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【咲-Saki-SS:久咲】久「どうして、こんな結末になったのでしょうね」【シリアス】
<あらすじ>
なし。
<登場人物>
宮永咲,竹井久,原村和,宮永照,その他清澄
<症状>
・異常行動(重度)
・狂気(重度)
・依存(重度)
・洗脳(重度)
<その他>
・あるリクエストに対する作品ですが、
内容は現時点で伏せます。
予想以上に重く、長くなったのでいったん切りました。
久さん視点(続き、真相編)を読みたい方は
コメントで「久さんかわいい!」と
呟いてください。
20以上あったら続き書きます。
※真相編はハッピーエンドの予定です。
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私にとって、部長という存在は。
どこか色あせた私の世界に、
希望を与えてくれた光のようなものでした。
お姉ちゃんとあんな事になってしまって、
復縁する望みも失って。
どこか現実に見切りをつけて、
本の世界に逃げ込んでいた私。
そんな世界から、部長は
私を引き摺り出してくれたんです。
『ねえ宮永さん。もう一度、
麻雀部に来てくれない?』
もちろんそれは、私を救い出す事が
目的ではなかったでしょう。
それでも私は、嫌いだった麻雀を打ち始めて。
『宮永さん。麻雀は勝利を目指すものよ』
『次は勝ってみなさい!』
そして、部長のおかげで麻雀が好きになって。
新たな突破口を見出す事ができたんです。
――麻雀でなら、お姉ちゃんと語り合えるかもしれない
そう気づかせてくれたのは、
部長と和ちゃんだったんです。
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私が入部を決めた後も、部長は
事あるごとに助けてくれました。
それらは、施された当時は気づけない程に
ささやかなものだったけど。
でも、確かに私の中に根付いていたんです。
『どう、宮永さん。ネット麻雀は慣れたかしら?』
『これっ、全然思うようにできませんっ』
『うん。咲がいつも思ってる麻雀と違うのはわかるけど』
『勝ち負けとは関係なくこれはこれで
別のものとして楽しめるようにがんばってみて?』
……
『でも、根詰めてばかりじゃ駄目よ?
温泉にでも入ってリフレッシュしてきなさい』
……
『マホ…嶺上でツモれる気がします』
(え…)
……
部長の特訓、そして気遣いは、
いつもここ一番という場面で
私を支えてくれました。
部長の考えた特訓がなければ、
長野予選を突破する事もなく。
私の夢は、絶望と共に潰えていたでしょう。
もしくは、全国大会の準決勝で。
私は道半ばにして、心が折れて
しまっていたかもしれません。
もちろん、全てが部長のおかげとは言いません。
でも、私が苦難を乗り越える上で、
やっぱり部長の支えは大きかったと思うんです。
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そして、ついに念願叶って。
お姉ちゃんとの絆を取り戻す事ができた時。
『おめでとう…咲』
『貴女は、家族を取り戻す事ができた』
部長はまるで我が事のように、
涙を流して喜んでくれました。
本当に、部長には感謝しても仕切れません。
私の今があるのは、間違いなく部長のおかげなんです。
なのに……
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「なのに、部長が居なくなっちゃったら…」
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「結局、プラマイゼロじゃないですか!」
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『どうして、こんな結末になったのでしょうね』
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季節は晩秋に差し掛かった頃。
いつも部長が使っていた机の上に、
シンプルな置き手紙を見つけました。
宛名も差出人もない手紙。
そこには部長の筆跡で、ただ一言。
『さようなら』
それだけがぽつんと書かれていて。
見る者に、酷く寒々しい印象を与えました。
そして私は、ある事実に気づきます。
この手紙がいつ書かれたのかはわかりませんが…
確かに部長は、数日前から
部室に顔を出していませんでした。
「…まさか」
言いようのない不安に襲われて、
私は部室に部長の痕跡を探し求めます。
でも。
「そ、そんな…嘘だよね?」
どうして気づかなかったのでしょう。
部室からは、部長の私物が
ごっそりと無くなっていました。
ペンやノートといった日用品は全滅。
唯一残されたものと言えば、
竹井図書館と呼ばれる本棚の本くらい。
それが逆に餞(はなむけ)のように思えて、
さらなる不安を助長します。
背筋を一筋の汗が伝いました。
体が独りでに震えてきます。
まさか、部長は、本当に。
「こんにちは」
そんな時、折よく部室に現れた和ちゃん。
私は挨拶も忘れて駆け寄りました。
「の、和ちゃん!これ見て!!」
「手紙ですか…?『さようなら』?」
「部長が出て行っちゃったんだよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください。
その前に、どうしてこれが
竹井先輩の手紙だってわかるんですか?」
「どう見ても部長の字だもん!」
「それにこれだけじゃないんだよ!
筆記用具とか、部長の私物が
ほとんど無くなっちゃってる!」
「部長…居なくなっちゃったんだ!」
「そ、そんなに深い意味はないんじゃないですか?
部活自体は引退してるわけですし」
部長が居なくなる。
その事実に対して、私と他の人とでは
随分温度差があるようでした。
私の剣幕には戸惑いながらも、
部長が居ない事実には
それ程動揺してない和ちゃん。
さらには、いつの間にか入ってきた
染谷先輩も事もなげに言い捨てます。
「ちゅぅか、久の奴は学校にも顔出しとらんぞ?
三年生はもう自由登校じゃけぇの」
「!?し、知らなかった…!」
「これまでずっと麻雀部と学生議会に
付きっ切りじゃったしな。
しばらくは勉強に専念するつもりなんじゃろ」
「むしろ今まで久に頼り過ぎとった。
少しは久自身の時間も作ってやらんと」
「それは…そうかもしれないですけど」
「心配せんでも、そがぁ深く考える必要はなぁで」
「久にとって麻雀部は特別な存在じゃ。
こがぁな手紙一枚で、簡単に縁を
切れるような場所じゃぁないわ」
「そのうち、ひょっこり顔を出すに決まっとる」
「…はい」
染谷先輩に諭された私は、
一見納得したそぶりを見せながらも、
内心気が気ではありませんでした。
二人の言う事が別段おかしい
わけでもありません。
部長が引退したのも事実ですし
受験勉強に専念しなければいけないのも
また事実でしょう。
それでも、私の不安は拭えなくて。
このまま放置していたら、
本当に部長との縁が切れてしまう気がして。
一人でも部長に会いに行こう。
そう、心に決めたんです。
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次の日、家を出た私の足が学校に向かう事はなく。
そのまま真っ直ぐ部長の家に向かっていました。
部長の家には何度かお邪魔した事があります。
お互いに本の虫だったので、
本の貸し借りで交流があったんです。
だから私は知っていました。
部長が一人暮らしをしている事も。
両親に捨てられて、一人ぼっちな事も。
「そんな部長が…あんなふうに、
一方的に別れを告げるなんて」
「何もないはずがないよ」
きっと何かあるはずです。私達と
縁を切らなければいけない何かが。
ひょっとしたら、何か事件に
巻き込まれているのかもしれません。
でも、そんな風に身構えながら
玄関のチャイムを鳴らした私に対して。
「はいはーい」
部長はあっけらかんと顔を出して。
あまりにも普通に私を出迎えました。
「え?どしたの咲。まだ授業中でしょう?」
「あれ…?普通?」
「え、どんな反応を期待してたのよ」
「だって、あんな手紙残しておいて…」
「わお。あれだけで気づいちゃうんだ。
というかどうして私が書いたって思ったの?」
「筆跡が完全に部長の字だったじゃないですか」
「あはは。筆跡とか。
咲、探偵になれるんじゃない?」
「ま、せっかく来てくれたのに玄関で立ち話もなんだから。
とりあえず入って頂戴」
いつも通りの飄々とした態度で私を招き入れる部長。
その様子を見た私は、
正直自分の勘に自信がなくなってきました。
(本当に、染谷先輩の言う通りで。
特に重い理由なんてなかったのかも)
そう考えたら、私の心に
べったりとこびりついてた不安が、
すっとかき消えたような気がして。
私は、人知れず安堵のため息をつきました。
今思えば、私はなんて馬鹿だったんでしょう。
あんな手紙を置いて去った部長が、
普通のはずがないのに。
普通である事がむしろ異常だって、
気づいて然るべきだったのに。
でも、その時の私は気づく事はなく。
私の後ろで玄関の鍵を掛けた部長の顔から、
一切の表情が消えていた事にも、
気づく事はありませんでした。
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「ちょっと待っててね。今お茶用意してくるわ」
私を部屋に招き入れた部長は、
いつものように私だけ部屋に残してその場を去ると。
やがて、コーヒーカップと
幾ばくかの茶菓子を持って戻ってきました。
淹れたてのコーヒーの香ばしい香りが
鼻腔をくすぐります。
「あれ、部長ってコーヒー飲む人でしたっけ」
「いつもはストレートティーだけどね。
お土産でもらったから消費しないとって。
あ、もしかしてコーヒー嫌いだった?」
「いえ。お砂糖とミルクがあれば普通に飲めます」
「そか。でもちょっと珍しいコーヒーだから
びっくりするかもね。
ま、とりあえず飲んでみて?」
促されるままにカップを手に取ると、
まずは一口含みます。
確かに部長の言う通り、そのコーヒーは
普段飲んだ事がないような複雑な味がしました。
「どう?」
「あ、はい…確かにちょっと
珍しい感じの味ですけど…美味しいですよ?」
「それならよかった」
私の返事に部長は満足そうに頷くと、
自分も口をつけました。
「…それで。なんであんな手紙を書いたんですか?」
「珍しくぐいぐい来るわね。
そんなに気になっちゃった?」
「…手紙だけじゃないです。
実際部室にも来ないし…」
「本当に、さよならするつもりだったんですか?」
私の問い詰めるような口調に、
部長は口をつぐみます。
和気あいあいとした雰囲気が一転、
重苦しい沈黙が周囲を支配しました。
その沈黙が耐え難くて。
私は場を取り繕うように、
コーヒーを一口喉に流し込みました。
「…実は、ちょっと試してみたかったの」
「何をですか?」
「あれを見て、咲はどう思うかなって」
「…すごくショックでしたけど」
「あはは、ごめんごめん。でね?
ショックを受けた後どうするのか
知りたかったのよ」
「…というと?」
「ショックを受けて、でもそれで、
私達の縁はおしまいだって諦めるかもしれない」
「または、いつもの悪戯か何かだろうって
気楽にとらえて終わるかもしれない」
「でも、もしかしたら…」
「不安で仕方なくなって、
家まで押しかけてくるかもしれない」
「それを確かめてみたかったの」
部長はニコニコと笑みを見せながら、
再びコーヒーカップを傾けます。
その様子には、どこか、少しだけ。
本当に少しだけですけど、
不穏な雰囲気が漂っている気がしました。
ひんやりと、末端から少しずつ凍えていくような。
そんな奇妙な感覚に囚われながら、
私は質問を続けます。
「…私の取った行動は…部長にとって
嬉しい行動だったんですか?」
「ええ。考えうる中で一番嬉しい行動よ。
まさか平日にいきなり来るとは
思ってなかったけど」
「…だったら…考え直してくれますか?」
「ふふ。そうね。少なくとも、
さよならは撤回するわ」
「じゃ、じゃぁ…今まで通り部室に…
顔を…出してくれるんですね!」
「……」
「ぶ…部長?」
「部室にはもう行かないわ。行く必要がないもの」
「え…?で、でも…部室に来ないと…
会えません…よね……?」
部長の真意が理解できませんでした。
私達は学年も違うから、
会う場所なんて部室くらいのはずなのに。
部長は一体何が言いたいんだろう。
ああ、考えてもよくわからない。
なんだか頭がくらくらしてきました。
頭に靄がかかったように、
思考まで凍てつき始めています。
「行かなくても会えるのよ。
ううん。これからは、
そもそも離れる心配がないの」
「離れる…心配……ない……?」
「そう」
部長が私に寄り添ってきます。
顔が少しずつ近づいてきます。
私はそれをぼんやりと木偶のように眺めるだけ。
(…部長、まつげ長いなぁ…綺麗…)
(って、顔近い…!)
気がつけば、部長の顔はもう目と鼻の先でした。
ようやく私は我に返って、少し距離を取ろうとします。
(あれ…?からだ……)
でも、体はふにゃふにゃして、
うまく動いてくれません。
そもそも頭がぼんやりして、
体に命令を出す事ができなくて。
結局、私はさしたる抵抗もできないまま。
部長の腕の中に、すっぽりと包み込まれてしまいました。
「…そう。これからは、ずっと二人で居られるの」
「…ずっと……ふた……り……?」
「…いや?」
部長の瞳が、私を至近距離で覗き込んできます。
私は回らない頭を必死に回転させながら、
部長の問い掛けに答えようとしました。
「いやじゃ……ない……です」
なんとかそれだけ答えると、
部長は蕩けるような笑顔になって。
私の頭を、優しく、優しく撫でてくれました。
掌から伝わる温かさが、
私の意識を一気に奪い去っていきます。
心地よい闇の中に、思考が落ち込んでいきます。
そして、私はそのまま……
「おやすみなさい、咲」
部長に全てを委ねたまま、
意識を手放してしまったんです。
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竹井先輩に続いて、咲さんまでが
学校に来なくなりました。
三年生で自由登校の竹井先輩はともかく、
咲さんの不登校は明らかに異常なはずで。
なのに、咲さんの不登校が問題になる事はなく。
日常は二人を置き去りにして、
平然と時を刻んでいくのです。
残念ながら、その異常さに気づいているのは
私だけのようでした。
「咲さん…一体どうしたんでしょうか」
「先生は遠方の家族に会うために
旅行中だって言ってたじょ?」
「そんな話があるなら、私達に
一言あってもいいと思いませんか?」
「急に決まった事かも知れんじゃろ」
「急だったら余計にです。咲さんだって
竹井先輩が急に来なくなった時に、
すごく動転してたじゃないですか」
「なのに、その咲さんまで消えてもう一週間。
何の連絡もないなんて考えられません」
「か、考え過ぎだじょ?」
この非常事態においても、ゆーきと染谷先輩は
腰を上げようとしはしませんでした。
もっとも、それを責める事は酷なのかもしれません。
私だって、咲さんが竹井先輩の事を案じた時に
同じ事をしたのですから。
「…咲さんも、あの時こんな気持ち
だったんでしょうか」
我ながら、らしくないとは思います。
状況だけを見れば、そこまで
心配する必要はないのも事実です。
それでも、確信に近い直感がありました。
これは家庭の事情なんかじゃない。
そう、きっと…
咲さんは、何かの事件に巻き込まれている
誰も動かないなら、私が動く必要があるでしょう。
まずは咲さんの家。そして、その次は…竹井先輩の家。
「…用事を思い出したので、今日はもう失礼します」
善は急げ。私は足早に部室を去ると、
そのままの足で咲さんの自宅に向かいました。
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結論を先に言ってしまえば、
咲さんに会う事はできませんでした。
最初に向かった宮永家。
何度呼び鈴を鳴らしても、
時間を変えて出直しても。
応答が返ってくる事はありませんでした。
家族旅行に行っているのなら、
むしろ誰かいたらおかしいわけで。
むしろこの留守は、事実を裏付ける
嬉しい証拠だったとも言えるでしょう。
少しだけ安心した私でしたが、
それでも念のため、竹井先輩の家にも向かいました。
こちらは出迎えてくれたものの、
何も知らないようでした。
「ありゃ?和がうちを訪ねるなんて、
珍しい事もあるものね。
私が恋しくなっちゃった?」
「…事件が発生してるんです。
咲さんが姿を消しました。
もう一週間以上学校に来ていません」
万が一の可能性を考えて、
敢えて『事件』と呼びました。
でも、それを受けた竹井先輩の反応は、
ごく自然なものでした。
「はぁ!?が、学校はなんて言ってるの!?
や、その前に警察は何してるの!?
そんな大事ならニュースとかになるでしょ!」
「…先生が言うには、家族旅行に行っていると…」
「……は?どういう事?」
「その…だから。遠方の家族に会うために
お休みを取っていると言っていました」
「…えーと。それのどこが事件なの?」
「咲さんが姿を消すにあたって、
何の連絡もありませんでした」
「…それだけ?」
「それは…それだけ、ですけど……」
「うん、和。考え過ぎだわ」
学校に連絡済み。その情報を聞いた途端、
竹井先輩はほっと胸を撫で下ろし。
一気に弛緩した態度に変わります。
「でも…!」
「でもも何もないわよ。
急に決まったってだけじゃない?
聞く限りだと、事件性なんて何もないわよ」
「私達に何の連絡もなく、
一週間も留守にしますか?」
「まぁちょっとレアケースだとは思うけど。
咲は携帯持ってないんだし仕方ないんじゃない?
そもそも、音信不通って言うなら
私だってそうだったんだけど?」
「…それは」
「ま、私が居なくなった上に咲まで不在となれば、
寂しくなる気持ちもわかるけどねー♪」
言われてみれば確かにそうです。
竹井先輩が姿を消して、
咲さんは酷く狼狽していました。
でも、竹井先輩は問題なく家に居たわけです。
今の私はあの時の咲さんと同じ。
急に姿を消したから、根拠のない不安に襲われて
混乱しているだけなのでしょう。
(…結局、私の一人相撲だったという事でしょうか…)
そんな私の心境を正確に読み取ったのか。
竹井先輩が助け舟を出してきます。
「はい、じゃぁこの話はもうおしまい。
なんならあがってく?
お茶くらいは出すわよ?」
「…いえ、いいです。家に帰って、
少し頭を冷やす事にします」
「あら残念」
私は誘いを断りました。
あれ程感じていた危機感を、
何て事ないように一蹴されて。
呆れたように苦笑する竹井先輩を見て、
流石に気恥ずかしくなったんです。
挨拶もそこそこに、
私は立ち去る事にしました。
「失礼しました。受験勉強頑張ってください」
「…ふふ、ありがと。和も元気でね?」
今思えば、この時が最後の分岐点だったのでしょう。
いいえ、もしかしたら既に
手遅れだったかもしれませんけれど。
もしこの時、部長の誘いを受けて、
お部屋にあがっていたとしたら。
結末は、違うものになっていたのでしょうか。
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目を覚ました時、私の首には
大きな首輪が嵌められていました。
首輪の鎖は、部屋のパイプベッドに回されていて。
鍵を外さないと出られない事は
すぐに理解できました。
つまり、私は監禁されていたんです。
それでも、私が恐怖で叫び出さなかったのは。
目の前で部長が微笑んでいたからでした。
そう。部長は笑みを浮かべていました。
それも、私を慈しむように。心の底から愛でる様に。
その様にほの暗い狂気を感じて、
私の本能が叫ぶ事をとめたのです。
――刺激してはいけない
私は努めて冷静に、感情を押し殺して
部長に問い掛けました。
「…これ、なんですか?」
「見ての通り、首輪だけど」
「…どうして?」
「そりゃ、貴女を監禁するために決まってるでしょ」
「…どうして監禁するんですか?」
「それを答えたら、貴女は大人しく
捕まっていてくれるのかしら?」
「…理由によります」
「そ。じゃ、言わないわ」
「どうして!」
「打算で答えを出してほしくないの。さ、答えて?」
「何の理由もわからず私に監禁されても、
それでも私を受け入れてくれるのか」
「それとも…私を拒絶するのか」
私は押し黙るしかありませんでした。
理由はわからないけれど。今の部長が
狂っているのは間違いありません。
どう答えるのが正解なのか。
掴みきれなかった結果、
私は沈黙を選択するしかなかったんです。
「あ、ちなみにここで拒絶されたら、
ちゃんと貴女を開放するわ。
もちろん、何も危害も加えずにね」
「な、なら」
「そして、そのまま貴女の前から姿を消す。
もう、一生会う事はないでしょうね」
「……っ!?」
何もかもが無茶苦茶でした。
いきなり監禁されて、その理由も教えてくれなくて。
拒絶するなら、大切な人を失ってしまう。
そんな事を言われて、
私に選択肢はあったでしょうか。
「…そんなの…ないじゃないですか」
「ん?」
「部長を…受け入れるしか。
ないじゃないですか」
「いやいや、そんな事ないでしょ。
私を拒絶して自由を手に入れたっていいのよ?」
「…できるわけないじゃないですか」
「ねえ咲。言っとくけど、私は本気なのよ?
心変わりなんてしない。
貴女が私を拒絶しないなら、
私は一生貴女を監禁し続ける」
「貴女は一生をふいにする事になる。
それでも、貴女は私を受け入れるの?」
「……」
私は即答する事ができず、
静寂が再び部屋を支配しました。
私にとって、部長はかけがえのない存在で。
希望を失った私に、道を標してくれた新たな希望。
でも、部長を受け入れてしまったら。
私はせっかく手に入れた幸せを、
一つ手放す事になるのです。
「……」
「ま、今すぐ答えを出さなくてもいいわ。
とりあえずしばらくはお試し期間って事で」
「そうね。二日経ったらまた聞きましょうか。
その時には答えを聞かせて頂戴」
「…部長の方は、何も教えてくれないんですか」
「貴女が私を受け入れてくれるなら、
その時には教えるわ」
結局、その場で出た結論は『保留』。
こうして、部長と私の奇妙な監禁生活が幕を開けたんです。
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不可思議な状況が続きました。
私を拘束するものといえば、
首輪に繋がるチェーンだけ。
でも、そのチェーンは部屋中を歩き回るのに
十分な長さが確保されていました。
つまり、部屋の中ならどこにでも
行くことができる事になります。
行動も特に制限されませんでした。
例えば私が、部長の携帯電話に手を伸ばしたとしても。
部長は一切止めようとはしませんでした。
さらに言えば、お手洗いとかお風呂とか。
チェーンが邪魔になる時は、普通に外してもらえます。
果たしてこれは、監禁と呼べるのでしょうか。
そんな奇妙な状況の中、部長が私にした事と言えば。
三度の食事と、おやつを用意する事。
そして、それ以外は…
私を抱き締める事だけでした。
「…部長。何がしたいんですか」
「したい事なら今してるけど?」
「…何のために」
「答える気はないわ。知りたいなら、
自分で見つけ出しなさい」
何を問うても、どんなに説明を求めても。
部長は、何一つ明確な答えはくれません。
時間だけが経っていきます。
決断の日が近づいてきます。
(…どうすればいいんだろう)
少しずつ、私は追い詰められていきました。
焦りで心が摩耗して、摩耗は
正常な思考力を奪っていきます。
部長か、未来か。
どちらか一方しか選べない。
私が後者を選んだら。
今、私を包み込むこの温もりを、一生失う事になる。
頭を撫でる優しさも、聞いてるだけで安心できるその声も。
全部、全部失う事になる。
部長に釣り合う程の未来を、
私は手にする事ができるのでしょうか。
部長と交わらない未来に、
どれ程価値があるのでしょうか。
(わからないよ。なんでどっちかを
選ばなきゃいけないの?)
考えるのが嫌になって、部長の胸に顔をうずめます。
部長は何も言わずに私の頭を抱き寄せてくれました。
それがまた、酷く心地よくて。
私は思考を放棄して、問題を先延ばしにするんです。
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「さぁ、咲。答えを聞かせてもらいましょうか」
「…その。どうしてもどちらかを
選ばないといけないんですか?」
「…そうね。じゃあ、もう一つだけ
選択肢を増やしてあげる」
「っ、なんですか!?」
「保留」
「…え?」
「だから保留よ。また答えを先延ばしするの。
そうね。今度は三日後にしましょうか」
「…さ、どうする?」
「……わ、私は…」
「私は?」
「……」
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結局私が選んだのは、またも保留する事でした。
だって、選べるはずがないんです。
どっちを選んでも、私は大切なものを失ってしまう。
なんて事を愚痴ったら、部長はまるで呆れたように、
くすくす声で笑うんです。
「ねえ、咲。気づいてる?そんな事言ったって、
貴女はもう半分以上答えを出しちゃってるのよ?」
「…どういう事ですか」
「どっちも選べないから、保留。
ま、確かにそれって楽よね」
「でもさ…そうやって、
保留、保留を繰り返していく間にも…
貴女の未来は刻一刻と私に奪われてるじゃない」
「つまり、貴女はもう、
消極的に受け入れているのよ」
「私の事を…ね?」
いつものように唇を釣り上げながら、
私の目を見据える部長。
その酷く熱っぽい目は、私の大切な何かを、
ちりちりと少しずつ灼いていきます。
「私は、それが心底嬉しいの」
そう言うと、部長は私を抱き寄せて。
背に渡した指で、
私の肌をゆっくりとなぞります。
ぞくぞくと背を伝わる背徳感に身をよじりながら、
私は上目遣いで視線を返しました。
「ぶ、部長は…私の事が好きなんですか?」
「あはは。随分今更な質問ね、それ」
「好きに決まってるでしょ。
私は、貴女の事が好き」
「貴女と二人で生きていけるなら、
私は他の未来なんて要らない」
なおも真っ直ぐと私を見据えながら。
息遣いすら感じる程の至近距離で、
部長は愛を囁きます。
「…部長」
部長の熱が、少しずつ奥まで浸透してきます。
お腹の奥の方がずんと熱くなって。
思考が痺れて蕩けていきます。
何もかも放棄して、流されたくなってきます。
と、部長は一転して自嘲するかのように
私から目をそらして笑いました。
「もっとも、そもそも私には…
『他の未来』なんてないけどね?」
場違いに冷たい声でした。でも、だからこそ、
それはついこぼれ出た本音のようで。
でも私は、その言葉に妙な違和感を覚えました。
だって、部長はいつも人に囲まれている人気者で。
頭もいいし、全国大会でも大活躍でした。
そんな非の打ちどころのない部長は、
未来なんて選びたい放題のはずで。
むしろ、部長が持っていない物の方が少な…
そこまで考えた時。はっと息を呑みました。
(あった…あったよ!部長に無いもの。一つだけ)
部長が欲しがっている物が分かった気がしました。
同時に、どうして部長がこんな事をしているのかも。
部長が、ずっと欲しがっていただろうもの。
そして、まだ手に入れていないもの。
私が部長を受け入れれば手に入るもの。
一つだけ心当たりがあります。
そう、それは……
――家族。
一人ぼっちの生活を、
温かいものに変えてくれる存在。
その答えに辿り着いた時。
私はもう、部長を拒絶する事は
考えられませんでした。
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「…部長。私、決めました」
「…あら。ずっと保留しててくれてもよかったのに」
「部長の事、受け入れます」
「ありゃ。どういう心境の変化?」
「…心変わりしたわけじゃありません。
ただ、決断しただけです」
「そか…ありがと。でも、そうなると今度は、
貴女の決意が本物なのか試す必要があるわね」
「…私、本気です」
「前に言ったでしょ?保留する事と、
私を受け入れる事は大差がないって」
「口だけなら何とでも言えるのよ。
とりあえずは従っておいて、私の心変わりを待つ。
それだって保留でしょう?」
「…そんな!私はそんな打算で決めたわけじゃ…!」
「ふふ、そんなに詰め寄らないで?
その決意が本当なら、凄く簡単な試験だから」
「ほら、これを受け取って頂戴」
「これは…お姉ちゃんと、私の写真…?」
「そ。貴女達が仲直りした時の写真よ。
仲睦まじい事で何よりね?」
「…これが、どうしたんですか?」
「破って」
「…はい?」
「だから、お姉さんの部分だけ破って?
ビリビリに千切って、火で燃やし尽くして灰にして?」
「貴女の中にいる、お姉さんを殺して?
できるでしょ?私以外を捨てる決意があるのなら」
「そ…れは……」
「……」
「ほらやっぱり。ねえ咲。
結局、貴女はまだ保留してるのよ」
「……ごめんなさい」
「…じゃ、今回も保留って事で。
次は、四日後に返事を聞くわね?」
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予想だにしていなかった。
でも、予想して然るべきだった。
部長が欲しいものが、家族だったとして。
それが『普通の家族』なら、
私を監禁する必要なんてないんだから。
部長が欲しいのは、そんな簡単な家族じゃない。
きっと世界で、たった一人だけの。
何があっても、自分のそばから離れていかない家族。
何をおいても、どんな存在よりも、
自分を優先してくれる家族。
部長が求める家族っていうのは、
きっと、そんな存在なんだろう。
だから…私にとって、今一番大切な家族を
自分の手で殺させようとしてるんだ。
「でも…どうして……?」
だって、そもそもお姉ちゃんと
仲直りできたのは部長のおかげで。
部長が支えてくれたからこそ、
私はお姉ちゃんとやり直せたのに。
「なのに、どうして……?」
ぐるぐると思考が回る。
解決の糸口を見いだせないまま、
ただぐるぐると回っていく。
そんな私を見かねたのか、
部長はそっと囁きかけてきた。
「…そういえば、一つ約束してたわね」
「…?」
「貴女が私を受け入れてくれたら、
どうしてこんな事をしたのか教えてあげるって」
「ま、現状まだ保留なわけだけど。
おまけで少しだけ教えてあげるわ」
「…はい」
正直に言ってしまえば、私はその囁きに
大した関心を示せなかった。
だって、私はもう答えに辿りついている。
今更それを聞いても、答え合わせくらいの意味しかない。
そう思っていたのに。
部長が教えてくれた『答え』は、
私の予想から大きく逸脱していた。
「私が貴女を監禁しようと決意した理由。
それって、実はすごく単純なのよ?」
「そう。すっごいシンプルな答え…それは」
「貴女が、私を捨てて逃げようとしたから」
あまりに予想外の解答に、私は戸惑い狼狽する。
部長は寂しそうに微笑みながら、
私を腕の中に閉じ込めた。
そう、絶対に逃がさないとばかりに。
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嫌な予感は当たっていました。
やっぱり事件は起きていたのです。
咲さんが遠方の家族に会いに行く。
だとすれば誰に会いに行くのか。
状況的にはお姉さん一択でしょう。
もし私の心配が杞憂なら、
咲さんはお姉さんのところに居るはずです。
(…やっぱり、念のため確認したい)
少しやり過ぎだとはわかっています。
でも、大切な人の安否が懸かっている以上、
疑念は完全に払拭したかったんです。
だから、あくまで念のため。本当に念のためですが、
私は白糸台高校に連絡を入れました。
麻雀部経由で咲さんのお姉さんに
取り次いでもらったんです。
『…咲が長期旅行?』
「はい。学校には、遠方の家族に会いに行くと
連絡があったそうです」
『それはおかしい。少なくとも
私達のところには来ていない』
「…!他に、思い当たる行先はありますか!?」
『ない』
全身から一気に汗が噴き出しました。
だとしたら、咲さんは、一体、どこへ。
『…学校は、その連絡を信用しているんだよね』
「は、はい」
『だとしたら、連絡を入れたのは当然
宮永家の人物という事になる』
『学校が信用した以上、お父さんの可能性が高いけど。
少なくとも咲が無関係とは考えにくい』
「…そうですね」
『…思い当たる節はない?もし旅行が嘘だとして、
咲がそんな嘘をついてまで庇う可能性がある人物』
『もしくは、咲が行方不明になる前に
気に掛けていた…もしくは交流があった人物』
『それでいて…お父さんにすら、
信頼するに足ると判断される可能性がある人物』
『…そんな人はいなかった?』
「……っ!」
私は思わず絶句しました。
なぜなら一人だけ居たのです。
照さんが並べた複数の条件。
それを、完全に満たしている人物が一人だけ。
考える間でもありません。
その人物の名前は……
「…竹井久。ご存じだとは思いますけど、
清澄高校麻雀部の元部長です」
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『私が部長を捨てて逃げようとした』
私には、その言葉の意味が
まるで理解できなかった。
だって私は逃げるどころか、
部長を追いかけてここまで来たのに。
むしろ、逃げたのは部長の方だ。
(でも…あの時の部長。とても
冗談を言っているようには見えなかった)
まるで、捨てられた子犬のような、
恐怖と悲しみに揺らいだ目。
あれは間違いなく、部長の本心だったと思う。
――でも違うよ 私、部長の事を捨てようなんて思ってない
――そんな事考えもしなかったんだよ
――どうしたらわかってもらえるの?
――そんなの決まってる
――お姉ちゃんを…捨てるしかない
理由はよくわからないけれど、
部長はお姉ちゃんを憎んでる。
だから、私の中から
お姉ちゃんを消そうとしてる。
部長の思いに応えたいなら、
私はお姉ちゃんを捨てないといけない。
――でも…できるの?お姉ちゃんを捨てるなんて
だって、それをしちゃったら。
私は一体、何のために今まで頑張ってきたの?
ぐるぐる、ぐるぐる。
まただ。また、思考が堂々巡りする。
何の答えも出せないまま、
心だけがくたくたになっていく。
「…お姉ちゃん」
私は写真を取り出した。
笑顔のお姉ちゃんが映っている。
その横で、私は目に涙を光らせながら笑っている。
夢にまで見た光景。何度も何度も夢に見て。
ようやく辿りついた景色。
――それを…自分から、捨てる?
できるわけがない。でも、やらないと
部長が私を信じてくれない。
でも、でも、でも。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
心が弱っていく。思考が壊れていく。
だから私は気づけなかった。
自分の思考が、とっくに手遅れになっている事に。
だって私は結局のところ、
お姉ちゃんを捨てられるかどうかしか考えてない。
部長の方を見限る事は、
これっぽっちも考えていないのだから。
私は今も、部長の腕の中にいる。
まるで動かない紙のお姉ちゃんに対して、
生身の部長に抱かれている。
それも、幾度となく愛を囁かれながら。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐるを繰り返しながら、
それでも比率は傾いていく。
少しずつ、部長の方に傾いていく。
そんな時だった。
部長が、私に囁いてきたのは。
「ねえ咲。私は言ったわよね」
「…?」
「保留を続けても、決断しても。
貴女の心にお姉さんがいるなら、
それは大して変わりがないって」
「…はい」
「だったらね?こう考える事もできないかしら」
「無理に私に答えを見せる必要はないの」
「写真を破る。うん、それをしてくれるなら、
もちろんその方が嬉しい」
「でも、ただほんの一時。
ここに居てくれる間だけでも、
お姉さんの事を忘れてくれるなら」
「忘れて、私だけを見て保留を続けてくれるなら…」
「それはそれで、私は救われるの」
「どうかしら?」
私の手から写真を抜き取って、部長が私を覗き込む。
その目は、あの時と同じように。
縋るような、瀬戸際の目をしていた。
そして、その目が私を狂わせる。
――そうだよ どうせ、ここにいる以上
お姉ちゃんには会えないんだ
――だったら、今ここにいる部長を
私に助けを求めてる部長を
優先して何がいけないの
――保留でいいんだ ここにいる間だけ
――部長の事だけ考えよう
そして、私は最後の最後。
踏み越えてはいけない境界を越えてしまった。
「…わかりました。今だけは。
少なくともこの家にいる間は」
「私は、部長の事だけを考えます」
「…咲っ!!」
不安に彩られていた部長の目が見開かれる。
そして次の刹那、その目に涙が溢れていく。
涙は後から後から注がれて、
部長の頬を濡らしていった。
「…ありがと……本当に…ありがと」
肩を大きく震わせながら、
部長は嗚咽を繰り返す。
その姿を前にして、私は自分の選択が
間違っていなかった事を確信した。
――そうだよ 部長は今まで、
ずっと私の事を支えてくれた
――今も、私の事を誰よりも強く求めてくれてる
――きっと、お姉ちゃんよりも
それは私の心の天秤が、
大きく、大きく傾いた瞬間だった。
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--------------------------------------------------------
頭を抱えて泣きたくなった。
どうして咲は、こうも
数奇な運命に翻弄されるのか。
『咲さんが消える数日前から、
竹井先輩も学校に来なくなっていたんです』
『咲さんはすごく心配してました。
もっとも、竹井先輩は
自由登校で登校してなかっただけで、
普通に家に居ましたけど』
『咲さんが居なくなったのは、
その話をした次の日からです』
原村さんの話を聞いて私は確信した。
咲はほぼ間違いなく、
竹井さんの家に監禁されているだろう。
しかも、自ら抵抗する事なく。
「…竹井、さん」
思えばあの人は異質だった。
咲とは出会って数か月。
関係を深めるには月日が短すぎる。
なのに、あの人はまるで命すら懸けているかのように。
死の物狂いで私達の仲を取り持とうとしてきた。
まあ、そのおかげで私達は復縁できたのだから、
感謝すべきなのは間違いない。
それでも、私達が関係を取り戻す様を見て。
まるで自分が救われたかのように、
大粒の涙を流すその姿は、
どこか底知れない異質さを感じさせた。
「…分からない。何を考えているの?」
私達の復縁に、そこまで砕身しておきながら。
なぜ今になって咲を閉じ込めるのか。
いや、そもそも本当に閉じ込めているのだろうか。
それすらもわからない。
また咲が何かの事件に巻き込まれていて、
彼女は咲を救っているだけの可能性もある。
「…分からない事が多過ぎる」
分からない以上、直接彼女に
聞いてみるほかないだろう。
だから私はチャイムを鳴らす。
咲を閉じ込めて…もしくは
匿っている竹井さんと会話をするために。
『…どなた?』
数回のチャイムの後に、インターホンから聞こえた声。
その声は、猜疑に満ちて震えていた。
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--------------------------------------------------------
玄関のチャイムが鳴った
その音に、部長は酷く慄いていた
無理もないと思う
だって、表向きだけなら、
部長は私を監禁しているんだから
インターホン越しに部長が話している
随分と長引いているみたいだった
警察かな ううん、でも大丈夫だよ
私は部長をかばうから
家出していた私を部長が助けて
私が無理を言って
居候させてもらってる事にするから
心の中で下準備をする
でもその準備は無駄になった
だって、来たのは警察じゃなかったから
部長が観念したように、玄関の扉をゆっくり開ける
眩い日の光と共に、そこから姿を見せたのは…
「お…ねぇ…ちゃん…!」
そう、私のお姉ちゃんだった
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部長がわたしを見ている
今にも泣き出しそうな目でわたしを見ている
大丈夫だよ
何度も、何度も破いて見せたでしょ?
今はもう、保留じゃないよ
わたしは、心から部長が好き
お姉ちゃんよりも、部長が好き
だから
お姉ちゃんが部長を苦しめるなら
わたしは たとえ
お姉ちゃんだろうと
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ころせるよ?
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何が起きたのかわからなかった。
私はただ対話を求めただけ。
彼女を糾弾するつもりもなく、
ただ四人で話し合いたいと伝えただけだった。
竹井さんはインターホンの先で
深い、深いため息をつく。
そしてしばしの空白の後、
やがてその扉を開いた。
「…咲」
扉の先には咲が居た。
監禁なんてとんでもない。
咲を縛る枷は何一つなく、
自由に動き回れる状態だった。
でもそれは体だけだ。
心が歪んで狂っているのは一目でわかった。
(咲…なんて、なんて目をしているの)
その目は狂気に満ちていた。
どろりと濁って、
一切の光を通さず黒に沈んでいた。
「お…ねぇ…ちゃん…!」
私を見た刹那、咲は驚くように目を見張る。
次に隣の竹井さんに視線を移す。
そして、隣で震える竹井さんを見て、
なぜか慈しむような笑みを見せると。
咲はどこかに姿を消して。またすぐに姿を現した。
――その右手に、ぎらりと光る包丁を握って。
「見てて!部長!!」
弾かれたように咲が駆ける。
あまりに予想外の展開に、私は一歩も動くことができず、
その身を悪戯に硬直させる。
「殺せるよ!私!お姉ちゃんだって殺せる!!」
咲が、包丁が、スローモーションのように近づいてくる
なのに私は避ける事ができない
瞬間、私は思わず目を瞑る
そして、目を開けた次の瞬間には…
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お腹から、血を流した竹井さんが転がっていた
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--------------------------------------------------------
なにが起きたのか わからなかった
だって わたしは ぶちょうを 守るために
おねえちゃんよりも
ぶちょうのことが 好きだって つたえるために
ぶちょうのために
おねえちゃんを 殺そうとしたのに
どうして ぶちょうが
おねえちゃんをかばうの!?
どうして どうして どうして どうして!!
「どうしてなの!?」
「ぶちょうが!ぶちょうが言ったんじゃない!」
「選べって!ぶちょうか!それ以外か選べって!」
「だから、わたしはぶちょうを選んだのに!」
「なのに、なんで!」
ぶちょうは ふるえる手を わたしのほおにそえる
そのまま わたしのくちびるを ゆびでなぞる
くちから 血を はきながら
ぶちょうは 笑って つぶやいた
「…どうして、こんな結末になったのでしょうね」
ただそれだけつぶやいて
ぶちょうの手は ぱたりと
ゆかにおちた
「――っ!!!」
「あぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁっ!!!!!」
へやじゅうに わたしの
さけびごえが ひびきわたった
(真相編)
なし。
<登場人物>
宮永咲,竹井久,原村和,宮永照,その他清澄
<症状>
・異常行動(重度)
・狂気(重度)
・依存(重度)
・洗脳(重度)
<その他>
・あるリクエストに対する作品ですが、
内容は現時点で伏せます。
予想以上に重く、長くなったのでいったん切りました。
久さん視点(続き、真相編)を読みたい方は
コメントで「久さんかわいい!」と
呟いてください。
20以上あったら続き書きます。
※真相編はハッピーエンドの予定です。
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私にとって、部長という存在は。
どこか色あせた私の世界に、
希望を与えてくれた光のようなものでした。
お姉ちゃんとあんな事になってしまって、
復縁する望みも失って。
どこか現実に見切りをつけて、
本の世界に逃げ込んでいた私。
そんな世界から、部長は
私を引き摺り出してくれたんです。
『ねえ宮永さん。もう一度、
麻雀部に来てくれない?』
もちろんそれは、私を救い出す事が
目的ではなかったでしょう。
それでも私は、嫌いだった麻雀を打ち始めて。
『宮永さん。麻雀は勝利を目指すものよ』
『次は勝ってみなさい!』
そして、部長のおかげで麻雀が好きになって。
新たな突破口を見出す事ができたんです。
――麻雀でなら、お姉ちゃんと語り合えるかもしれない
そう気づかせてくれたのは、
部長と和ちゃんだったんです。
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私が入部を決めた後も、部長は
事あるごとに助けてくれました。
それらは、施された当時は気づけない程に
ささやかなものだったけど。
でも、確かに私の中に根付いていたんです。
『どう、宮永さん。ネット麻雀は慣れたかしら?』
『これっ、全然思うようにできませんっ』
『うん。咲がいつも思ってる麻雀と違うのはわかるけど』
『勝ち負けとは関係なくこれはこれで
別のものとして楽しめるようにがんばってみて?』
……
『でも、根詰めてばかりじゃ駄目よ?
温泉にでも入ってリフレッシュしてきなさい』
……
『マホ…嶺上でツモれる気がします』
(え…)
……
部長の特訓、そして気遣いは、
いつもここ一番という場面で
私を支えてくれました。
部長の考えた特訓がなければ、
長野予選を突破する事もなく。
私の夢は、絶望と共に潰えていたでしょう。
もしくは、全国大会の準決勝で。
私は道半ばにして、心が折れて
しまっていたかもしれません。
もちろん、全てが部長のおかげとは言いません。
でも、私が苦難を乗り越える上で、
やっぱり部長の支えは大きかったと思うんです。
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そして、ついに念願叶って。
お姉ちゃんとの絆を取り戻す事ができた時。
『おめでとう…咲』
『貴女は、家族を取り戻す事ができた』
部長はまるで我が事のように、
涙を流して喜んでくれました。
本当に、部長には感謝しても仕切れません。
私の今があるのは、間違いなく部長のおかげなんです。
なのに……
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「なのに、部長が居なくなっちゃったら…」
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「結局、プラマイゼロじゃないですか!」
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『どうして、こんな結末になったのでしょうね』
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季節は晩秋に差し掛かった頃。
いつも部長が使っていた机の上に、
シンプルな置き手紙を見つけました。
宛名も差出人もない手紙。
そこには部長の筆跡で、ただ一言。
『さようなら』
それだけがぽつんと書かれていて。
見る者に、酷く寒々しい印象を与えました。
そして私は、ある事実に気づきます。
この手紙がいつ書かれたのかはわかりませんが…
確かに部長は、数日前から
部室に顔を出していませんでした。
「…まさか」
言いようのない不安に襲われて、
私は部室に部長の痕跡を探し求めます。
でも。
「そ、そんな…嘘だよね?」
どうして気づかなかったのでしょう。
部室からは、部長の私物が
ごっそりと無くなっていました。
ペンやノートといった日用品は全滅。
唯一残されたものと言えば、
竹井図書館と呼ばれる本棚の本くらい。
それが逆に餞(はなむけ)のように思えて、
さらなる不安を助長します。
背筋を一筋の汗が伝いました。
体が独りでに震えてきます。
まさか、部長は、本当に。
「こんにちは」
そんな時、折よく部室に現れた和ちゃん。
私は挨拶も忘れて駆け寄りました。
「の、和ちゃん!これ見て!!」
「手紙ですか…?『さようなら』?」
「部長が出て行っちゃったんだよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください。
その前に、どうしてこれが
竹井先輩の手紙だってわかるんですか?」
「どう見ても部長の字だもん!」
「それにこれだけじゃないんだよ!
筆記用具とか、部長の私物が
ほとんど無くなっちゃってる!」
「部長…居なくなっちゃったんだ!」
「そ、そんなに深い意味はないんじゃないですか?
部活自体は引退してるわけですし」
部長が居なくなる。
その事実に対して、私と他の人とでは
随分温度差があるようでした。
私の剣幕には戸惑いながらも、
部長が居ない事実には
それ程動揺してない和ちゃん。
さらには、いつの間にか入ってきた
染谷先輩も事もなげに言い捨てます。
「ちゅぅか、久の奴は学校にも顔出しとらんぞ?
三年生はもう自由登校じゃけぇの」
「!?し、知らなかった…!」
「これまでずっと麻雀部と学生議会に
付きっ切りじゃったしな。
しばらくは勉強に専念するつもりなんじゃろ」
「むしろ今まで久に頼り過ぎとった。
少しは久自身の時間も作ってやらんと」
「それは…そうかもしれないですけど」
「心配せんでも、そがぁ深く考える必要はなぁで」
「久にとって麻雀部は特別な存在じゃ。
こがぁな手紙一枚で、簡単に縁を
切れるような場所じゃぁないわ」
「そのうち、ひょっこり顔を出すに決まっとる」
「…はい」
染谷先輩に諭された私は、
一見納得したそぶりを見せながらも、
内心気が気ではありませんでした。
二人の言う事が別段おかしい
わけでもありません。
部長が引退したのも事実ですし
受験勉強に専念しなければいけないのも
また事実でしょう。
それでも、私の不安は拭えなくて。
このまま放置していたら、
本当に部長との縁が切れてしまう気がして。
一人でも部長に会いに行こう。
そう、心に決めたんです。
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次の日、家を出た私の足が学校に向かう事はなく。
そのまま真っ直ぐ部長の家に向かっていました。
部長の家には何度かお邪魔した事があります。
お互いに本の虫だったので、
本の貸し借りで交流があったんです。
だから私は知っていました。
部長が一人暮らしをしている事も。
両親に捨てられて、一人ぼっちな事も。
「そんな部長が…あんなふうに、
一方的に別れを告げるなんて」
「何もないはずがないよ」
きっと何かあるはずです。私達と
縁を切らなければいけない何かが。
ひょっとしたら、何か事件に
巻き込まれているのかもしれません。
でも、そんな風に身構えながら
玄関のチャイムを鳴らした私に対して。
「はいはーい」
部長はあっけらかんと顔を出して。
あまりにも普通に私を出迎えました。
「え?どしたの咲。まだ授業中でしょう?」
「あれ…?普通?」
「え、どんな反応を期待してたのよ」
「だって、あんな手紙残しておいて…」
「わお。あれだけで気づいちゃうんだ。
というかどうして私が書いたって思ったの?」
「筆跡が完全に部長の字だったじゃないですか」
「あはは。筆跡とか。
咲、探偵になれるんじゃない?」
「ま、せっかく来てくれたのに玄関で立ち話もなんだから。
とりあえず入って頂戴」
いつも通りの飄々とした態度で私を招き入れる部長。
その様子を見た私は、
正直自分の勘に自信がなくなってきました。
(本当に、染谷先輩の言う通りで。
特に重い理由なんてなかったのかも)
そう考えたら、私の心に
べったりとこびりついてた不安が、
すっとかき消えたような気がして。
私は、人知れず安堵のため息をつきました。
今思えば、私はなんて馬鹿だったんでしょう。
あんな手紙を置いて去った部長が、
普通のはずがないのに。
普通である事がむしろ異常だって、
気づいて然るべきだったのに。
でも、その時の私は気づく事はなく。
私の後ろで玄関の鍵を掛けた部長の顔から、
一切の表情が消えていた事にも、
気づく事はありませんでした。
--------------------------------------------------------
「ちょっと待っててね。今お茶用意してくるわ」
私を部屋に招き入れた部長は、
いつものように私だけ部屋に残してその場を去ると。
やがて、コーヒーカップと
幾ばくかの茶菓子を持って戻ってきました。
淹れたてのコーヒーの香ばしい香りが
鼻腔をくすぐります。
「あれ、部長ってコーヒー飲む人でしたっけ」
「いつもはストレートティーだけどね。
お土産でもらったから消費しないとって。
あ、もしかしてコーヒー嫌いだった?」
「いえ。お砂糖とミルクがあれば普通に飲めます」
「そか。でもちょっと珍しいコーヒーだから
びっくりするかもね。
ま、とりあえず飲んでみて?」
促されるままにカップを手に取ると、
まずは一口含みます。
確かに部長の言う通り、そのコーヒーは
普段飲んだ事がないような複雑な味がしました。
「どう?」
「あ、はい…確かにちょっと
珍しい感じの味ですけど…美味しいですよ?」
「それならよかった」
私の返事に部長は満足そうに頷くと、
自分も口をつけました。
「…それで。なんであんな手紙を書いたんですか?」
「珍しくぐいぐい来るわね。
そんなに気になっちゃった?」
「…手紙だけじゃないです。
実際部室にも来ないし…」
「本当に、さよならするつもりだったんですか?」
私の問い詰めるような口調に、
部長は口をつぐみます。
和気あいあいとした雰囲気が一転、
重苦しい沈黙が周囲を支配しました。
その沈黙が耐え難くて。
私は場を取り繕うように、
コーヒーを一口喉に流し込みました。
「…実は、ちょっと試してみたかったの」
「何をですか?」
「あれを見て、咲はどう思うかなって」
「…すごくショックでしたけど」
「あはは、ごめんごめん。でね?
ショックを受けた後どうするのか
知りたかったのよ」
「…というと?」
「ショックを受けて、でもそれで、
私達の縁はおしまいだって諦めるかもしれない」
「または、いつもの悪戯か何かだろうって
気楽にとらえて終わるかもしれない」
「でも、もしかしたら…」
「不安で仕方なくなって、
家まで押しかけてくるかもしれない」
「それを確かめてみたかったの」
部長はニコニコと笑みを見せながら、
再びコーヒーカップを傾けます。
その様子には、どこか、少しだけ。
本当に少しだけですけど、
不穏な雰囲気が漂っている気がしました。
ひんやりと、末端から少しずつ凍えていくような。
そんな奇妙な感覚に囚われながら、
私は質問を続けます。
「…私の取った行動は…部長にとって
嬉しい行動だったんですか?」
「ええ。考えうる中で一番嬉しい行動よ。
まさか平日にいきなり来るとは
思ってなかったけど」
「…だったら…考え直してくれますか?」
「ふふ。そうね。少なくとも、
さよならは撤回するわ」
「じゃ、じゃぁ…今まで通り部室に…
顔を…出してくれるんですね!」
「……」
「ぶ…部長?」
「部室にはもう行かないわ。行く必要がないもの」
「え…?で、でも…部室に来ないと…
会えません…よね……?」
部長の真意が理解できませんでした。
私達は学年も違うから、
会う場所なんて部室くらいのはずなのに。
部長は一体何が言いたいんだろう。
ああ、考えてもよくわからない。
なんだか頭がくらくらしてきました。
頭に靄がかかったように、
思考まで凍てつき始めています。
「行かなくても会えるのよ。
ううん。これからは、
そもそも離れる心配がないの」
「離れる…心配……ない……?」
「そう」
部長が私に寄り添ってきます。
顔が少しずつ近づいてきます。
私はそれをぼんやりと木偶のように眺めるだけ。
(…部長、まつげ長いなぁ…綺麗…)
(って、顔近い…!)
気がつけば、部長の顔はもう目と鼻の先でした。
ようやく私は我に返って、少し距離を取ろうとします。
(あれ…?からだ……)
でも、体はふにゃふにゃして、
うまく動いてくれません。
そもそも頭がぼんやりして、
体に命令を出す事ができなくて。
結局、私はさしたる抵抗もできないまま。
部長の腕の中に、すっぽりと包み込まれてしまいました。
「…そう。これからは、ずっと二人で居られるの」
「…ずっと……ふた……り……?」
「…いや?」
部長の瞳が、私を至近距離で覗き込んできます。
私は回らない頭を必死に回転させながら、
部長の問い掛けに答えようとしました。
「いやじゃ……ない……です」
なんとかそれだけ答えると、
部長は蕩けるような笑顔になって。
私の頭を、優しく、優しく撫でてくれました。
掌から伝わる温かさが、
私の意識を一気に奪い去っていきます。
心地よい闇の中に、思考が落ち込んでいきます。
そして、私はそのまま……
「おやすみなさい、咲」
部長に全てを委ねたまま、
意識を手放してしまったんです。
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--------------------------------------------------------
竹井先輩に続いて、咲さんまでが
学校に来なくなりました。
三年生で自由登校の竹井先輩はともかく、
咲さんの不登校は明らかに異常なはずで。
なのに、咲さんの不登校が問題になる事はなく。
日常は二人を置き去りにして、
平然と時を刻んでいくのです。
残念ながら、その異常さに気づいているのは
私だけのようでした。
「咲さん…一体どうしたんでしょうか」
「先生は遠方の家族に会うために
旅行中だって言ってたじょ?」
「そんな話があるなら、私達に
一言あってもいいと思いませんか?」
「急に決まった事かも知れんじゃろ」
「急だったら余計にです。咲さんだって
竹井先輩が急に来なくなった時に、
すごく動転してたじゃないですか」
「なのに、その咲さんまで消えてもう一週間。
何の連絡もないなんて考えられません」
「か、考え過ぎだじょ?」
この非常事態においても、ゆーきと染谷先輩は
腰を上げようとしはしませんでした。
もっとも、それを責める事は酷なのかもしれません。
私だって、咲さんが竹井先輩の事を案じた時に
同じ事をしたのですから。
「…咲さんも、あの時こんな気持ち
だったんでしょうか」
我ながら、らしくないとは思います。
状況だけを見れば、そこまで
心配する必要はないのも事実です。
それでも、確信に近い直感がありました。
これは家庭の事情なんかじゃない。
そう、きっと…
咲さんは、何かの事件に巻き込まれている
誰も動かないなら、私が動く必要があるでしょう。
まずは咲さんの家。そして、その次は…竹井先輩の家。
「…用事を思い出したので、今日はもう失礼します」
善は急げ。私は足早に部室を去ると、
そのままの足で咲さんの自宅に向かいました。
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結論を先に言ってしまえば、
咲さんに会う事はできませんでした。
最初に向かった宮永家。
何度呼び鈴を鳴らしても、
時間を変えて出直しても。
応答が返ってくる事はありませんでした。
家族旅行に行っているのなら、
むしろ誰かいたらおかしいわけで。
むしろこの留守は、事実を裏付ける
嬉しい証拠だったとも言えるでしょう。
少しだけ安心した私でしたが、
それでも念のため、竹井先輩の家にも向かいました。
こちらは出迎えてくれたものの、
何も知らないようでした。
「ありゃ?和がうちを訪ねるなんて、
珍しい事もあるものね。
私が恋しくなっちゃった?」
「…事件が発生してるんです。
咲さんが姿を消しました。
もう一週間以上学校に来ていません」
万が一の可能性を考えて、
敢えて『事件』と呼びました。
でも、それを受けた竹井先輩の反応は、
ごく自然なものでした。
「はぁ!?が、学校はなんて言ってるの!?
や、その前に警察は何してるの!?
そんな大事ならニュースとかになるでしょ!」
「…先生が言うには、家族旅行に行っていると…」
「……は?どういう事?」
「その…だから。遠方の家族に会うために
お休みを取っていると言っていました」
「…えーと。それのどこが事件なの?」
「咲さんが姿を消すにあたって、
何の連絡もありませんでした」
「…それだけ?」
「それは…それだけ、ですけど……」
「うん、和。考え過ぎだわ」
学校に連絡済み。その情報を聞いた途端、
竹井先輩はほっと胸を撫で下ろし。
一気に弛緩した態度に変わります。
「でも…!」
「でもも何もないわよ。
急に決まったってだけじゃない?
聞く限りだと、事件性なんて何もないわよ」
「私達に何の連絡もなく、
一週間も留守にしますか?」
「まぁちょっとレアケースだとは思うけど。
咲は携帯持ってないんだし仕方ないんじゃない?
そもそも、音信不通って言うなら
私だってそうだったんだけど?」
「…それは」
「ま、私が居なくなった上に咲まで不在となれば、
寂しくなる気持ちもわかるけどねー♪」
言われてみれば確かにそうです。
竹井先輩が姿を消して、
咲さんは酷く狼狽していました。
でも、竹井先輩は問題なく家に居たわけです。
今の私はあの時の咲さんと同じ。
急に姿を消したから、根拠のない不安に襲われて
混乱しているだけなのでしょう。
(…結局、私の一人相撲だったという事でしょうか…)
そんな私の心境を正確に読み取ったのか。
竹井先輩が助け舟を出してきます。
「はい、じゃぁこの話はもうおしまい。
なんならあがってく?
お茶くらいは出すわよ?」
「…いえ、いいです。家に帰って、
少し頭を冷やす事にします」
「あら残念」
私は誘いを断りました。
あれ程感じていた危機感を、
何て事ないように一蹴されて。
呆れたように苦笑する竹井先輩を見て、
流石に気恥ずかしくなったんです。
挨拶もそこそこに、
私は立ち去る事にしました。
「失礼しました。受験勉強頑張ってください」
「…ふふ、ありがと。和も元気でね?」
今思えば、この時が最後の分岐点だったのでしょう。
いいえ、もしかしたら既に
手遅れだったかもしれませんけれど。
もしこの時、部長の誘いを受けて、
お部屋にあがっていたとしたら。
結末は、違うものになっていたのでしょうか。
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目を覚ました時、私の首には
大きな首輪が嵌められていました。
首輪の鎖は、部屋のパイプベッドに回されていて。
鍵を外さないと出られない事は
すぐに理解できました。
つまり、私は監禁されていたんです。
それでも、私が恐怖で叫び出さなかったのは。
目の前で部長が微笑んでいたからでした。
そう。部長は笑みを浮かべていました。
それも、私を慈しむように。心の底から愛でる様に。
その様にほの暗い狂気を感じて、
私の本能が叫ぶ事をとめたのです。
――刺激してはいけない
私は努めて冷静に、感情を押し殺して
部長に問い掛けました。
「…これ、なんですか?」
「見ての通り、首輪だけど」
「…どうして?」
「そりゃ、貴女を監禁するために決まってるでしょ」
「…どうして監禁するんですか?」
「それを答えたら、貴女は大人しく
捕まっていてくれるのかしら?」
「…理由によります」
「そ。じゃ、言わないわ」
「どうして!」
「打算で答えを出してほしくないの。さ、答えて?」
「何の理由もわからず私に監禁されても、
それでも私を受け入れてくれるのか」
「それとも…私を拒絶するのか」
私は押し黙るしかありませんでした。
理由はわからないけれど。今の部長が
狂っているのは間違いありません。
どう答えるのが正解なのか。
掴みきれなかった結果、
私は沈黙を選択するしかなかったんです。
「あ、ちなみにここで拒絶されたら、
ちゃんと貴女を開放するわ。
もちろん、何も危害も加えずにね」
「な、なら」
「そして、そのまま貴女の前から姿を消す。
もう、一生会う事はないでしょうね」
「……っ!?」
何もかもが無茶苦茶でした。
いきなり監禁されて、その理由も教えてくれなくて。
拒絶するなら、大切な人を失ってしまう。
そんな事を言われて、
私に選択肢はあったでしょうか。
「…そんなの…ないじゃないですか」
「ん?」
「部長を…受け入れるしか。
ないじゃないですか」
「いやいや、そんな事ないでしょ。
私を拒絶して自由を手に入れたっていいのよ?」
「…できるわけないじゃないですか」
「ねえ咲。言っとくけど、私は本気なのよ?
心変わりなんてしない。
貴女が私を拒絶しないなら、
私は一生貴女を監禁し続ける」
「貴女は一生をふいにする事になる。
それでも、貴女は私を受け入れるの?」
「……」
私は即答する事ができず、
静寂が再び部屋を支配しました。
私にとって、部長はかけがえのない存在で。
希望を失った私に、道を標してくれた新たな希望。
でも、部長を受け入れてしまったら。
私はせっかく手に入れた幸せを、
一つ手放す事になるのです。
「……」
「ま、今すぐ答えを出さなくてもいいわ。
とりあえずしばらくはお試し期間って事で」
「そうね。二日経ったらまた聞きましょうか。
その時には答えを聞かせて頂戴」
「…部長の方は、何も教えてくれないんですか」
「貴女が私を受け入れてくれるなら、
その時には教えるわ」
結局、その場で出た結論は『保留』。
こうして、部長と私の奇妙な監禁生活が幕を開けたんです。
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不可思議な状況が続きました。
私を拘束するものといえば、
首輪に繋がるチェーンだけ。
でも、そのチェーンは部屋中を歩き回るのに
十分な長さが確保されていました。
つまり、部屋の中ならどこにでも
行くことができる事になります。
行動も特に制限されませんでした。
例えば私が、部長の携帯電話に手を伸ばしたとしても。
部長は一切止めようとはしませんでした。
さらに言えば、お手洗いとかお風呂とか。
チェーンが邪魔になる時は、普通に外してもらえます。
果たしてこれは、監禁と呼べるのでしょうか。
そんな奇妙な状況の中、部長が私にした事と言えば。
三度の食事と、おやつを用意する事。
そして、それ以外は…
私を抱き締める事だけでした。
「…部長。何がしたいんですか」
「したい事なら今してるけど?」
「…何のために」
「答える気はないわ。知りたいなら、
自分で見つけ出しなさい」
何を問うても、どんなに説明を求めても。
部長は、何一つ明確な答えはくれません。
時間だけが経っていきます。
決断の日が近づいてきます。
(…どうすればいいんだろう)
少しずつ、私は追い詰められていきました。
焦りで心が摩耗して、摩耗は
正常な思考力を奪っていきます。
部長か、未来か。
どちらか一方しか選べない。
私が後者を選んだら。
今、私を包み込むこの温もりを、一生失う事になる。
頭を撫でる優しさも、聞いてるだけで安心できるその声も。
全部、全部失う事になる。
部長に釣り合う程の未来を、
私は手にする事ができるのでしょうか。
部長と交わらない未来に、
どれ程価値があるのでしょうか。
(わからないよ。なんでどっちかを
選ばなきゃいけないの?)
考えるのが嫌になって、部長の胸に顔をうずめます。
部長は何も言わずに私の頭を抱き寄せてくれました。
それがまた、酷く心地よくて。
私は思考を放棄して、問題を先延ばしにするんです。
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「さぁ、咲。答えを聞かせてもらいましょうか」
「…その。どうしてもどちらかを
選ばないといけないんですか?」
「…そうね。じゃあ、もう一つだけ
選択肢を増やしてあげる」
「っ、なんですか!?」
「保留」
「…え?」
「だから保留よ。また答えを先延ばしするの。
そうね。今度は三日後にしましょうか」
「…さ、どうする?」
「……わ、私は…」
「私は?」
「……」
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結局私が選んだのは、またも保留する事でした。
だって、選べるはずがないんです。
どっちを選んでも、私は大切なものを失ってしまう。
なんて事を愚痴ったら、部長はまるで呆れたように、
くすくす声で笑うんです。
「ねえ、咲。気づいてる?そんな事言ったって、
貴女はもう半分以上答えを出しちゃってるのよ?」
「…どういう事ですか」
「どっちも選べないから、保留。
ま、確かにそれって楽よね」
「でもさ…そうやって、
保留、保留を繰り返していく間にも…
貴女の未来は刻一刻と私に奪われてるじゃない」
「つまり、貴女はもう、
消極的に受け入れているのよ」
「私の事を…ね?」
いつものように唇を釣り上げながら、
私の目を見据える部長。
その酷く熱っぽい目は、私の大切な何かを、
ちりちりと少しずつ灼いていきます。
「私は、それが心底嬉しいの」
そう言うと、部長は私を抱き寄せて。
背に渡した指で、
私の肌をゆっくりとなぞります。
ぞくぞくと背を伝わる背徳感に身をよじりながら、
私は上目遣いで視線を返しました。
「ぶ、部長は…私の事が好きなんですか?」
「あはは。随分今更な質問ね、それ」
「好きに決まってるでしょ。
私は、貴女の事が好き」
「貴女と二人で生きていけるなら、
私は他の未来なんて要らない」
なおも真っ直ぐと私を見据えながら。
息遣いすら感じる程の至近距離で、
部長は愛を囁きます。
「…部長」
部長の熱が、少しずつ奥まで浸透してきます。
お腹の奥の方がずんと熱くなって。
思考が痺れて蕩けていきます。
何もかも放棄して、流されたくなってきます。
と、部長は一転して自嘲するかのように
私から目をそらして笑いました。
「もっとも、そもそも私には…
『他の未来』なんてないけどね?」
場違いに冷たい声でした。でも、だからこそ、
それはついこぼれ出た本音のようで。
でも私は、その言葉に妙な違和感を覚えました。
だって、部長はいつも人に囲まれている人気者で。
頭もいいし、全国大会でも大活躍でした。
そんな非の打ちどころのない部長は、
未来なんて選びたい放題のはずで。
むしろ、部長が持っていない物の方が少な…
そこまで考えた時。はっと息を呑みました。
(あった…あったよ!部長に無いもの。一つだけ)
部長が欲しがっている物が分かった気がしました。
同時に、どうして部長がこんな事をしているのかも。
部長が、ずっと欲しがっていただろうもの。
そして、まだ手に入れていないもの。
私が部長を受け入れれば手に入るもの。
一つだけ心当たりがあります。
そう、それは……
――家族。
一人ぼっちの生活を、
温かいものに変えてくれる存在。
その答えに辿り着いた時。
私はもう、部長を拒絶する事は
考えられませんでした。
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「…部長。私、決めました」
「…あら。ずっと保留しててくれてもよかったのに」
「部長の事、受け入れます」
「ありゃ。どういう心境の変化?」
「…心変わりしたわけじゃありません。
ただ、決断しただけです」
「そか…ありがと。でも、そうなると今度は、
貴女の決意が本物なのか試す必要があるわね」
「…私、本気です」
「前に言ったでしょ?保留する事と、
私を受け入れる事は大差がないって」
「口だけなら何とでも言えるのよ。
とりあえずは従っておいて、私の心変わりを待つ。
それだって保留でしょう?」
「…そんな!私はそんな打算で決めたわけじゃ…!」
「ふふ、そんなに詰め寄らないで?
その決意が本当なら、凄く簡単な試験だから」
「ほら、これを受け取って頂戴」
「これは…お姉ちゃんと、私の写真…?」
「そ。貴女達が仲直りした時の写真よ。
仲睦まじい事で何よりね?」
「…これが、どうしたんですか?」
「破って」
「…はい?」
「だから、お姉さんの部分だけ破って?
ビリビリに千切って、火で燃やし尽くして灰にして?」
「貴女の中にいる、お姉さんを殺して?
できるでしょ?私以外を捨てる決意があるのなら」
「そ…れは……」
「……」
「ほらやっぱり。ねえ咲。
結局、貴女はまだ保留してるのよ」
「……ごめんなさい」
「…じゃ、今回も保留って事で。
次は、四日後に返事を聞くわね?」
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予想だにしていなかった。
でも、予想して然るべきだった。
部長が欲しいものが、家族だったとして。
それが『普通の家族』なら、
私を監禁する必要なんてないんだから。
部長が欲しいのは、そんな簡単な家族じゃない。
きっと世界で、たった一人だけの。
何があっても、自分のそばから離れていかない家族。
何をおいても、どんな存在よりも、
自分を優先してくれる家族。
部長が求める家族っていうのは、
きっと、そんな存在なんだろう。
だから…私にとって、今一番大切な家族を
自分の手で殺させようとしてるんだ。
「でも…どうして……?」
だって、そもそもお姉ちゃんと
仲直りできたのは部長のおかげで。
部長が支えてくれたからこそ、
私はお姉ちゃんとやり直せたのに。
「なのに、どうして……?」
ぐるぐると思考が回る。
解決の糸口を見いだせないまま、
ただぐるぐると回っていく。
そんな私を見かねたのか、
部長はそっと囁きかけてきた。
「…そういえば、一つ約束してたわね」
「…?」
「貴女が私を受け入れてくれたら、
どうしてこんな事をしたのか教えてあげるって」
「ま、現状まだ保留なわけだけど。
おまけで少しだけ教えてあげるわ」
「…はい」
正直に言ってしまえば、私はその囁きに
大した関心を示せなかった。
だって、私はもう答えに辿りついている。
今更それを聞いても、答え合わせくらいの意味しかない。
そう思っていたのに。
部長が教えてくれた『答え』は、
私の予想から大きく逸脱していた。
「私が貴女を監禁しようと決意した理由。
それって、実はすごく単純なのよ?」
「そう。すっごいシンプルな答え…それは」
「貴女が、私を捨てて逃げようとしたから」
あまりに予想外の解答に、私は戸惑い狼狽する。
部長は寂しそうに微笑みながら、
私を腕の中に閉じ込めた。
そう、絶対に逃がさないとばかりに。
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--------------------------------------------------------
嫌な予感は当たっていました。
やっぱり事件は起きていたのです。
咲さんが遠方の家族に会いに行く。
だとすれば誰に会いに行くのか。
状況的にはお姉さん一択でしょう。
もし私の心配が杞憂なら、
咲さんはお姉さんのところに居るはずです。
(…やっぱり、念のため確認したい)
少しやり過ぎだとはわかっています。
でも、大切な人の安否が懸かっている以上、
疑念は完全に払拭したかったんです。
だから、あくまで念のため。本当に念のためですが、
私は白糸台高校に連絡を入れました。
麻雀部経由で咲さんのお姉さんに
取り次いでもらったんです。
『…咲が長期旅行?』
「はい。学校には、遠方の家族に会いに行くと
連絡があったそうです」
『それはおかしい。少なくとも
私達のところには来ていない』
「…!他に、思い当たる行先はありますか!?」
『ない』
全身から一気に汗が噴き出しました。
だとしたら、咲さんは、一体、どこへ。
『…学校は、その連絡を信用しているんだよね』
「は、はい」
『だとしたら、連絡を入れたのは当然
宮永家の人物という事になる』
『学校が信用した以上、お父さんの可能性が高いけど。
少なくとも咲が無関係とは考えにくい』
「…そうですね」
『…思い当たる節はない?もし旅行が嘘だとして、
咲がそんな嘘をついてまで庇う可能性がある人物』
『もしくは、咲が行方不明になる前に
気に掛けていた…もしくは交流があった人物』
『それでいて…お父さんにすら、
信頼するに足ると判断される可能性がある人物』
『…そんな人はいなかった?』
「……っ!」
私は思わず絶句しました。
なぜなら一人だけ居たのです。
照さんが並べた複数の条件。
それを、完全に満たしている人物が一人だけ。
考える間でもありません。
その人物の名前は……
「…竹井久。ご存じだとは思いますけど、
清澄高校麻雀部の元部長です」
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
『私が部長を捨てて逃げようとした』
私には、その言葉の意味が
まるで理解できなかった。
だって私は逃げるどころか、
部長を追いかけてここまで来たのに。
むしろ、逃げたのは部長の方だ。
(でも…あの時の部長。とても
冗談を言っているようには見えなかった)
まるで、捨てられた子犬のような、
恐怖と悲しみに揺らいだ目。
あれは間違いなく、部長の本心だったと思う。
――でも違うよ 私、部長の事を捨てようなんて思ってない
――そんな事考えもしなかったんだよ
――どうしたらわかってもらえるの?
――そんなの決まってる
――お姉ちゃんを…捨てるしかない
理由はよくわからないけれど、
部長はお姉ちゃんを憎んでる。
だから、私の中から
お姉ちゃんを消そうとしてる。
部長の思いに応えたいなら、
私はお姉ちゃんを捨てないといけない。
――でも…できるの?お姉ちゃんを捨てるなんて
だって、それをしちゃったら。
私は一体、何のために今まで頑張ってきたの?
ぐるぐる、ぐるぐる。
まただ。また、思考が堂々巡りする。
何の答えも出せないまま、
心だけがくたくたになっていく。
「…お姉ちゃん」
私は写真を取り出した。
笑顔のお姉ちゃんが映っている。
その横で、私は目に涙を光らせながら笑っている。
夢にまで見た光景。何度も何度も夢に見て。
ようやく辿りついた景色。
――それを…自分から、捨てる?
できるわけがない。でも、やらないと
部長が私を信じてくれない。
でも、でも、でも。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
心が弱っていく。思考が壊れていく。
だから私は気づけなかった。
自分の思考が、とっくに手遅れになっている事に。
だって私は結局のところ、
お姉ちゃんを捨てられるかどうかしか考えてない。
部長の方を見限る事は、
これっぽっちも考えていないのだから。
私は今も、部長の腕の中にいる。
まるで動かない紙のお姉ちゃんに対して、
生身の部長に抱かれている。
それも、幾度となく愛を囁かれながら。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐるを繰り返しながら、
それでも比率は傾いていく。
少しずつ、部長の方に傾いていく。
そんな時だった。
部長が、私に囁いてきたのは。
「ねえ咲。私は言ったわよね」
「…?」
「保留を続けても、決断しても。
貴女の心にお姉さんがいるなら、
それは大して変わりがないって」
「…はい」
「だったらね?こう考える事もできないかしら」
「無理に私に答えを見せる必要はないの」
「写真を破る。うん、それをしてくれるなら、
もちろんその方が嬉しい」
「でも、ただほんの一時。
ここに居てくれる間だけでも、
お姉さんの事を忘れてくれるなら」
「忘れて、私だけを見て保留を続けてくれるなら…」
「それはそれで、私は救われるの」
「どうかしら?」
私の手から写真を抜き取って、部長が私を覗き込む。
その目は、あの時と同じように。
縋るような、瀬戸際の目をしていた。
そして、その目が私を狂わせる。
――そうだよ どうせ、ここにいる以上
お姉ちゃんには会えないんだ
――だったら、今ここにいる部長を
私に助けを求めてる部長を
優先して何がいけないの
――保留でいいんだ ここにいる間だけ
――部長の事だけ考えよう
そして、私は最後の最後。
踏み越えてはいけない境界を越えてしまった。
「…わかりました。今だけは。
少なくともこの家にいる間は」
「私は、部長の事だけを考えます」
「…咲っ!!」
不安に彩られていた部長の目が見開かれる。
そして次の刹那、その目に涙が溢れていく。
涙は後から後から注がれて、
部長の頬を濡らしていった。
「…ありがと……本当に…ありがと」
肩を大きく震わせながら、
部長は嗚咽を繰り返す。
その姿を前にして、私は自分の選択が
間違っていなかった事を確信した。
――そうだよ 部長は今まで、
ずっと私の事を支えてくれた
――今も、私の事を誰よりも強く求めてくれてる
――きっと、お姉ちゃんよりも
それは私の心の天秤が、
大きく、大きく傾いた瞬間だった。
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
頭を抱えて泣きたくなった。
どうして咲は、こうも
数奇な運命に翻弄されるのか。
『咲さんが消える数日前から、
竹井先輩も学校に来なくなっていたんです』
『咲さんはすごく心配してました。
もっとも、竹井先輩は
自由登校で登校してなかっただけで、
普通に家に居ましたけど』
『咲さんが居なくなったのは、
その話をした次の日からです』
原村さんの話を聞いて私は確信した。
咲はほぼ間違いなく、
竹井さんの家に監禁されているだろう。
しかも、自ら抵抗する事なく。
「…竹井、さん」
思えばあの人は異質だった。
咲とは出会って数か月。
関係を深めるには月日が短すぎる。
なのに、あの人はまるで命すら懸けているかのように。
死の物狂いで私達の仲を取り持とうとしてきた。
まあ、そのおかげで私達は復縁できたのだから、
感謝すべきなのは間違いない。
それでも、私達が関係を取り戻す様を見て。
まるで自分が救われたかのように、
大粒の涙を流すその姿は、
どこか底知れない異質さを感じさせた。
「…分からない。何を考えているの?」
私達の復縁に、そこまで砕身しておきながら。
なぜ今になって咲を閉じ込めるのか。
いや、そもそも本当に閉じ込めているのだろうか。
それすらもわからない。
また咲が何かの事件に巻き込まれていて、
彼女は咲を救っているだけの可能性もある。
「…分からない事が多過ぎる」
分からない以上、直接彼女に
聞いてみるほかないだろう。
だから私はチャイムを鳴らす。
咲を閉じ込めて…もしくは
匿っている竹井さんと会話をするために。
『…どなた?』
数回のチャイムの後に、インターホンから聞こえた声。
その声は、猜疑に満ちて震えていた。
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
玄関のチャイムが鳴った
その音に、部長は酷く慄いていた
無理もないと思う
だって、表向きだけなら、
部長は私を監禁しているんだから
インターホン越しに部長が話している
随分と長引いているみたいだった
警察かな ううん、でも大丈夫だよ
私は部長をかばうから
家出していた私を部長が助けて
私が無理を言って
居候させてもらってる事にするから
心の中で下準備をする
でもその準備は無駄になった
だって、来たのは警察じゃなかったから
部長が観念したように、玄関の扉をゆっくり開ける
眩い日の光と共に、そこから姿を見せたのは…
「お…ねぇ…ちゃん…!」
そう、私のお姉ちゃんだった
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部長がわたしを見ている
今にも泣き出しそうな目でわたしを見ている
大丈夫だよ
何度も、何度も破いて見せたでしょ?
今はもう、保留じゃないよ
わたしは、心から部長が好き
お姉ちゃんよりも、部長が好き
だから
お姉ちゃんが部長を苦しめるなら
わたしは たとえ
お姉ちゃんだろうと
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ころせるよ?
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--------------------------------------------------------
何が起きたのかわからなかった。
私はただ対話を求めただけ。
彼女を糾弾するつもりもなく、
ただ四人で話し合いたいと伝えただけだった。
竹井さんはインターホンの先で
深い、深いため息をつく。
そしてしばしの空白の後、
やがてその扉を開いた。
「…咲」
扉の先には咲が居た。
監禁なんてとんでもない。
咲を縛る枷は何一つなく、
自由に動き回れる状態だった。
でもそれは体だけだ。
心が歪んで狂っているのは一目でわかった。
(咲…なんて、なんて目をしているの)
その目は狂気に満ちていた。
どろりと濁って、
一切の光を通さず黒に沈んでいた。
「お…ねぇ…ちゃん…!」
私を見た刹那、咲は驚くように目を見張る。
次に隣の竹井さんに視線を移す。
そして、隣で震える竹井さんを見て、
なぜか慈しむような笑みを見せると。
咲はどこかに姿を消して。またすぐに姿を現した。
――その右手に、ぎらりと光る包丁を握って。
「見てて!部長!!」
弾かれたように咲が駆ける。
あまりに予想外の展開に、私は一歩も動くことができず、
その身を悪戯に硬直させる。
「殺せるよ!私!お姉ちゃんだって殺せる!!」
咲が、包丁が、スローモーションのように近づいてくる
なのに私は避ける事ができない
瞬間、私は思わず目を瞑る
そして、目を開けた次の瞬間には…
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--------------------------------------------------------
お腹から、血を流した竹井さんが転がっていた
--------------------------------------------------------
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なにが起きたのか わからなかった
だって わたしは ぶちょうを 守るために
おねえちゃんよりも
ぶちょうのことが 好きだって つたえるために
ぶちょうのために
おねえちゃんを 殺そうとしたのに
どうして ぶちょうが
おねえちゃんをかばうの!?
どうして どうして どうして どうして!!
「どうしてなの!?」
「ぶちょうが!ぶちょうが言ったんじゃない!」
「選べって!ぶちょうか!それ以外か選べって!」
「だから、わたしはぶちょうを選んだのに!」
「なのに、なんで!」
ぶちょうは ふるえる手を わたしのほおにそえる
そのまま わたしのくちびるを ゆびでなぞる
くちから 血を はきながら
ぶちょうは 笑って つぶやいた
「…どうして、こんな結末になったのでしょうね」
ただそれだけつぶやいて
ぶちょうの手は ぱたりと
ゆかにおちた
「――っ!!!」
「あぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁっ!!!!!」
へやじゅうに わたしの
さけびごえが ひびきわたった
(真相編)
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凄く続きが気になるので久さんかわいい!あ、続き関係なくても久さんは本当にかわいいです。
大切な人のために大切な人を殺そうとした咲ちゃんは狂気じみてますが、それほど愛されるのって生きてて嬉しいことなんじゃないかな?さすがに犯罪に手を染めてほしくはないですが。
あなたのためならなんだってできるっていうのは最高の愛情表現だと思いました。
いつも楽しく読ませていただいています。
いつも更新を楽しみです。頑張ってください
最後に久さんかわいい!
いったい何がなんだか...
久さんかわいい!
久さんかわいい!
久さんかわいい
続きお願いします!!
久さんかわいい!久さんかわいい!
久さんかわいい
久さんかわいい!
照の「関係を深めるには月日が短すぎる」の台詞
が部長と照の違いを表しているんでしょうか。
今週本編読んで部長と咲は似てるって思ったなあ、
二人は短い月日でも関係を深める要素があるって感じたので
いつも作品を読むだけでコメ残せてませんが楽しく読ませて頂いてます
ここからのハッピーエンド期待してまってます!
久さんかわいい!
初コメントです
久さんかわいい系以外には返信を。
予想以上に重くなったと書かれて>
久「言われてみればその通りよね」
咲「でも真相編読むとわかりますけど、
実際この話では
久さんヒロインなんですよね」
久「読まないとわからないけどね!」
最後まで久さんの心が壊れきってはいない>
久「見抜かれてて驚いた」
咲「より私を盲目にするための
作戦、という考え方も
できるはずなのに…」
もし和ちゃんがあのとき部屋に入ってれば>
久「特に何もしなかったわ」
咲「私は隠れてましたしね」
久「さすがに家探ししだしたら消すけど」
重っ苦しい展開大好き>
咲「久々にどろどろが書けて満足です」
いったい何がなんだか...>
このままじゃ生殺しだよ!>
咲「これだけだと謎しか残らないですよね…」
久「真相編をどうぞ!」
一度決めたら>
久「正直原作でもちょっと病んでると思うわ」
咲「お姉ちゃんと会うために
全国に行くのってそんなに変かな…」
久「うん。異常よ?」
いつもの久さんからして>
久「真相編をどうぞ!」
咲「当初はこれがずばり正解でした」
部長と照の違い>
久「これまた鋭いコメント…
月日の長さはこの話の中で
照のコンプレックスになってます」
咲「ちなみに原作はリアルタイムで
追えてないのでまだ読んでませんけど
楽しみです」
部長のために姉を消そうとする咲さん>
咲「…まあ、その辺は真相編をどうぞ」
久「咲の先天的な性質でもありそうだけどねー」
上埜さん>
池田
「キャップは病院に帰るし…
帰ったら一緒に
上埜さん体操してあげるし…」