何度でも同じ言葉を繰り返します。
後数時間もすれば、本当の部長が帰って来て、
私を抱きしめてくれるはずです。
「えへへ…こんなに、幸せでいいのかな?」
私は思わず顔がにやけるのをこらえながら、
もう何百回目になるかわからない言葉を口にしました。
「私は、部長以外何もいりません!」
(『Side-久』に続く)
一か月前。この部室には、
明るい笑い声が絶えませんでした。
みんなで仲良く雀卓を囲んで、
和気あいあいと、全国制覇を夢見て
特訓にいそしんでいました。
あれから一か月後。
もう、部室から麻雀を打つ音は聞こえません。
だって、みんな…いなくなっちゃいましたから。
<登場人物>
竹井久,宮永咲,その他清澄
<症状>
・異常行動
・ヤンデレ
・依存
<その他>
※話の都合上、過去最大級に重苦しく、暗い話になります。
苦手な方はご注意を。
--------------------------------------------------------
インターハイ全国大会準優勝。
その知らせに、清澄はにわかに色めき立ちました。
確かに、今年の始めには部員が二人しかいなかった部活が、
初出場で全国大会に駒を進め、さらには準優勝したのですから。
それは相当な快挙と言えたでしょう。
戻ってきた私達を皆が笑顔で讃えてくれました。
それはさながら、英雄が凱旋したかのように。
『準優勝おめでとー!』
『あんた達は清澄の誇りだよ!』
『こ、これからも応援してます!』
たくさんの賞賛の声を浴び、
笑顔を浮かべて手を振りながら。
それでも私達はみんな、どこかその表情に
陰りを帯びていました。
なぜなら、私達にとってあの対局は、
取り返しのつかない致命的な敗北だったからです。
…そう、それは本当に。
取り返しのつかない、敗北だったんです。
--------------------------------------------------------
全国大会にまで出場してようやく私が得たものは、
結局あの時のリフレインでした。
「お姉ちゃん!待って、お姉ちゃん!!」
「…私に、妹はいない」
「お、ねえ、ちゃん…」
お姉ちゃんは、私を一言で拒絶しました。
まるで、凍りついているかのように、
一切の感情を排除した表情のまま。
「あ、う…えっと…!えっと…!」
あまりにも痛烈な拒絶を前に、
うまく言葉を繋ぎ合わせることができず、
しどろもどろに狼狽えるだけの私。
お姉ちゃんは、そんな私の事を意に介することもなく、
無情にも背を向けて。
そのまま、規則的な足音を刻みながら姿を消しました。
残されたのは、私一人。
何一つ成し遂げられなかった、私一人。
本当に、何もかもがあの時の再現で。
いくら愚鈍な私でも、ここまでされれば
気づかざるを得ませんでした。
『もう、私達は終わった』
『ううん、違う』
『本当は、ずっと前からとっくに終わっていた』
それを理解してしまった私は、
圧し掛かる絶望の重さに耐えきれず。
ぺたりと、その場に座り込んでしまいました。
「あ、あはは…はは……」
「なくなっちゃった……」
「私の、希望……」
--------------------------------------------------------
失意のまま臨んだインターハイの決勝戦は、
明らかな不完全燃焼で幕を閉じました。
結果、清澄高校は優勝を逃し。
私は同時に、大切な人を失うことになりました。
「今まで、お世話になりました」
目の前で、深々と頭を下げる和ちゃん。
起き上がった時に見えたその瞳は、
どこか虚ろで、遠い彼方を眺めているようでした。
そう、今日は和ちゃんが転校する日。
つまりは、お別れの日です。
部室はまるでお通夜のように、
重く、苦しい空気に支配されていました。
「…本当に行ってしまうのね」
「…はい。親の転勤の都合じゃ
仕方がありませんから…」
肩をすくめながら、残念そうにこぼす部長に対して、
和ちゃんは淡々と答えました。
それでも、その声音には。
隠しきれない悲しみの音が含まれていて。
私の胸を、ぎりぎりと締め付けました。
私だけが知っているんです。
和ちゃんが転校する、本当の理由を。
私が、負けてしまったから。
私のせいで、和ちゃんは転校する羽目になったのです。
和ちゃんは、私を責めたりはしませんでした。
ただ、ぽっかりと何かが抜け落ちたように。
何もかもを諦めた、無気力な目を私に向けました。
そんな和ちゃんに、気の利かない私は、
当たり障りのない言葉をかけることしかできなくて。
「の、和ちゃん…今までありがとう」
「こちらこそありがとうございました。
咲さんもお元気で」
「さようなら…」
再会を誓うような言葉は交わせませんでした。
和ちゃんとの繋がりを自ら断ち切った私に、
どうしてそんな烏滸がましい
言葉がかけられたでしょう。
こうしてこの日、また一人。
大切な人が、私のもとを去りました。
--------------------------------------------------------
夢を、見るようになりました。
それは、自分が少しずつ削り取られていく夢。
私は、何もない空間に、たった一人で浮かんでいます。
両腕を広げられた、磔のような姿で。
程なくすると、辺りに黒い闇が灯って。
それは、私の身体に近づいて。
闇が私の身体に触れると、
私の身体は、まるで腐敗した木々のように
ぼろぼろと崩れ落ちていくのです。
闇は、少しずつ広がって。
少しずつ、少しずつ。
私が削れて失われていくんです。
「いやぁっ!!!」
私は自分の叫び声で目を覚ましました。
それは、まるで予知夢のようで。
震える肩をかき抱き、恐怖に震えながら
朝が来るのを待ちました。
朝は、なかなかやってきてはくれませんでした。
--------------------------------------------------------
インターハイ準優勝という結果は、
もう一つ、私達の環境に大きな変化をもたらしました。
染谷先輩が、ほとんど部活に参加できなくなったのです。
「すまん!今日も店が手一杯でな…
手伝わんといかんのじゃ」
「ま、仕方ないわねぇ…いってらっしゃい」
インターハイでは選手紹介もあって、
全国ネットでお店を宣伝したようなもので。
染谷先輩の雀荘は、毎日ひっきりなしの
大賑わいだそうです。
対応に追われた染谷先輩は、
当分部室には顔を出せないと言って、
足早に去っていきました。
--------------------------------------------------------
和ちゃんが転校して、
染谷先輩が部活に出られなくなった今。
清澄高校麻雀部は、四人で卓を囲むことすら
ままならなくなってしまいました。
「ロン!親ッパネだじぇ!18000!」
「うげ…また飛んじまった…」
「あはは、なかなか南入できないわねー」
もちろん京ちゃんを入れれば、
数の上では四人にはなります。
でも、残念ながら京ちゃんと他の三人では、
あまりに実力差がありすぎて。
すぐに京ちゃんが飛ばされて、
南入することすらできず終わってしまいます。
そのうち、京ちゃんからは上がらない、
京ちゃんはいくら点数を失ってもハコらないという
特別ルールが考案されました。
でも、それはもう普通の麻雀とは呼べなくて。
また一つ私の中から、
大切な日常が零れ落ちていくのを感じました。
--------------------------------------------------------
転がり始めた歯車は、まだまだ
止まる気配はありませんでした。
「…今日も、須賀君は欠席かー」
京ちゃんが、部活に来なくなりました。
もう、何日も何日も。
考えてみれば、無理もない事でした。
麻雀部が準優勝したと言っても、
それはあくまで女子部員の話。
たった一人の男子部員で、
早々に予選敗退した京ちゃんは、
これまでどんな思いで
私達を支えていたのでしょうか?
雑用ばかり押し付けられて、
自らは成長する機会を与えられず、
ただもくもくと小間使いのように作業をこなす。
きっと、後ろ指をさされることもあったと思います。
嘲笑されることもあったと思います。
相当、肩身の狭い思いをしてきたでしょう。
それでも、京ちゃんは愚痴一つ言わず、
笑顔で私達を支えてくれました。
なのに、インターハイが終わった後。
ようやく京ちゃんを鍛える
時間の余裕ができたというのに、
そこに現れたのは特別ルールです。
それは、まるで京ちゃんを
ツモ切り用コンピュータとして扱うような、
冷徹な扱いでした。
京ちゃんが、麻雀部を見限っても
仕方がないと思います。
結論だけ言えば、京ちゃんが再び
部室に戻ってくる事はありませんでした。
「…須賀君は、退部したわ」
部長から聞いた話では、
京ちゃんはただ一言謝罪の言葉を述べた後、
退部届を提出して去って行ったそうです。
それを聞いた私は、また一部、
自分の身体が削り取られたような錯覚を覚えました。
--------------------------------------------------------
この頃、私は夜が更けると、
ひとりでに身体が震えるようになりました。
それは、これから見る夢への恐怖。
寝ると、あの夢を見てしまいます。
そう、あの自分が削り取られる夢。
そして、あの夢のように、
現実の私も食いちぎられていて。
あの夢を見るたびに、
現実でも崩壊が進行するような気がして。
恐怖で震えが止まらないのです。
自分の身を守るように、
自らの腕で身体を抱えても、
震えは止まってくれません。
そして、いつしか私は疲れて眠り。
また、あの夢を見てしまうのです。
--------------------------------------------------------
ついに、優希ちゃんも部室に来なくなりました。
「…優希、今日おやすみだって」
もっとも、京ちゃんがいなくなった時点で、
この結末は予想できていました。
優希ちゃんは京ちゃんと仲がよかったからです。
きっと、優希ちゃんは京ちゃんを追いかけたのでしょう。
そして、京ちゃんの胸の内を聞いて、
京ちゃんを支えることにしたのでしょう。
つまり、優希ちゃんは私達より京ちゃんを選んだ。
そう、ただそれだけのことです。
--------------------------------------------------------
一か月前には、活気にあふれていた部室。
皆の笑顔に包まれていた部室。
今は、もう見る影もなく。
そこにたたずむのは、
取り残された私一人でした。
部室に飾られた写真立ての中では、
まだ幸せだった頃の私が、
皆と一緒に控えめな笑みを浮かべています。
私は写真を指でなぞりながら、
ぼそりと一言つぶやきました。
「こんな事になるなら…最初から、
ほおっておいてくれればよかったのに」
そうすれば、こんな苦痛を
味わわなくてもすんだのに。
そもそも最初は、あまり乗り気じゃなかった私を、
皆が強引に引きずり込んだのに。
大切な存在になってから、あの人達は消えていく。
私の心を抉り取って、
ぽっかりと大きな穴を空けたまま。
私の心の中を、やるせなさが支配していきました。
--------------------------------------------------------
夢を見ました。
それはいつもの、自分が削り取られていく夢。
夢が始まった時点で、
私の身体は、すでにいくつかの箇所が欠損しています。
夢の内容は以前と変わらず。
私の身体に闇が灯ると、そこを起点に、
身体が闇に、ボロボロと食い荒らされていきます。
ただ、今までと違うのは。
もはや私には、拒絶する力も残っていないというだけです。
夢が終わる頃。
私の身体はもう下半身が塵芥(ちりあくた)と化して、
人間としての形状を留めていませんでした。
夢が覚めても、私はもううずくまることもなく。
ただ、呆然と薄暗い天井を眺めていました。
もう既に、何人もの人が私の前から姿を消しました。
残っているのは、ただ一人。
その人もいずれ、私のもとから
去って行くことが確定しています。
だって、残っているのは唯一の三年生。
引退を迎えた部長だけなのですから。
--------------------------------------------------------
「結局、二人きりになっちゃいましたね…」
「そうねー」
今日は、部長が引退する日。
そんな日ですら、部室に来たのは私だけでした。
「…部長は、つらくないんですか?」
部長は、1年生の時は一人きりだったと聞きました。
そして、2年生になって、染谷先輩が来て。
3年生になってようやく、大会に出られるようになって。
せっかく、部として動き始めたばかりだったのに。
最後に、こんなことになってしまうなんて。
「咲は、つらいの?」
部長は私の問いには答えず、
そのまま同じ質問を私に返しました。
「…つらいです。正直、おかしくなっちゃいそうです」
「…そか」
一度手に入ったものが無くなること。
それは、最初から手に入らないよりもずっとつらくて。
まるで、この身をばらばらに引きちぎられるようで。
つらくてつらくて、気が狂いそうでした。
沈み込んだ私の様子を見て、
部長は少しだけ肩をすくめながらも。
「何も感じないと言ったら、
さすがに嘘になるけどねー」
「でも、私にはまだ、咲がいてくれるもの」
そう言って、口もとをほころばせて、
穏やかに笑いかけてくれました。
でも、私には笑みを浮かべる余裕はなくて。
「…でも、部長は今日で引退しちゃうじゃないですか」
「そしたら私は、本当に一人ぼっちです」
気づけば私は、隠していた本音を
吐き出してしまっていました。
それは、言っても仕方のない事。
言っても、ただ部長を困らせるだけ。
わかってはいたけれど
少しでも吐き出さなければ、
絶望に押し潰されてしまいそうだったんです。
それでも部長は、木漏れ日のような
温かい笑顔を私に向けて、
ゆっくりと諭すように語り掛けます。
「ねえ、咲。私は確かに、今日麻雀部を引退するわ」
「でもね?だからって別に退部するわけじゃないのよ?」
「部活だって普通に来るし、今までと何も変わらないわ」
「安心して。私は、あなたを一人になんかしないから」
「ね?」
そう言って、部長は私の腰に手を回して。
そのままぎゅっと、優しく抱き寄せてくれました。
その温もりは、それまで失ってばかりだった
私に、ゆっくりと染み渡っていって。
ぽっかり空いた心の穴すら、
塞いでくれるような錯覚を私に与えてくれました。
おかげで私は、少しだけ。
少しだけ、安心することができたんです。
--------------------------------------------------------
もっとも、これで私の喪失が
終わったわけではありませんでした。
--------------------------------------------------------
違和感を感じ始めました。
まるで、皆から避けられているような。
そんな、空気を感じました。
そして、それは気のせいではありませんでした。
「み、宮永さん…プリント、ここに置いておくね…」
ほんの少し前まで、インターハイ終了直後には
頼んでもいないのに話しかけてきたクラスメート達。
その人達が、妙によそよそしくなって、
まるで腫物を触るかのように、
接触を避けるようになってきました。
そして、それはクラスの中だけではなく。
廊下を歩いていても、どこか居心地の悪い視線を
感じるようになりました。
でもこれも、考えてみれば当たり前の事です。
栄光に輝いた麻雀部。
その麻雀部の、あっという間の瓦解。
そこに、最後に一人だけ残った部員。
噂にならないはずがありません。
偶然トイレに居合わせた時に、
何気なく耳に入ってきた誰かの話声。
『麻雀部が空中分解したのって、
宮永さんのせいらしいよ?』
『そうなの!?あんな大人しそうな顔してるのに』
『だって、あの議会長がさじ投げるとか相当でしょ』
『原村さんが転校したのも宮永さんが原因っぽいよ?』
『マジで!?』
それは、麻雀部崩壊に関する全ての原因は、
私にあったという内容でした。
『私、麻雀部入ろっかなーって思ってたんだけどなー』
『やめといたほうがいいよ…今年のメンバー、
宮永さん以外残らないんじゃない?
何されるかわかんないよ?』
『だよねー。せめて会長が残ってくれてればなー』
『会長もかわいそうだよねー。
せっかく一から麻雀部立ち上げたのに、
引退間際で壊されちゃうなんて』
……
……
やがて、名も知らない彼女達の声は遠ざかっていき。
声の主が居なくなった事がわかっても、
私は個室から出ることができませんでした。
ぽたり、ぽたり。
はらはらと、涙がこぼれ落ちてきて。
その涙は、止まることがなくて。
涙と一緒に、自分の身体から、
何かがゆっくりと抜け落ちていくような気がして。
私は、寒々しいトイレの中で、
一人惨めに泣き続けました。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴っても、
私はその場を動くことができず、
ただ一人涙を流し続けました。
『麻雀部が空中分解したのって、
宮永さんのせいらしいよ?』
それが、根も葉もないただのデマであったなら。
私もここまで打ちのめされはしなかったのでしょう。
でも、それはきっと、当たっていて。
私に問題があったから、麻雀部は終わってしまったんです。
それに気づいた時、ううん、改めて思い知らされた時。
私はもう、自分が壊れるのを
止めることはできませんでした。
--------------------------------------------------------
教室に戻る勇気もなく、ただ休める場所を求めてさまよって。
私の行き着いた先は、それでも麻雀部の部室でした。
自分で壊してしまったくせに。
それでも、私はここに縋るしかなかったんです。
電源の入ってない麻雀卓を意味もなく眺めながら、
動くことなくただひたすらそこに居ました。
もう、何もする気が起きませんでした。
やがて、放課を告げるチャイムが鳴り響き。
いつものように入ってきた部長が、
壊れた私に目を留めました。
「さ、咲!?どうしたの!?」
「…部長」
「ごめんなさい、壊しちゃってごめんなさい」
「部長の居場所、壊しちゃってごめんなさい」
「許してください」
それは、さながら壊れたプレイヤーのように。
私はただ、謝罪の言葉を繰り返すだけでした。
--------------------------------------------------------
壊れてしまった私を見ても、
部長は私を見捨てたりはしませんでした。
何も言わず、ただやさしく私の手を取ると、
そのまま部長のアパートに連れてきてくれて。
そして、その両腕で私の身体をくるみながら、
辛抱強く、私が話せるようになるまで
待っていてくれました。
「そっか…そんな噂が流れてるんだ」
「…はい」
「でも、噂じゃないです。本当なんです」
「麻雀部を、駄目にしちゃったのは、私なんです」
「ごめんなさい、麻雀部、壊してごめんなさい」
「そっか」
「じゃあ、麻雀部はもう諦めましょう!」
「…え?」
ぽんっ、と手を叩いて、
あっけらかんと言い放つ部長。
だって、麻雀部は部長にとって、
とっても大切な場所のはずで。
それを、そんなにあっさり諦めるなんて…
「残念だけど、失ったものは簡単には戻らないわ。
どれだけ頑張っても、
戻らないものは絶対にある」
「どれだけ綺麗事を並べても、それは真実なの」
「だからって、その残滓に囚われていたら、
あなたはいつまでたっても幸せになれないわ。
だから、無いものねだりはもうやめましょ?」
「幸い、残った物もあるでしょ?」
部長は私を抱き寄せた体勢のままで、
諭すように優しく囁きました。
「例えば、私」
「麻雀部としての私は居なくなっちゃうけど、
ただの竹井久ならまだ残ってるでしょ?」
「で、でも…部長だって、もうすぐ
卒業しちゃうじゃないですか」
「そんなの大した問題じゃないわよ。
今だって、咲は私の部屋に来てるでしょ?」
「この部屋は大学に行っても、
そのまま使う予定だし、
いつだって会えるわよ?」
「それでも信じられないなら、
いっそ竹井咲にでもなってみる?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
部長が私の顔を覗きこみます。
部長は冗談で言ったのかもしれないけれど。
私は、その考えに囚われてしまいます。
もし、本当にそうなれたなら。
部長と、一緒に過ごすことができたなら。
私はもう、苦しまなくてすむ。
私の頭の中で、部長の言葉だけが
ぐるぐると木霊していました。
--------------------------------------------------------
麻雀部は廃部になりました。
どの道私だけでは再興は難しいですし、
それならまだ部長がいるうちに廃部しておく方が、
私に向く非難の目が少なくてすむからだそうです。
とはいえ、廃部したことで噂は真実味を増したのか、
今では連絡事項以外で私と会話する人はいなくなりました。
そう、部長を除いては。
とはいえ、もはや私にとって学校は
部長に会うための手段に過ぎませんでした。
機械的に登校し、教室の椅子に座って、
ただひたすら時間が流れるのを待ちます。
そして放課後になったらすぐ、
下駄箱置き場で部長を待ちます。
周りの人が私を見て露骨に顔をしかめる中、
部長だけは、笑顔で私を迎えてくれました。
それは私の生活の中で、
唯一安らぐことができる瞬間です。
そんな生活を繰り返していくうちに、
私の中で、不思議なことが起きていました。
目に見えるもののうち、
部長以外から色が消えていくのです。
モノクロームの世界が広がる中で、
部長だけが、部長の周りだけが、
色鮮やかに輝いています。
それはきっと、私にとって。
部長が、最後の心の拠り所だからなのでしょう。
--------------------------------------------------------
それでも。
それでも、それでも、それでも。
まだ、世界は私を罰するんです。
私を、許してはくれないんです。
--------------------------------------------------------
すっかり日課となった下駄箱置き場での待ち合わせ。
放課のチャイムが鳴り終わり、
私はいつものように下駄箱置き場に向かいます。
でもその日、部長は
なかなか来ませんでした。
いつもだったら、15分以内にはやってくるのに。
15分経っても、30分経っても、
部長は姿を現しませんでした。
そして、ついに一時間経った時。
私は、体の震えが止まらなくなって。
部長を探してさまよい歩くことにしました。
人の目が怖くて、いつもは行かない三年生の教室。
部長はそこで、私の知らない誰かと話していました。
私はそれだけで、どこか陰鬱な気持ちになります。
私が廊下で耳をそばだてていることには
気づいていないのか、二人は
私の事を特に気にせず会話を続けました。
「久ー。次はこれ教えてー」
「あー、ごめんね。そろそろ私、
本当に行かなくちゃ」
「下駄箱の宮永さん?」
「うん、きっと今日も待ってるだろうから」
「…ねえ、いい加減、あの子にかまうのやめたら?
あんたまで変になっちゃうよ?」
どくん、と心臓が跳ね上がりました。
胸の動悸が激しくなります。
それは、呼吸すら困難になるほどに。
「…変って?」
「いやだって、あの子明らかにおかしいじゃん。
いっつも下駄箱置き場に突っ立って微動だにしないし、
なんか目の焦点があってないし…
ぶっちゃけ、あれ間違いなく病気だって」
(やめて)
「…一時的なものよ。今、咲は
立て続けにつらいことがあって参ってるだけなの」
「あんたの悪い癖だよ。
そうやってすぐ、面倒事を背負い込んじゃうんだから」
(それ以上話さないで)
「そもそも、うちらも後半年で卒業でしょ?
今独り立ちさせないと、それこそあの子、
立ち直れないんじゃない?」
「あの子のためにも、もう別れた方がいいよ」
(やめてぇっ!!!)
私は、もう聞いていることができなくて。
気がつけば、廊下を走り出していました。
--------------------------------------------------------
どうやって来たのかもわからないまま、
私は部室の前に居ました。
でも、その扉はもう開きません。
扉は固く鍵で閉ざされており、
私はもう、鍵を持ってはいませんでした。
視界が、涙で滲んでいきます。
すぐに世界はぐじゃぐじゃになりました。
最後の居場所すら、私にはなくなって。
大切な人すら、失いそうで。
私は、教会のような部室の前で、
大声をあげて泣きじゃくるしかありませんでした。
それはさながら、懺悔する罪びとのように。
--------------------------------------------------------
これは、きっと罰なんです
私が、悪い子だったから
麻雀部を壊してしまったから
だから、私は罰せられているんです
甘んじて、罰を受けます
悔い改めます
もう、お姉ちゃんとの復縁を望んだりしません
これ以上、よけいに人と関わったりしません
でも、部長だけは
どうか、部長だけは
私から、奪わないでください
部長がいなくなってしまったら
私にはもう、何もないんです
もう、私には部長しかいないんです
--------------------------------------------------------
「それそれ、その考え方が問題なのよ」
--------------------------------------------------------
泣きじゃくりながら祈り続ける私の背後から、
突然かけられた部長の声。
振り向いたそこには、部長が
温かい笑みを浮かべて佇んでいました。
「咲はね、悲観的に考えすぎなのよ」
「そこは『私しかいない』じゃなくて」
「『私しかいらない』って、
そう考えたらどうかしら?」
「そしたら、今のあなたは、
実はすっごい幸せなんだってわかるから」
くすくすと笑いながら、
部長はいつものように私の手を引いて、
腕の中に私を導きました。
「部長…さっきの人は…?」
「ああ、あの子の言った事なら
気にしなくていいわよ?
あんなの、何にも知らない他人の戯言だから」
「言ったでしょ?私は咲を一人にしないって」
そう言って、部長は私を強く抱きしめます。
私は部長の胸に頬を寄せて、
その温かさに身をゆだねました。
不思議な事に、ただそれだけで。
私を塗り潰していた絶望は、
瞬く間に消え失せてしまうのです。
「まあでも、ああいう心無い発言で
咲が苦しむのはよろしくないわね」
「咲、もういっその事学校やめて、
うちに嫁いじゃわない?」
「咲が、私しかいらないっていうなら、
その方がいいんじゃないかしら?」
そう言って、部長は私の顔を覗き込みました。
以前も、同じような事を
冗談っぽく言われた事があったけど。
私には、もうそれを冗談として
受け止めることはできなくて。
私はぐずぐずとしゃくりあげながら、
震える声で何度も願いました。
そう、何度も、何度も…
「どうか、私を…部長の側に、
居させてっ、ください…!」
「なんでも、なんでも…しますから…!」
「私は…もう…部長しかっ…いりませんっ…!」
「もう…部長しか…いらないんですっ…!」
私の言葉に、部長は満足気に頷きました。
「そっか!じゃあ、これからは
私の事だけ考えて過ごしなさい?」
「ずっと、一緒に居てあげるから」
--------------------------------------------------------
こうして、私は学校を退学しました。
結婚を前提に部長との同棲も認められ、
今は家事をこなしながら、部長の帰りを待つ日々です。
「よし、部長のお部屋の掃除も終わったよ…」
「暇になったし、いつものあれでもしようかな」
「えへへ、今日はこの部長にしよう」
私は、いくつかの写真立てから一つを取り出すと、
ヘッドフォンを頭に装着します。
そして、音楽プレイヤーの再生ボタンを押しました。
『やっほー、咲、元気ー?』
「はい、元気です!」
『寂しい思いさせてごめんねー、
卒業してプロになったら、
もっと一緒にいられるから許してね』
「いえ、大丈夫です。
まだ我慢できますから」
『じゃ、始めよっか。咲が一番好きなのは誰?』
「もちろん、部長です!」
『うんうん、じゃあ、私以外に好きな人は誰?』
「いません」
『そっか。じゃあ、私以外はいらないわよね?』
「はい!部長以外、私にはいらないです!」
部長の言ったとおりでした。
『部長しかいない』って考えるんじゃなくて、
『部長しかいらない』って考えれば。
私は不幸でもなんでもなくて。
もうずっと前から、最高の幸せを掴んでいたんです。
なんで、こんな簡単なことに気づかなかったんでしょう。
『えへへー。うれしいこと言ってくれるじゃない!
もっと言ってくれないかしら?』
「はい!何度でも言います!
私は部長以外何もいりません!」
プレイヤーの部長の声に合わせて、
私は何度でも同じ言葉を繰り返します。
後数時間もすれば、本当の部長が帰って来て、
私を抱きしめてくれるはずです。
「えへへ…こんなに、幸せでいいのかな?」
私は思わず顔がにやけるのをこらえながら、
もう何百回目になるかわからない言葉を口にしました。
「私は、部長以外何もいりません!」
(『Side-久』に続く)
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/105598400
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/105598400
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
部長サイドが怖いんですけど
こういうssをマジで待ってました!!!!!!!!
後10巡ぐらいは読もう
サイド久すごく楽しみです。
そして依存している咲さんが可愛すぎてすばら。side久楽しみです!
あ、コメントが一部作品のネタばれになってるので
まだ読んでない方はSS読んでからをお勧めします。
引き出し>
咲「普段強気なのに脆い部分があるなんていう素敵な部長が原因です」
久「心に闇を抱えたあなたもね?」
何か淡々としている>
咲「…いろいろあって、諦めちゃってたから」
久「私サイドはもっとひどいわよー」
咲さんかわいい>
久「咲さんかわいい!」
和「咲さんかわいい!」
依存の仕方>
咲「まあ、ご丁寧に繋がりを全部切られちゃいましたから…」
久「本当はもっとひどかったのよ?削ったけど」
洗脳デレ、サイド久>
咲「洗脳…鋭いです」
久「私サイドもあげたからお楽しみに!」
冷静な部長>
久「ふふ、この辺私が何を考えていたのか、
私サイドを読めばわかるわよー」
咲「読まない方がいいかもしれませんけどね」