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【咲-Saki-SS:豊白】白望「…さようなら、また後で」【ファンタジー】【共依存】
<あらすじ>
卒業を境にトヨネは消えた。
私はトヨネを探し求めて奔走した。
そして辿り着いたのは山。
人など住んでいるとは到底思えない山。
それでも私は踏み込んだ。
もう一度トヨネに会うために。
<登場人物>
姉帯豊音,小瀬川白望,熊倉トシ,臼沢塞,鹿倉胡桃,エイスリン・ウィッシュアート
<症状>
・共依存
・狂気
・絶望
<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・豊音が人間ではないことを知った白望だが、
その後も周囲の反対をものともせず傍に居続けた。
それからしばらくして白望は
原因不明の病に伏して日に日に衰弱していく。
自分の責任だとわかっている豊音は、
これから白望にどうしたいかと問う。
白望から返ってきた返答は...。
※作中である実在の書物に類似する
書物、存在、地名が出てきますが
現実とは一致しません。
本SSでの独自設定なので
あくまでイメージとしてお楽しみください。
※過去最高レベルに重苦しい話となります。
苦手な方は結末を先に確認してから
読んだ方がいいかもしれません。
※作中で二人が取る行動は
現実で絶対に実行しないでください。
※あまりの救いのなさに絶望した人は
前回同様塞を探してください。
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うっそうと茂る草をかき分けながら、
私は山の中を一人歩いていた。
「…ダル…」
季節はもう白秋を過ぎ、
玄冬に差し掛かろうとしている。
にも関わらず、私の額には
びっしょりと汗が浮かんでいて。
粘つく汗を手で拭いながら、
思わず私は弱音を吐いた。
「…ダル過ぎる」
視界に広がるのは一面の緑。
そこには獣道すら存在せず、
自分がどこを歩いているのかすらわからない。
もっとも道があったところで意味はない。
私自身、どこに向かえばいいのか
わかっていないのだから。
でも、この行為自体には意味があった。
そう、それはトヨネに会うため。
卒業のあの日以来、行方不明になった
トヨネを見つけ出すためだった。
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『……これでここともお別れかぁ』
『まさかみんなバラバラになるとはねー』
『…エイちゃんは帰国。
トヨネは村に戻る。
私と塞は都会の大学に出て、
シロだけは居残り』
『ま、変に2〜3人だけ残ってる
とかよりはいいのかもね』
『ハナレテモ、ココロハヒトツ!』
『その通り!宮守女子高校麻雀部は永遠に不滅です!』
『…今まさに幕を閉じるところなんだけど…』
『気持ちの問題だってば。あ、
連絡先交換しとこうよ。
私達はもう下宿先決まってるし』
『はい、これトヨネの分!』
『……』
『…トヨネ?』
『あ、えと、私は村に戻ったら引っ越すと思うんだー。
悪いけどみんなの連絡先だけもらえるかな?
住所が決まったらこっちからお伝えするよー』
『そっか。なるはやでよろしく。
GWくらいには一辺顔を出したいしね』
『了解だよー』
『……』
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違和感には気づいていた。
トヨネの顔が曇っている事も、
返答に何か含みがあった事も。
でも、私はそれを飲み込んでしまった。
卒業を迎えて気持ちが塞いでいるだけだろうと。
深くは追及しなかった。
それは致命的な失敗だった。
4月になり新生活を迎えて。
ゴールデンウィークを過ぎて夏休みが訪れて。
やがて、少し肌寒さを感じる季節になっても、
トヨネからの連絡はこなかった。
「…トヨネから連絡来た?」
「…何も」
「私も来てない!」
「おかしいよね…トヨネの性格だったら
真っ先に連絡してきそうなのに」
「実はまだ住むところが決まってないとか?」
「それでも、トヨネなら
その事を連絡してくるでしょ」
夏休み。実家に戻ってきた塞や胡桃も、
同じような違和感を感じているようだった。
でも、もはや連絡を取る手段はない。
私はここに来てようやく、
あの時感じた違和感が
気のせいではなかったと確信する。
このままほおっておくわけには
いかないと思った。
「…探してみよう」
「賛成だけど…どうやって?」
「熊倉先生に聞いてみる」
私は別の学校に赴任していた熊倉先生に
連絡を取って押し掛けた。
「トヨネの居場所を教えてください」
「…知らないものは知らないんだよ」
「…ありえない。
トヨネを連れてきたはずなのに」
「引っ越したんだよ」
「…だったら元の住所だけでも
教えてください」
「参ったねぇ…」
なぜか熊倉先生はなかなか
口を割ろうとはしなかった。
それ自体が異常だ。
連絡が取れなくなった友達がいる。
それを心配して探そうとする人間に、
ここまで情報を隠す必要とは何なのか。
何か、何かよくない事が起きている気がする。
私はより危機感を募らせ、
なかば掴みかからんばかりに
熊倉先生に食い下がった。
「教えてくれないなら、
一人で村を全部探します」
「馬鹿言うのはおよしよ。
岩手にどれだけ村があるのか
わかって言っているのかい?」
「…私だってそんなダルい事はしたくない。
でも、教えてもらえないなら仕方ない」
「…それでも、教えてもらえませんか」
「……」
熊倉先生は長い、長いため息をつくと…
やがて紙を取り出して、とある住所を書き留める。
記された住所には『遠野市』と書かれていた。
「私が豊音を連れてきた時はここにいたよ。
でも、もう引っ越してるだろうから
ここにはいないだろうねぇ」
「…ありがとうございます。
行ってみる事にします」
私はそのメモを丁寧にしまい込むと、
そのまますぐに立ち去ろうとする。
と、そんな私を熊倉先生が制止した。
「ちょっと待った。あんた、
もしかして今から行くつもりかい?」
「…そのつもりだけど…」
「行く前に、これを先に呼んでおきな」
「…これは…」
「『遠野怪異録?』」
「豊音の村は少し時代錯誤でねぇ。
昔の風習が色濃く残っているんだよ。
よそ者として身を投じるなら、
せめて予備知識くらいは
身につけてからにした方がいいさね」
言いながら、熊倉先生は一冊の本を差し出した。
遠野怪異録…名前は聞いた事があるけれど
読んだ事は一度もない。
ただ、確か明治時代くらいに発行された、
昔の民話や風俗を綴ったものだったはずだ。
この現代において、今でもその風習が
根付いているとは考えにくいのだけれど…
だけど。
「いいね、絶対に読んでおくんだよ」
それでも熊倉先生は、真剣な目で念を押した。
私はなんとなく悟る。
この本を読むか読まないか。
それでトヨネに会えるかどうかが決まる。
根拠はないけど…そんな気がする。
「ダルいけど…頑張ります」
私は今すぐ旅立ちたい気持ちをぐっとこらえて、
まずはこの本を読破する事に決めた。
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数日後、私はトヨネが住んでいたという
遠野市に足を踏み入れていた。
確かに都会と比較したら
長閑(のどか)な雰囲気ではある。
でもそれは宮守でも同じ事だし、
あまり違いはないように感じる。
少なくとも、江戸時代に存在した村と
同列に扱われるほどの田舎ではなかった。
人についてもそうだった。
少なくとも私はよそ者として
毛嫌いされるような事はなかったし、
むしろ温かく迎えてもらえたと思う。
現地の人に拒絶されなかったのは大きい。
この調子なら、意外とすぐに
見つかるかもしれない。
もっとも記された住所に着いたら、
急に暗雲が立ち込めてきたのだけれど。
「……そうくるかぁ……」
熊倉先生が示した住所は更地になっていた。
建物を取り壊して整地したような、
不自然な整然さを感じた。
トヨネがいなくなってから取り壊されたんだろうか。
ちなみにその住所だけではなく、
その周りにも何もなかった。
こちらは最初から使われていなかったらしく、
草木が好き勝手に生えて野っ原になっている。
あるのは更地の横にぽつんと立っている
小さな道祖神だけだ。
「…これはダルい……」
思わず定番の口癖を吐きながら、
道祖神の横に腰掛ける。
どうしたものか。さすがに
いきなり会えるとは思ってなかったけれど、
ここまでノーヒントで
頓挫するとは思っていなかった。
「…まあ、仕方ないか……」
相当ダルいけど、聞き込みをするしかないだろう。
ここから近い家にお邪魔して
トヨネの事を聞いてみよう。
何、あれだけ目立つ外見なのだから、
すぐに知っている人に会えるはずだ。
「よっこらせ…」
私はくたびれた体を無理やり起こしながら、
再び道路を歩き始めた。
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目撃者はすぐに見つかるだろう。
その目論見は正しかった。
でも、そこから先に進めなかった。
「ああ…確かにいたねえ。
でも引っ越しちまったよ」
「どこに行ったのかは知らないねぇ…」
「何も聞いてないんだよ」
姉帯豊音を知らない者はいないのに、
その行き先を知る者が誰もいない。
あまりにも不自然な事だった。
トヨネが嫌われていただとか、
一切の交流を絶っていたというのならまだわかる。
でも、尋ねる人みな一様に、
トヨネに対して好意的な印象を
持っているようだった。
それが余計に違和感を増長する。
ほぼ全ての住人を制覇して、
それでも結局答えは出なくて。
私はまたあの更地に戻ってきた。
「……参ったなぁ…手詰まりだ」
溜息をつきながらまた道祖神の横に座り込む。
思わず道祖神に愚痴りたくなった。
お前が私の行き先を導いてくれればいいのに。
なんて、あまりにも理不尽な要求を突きつけながら、
その道祖神をぼぉっと眺める。
「……あれ……?」
違和感を感じた。よく見たらこの道祖神、
いやに新しい。
しかも、道祖神にしては珍しく
はっきり女性だとわかる形状をしている。
何より…
その髪は長く、少し背が高い。
私は思わず目を見開く。
間違いない、これはトヨネだ。
なんで、こんなものが作られている?
そこで脳裏によぎる、熊倉先生の言葉。
『いいね、絶対に読んでおくんだよ』
脳内の記憶を必死に辿る。
遠野怪異録。
遠野市。
土淵町栃内。
そこに出てきた存在は?
「まさか……」
いくらなんでもありえない。
でも、疑念を拭いきる事ができない。
だって私はその物語を読んだ時、
確かにトヨネを思い浮かべていたのだから。
山女。
遠野市の山に住んでいたとされる物の怪。
背の高く髪の長い女。
もしかしてトヨネは、山にいる……?
「…行こう」
目的地が決まった。いや、目的地というには
あまりにも漠然としすぎた対象。
それでも、行かないわけにはいかなかった。
そして私は、大した装備も持たず
山に踏み込む事になる。
それがどれほど危険な行為か…
考えるだけの思慮深さは、
疲れ果てた私には残されていなかった。
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こうして私は、あてもなく
山の中を歩いている。
自分でも無謀だという事はわかっている。
皮肉にも熊倉先生に宣言した通りになった。
対象が村から山に変わっただけで、
途方もない探し物である事に変わりはなく。
そんな簡単に見つかるわけがなかった。
さらに悪い事に、私はもう限界を迎えていた。
体力の話だけではない。
精神的にも摩耗しきっていた。
そんな私は…帰りの事を考えていなかった。
(…しまった。ここがどこかわからない…)
気づいてみれば遭難していた。
食料も、水も大して持たず。
汗でびっしょり、にもかかわらず着替えもなく。
(…これは下手したら死ぬなぁ…)
急に『それ』が身近な存在となって襲い掛かってくる。
絶望感が全身にのしかかってくる。
それを払いのけられるだけの余力は…
今の私にはなかった。
倦怠感に襲われる。
唐突に視界がぼやけていき、
身体から力が抜けていき…
私はその場に崩れ落ちる。
やがてまぶたを開けている事すら億劫になる。
ああ、これは駄目だ。
どうやら私は、本当にここで終わる。
それなら、せめて…
「死ぬ前に、トヨネに一目会いたかったなぁ…」
無念の言葉を呟きながら、
私は意識を手放した。
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『…え!?シロ!?なんで!?』
『なんでこんなところで倒れてるの!?』
『わわわっ!?すごい熱だよー!?』
『と、とりあえずおうちに運ばなきゃ……!』
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次に私が目を覚ました私が目にしたものは
どこか懐かしい木目の天井だった。
うっすらと目を開けるなり、何か黒い塊が、
がばっと私にのしかかってくる。
「シロ!?シロ!!よかったぁ…!」
「よかったよぉおーーっ!!」
黒い塊はトヨネだった。
でも、どうして…もしかしてここは
「…天国?」
「げ、現実だよ!?死んでないよー!?」
トヨネ曰く、家の近くの川で水を汲んで帰ってきたら、
行き倒れている私を発見したらしい。
慌てて家に連れ込んでみたものの、
一向に目を覚ます気配がなく。
今まで寝ずの番をしていたとの事だった。
「でも、どうしてシロはここがわかったのー?」
「…言っても信じて
もらえないかもしれないけど…」
今度は私が説明する番だった。
トヨネを探して、村中を歩き回った事。
道祖神を見てトヨネを思い浮かべた事。
それと熊倉先生からもらった本の
内容を照らし合わせて、
トヨネが山にいるかもしれないと
推測した事。
全てを聞いたトヨネは、
ほぉっと感嘆の声を漏らした。
「シロ、すごいよー」
「…まあ、さすがにトヨネが
本当に山女だとは思ってないけどね…」
「熊倉先生も、知ってたなら
最初から教えてくれればいいのに…
何でこんな回りくどい事をするかなぁ…」
「……」
「…トヨネ?」
「…ここまで来てくれたシロには、
話しちゃおっかなー…」
「……」
「私ね?実は、本当に…」
「人間じゃ、ないんだー」
ぽつり、ぽつりとトヨネが身の上を明かしていく。
自分は『山女』と呼ばれる化け物である事。
齢を重ねるほどに山との親和性が高くなるため、
山から離れられなくなった事。
だから、必需品を村で調達する時以外は
一人山奥で暮らしている事。
「…本当は、十八になったらすぐ
山に籠る予定だったんだー」
「でも、村の人達と熊倉先生が話し合って」
「最後の思い出作りをさせてくれたんだよー」
「嬉しかったなぁ…」
遠い記憶を垣間見るかのように、
どこか虚ろな目を見せるトヨネ。
「だから、来てくれて嬉しいよー」
「今日は泊まっていってくれるとうれしいな」
なんて言いながらトヨネは笑った。
虚ろな目で、哀しみを湛えながら。
信じられなかった。
あの寂しがり屋のトヨネが、
寂しさに耐えながら、
たった一人山の中で一生暮らす…?
そんな事、見逃せるはずがない。
「…悪いけど、戻る気がなくなった」
「…え?」
「トヨネがここで一人暮らすというのなら…
私もここに住もうと思う」
「えぇ!?で、でもシロ、
シロにはシロの生活があるでしょー!?」
「どうせ留年気味でふらふらしてるし、
養ってくれたら助かるんだよねぇ…」
「シロ、それヒモの発想だよー」
ころころ。
ここに来てようやく、トヨネが本当の意味で笑った。
宮守に居た時は毎日見ていたその笑顔。
それを見て、私は改めて
トヨネの側に寄り添う事を決めた。
自分でも、どうしてここまで
するのかわからないけど。
でも、トヨネが悲しむ姿は見たくないから。
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トヨネとの生活は、まるで昔話の世界に
タイムスリップしたかのようだった。
明るくなったら起きて、
暗くなったら寝る。
食べるものは山で採る。
水は川から汲んでくる。
驚いたのは、それでまったく問題ない事だ。
私は沈む夕陽をトヨネと眺めながら、
ぽそりと一言つぶやいた。
「…いいところだね…」
「一人だと寂しいけどねー」
「でも、今は二人だ」
「うん、だから今は幸せ」
トヨネが浮かべる心からの笑みが、
私に確かな安らぎを与えてくれた。
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とはいえどうしても
文明に頼りたい時もやってくる。
例えば火。いくらなんでも
さすがに木をこすり合わせて
火をつけるのはダル過ぎる。
どうしているのかとトヨネに聞くと、
灯油だけは村に降りて
分けてもらっているとの事だった。
着火自体は火打石だけど。
「あ…灯油切れた…もらってこよう」
その日も油が切れしまったので、
村に降りる事にした。
いつもは顔なじみのトヨネと一緒に
もらいに行くのだけれど、
あいにくトヨネは山菜を採りに行っている。
まあすでに顔見知りになっている事だし
なんとかなるだろう。
しかし私を待ち構えていたのは、
予想だにしない展開だった。
温かく迎えてくれたのは確かだ。
灯油もしっかり分けてくれた。
でも、それで終わりはしなかった。
「悪い事は言わねぇ。早くトヨネから離れるんだ」
「私らも別に憎くてこんな事言うんじゃねぇ。
ちゃんと、ちゃんと意味がある事なんだ」
「あの子は神様なんだ。側に居ちゃいけねぇ」
「手遅れになる前に、早く」
村人は私の顔を見るなり口々にそう言った。
その顔は確かに私を気遣っていて、
心から心配してくれている事が伝わってきた。
「…手遅れになるって、どういう事…ですか?」
「…そいつは言えねぇ。
でも、いずれわかる日が来る。
そうなってからじゃ遅いけどよ」
聞きたい答えは聞けず、ただ警告だけを受けて。
私はもやもやとした気持ちを
抱えながら帰路につく。
手遅れになる。
一体どういう意味だろうか。
わからない。
よくない事が起きるのは確かなのだろう。
私にとってよくない事とはなんだろうか?
私は自然にこう考えた。
…トヨネと離れ離れになるより、悪い事なんてない
その結論にたどり着いた私は、
少し胸がすっきりした。
そうだ、たとえ私に何が起きようと、
トヨネを悲しませるよりひどい事はないはずだ。
家にたどり着いた私は、トヨネがまだ
帰ってきていない事に気づいた。
私はもらってきた灯油を隠し、
一人で村に行った事が
トヨネにばれないように願った。
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それからも私達は一緒に暮らし続けた。
何日も、何日も。
する事なんて、ほとんどなかった。
少しばかりの家事を片付けたら、
二人でぼーっとしたり散歩したりして。
寒さがこたえる季節を迎えてからは、
夜二人でくっついて寝るようになった。
重ねた肌を隔てる布が取り払われるまでに、
そんなに月日は必要なくて。
「シロ…その、い、いいかな……?」
「…いいよ」
やがて私達は、お互いを求めるようになった。
他にする事もないから、
私達は瞬く間に溺れてしまって。
『それ』ばかりに明け暮れて、
一日が過ぎ去る事もしばしばだった。
そしていつしか私達は、
片時でも離れる事を厭うようになっていた。
「シロ…大好き」
「……私も…好きだよ」
その日も一糸まとわぬ姿で、私達は愛を囁く。
トヨネの声が、香りが、体が、全てが。
私を蕩け(とろけ)させていく。
ああ、なんて幸せな世界なんだろう。
このままずっと、この生活が続けばいい。
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ずっと続くと思ってた、幸せな世界
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その希望は、あっさり打ち砕かれる事になる
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それは、知らず知らずのうちに
終わりに向かっていて
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終わりの始まりは、
私の体調の悪化という形であらわれた
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「ごほっ……げふっ…かはっ……」
洗濯から帰ってきて、
食事を作ろうと思ってかまどに
火をくべた時の事だった。
少しばかり火吹竹で息を吹き込んだ拍子に、
なぜか咳が止まらなくなった。
最近はいつもこうだ。体の調子が悪く、
一度咳が始まるとなかなか止まってくれない。
しかもその日は、いつもと勝手が違った。
「かふっっ」
ひときわ激しくせき込んで、
私は前のめりに手をついた。
込みあげてくる何かを押し留める事ができず、
私はそれを吐き出した。
ひとしきり全部吐き出して。
少しだけ楽になった私は、
自分が吐き出したものに目を向ける。
血。
おびただしい量の血が、
床にまき散らされていた。
鮮やかな血で描かれた大輪の花。
さすがの私も、これには強い恐怖を覚えた。
こういうの、なんて言うんだったっけ…
吐血…いや、喀血(かっけつ)?
とにかく、トヨネに見られる前に
さっさと片付けないと。
でも。
「シロ、ただいまー」
ちょうど隠そうとしたその瞬間、
トヨネが森から帰ってきてしまった。
「…シロ!?何それ!!」
見られてしまった。
私の血を目の当たりにしたトヨネは、
みるみる目じりに涙を浮かべ、
がばりと私に覆いかぶさってくる。
「シロッ…大丈夫?シロっ…!」
「大丈夫…多分のどが渇いてる時に
咳をしたから、のどが傷ついただけ…」
我ながら苦しい言い訳だと思った。
もちろんトヨネを納得させる事はできなくて。
トヨネの泣き声はどんどん大きくなっていく。
そして、トヨネは泣きじゃくりながら…
「ごめんねっ、しろっ、ごめんねぇっ…!」
謝罪の言葉を繰り返した。
私はそこに、奇妙な違和感を感じた。
「なんで、トヨネが謝るの……」
「だってっ、だってっ…わたっ、わたし…」
「わたしのっ…せいっ…だ、からっ……」
「わたしのっ…どくがっ…
まわっちゃったんだぁーっ……!」
毒が回る。トヨネは確かにそう言った。
ぐずるトヨネを抱き締めて、
その頭を優しく撫でながらも。
私の脳内には、あの時村人達が
言っていた言葉がぐるぐると渦巻いていた。
『悪い事は言わねぇ。早くあの子から離れるんだ』
『手遅れになる前に、早く』
私はようやく、あの村人達が
私をトヨネから引き離そうとした理由を知った。
もっとも…今更知っても、
手遅れかもしれないけれど。
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つまりはこういう事らしい。
山女は、存在自体が人を傷つけるという事。
ずっと側に居続ければ、
その毒気にあてられて病に伏せり、
やがては死んでしまう事。
だからこそ村人はトヨネを愛しながらも
決して長く近づく事はしなかった事。
「ごめんねっ…わたしっ、
しろにっ、あまえ、てたっ…」
「さみしくて、さみしくて、さみしくてっ」
「死んじゃいたいっ、くらいっ…さみしくて……」
「でもっしねなくてっ」
「狂いそうになってたときに…
しろがきてくれたからっ……」
「すがっちゃったっ……!
しろ、しんじゃうのに……っ」
「ごめんなさいっ……」
トヨネの謝罪が胸を貫く。
私は痛みに呻きながら、トヨネをぎゅぅと抱き締めた。
なんて酷い皮肉だろう。
こんなに純粋で、無垢で、穢れのないトヨネが。
ただ存在するだけで、
愛する人を傷つけるだなんて。
「しろっ…わたしっ、どうしたらいいかなぁ」
「わたしたちっ…どうしたらっ…いいのかなぁ」
「こたえが、でないよ、ううん、だしたくないの」
「ごめん、しろ。えらんでっっ……」
その目に涙を光らせながら、
すがるように私の目を覗き込むトヨネ。
きっと、何度も何度も自問したんだろう。
そして、それでも答えが出なかったんだろう。
トヨネが悩み続けた問い。
そんな難問に対して、私が今すぐに
答えを出せるとは到底思えなかった。
「……ちょいタンマ」
「しろ…たんましてるじかん…ないんだよー…」
「…せめて、今日一日だけでも」
「……うん」
トヨネの物言いに、改めて
自分に残された時間が少ない事を知る。
今後どうしていくべきなのか。
私にしては珍しく、ほおり出さずに
ひたすら悩み続ける事にした。
最初に思い浮かんだのは、
村で療養して、回復したら
戻ってくるという案だった。
でも、これはすぐに却下された。
私の体調不良は病気ではなく
トヨネの毒がたまったもので、
『治る』という類いのものではないらしいから。
トヨネから離れたら多少改善はするだろうけど、
もう完治する事はないし、トヨネの元に戻ったら、
元の木阿弥となるらしい。
悩む、悩む、悩む。
トヨネと離れるのはつらい。
できればごめんこうむりたい。
でも、それで私が死んだらトヨネは一人だ。
トヨネを残して逝くのも忍びない
迷う、迷う、迷う。
どれだけ考えても、
二人一緒に助かる道はないように思えた。
いや、片方だけでも助かる方法はない。
私達は愛し過ぎた。
片方が失われたら、もう片方も。
その後の一生に光が差す事はないだろう。
「…だったらもう、いっそのこと…」
そしてふと浮かんだ、あまりにも破滅的な答え
その解にはどこにも救いはないのに、
でも一度囚われてしまったら、
それ以外の道が考えられなくて。
結局一晩悩みに悩んでも、
それ以上の案を思いつく事ができなかった。
だから私は、そのままトヨネに持ちかける事にした。
そう、その案は…
いっそ、二人で、命を絶つ事
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「…で、どうだろう」
「……」
「…そういえば言ってなかったっけー」
「私、死ねないんだー…」
「…え……」
「実はね…シロが来る前に、一度…
試しちゃってるんだよ…」
「死ねなかった…
体が、勝手に修復されちゃうんだよー」
「……」
「…でも、熊倉先生からもらったあの本では、
山女は確かに死んでた」
「銃で撃たれて」
「もしかして」
「人の手にかかれば、死ねるとしたら…?」
「……っ」
「あ…ありうる、かも……」
「……」
「……トヨネ」
「一緒に死んで欲しい」
「それが一番、ダルくない方法だと思う」
「シロ…本当にいいのー?」
「本当に……いいのー?」
「…私の方が、お願いしてるんだけど…」
「……」
「わたしも…」
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「しろと、いっしょに、しにたいよー」
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トヨネの瞳に涙がたまる。
でも涙とは裏腹に、
その表情には喜色が浮かんでいて。
私はゆっくり頷きながらも、
心は深く沈んでいった。
ああ 私はトヨネに こんな結末しか用意できない
こうして結局、私の案は採用されてしまった。
これが本当に最善なのか、
結論を出す事ができないまま。
私達は手を取り合って、
もう片方の手で包丁を握る。
二人同時に逝きたいからと、
私達はこの手を選んだ。
飛び降りとか、もっといい方法があったかも知れない。
でも自殺は無効らしいから。
確実に私が殺せる方法を選んだ。
「シロ、本当にいいのー…?」
「どうせ、ほっといても死ぬしなぁ…」
「村に降りれば助かるかもしれないよー…?」
「だから、それじゃトヨネが助からないでしょ…」
「そうだね…」
辺りを沈黙が支配する。
トヨネは一度目を背けると。やがて、
震える声で謝罪の言葉を口にした。
「ごめんね、シロ」
「ごめんね」
「…私の方こそ…ごめん」
「こんな、結末しか、用意できなくて」
「ううん…最高だよー…」
「好きな人と
一緒に
逝けるんだから」
そう言ってトヨネは笑った。
吹っ切れたような、諦めたような、さわやかな笑顔。
その笑顔を見て私は思った。
ああそうだ。
最後くらい、ぐちぐち思い悩むのはやめよう。
大丈夫、きっとあの世でまた会える。
「…シロ、今までありがとう」
「私も…今までありがとう」
「……」
「……」
「「じゃぁ…また後で」」
いっせーのーせで貫いた
意外に痛みは感じなかった
感じたのは温もり
お互いの身体から噴き出した赤で
視界が埋め尽くされて
やがて眠る時のように意識が薄れていく
遠のく意識の中、最期に一瞬に映ったのは
涙を溢れさせながらも、
ふわりと微笑むトヨネの笑顔
ああ、よかった
最期にその笑顔が見れて
今まで本当にありがとう
ありがとう
ありがとう
愛してる
…ごめん
そして世界が、黒に染まった
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どれだけ眠っていたんだろう。
私はながい眠りから目を覚ました。
覚ましてしまった。
目に映ったのは、最期に選んだあの場所だった。
つまり、私は死ねなかったんだ。
「…し、しろは……っ!?」
はっと気づいて横を見る。
シロは血の海に沈んでいた。
シロはぴくりとも動かない。
「し……ろ………」
「そっか……」
「わたしだけ…生き残っちゃったんだ…」
絶望が心を支配する。
考えてみれば当たり前だ。
自殺して死ねなかったのに、
どうして誰かの手にかかれば死ねるんだろう。
視界が涙で崩れていく。
それでも私にはやらなくちゃいけない事がある。
「シロを、埋葬しなくちゃ…」
いっそ、シロと一緒に埋まっちゃおうか。
きっとそのうち狂っちゃうだろうけど。
でも、その方が幸せなのかもしれない。
駄目だよ。私はシロを殺したんだ。
幸せになる資格なんてない。
私はシロの亡骸のすぐ横で墓穴を掘り始めた。
遅々として進まない。
だって、嗚咽が止まってくれない。
「……っ」
「ふっ…えっ…」
「しっ…」
「しにたいよぉっ……しなせて……」
「死なせてよぉーーーーーっっ!!!!!」
私は大声で叫びながら、
手に持った包丁で自分の体を引き裂いた。
意識が飛びそうになるほどの激痛。
でもその痛みは…
私を殺してはくれなかった。
●完
卒業を境にトヨネは消えた。
私はトヨネを探し求めて奔走した。
そして辿り着いたのは山。
人など住んでいるとは到底思えない山。
それでも私は踏み込んだ。
もう一度トヨネに会うために。
<登場人物>
姉帯豊音,小瀬川白望,熊倉トシ,臼沢塞,鹿倉胡桃,エイスリン・ウィッシュアート
<症状>
・共依存
・狂気
・絶望
<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・豊音が人間ではないことを知った白望だが、
その後も周囲の反対をものともせず傍に居続けた。
それからしばらくして白望は
原因不明の病に伏して日に日に衰弱していく。
自分の責任だとわかっている豊音は、
これから白望にどうしたいかと問う。
白望から返ってきた返答は...。
※作中である実在の書物に類似する
書物、存在、地名が出てきますが
現実とは一致しません。
本SSでの独自設定なので
あくまでイメージとしてお楽しみください。
※過去最高レベルに重苦しい話となります。
苦手な方は結末を先に確認してから
読んだ方がいいかもしれません。
※作中で二人が取る行動は
現実で絶対に実行しないでください。
※あまりの救いのなさに絶望した人は
前回同様塞を探してください。
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うっそうと茂る草をかき分けながら、
私は山の中を一人歩いていた。
「…ダル…」
季節はもう白秋を過ぎ、
玄冬に差し掛かろうとしている。
にも関わらず、私の額には
びっしょりと汗が浮かんでいて。
粘つく汗を手で拭いながら、
思わず私は弱音を吐いた。
「…ダル過ぎる」
視界に広がるのは一面の緑。
そこには獣道すら存在せず、
自分がどこを歩いているのかすらわからない。
もっとも道があったところで意味はない。
私自身、どこに向かえばいいのか
わかっていないのだから。
でも、この行為自体には意味があった。
そう、それはトヨネに会うため。
卒業のあの日以来、行方不明になった
トヨネを見つけ出すためだった。
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『……これでここともお別れかぁ』
『まさかみんなバラバラになるとはねー』
『…エイちゃんは帰国。
トヨネは村に戻る。
私と塞は都会の大学に出て、
シロだけは居残り』
『ま、変に2〜3人だけ残ってる
とかよりはいいのかもね』
『ハナレテモ、ココロハヒトツ!』
『その通り!宮守女子高校麻雀部は永遠に不滅です!』
『…今まさに幕を閉じるところなんだけど…』
『気持ちの問題だってば。あ、
連絡先交換しとこうよ。
私達はもう下宿先決まってるし』
『はい、これトヨネの分!』
『……』
『…トヨネ?』
『あ、えと、私は村に戻ったら引っ越すと思うんだー。
悪いけどみんなの連絡先だけもらえるかな?
住所が決まったらこっちからお伝えするよー』
『そっか。なるはやでよろしく。
GWくらいには一辺顔を出したいしね』
『了解だよー』
『……』
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違和感には気づいていた。
トヨネの顔が曇っている事も、
返答に何か含みがあった事も。
でも、私はそれを飲み込んでしまった。
卒業を迎えて気持ちが塞いでいるだけだろうと。
深くは追及しなかった。
それは致命的な失敗だった。
4月になり新生活を迎えて。
ゴールデンウィークを過ぎて夏休みが訪れて。
やがて、少し肌寒さを感じる季節になっても、
トヨネからの連絡はこなかった。
「…トヨネから連絡来た?」
「…何も」
「私も来てない!」
「おかしいよね…トヨネの性格だったら
真っ先に連絡してきそうなのに」
「実はまだ住むところが決まってないとか?」
「それでも、トヨネなら
その事を連絡してくるでしょ」
夏休み。実家に戻ってきた塞や胡桃も、
同じような違和感を感じているようだった。
でも、もはや連絡を取る手段はない。
私はここに来てようやく、
あの時感じた違和感が
気のせいではなかったと確信する。
このままほおっておくわけには
いかないと思った。
「…探してみよう」
「賛成だけど…どうやって?」
「熊倉先生に聞いてみる」
私は別の学校に赴任していた熊倉先生に
連絡を取って押し掛けた。
「トヨネの居場所を教えてください」
「…知らないものは知らないんだよ」
「…ありえない。
トヨネを連れてきたはずなのに」
「引っ越したんだよ」
「…だったら元の住所だけでも
教えてください」
「参ったねぇ…」
なぜか熊倉先生はなかなか
口を割ろうとはしなかった。
それ自体が異常だ。
連絡が取れなくなった友達がいる。
それを心配して探そうとする人間に、
ここまで情報を隠す必要とは何なのか。
何か、何かよくない事が起きている気がする。
私はより危機感を募らせ、
なかば掴みかからんばかりに
熊倉先生に食い下がった。
「教えてくれないなら、
一人で村を全部探します」
「馬鹿言うのはおよしよ。
岩手にどれだけ村があるのか
わかって言っているのかい?」
「…私だってそんなダルい事はしたくない。
でも、教えてもらえないなら仕方ない」
「…それでも、教えてもらえませんか」
「……」
熊倉先生は長い、長いため息をつくと…
やがて紙を取り出して、とある住所を書き留める。
記された住所には『遠野市』と書かれていた。
「私が豊音を連れてきた時はここにいたよ。
でも、もう引っ越してるだろうから
ここにはいないだろうねぇ」
「…ありがとうございます。
行ってみる事にします」
私はそのメモを丁寧にしまい込むと、
そのまますぐに立ち去ろうとする。
と、そんな私を熊倉先生が制止した。
「ちょっと待った。あんた、
もしかして今から行くつもりかい?」
「…そのつもりだけど…」
「行く前に、これを先に呼んでおきな」
「…これは…」
「『遠野怪異録?』」
「豊音の村は少し時代錯誤でねぇ。
昔の風習が色濃く残っているんだよ。
よそ者として身を投じるなら、
せめて予備知識くらいは
身につけてからにした方がいいさね」
言いながら、熊倉先生は一冊の本を差し出した。
遠野怪異録…名前は聞いた事があるけれど
読んだ事は一度もない。
ただ、確か明治時代くらいに発行された、
昔の民話や風俗を綴ったものだったはずだ。
この現代において、今でもその風習が
根付いているとは考えにくいのだけれど…
だけど。
「いいね、絶対に読んでおくんだよ」
それでも熊倉先生は、真剣な目で念を押した。
私はなんとなく悟る。
この本を読むか読まないか。
それでトヨネに会えるかどうかが決まる。
根拠はないけど…そんな気がする。
「ダルいけど…頑張ります」
私は今すぐ旅立ちたい気持ちをぐっとこらえて、
まずはこの本を読破する事に決めた。
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数日後、私はトヨネが住んでいたという
遠野市に足を踏み入れていた。
確かに都会と比較したら
長閑(のどか)な雰囲気ではある。
でもそれは宮守でも同じ事だし、
あまり違いはないように感じる。
少なくとも、江戸時代に存在した村と
同列に扱われるほどの田舎ではなかった。
人についてもそうだった。
少なくとも私はよそ者として
毛嫌いされるような事はなかったし、
むしろ温かく迎えてもらえたと思う。
現地の人に拒絶されなかったのは大きい。
この調子なら、意外とすぐに
見つかるかもしれない。
もっとも記された住所に着いたら、
急に暗雲が立ち込めてきたのだけれど。
「……そうくるかぁ……」
熊倉先生が示した住所は更地になっていた。
建物を取り壊して整地したような、
不自然な整然さを感じた。
トヨネがいなくなってから取り壊されたんだろうか。
ちなみにその住所だけではなく、
その周りにも何もなかった。
こちらは最初から使われていなかったらしく、
草木が好き勝手に生えて野っ原になっている。
あるのは更地の横にぽつんと立っている
小さな道祖神だけだ。
「…これはダルい……」
思わず定番の口癖を吐きながら、
道祖神の横に腰掛ける。
どうしたものか。さすがに
いきなり会えるとは思ってなかったけれど、
ここまでノーヒントで
頓挫するとは思っていなかった。
「…まあ、仕方ないか……」
相当ダルいけど、聞き込みをするしかないだろう。
ここから近い家にお邪魔して
トヨネの事を聞いてみよう。
何、あれだけ目立つ外見なのだから、
すぐに知っている人に会えるはずだ。
「よっこらせ…」
私はくたびれた体を無理やり起こしながら、
再び道路を歩き始めた。
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目撃者はすぐに見つかるだろう。
その目論見は正しかった。
でも、そこから先に進めなかった。
「ああ…確かにいたねえ。
でも引っ越しちまったよ」
「どこに行ったのかは知らないねぇ…」
「何も聞いてないんだよ」
姉帯豊音を知らない者はいないのに、
その行き先を知る者が誰もいない。
あまりにも不自然な事だった。
トヨネが嫌われていただとか、
一切の交流を絶っていたというのならまだわかる。
でも、尋ねる人みな一様に、
トヨネに対して好意的な印象を
持っているようだった。
それが余計に違和感を増長する。
ほぼ全ての住人を制覇して、
それでも結局答えは出なくて。
私はまたあの更地に戻ってきた。
「……参ったなぁ…手詰まりだ」
溜息をつきながらまた道祖神の横に座り込む。
思わず道祖神に愚痴りたくなった。
お前が私の行き先を導いてくれればいいのに。
なんて、あまりにも理不尽な要求を突きつけながら、
その道祖神をぼぉっと眺める。
「……あれ……?」
違和感を感じた。よく見たらこの道祖神、
いやに新しい。
しかも、道祖神にしては珍しく
はっきり女性だとわかる形状をしている。
何より…
その髪は長く、少し背が高い。
私は思わず目を見開く。
間違いない、これはトヨネだ。
なんで、こんなものが作られている?
そこで脳裏によぎる、熊倉先生の言葉。
『いいね、絶対に読んでおくんだよ』
脳内の記憶を必死に辿る。
遠野怪異録。
遠野市。
土淵町栃内。
そこに出てきた存在は?
「まさか……」
いくらなんでもありえない。
でも、疑念を拭いきる事ができない。
だって私はその物語を読んだ時、
確かにトヨネを思い浮かべていたのだから。
山女。
遠野市の山に住んでいたとされる物の怪。
背の高く髪の長い女。
もしかしてトヨネは、山にいる……?
「…行こう」
目的地が決まった。いや、目的地というには
あまりにも漠然としすぎた対象。
それでも、行かないわけにはいかなかった。
そして私は、大した装備も持たず
山に踏み込む事になる。
それがどれほど危険な行為か…
考えるだけの思慮深さは、
疲れ果てた私には残されていなかった。
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こうして私は、あてもなく
山の中を歩いている。
自分でも無謀だという事はわかっている。
皮肉にも熊倉先生に宣言した通りになった。
対象が村から山に変わっただけで、
途方もない探し物である事に変わりはなく。
そんな簡単に見つかるわけがなかった。
さらに悪い事に、私はもう限界を迎えていた。
体力の話だけではない。
精神的にも摩耗しきっていた。
そんな私は…帰りの事を考えていなかった。
(…しまった。ここがどこかわからない…)
気づいてみれば遭難していた。
食料も、水も大して持たず。
汗でびっしょり、にもかかわらず着替えもなく。
(…これは下手したら死ぬなぁ…)
急に『それ』が身近な存在となって襲い掛かってくる。
絶望感が全身にのしかかってくる。
それを払いのけられるだけの余力は…
今の私にはなかった。
倦怠感に襲われる。
唐突に視界がぼやけていき、
身体から力が抜けていき…
私はその場に崩れ落ちる。
やがてまぶたを開けている事すら億劫になる。
ああ、これは駄目だ。
どうやら私は、本当にここで終わる。
それなら、せめて…
「死ぬ前に、トヨネに一目会いたかったなぁ…」
無念の言葉を呟きながら、
私は意識を手放した。
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『…え!?シロ!?なんで!?』
『なんでこんなところで倒れてるの!?』
『わわわっ!?すごい熱だよー!?』
『と、とりあえずおうちに運ばなきゃ……!』
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次に私が目を覚ました私が目にしたものは
どこか懐かしい木目の天井だった。
うっすらと目を開けるなり、何か黒い塊が、
がばっと私にのしかかってくる。
「シロ!?シロ!!よかったぁ…!」
「よかったよぉおーーっ!!」
黒い塊はトヨネだった。
でも、どうして…もしかしてここは
「…天国?」
「げ、現実だよ!?死んでないよー!?」
トヨネ曰く、家の近くの川で水を汲んで帰ってきたら、
行き倒れている私を発見したらしい。
慌てて家に連れ込んでみたものの、
一向に目を覚ます気配がなく。
今まで寝ずの番をしていたとの事だった。
「でも、どうしてシロはここがわかったのー?」
「…言っても信じて
もらえないかもしれないけど…」
今度は私が説明する番だった。
トヨネを探して、村中を歩き回った事。
道祖神を見てトヨネを思い浮かべた事。
それと熊倉先生からもらった本の
内容を照らし合わせて、
トヨネが山にいるかもしれないと
推測した事。
全てを聞いたトヨネは、
ほぉっと感嘆の声を漏らした。
「シロ、すごいよー」
「…まあ、さすがにトヨネが
本当に山女だとは思ってないけどね…」
「熊倉先生も、知ってたなら
最初から教えてくれればいいのに…
何でこんな回りくどい事をするかなぁ…」
「……」
「…トヨネ?」
「…ここまで来てくれたシロには、
話しちゃおっかなー…」
「……」
「私ね?実は、本当に…」
「人間じゃ、ないんだー」
ぽつり、ぽつりとトヨネが身の上を明かしていく。
自分は『山女』と呼ばれる化け物である事。
齢を重ねるほどに山との親和性が高くなるため、
山から離れられなくなった事。
だから、必需品を村で調達する時以外は
一人山奥で暮らしている事。
「…本当は、十八になったらすぐ
山に籠る予定だったんだー」
「でも、村の人達と熊倉先生が話し合って」
「最後の思い出作りをさせてくれたんだよー」
「嬉しかったなぁ…」
遠い記憶を垣間見るかのように、
どこか虚ろな目を見せるトヨネ。
「だから、来てくれて嬉しいよー」
「今日は泊まっていってくれるとうれしいな」
なんて言いながらトヨネは笑った。
虚ろな目で、哀しみを湛えながら。
信じられなかった。
あの寂しがり屋のトヨネが、
寂しさに耐えながら、
たった一人山の中で一生暮らす…?
そんな事、見逃せるはずがない。
「…悪いけど、戻る気がなくなった」
「…え?」
「トヨネがここで一人暮らすというのなら…
私もここに住もうと思う」
「えぇ!?で、でもシロ、
シロにはシロの生活があるでしょー!?」
「どうせ留年気味でふらふらしてるし、
養ってくれたら助かるんだよねぇ…」
「シロ、それヒモの発想だよー」
ころころ。
ここに来てようやく、トヨネが本当の意味で笑った。
宮守に居た時は毎日見ていたその笑顔。
それを見て、私は改めて
トヨネの側に寄り添う事を決めた。
自分でも、どうしてここまで
するのかわからないけど。
でも、トヨネが悲しむ姿は見たくないから。
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トヨネとの生活は、まるで昔話の世界に
タイムスリップしたかのようだった。
明るくなったら起きて、
暗くなったら寝る。
食べるものは山で採る。
水は川から汲んでくる。
驚いたのは、それでまったく問題ない事だ。
私は沈む夕陽をトヨネと眺めながら、
ぽそりと一言つぶやいた。
「…いいところだね…」
「一人だと寂しいけどねー」
「でも、今は二人だ」
「うん、だから今は幸せ」
トヨネが浮かべる心からの笑みが、
私に確かな安らぎを与えてくれた。
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とはいえどうしても
文明に頼りたい時もやってくる。
例えば火。いくらなんでも
さすがに木をこすり合わせて
火をつけるのはダル過ぎる。
どうしているのかとトヨネに聞くと、
灯油だけは村に降りて
分けてもらっているとの事だった。
着火自体は火打石だけど。
「あ…灯油切れた…もらってこよう」
その日も油が切れしまったので、
村に降りる事にした。
いつもは顔なじみのトヨネと一緒に
もらいに行くのだけれど、
あいにくトヨネは山菜を採りに行っている。
まあすでに顔見知りになっている事だし
なんとかなるだろう。
しかし私を待ち構えていたのは、
予想だにしない展開だった。
温かく迎えてくれたのは確かだ。
灯油もしっかり分けてくれた。
でも、それで終わりはしなかった。
「悪い事は言わねぇ。早くトヨネから離れるんだ」
「私らも別に憎くてこんな事言うんじゃねぇ。
ちゃんと、ちゃんと意味がある事なんだ」
「あの子は神様なんだ。側に居ちゃいけねぇ」
「手遅れになる前に、早く」
村人は私の顔を見るなり口々にそう言った。
その顔は確かに私を気遣っていて、
心から心配してくれている事が伝わってきた。
「…手遅れになるって、どういう事…ですか?」
「…そいつは言えねぇ。
でも、いずれわかる日が来る。
そうなってからじゃ遅いけどよ」
聞きたい答えは聞けず、ただ警告だけを受けて。
私はもやもやとした気持ちを
抱えながら帰路につく。
手遅れになる。
一体どういう意味だろうか。
わからない。
よくない事が起きるのは確かなのだろう。
私にとってよくない事とはなんだろうか?
私は自然にこう考えた。
…トヨネと離れ離れになるより、悪い事なんてない
その結論にたどり着いた私は、
少し胸がすっきりした。
そうだ、たとえ私に何が起きようと、
トヨネを悲しませるよりひどい事はないはずだ。
家にたどり着いた私は、トヨネがまだ
帰ってきていない事に気づいた。
私はもらってきた灯油を隠し、
一人で村に行った事が
トヨネにばれないように願った。
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--------------------------------------------------------
それからも私達は一緒に暮らし続けた。
何日も、何日も。
する事なんて、ほとんどなかった。
少しばかりの家事を片付けたら、
二人でぼーっとしたり散歩したりして。
寒さがこたえる季節を迎えてからは、
夜二人でくっついて寝るようになった。
重ねた肌を隔てる布が取り払われるまでに、
そんなに月日は必要なくて。
「シロ…その、い、いいかな……?」
「…いいよ」
やがて私達は、お互いを求めるようになった。
他にする事もないから、
私達は瞬く間に溺れてしまって。
『それ』ばかりに明け暮れて、
一日が過ぎ去る事もしばしばだった。
そしていつしか私達は、
片時でも離れる事を厭うようになっていた。
「シロ…大好き」
「……私も…好きだよ」
その日も一糸まとわぬ姿で、私達は愛を囁く。
トヨネの声が、香りが、体が、全てが。
私を蕩け(とろけ)させていく。
ああ、なんて幸せな世界なんだろう。
このままずっと、この生活が続けばいい。
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ずっと続くと思ってた、幸せな世界
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その希望は、あっさり打ち砕かれる事になる
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それは、知らず知らずのうちに
終わりに向かっていて
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終わりの始まりは、
私の体調の悪化という形であらわれた
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「ごほっ……げふっ…かはっ……」
洗濯から帰ってきて、
食事を作ろうと思ってかまどに
火をくべた時の事だった。
少しばかり火吹竹で息を吹き込んだ拍子に、
なぜか咳が止まらなくなった。
最近はいつもこうだ。体の調子が悪く、
一度咳が始まるとなかなか止まってくれない。
しかもその日は、いつもと勝手が違った。
「かふっっ」
ひときわ激しくせき込んで、
私は前のめりに手をついた。
込みあげてくる何かを押し留める事ができず、
私はそれを吐き出した。
ひとしきり全部吐き出して。
少しだけ楽になった私は、
自分が吐き出したものに目を向ける。
血。
おびただしい量の血が、
床にまき散らされていた。
鮮やかな血で描かれた大輪の花。
さすがの私も、これには強い恐怖を覚えた。
こういうの、なんて言うんだったっけ…
吐血…いや、喀血(かっけつ)?
とにかく、トヨネに見られる前に
さっさと片付けないと。
でも。
「シロ、ただいまー」
ちょうど隠そうとしたその瞬間、
トヨネが森から帰ってきてしまった。
「…シロ!?何それ!!」
見られてしまった。
私の血を目の当たりにしたトヨネは、
みるみる目じりに涙を浮かべ、
がばりと私に覆いかぶさってくる。
「シロッ…大丈夫?シロっ…!」
「大丈夫…多分のどが渇いてる時に
咳をしたから、のどが傷ついただけ…」
我ながら苦しい言い訳だと思った。
もちろんトヨネを納得させる事はできなくて。
トヨネの泣き声はどんどん大きくなっていく。
そして、トヨネは泣きじゃくりながら…
「ごめんねっ、しろっ、ごめんねぇっ…!」
謝罪の言葉を繰り返した。
私はそこに、奇妙な違和感を感じた。
「なんで、トヨネが謝るの……」
「だってっ、だってっ…わたっ、わたし…」
「わたしのっ…せいっ…だ、からっ……」
「わたしのっ…どくがっ…
まわっちゃったんだぁーっ……!」
毒が回る。トヨネは確かにそう言った。
ぐずるトヨネを抱き締めて、
その頭を優しく撫でながらも。
私の脳内には、あの時村人達が
言っていた言葉がぐるぐると渦巻いていた。
『悪い事は言わねぇ。早くあの子から離れるんだ』
『手遅れになる前に、早く』
私はようやく、あの村人達が
私をトヨネから引き離そうとした理由を知った。
もっとも…今更知っても、
手遅れかもしれないけれど。
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つまりはこういう事らしい。
山女は、存在自体が人を傷つけるという事。
ずっと側に居続ければ、
その毒気にあてられて病に伏せり、
やがては死んでしまう事。
だからこそ村人はトヨネを愛しながらも
決して長く近づく事はしなかった事。
「ごめんねっ…わたしっ、
しろにっ、あまえ、てたっ…」
「さみしくて、さみしくて、さみしくてっ」
「死んじゃいたいっ、くらいっ…さみしくて……」
「でもっしねなくてっ」
「狂いそうになってたときに…
しろがきてくれたからっ……」
「すがっちゃったっ……!
しろ、しんじゃうのに……っ」
「ごめんなさいっ……」
トヨネの謝罪が胸を貫く。
私は痛みに呻きながら、トヨネをぎゅぅと抱き締めた。
なんて酷い皮肉だろう。
こんなに純粋で、無垢で、穢れのないトヨネが。
ただ存在するだけで、
愛する人を傷つけるだなんて。
「しろっ…わたしっ、どうしたらいいかなぁ」
「わたしたちっ…どうしたらっ…いいのかなぁ」
「こたえが、でないよ、ううん、だしたくないの」
「ごめん、しろ。えらんでっっ……」
その目に涙を光らせながら、
すがるように私の目を覗き込むトヨネ。
きっと、何度も何度も自問したんだろう。
そして、それでも答えが出なかったんだろう。
トヨネが悩み続けた問い。
そんな難問に対して、私が今すぐに
答えを出せるとは到底思えなかった。
「……ちょいタンマ」
「しろ…たんましてるじかん…ないんだよー…」
「…せめて、今日一日だけでも」
「……うん」
トヨネの物言いに、改めて
自分に残された時間が少ない事を知る。
今後どうしていくべきなのか。
私にしては珍しく、ほおり出さずに
ひたすら悩み続ける事にした。
最初に思い浮かんだのは、
村で療養して、回復したら
戻ってくるという案だった。
でも、これはすぐに却下された。
私の体調不良は病気ではなく
トヨネの毒がたまったもので、
『治る』という類いのものではないらしいから。
トヨネから離れたら多少改善はするだろうけど、
もう完治する事はないし、トヨネの元に戻ったら、
元の木阿弥となるらしい。
悩む、悩む、悩む。
トヨネと離れるのはつらい。
できればごめんこうむりたい。
でも、それで私が死んだらトヨネは一人だ。
トヨネを残して逝くのも忍びない
迷う、迷う、迷う。
どれだけ考えても、
二人一緒に助かる道はないように思えた。
いや、片方だけでも助かる方法はない。
私達は愛し過ぎた。
片方が失われたら、もう片方も。
その後の一生に光が差す事はないだろう。
「…だったらもう、いっそのこと…」
そしてふと浮かんだ、あまりにも破滅的な答え
その解にはどこにも救いはないのに、
でも一度囚われてしまったら、
それ以外の道が考えられなくて。
結局一晩悩みに悩んでも、
それ以上の案を思いつく事ができなかった。
だから私は、そのままトヨネに持ちかける事にした。
そう、その案は…
いっそ、二人で、命を絶つ事
--------------------------------------------------------
「…で、どうだろう」
「……」
「…そういえば言ってなかったっけー」
「私、死ねないんだー…」
「…え……」
「実はね…シロが来る前に、一度…
試しちゃってるんだよ…」
「死ねなかった…
体が、勝手に修復されちゃうんだよー」
「……」
「…でも、熊倉先生からもらったあの本では、
山女は確かに死んでた」
「銃で撃たれて」
「もしかして」
「人の手にかかれば、死ねるとしたら…?」
「……っ」
「あ…ありうる、かも……」
「……」
「……トヨネ」
「一緒に死んで欲しい」
「それが一番、ダルくない方法だと思う」
「シロ…本当にいいのー?」
「本当に……いいのー?」
「…私の方が、お願いしてるんだけど…」
「……」
「わたしも…」
--------------------------------------------------------
「しろと、いっしょに、しにたいよー」
--------------------------------------------------------
トヨネの瞳に涙がたまる。
でも涙とは裏腹に、
その表情には喜色が浮かんでいて。
私はゆっくり頷きながらも、
心は深く沈んでいった。
ああ 私はトヨネに こんな結末しか用意できない
こうして結局、私の案は採用されてしまった。
これが本当に最善なのか、
結論を出す事ができないまま。
私達は手を取り合って、
もう片方の手で包丁を握る。
二人同時に逝きたいからと、
私達はこの手を選んだ。
飛び降りとか、もっといい方法があったかも知れない。
でも自殺は無効らしいから。
確実に私が殺せる方法を選んだ。
「シロ、本当にいいのー…?」
「どうせ、ほっといても死ぬしなぁ…」
「村に降りれば助かるかもしれないよー…?」
「だから、それじゃトヨネが助からないでしょ…」
「そうだね…」
辺りを沈黙が支配する。
トヨネは一度目を背けると。やがて、
震える声で謝罪の言葉を口にした。
「ごめんね、シロ」
「ごめんね」
「…私の方こそ…ごめん」
「こんな、結末しか、用意できなくて」
「ううん…最高だよー…」
「好きな人と
一緒に
逝けるんだから」
そう言ってトヨネは笑った。
吹っ切れたような、諦めたような、さわやかな笑顔。
その笑顔を見て私は思った。
ああそうだ。
最後くらい、ぐちぐち思い悩むのはやめよう。
大丈夫、きっとあの世でまた会える。
「…シロ、今までありがとう」
「私も…今までありがとう」
「……」
「……」
「「じゃぁ…また後で」」
いっせーのーせで貫いた
意外に痛みは感じなかった
感じたのは温もり
お互いの身体から噴き出した赤で
視界が埋め尽くされて
やがて眠る時のように意識が薄れていく
遠のく意識の中、最期に一瞬に映ったのは
涙を溢れさせながらも、
ふわりと微笑むトヨネの笑顔
ああ、よかった
最期にその笑顔が見れて
今まで本当にありがとう
ありがとう
ありがとう
愛してる
…ごめん
そして世界が、黒に染まった
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どれだけ眠っていたんだろう。
私はながい眠りから目を覚ました。
覚ましてしまった。
目に映ったのは、最期に選んだあの場所だった。
つまり、私は死ねなかったんだ。
「…し、しろは……っ!?」
はっと気づいて横を見る。
シロは血の海に沈んでいた。
シロはぴくりとも動かない。
「し……ろ………」
「そっか……」
「わたしだけ…生き残っちゃったんだ…」
絶望が心を支配する。
考えてみれば当たり前だ。
自殺して死ねなかったのに、
どうして誰かの手にかかれば死ねるんだろう。
視界が涙で崩れていく。
それでも私にはやらなくちゃいけない事がある。
「シロを、埋葬しなくちゃ…」
いっそ、シロと一緒に埋まっちゃおうか。
きっとそのうち狂っちゃうだろうけど。
でも、その方が幸せなのかもしれない。
駄目だよ。私はシロを殺したんだ。
幸せになる資格なんてない。
私はシロの亡骸のすぐ横で墓穴を掘り始めた。
遅々として進まない。
だって、嗚咽が止まってくれない。
「……っ」
「ふっ…えっ…」
「しっ…」
「しにたいよぉっ……しなせて……」
「死なせてよぉーーーーーっっ!!!!!」
私は大声で叫びながら、
手に持った包丁で自分の体を引き裂いた。
意識が飛びそうになるほどの激痛。
でもその痛みは…
私を殺してはくれなかった。
●完
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永水と新道寺のssは見た事ありますが、宮守とも相性良いはず。
文字通りの生き地獄ですね…。