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【咲-Saki-SS:玄咲】咲「松実館へ、ようこそ!」【ヤンデレ】【依存】

<あらすじ>
インターハイで悲しい結末を迎え、
自暴自棄の旅に出た宮永咲。

そんな彼女は、偶然訪れた松実館で
松実玄によって心を救われる。

いささか重たい点を除けば健全だった二人の
交流は、ある出来事をきっかけに
少しずつ姿を危ういものに変えてゆき……


※咲「このお話の続編です。」
咲「そうだ、松実館行こう」

<登場人物>
宮永咲,松実玄,松実宥,竹井久,その他

<症状>
・共依存

<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・咲「そうだ、松実館行こう」の続編
・玄咲のss



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別れる事は、よくある事。

生き続ける限り別れは訪れる。
まだ年若い私ですら、もう何度
離別を繰り返しただろう。

『つらくない』とはとても言えない。
別れを経験する度に、毎回
身を切られる思いを味わってきた。
苦しくて、切なくて、
涙が止まらなかった事もある。

それでも受け入れなくちゃいけない時もある。
先の見えない過去と決別して、
一歩前に踏み出すために。


大丈夫。私は慣れているから。


お母さんとさよならした時も、
麻雀クラブが解散した時も。
憧ちゃんと道を違えた時も、
あの日ドラを手放した時も。

その都度、唇を噛み締めながら耐えてきた。
耐えきる事ができた。だから今度も大丈夫。

きっと私は乗り越えられる。
ううん。乗り越えなきゃいけない。


……それでも、やっぱり。



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――つらいよ。






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『松実館へ、ようこそ!』







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ヴーーーー、ヴーーーー


「わひゃぁっ!?」

部室で皆と対局中、突然響いた振動音。
思わず体が強張って、掴んだ牌を
取り落としてしまいました。

震源を手でまさぐると、
そこにあるのは携帯電話。
点灯した液晶画面には
お馴染みの名前が表示されていて、
ついつい顔を綻ばせます。


「玄さんからメールだ」

「また!?2分前にも着たばっかだじょ!?」

「あ、2分も経ってたんだ。
 道理で長いなと思ったよ」


肩を竦める優希ちゃんを横目に、
早速返事を打ち始める私。
そんな私の様子を見て、
和ちゃんが呆れたように言いました。


「…最近咲さんは玄さんの事ばかりですね」

「旅先で偶然出会ったんだじょ?
 それだけでそこまで仲よくなれるのかー?」

「あはは…まあ、いろいろあってね」


そう、あれは一か月前の夏の日の事。

インターハイで迎えた悲しい結末に耐え切れず、
自暴自棄の末偶然辿りついた松実館。
そこで私は玄さんと出会って、
傷ついた心を癒してもらいました。

玄さんの献身的なお世話のおかげで、
心の傷は塞がったものの。
その代償も大きくて、気づけば私は、
玄さんに少し依存するようになっていました。


『お父さん!携帯電話買って!』


少しでも玄さんの声が聴きたくて、
家に帰るなりお父さんに頼み込みました。
慣れない手つきで連絡先を書いたメールを送ったら、
送信してから5秒で電話がかかってきて。


(…やっぱり玄さんってちょっとおかしい)


なんて思いながらも、胸が弾むのを
止める事ができませんでした。


「……で、それからもひっきりなしに
 連絡してくれるんだよね。
 おかげで携帯の使い方なんて
 あっという間に覚えちゃったよ」

「く、玄さんらしいと言えばらしいですね」

「うん。で、シルバーウィークに
 また会おうって約束したんだ。
 もう明日に迫ってるから、
 玄さん待ちきれないみたい」


もっとも私も、人の事は言えなくて。
カレンダーの日付を毎日チェックしながら、
「後○○日」なんて、指折り数えて
待ちわびていたんですけれど。


「というわけで、準備があるからもう帰るね」


会話もそこそこに切り上げると、
鞄を持って部室を後にします。
背中伝いに優希ちゃんのため息と
和ちゃんの苦笑が聞こえてきました。


『…あそこまで行くと、もう中毒だじょ』

『玄さん中毒ですね……』


中毒。


あまりにもしっくりくるその単語に、
背筋が少し寒くなります。

…でも。そんな時にも私は


(もし私が本当にそうなったら、
 玄さん喜ぶだろうなあぁ)

(すごく、嬉しそうに笑うんだろうなぁ)


なんて考えてしまって。
玄さんの笑顔を思い浮かべて、
ぞくぞくと甘い疼きを覚えてしまうんです。



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長野を出て数時間。
勢い込んで早朝に出発したにも関わらず、
松実館に辿り着いた頃には
少し日が陰っていました。


「や、やっと着いたよ…!
 松実館ってこんな遠かったっけ…!」


順調にいけばお昼頃には到着する予定だったのに。
こういう時、自分の方向音痴が
恨めしくてたまりません。


(あっ…玄さんだ!)


それでも玄関に玄さんの姿を見つけると、
憂鬱な気持ちは一気に吹き飛びました。


「あっ、咲ちゃん!!」


辺りをキョロキョロと見渡していた玄さんは、
私の姿を目に留めるなりいきなり駆け出してきて。
そのままの勢いで私に飛びついてきます。


「ようこそ松実館へ!来るの随分遅かったから
 心配しちゃったよー!」

「く、玄さん!?み、みんな見てますよ!?」

「大丈夫大丈夫!女の子同士だし!」


なんてにっこりと微笑みながら、
なおも私の胸に顔をうずめる玄さん。

前よりもスキンシップが
過剰になっていると思うのは、
私の気のせいでしょうか。

戸惑いながら苦笑していると、
玄さんが上目遣いで問い掛けてきました。


「それより本当に大丈夫だった?
 予定より2時間分も遅れてるけど」

「ご、ごめんなさい…道に迷っちゃって…」

「そう言えば方向音痴だったっけ。
 ごめんね。今度来る時は私が迎えに行くからね!」


両手を私の背中に回して
ぎゅっと抱き締めながら意気込む玄さん。
そこまでは…と言おうとして、
はっと息をのみました。


「く、玄さん…もしかして、
 2時間ずっと待ってました?」

「ん?ああ、そんなに待ってないよ?
 今来たところです!」


玄さんは軽いノリで答えるけれど。
それが優しい嘘である事はすぐにわかりました。
だって玄さんの顔、少し青ざめてましたから。
相当心配をかけてしまったのでしょう。


「…申し訳ないですけど、
 次はお迎えお願いしますね」

「お安い御用だよ!じゃあどうする?
 疲れただろうし、先にお風呂にする?
 あ、でもお夕飯時だしお腹減ってない?」

「あ、でもその前に少しだけ…
 玄さんとおしゃべりしたいです」

「…おまかせあれ!」


私のカバンを両手でよいしょと持ち上げながら。
玄さんは満面の笑みを浮かべて、
いつもの決め台詞を返してくれたんです。



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楽しい時はあっという間に過ぎ去るもので。
玄さんの過剰ともいえるサービスに
溺れながら過ごしていたら、
いつの間にか滞在の最終日を迎えていました。

布団は1つ、枕は2つ。高地特有の
ひんやりとした空気を肌に感じつつ。
玄さんに頬ずりしながら呟きました。


「もう最終日かぁ…今日で
 お別れしないといけないんですね」

「シルバーウィークなんて言っても
 一週間もないからねー」

「全然可愛がり足りないよー。
 咲ちゃん、後2週間は居てくれない?」


玄さんも名残惜しそうに私を抱き寄せてくれます。
少し冷えた肌に、玄さんの温もりが
じんわり染み渡ってきて。
私は目を細めながら
その温かさに感じ入りました。


「あはは、さすがにそんなに休んだら
 問題になっちゃいますよ」

「そっかぁ…次は11月?確か3連休あったよね」

「そうですね…特急とか新幹線を使えば、
 金曜日中にはこっちに来れるかも。
 その分お金はかかっちゃいますけど」

「そしたら3泊できるね!
 お金は私も出すから大丈夫!」

「そ、そこまで迷惑かけられませんよ」

「あはは、私が来てほしいから言ってるんだよ。
 咲ちゃんはこっちに来る分苦労するんだから、
 そのくらいはさせてほしいな」

「…じゃあ、お言葉に甘えちゃいますね」

「こちらこそ!」


嬉しそうに頬をゆるめながら私を抱き寄せる玄さん。
すりすりと甘えてくる玄さんに
癒されながらも、一方で
不安が胸をよぎりました。


(ああ、私。どんどん深みに嵌ってきてる)


旅行代の折半の申し出。
ちょっと前の私だったら、
絶対に受けなかったと思います。

それだけじゃありません。
8月にもたくさんお邪魔して、
なのに9月にもお泊まりして。
それでも全然足りなくて、
もう11月を視野に入れるだなんて。
いくらなんてもやり過ぎです。

薄々わかってはいたけれど。
自分が玄さんに依存している事実を
まざまざと見せつけられた気がして。
止められない自分が怖くなってきました。


(このまま、玄さんと一緒に居て
 大丈夫なのかな)


ううん、本当はわかってるんです。
このままじゃいけないって。

こんな関係を続けていたら、
私はきっと、遠からず玄さんから
離れられなくなってしまうでしょう。


――でも。


「じゃあ次は11月20日だね!
 首を長くしてお待ちしておりますので!」

「ふふ…こちらこそ、よろしくお願いします」


私はもう、自制する事はできなくて。
玄さんの提案を、抗う事なく
受け入れてしまったんです。



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それでも、まだこの時だったら。
私達は、健全な世界に引き返せたのでしょう。

だって、依存しているのは私だけで。
玄さんもちょっとおかしいのは
事実だったとしても。

それは私に依存しているというよりは、
生来の世話焼きから来るものでしたから。





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変わってしまったのは、11月。

そう。そろそろ3年生の進路が確定して、
受験が色濃くなってくる季節の事。

駅で私を出迎えてくれた玄さんは、
今までとはまるで別人のようでした。


「咲ちゃん…会いたかった…本当に……!」


そう言って、まるで藁にも縋るように。
もう二度と離さないと言わんばかりに。
玄さんは私の手を、両腕でぎゅっと。
固く、固く握ったんです。





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「な、何かあったんですか?」

「…え?」

「確かに玄さんは、私の事を
 いつも熱烈歓迎してくれますけど」

「なんか、今日の玄さんは
 ちょっと違うなって。
 私を癒すためっていうより…」

「なんか、玄さん自身が
 すごい寂しがってたっていうか…
 そんな気がして」

「…やっぱり、咲ちゃんにはわかっちゃうかぁ…」

「実はね……」




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「お姉ちゃんが…出て行っちゃうんだぁ………」






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高校を卒業したら、松実館を出て
東京の大学に進学する。

おねーちゃんの計画は、私にとって
まさに寝耳に水だった。


『ど…どうして!?大学に行くだけだったら
 別に奈良にいても行けるよね!?』

『ごめんね…でも、ずっと前から
 考えてた事なんだ』

『な、なんで!?』


高校卒業を期に一度家を出る。
それ自体は珍しい事ではないと思う。

それでも受け入れ難かった。
だって、私にとっておねーちゃんは。
ずっと、小さい頃から一緒に居たわけで。

お母さんが私達を置いて逝ってしまっても。
赤土さんが去ってしまっても。
憧ちゃんと離れ離れになってしまっても。


それでも、おねーちゃんだけは
変わらずそばにいてくれた。


おねーちゃんが居てくれたから、
他の別れを受け入れられた。
なのに、そのおねーちゃんが私から離れて、
遠い地に一人去って行く。


耐えられる気がしなかった。


『やだよ、おねーちゃん!
 私を一人にしないでよ!!』

『玄ちゃん…お願いだから聞いて?
 東京にね、私みたいな特異な症例を
 研究してる大学があるの』

『そこに行って研究したら…
 この体質を改善できるかもしれないんだよ』

『何とかして治したいの。このままじゃ私、
 まともに働く事もできない。
 玄ちゃんにだって、ずっと迷惑かける事になっちゃう』

『いいよ!迷惑かけてよ!私は
 おねーちゃんの世話ができて幸せなんだから!』

『ごめんね…私が嫌なの…
 もう、私のせいで誰かが苦労するのは』

『……っ!』


思わず言葉を失って、
おねーちゃんの顔を覗き込む。

涙で歪む視界に映ったのは、
悲壮な決意を篭めた眼差し。

私は今まで、こんな目をした
おねーちゃんを見た事がなかった。


――ああ、ダメだ。止められない。


おねーちゃんが、この体質のために
どれだけ苦しんできたのか。
そばにいた私が一番よく知っている。

いつも厚着をしていたせいで、
虐められてきた事も知ってる。
体質のせいで、本当に死にかけた事がある事も。

そんなおねーちゃんが、今。
自分の意志で、体質を克服するために
動き出そうとしている。
それを、私の我儘でどうして
止める事ができるだろう。


口をつぐんだ私を前に、
申し訳なさそうな顔をしながらも。
おねーちゃんは決断を翻す事なく貫いた。


『4年。結果が出せなくても、
 4年できっちり帰ってくる。
 だからそれまで…待っててくれないかな』

『おねーちゃんっ……』


私は力なく項垂れたまま、
ただ受け入れるしかできなかった。

おねーちゃんが離れていく事を。
私は止める事ができなかった。


できなかった。



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玄さんの献身は、もはや完全に
病的な域に達していた。


「どう?咲ちゃん。美味しい?」

「あ、はい。美味しいです」

「じゃぁ次はこれね。はい、あ〜ん」

「く、玄さん…自分で食べられますから」

「いいのいいの。咲ちゃんは何もしなくて。
 私が全部やるから!」

「ほら、お口開けて?あ〜ん」

「あ、あーん……」


そうしなければ、宥さんが居なくなるという事実に
耐えられなかったんだと思う。

代替の依代(よりしろ)を見つけて、
それに縋らなければ。精神の均衡を
保てなかったんだと思う。


3日間の滞在の間、玄さんが私から
離れる事はなかった。

それは文字通り、本当に片時も離れる事を許さず。
私のために全てを尽くした。


「さ、咲ちゃん!咲ちゃんどこ!?」

「あっ、玄さん…ごめんなさい。
 と、トイレに行ってました」

「はぁっ…心配したよー……
 今度からトイレ行く時は私に行ってね?」

「は、はい……」


日が経つにつれ、玄さんの情緒は
どんどん不安定になっていった。

そして、私が松実館を離れる日になると。
朝から頬を伝う涙は止まる事無く。
何度もしゃくりあげながら私を抱き締めた。


「つぎっ…次は…12月だよね!?」

「待ってる…!私、ずっと待ってるから…!」

「来てね!絶対に…!絶対に来てね…!!」


腕にこめられた力は強く、
声は酷く震えている。

もはや隠される事すらない狂気。
それを一身に受け止めながら、
私は一人電車に乗って、
玄さんをそこに置き去りにする。


「待ってるからっ……!!」


汽笛が鳴り、電車は無情に動き出す。
玄さんはいつまでも手を振っていた。

きっと、私が見えなくなっても。
ずっと、ずっと。



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体育館に校歌が鳴り響き、
冬休みの始まりが告げられた。

そう。今日は待ちに待った終業式。
玄さんと別れてからはや約一か月。
やっと、玄さんのもとに駆けつける事ができる。


「お疲れさまでした!よいお年を!」

「…ちょっと待ちなさい、咲」


挨拶もそこそこに部室を飛び出そうとする私に、
部長が静かに『待った』をかけた。

逸る私とは対照的に、部長は静かに
私の目を見据えて諭し始める。


「…ねえ。また松実さんのところに行くの?」

「はい。冬休みにもお邪魔するって約束したので」

「11月にも行ったばっかりでしょ?
 交通費だって馬鹿にならないでしょうに」

「でも、その分玄さんのご厚意で
 宿泊代はかかりませんし、
 交通費も折半でしたから」

「うーん。あんまり松実さん家頼みっていうのも
 よくないんじゃない?」

「それは私も言ったんですけど、
 むしろ玄さんの方が来てほしいって」

「…松実さんの方が…ね」

「はい。宥さんが卒業したら
 東京の大学に行っちゃうらしくって。
 受験やら下見やらで冬休み中
 ほとんどいなくて寂しいからって」

「……」

「……」


不意に沈黙が訪れる。部長は逡巡しながらも、
やがて意を決したように。
ゆっくりと、でも決然と口を開いた。


「…ねえ咲。一つだけ確認させて頂戴」

「なんですか?」

「もし。もしね。万が一、
 次に貴女が玄さんの所に行った時」

「玄さんがおかしくなってて。
 貴女の事を離したがらなくなって」

「貴女に縋りついたとしたら…
 貴女は、その手を跳ね除けられるのかしら?」

「……」


私は思わず目を見張る。
私の顔を覗き込む部長の目は
真剣そのものだった。

万が一。部長はそう前置きをしたけれど。
おそらく本当は確信していたんだと思う。

次、私が玄さんのもとを訪れた時。
私は帰ってこれない可能性が高いって。


そう。ここは、私にとって最後の分水嶺。


例え心を犠牲にしても、正しい道を選ぶのか。
それとも、異常だとわかっていても…
二人で堕ちる道を選ぶのか。


「ねえ咲、答えて頂戴」

「……」


部長は今一度問い掛けてくれている。
私が後悔しない選択をするために。


でも。その質問の答えはもう決まっている。


「もしそうなったら…私はその手を握ります」


玄さんに見送られたあの日以来。
私は真剣に考えた。何日も、何日も。
寝る間も惜しんで考えた。

その上で出した結論。
その答えを部長に告げる。


「だから私は…もう一度松実館に行きます」


部長は肩を竦めて苦笑した。
諦めたような、でも、
優しい慈愛のこめられた笑顔だった。


「そっか。じゃあ、これでさよならかもね」

「はい」


部長はそれ以上止めようとはしなかった。
私は部長に背を向けて走り出す。

校門を潜り抜けると、まっすぐ家まで駆け抜けて。
玄関に用意しておいたスーツケースを掴んで
そのまま駅へ駆け出した。



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清澄を発って数時間後。電車は
吉野のホームに辿りついた。


「……」


玄さんが立っていた。
夜の帳に包まれて、寒々しいホームに一人。
ぽつり、と一人だけ立っていた。


「お帰りなさい、咲ちゃん」


玄さんは私に笑顔を見せる。
その笑みにいつもの快活さは見られない。
瞳の奥はどこか妖しく、
異様な程にギラついている。


「さあ、行こう!」


それでも声だけは元気よく、
玄さんは私に手を差し伸べる。
その手はかすかに震えていた。


「はい、行きましょう」


それでも私は、迷う事なく手を取ると。
その手をぎゅっと握りしめた。



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コツ、コツ、コツ。


玄さんに手を引かれ、二人静かに
松実館の客室廊下を歩き続ける。


コツ、コツ、コツ。


いつも泊まる客室の前に差し掛かっても、
玄さんの歩みは止まらなかった。


コツ、コツ……


沈黙のまま歩き続ける事しばし。
客室エリアを通り抜け、
突きあたりの部屋の前に辿りつくと、
ようやく玄さんはその足を止める。
そして私に振り向くと、
努めて明るい声で言った。


「きょ、今日からここが咲ちゃんの部屋ね!」


私は扉に目を向ける。
扉に掛けられたプレートには、
ご丁寧に『さき』と名前が彫られていた。


「…玄さん」


私は静かに呼びかける。
しばしの静寂の後返ってきた玄さんの声は、
か細く小刻みに震えていた。


「……ねえ、咲ちゃん。
 咲ちゃん前に言ったよね。
 追いかけても追いかけても、
 振り向いてくれない人が居るって。
 むしろ追いかけるだけ嫌われちゃったって」

「…はい」

「じゃあ、じゃぁね?
 もし逆の人が居たらどうかな?」

「逆?」

「うん。咲ちゃんの事を追いかけてくる人。
 振り払っても追いかけてくる人。
 何があっても咲ちゃんの側を片時も離れない人」

「も、もし…そんな人が居たら、どうする?」

「……」

「……」

「嬉しいなって思います。
 私も、そういう人を求めていますから」

「そ、そっかぁ」

「はい」


玄さんが言葉を紡ぐ。
その目には涙が浮かび、
声には嗚咽が混じっている。


「…も、もし。もしだよ。私が、
 咲ちゃんから離れたくなくって」

「さ、咲ちゃんを帰したくなくなって」

「さ…咲ちゃんの事…
 縛りつけちゃったら、どうする?」

「……」

「…咲ちゃん?」

「…もし、それが事実になったとしたら」

「…したら?」

「……」



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「…嬉しいなって、思います」






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玄さんの目から、大粒の涙があふれ出した。






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別れる事に慣れている。かつて、
玄さんはそう言っていた。

お母さん。恩師の先生。かけがえのない仲間。
仕方ない事とはいえ、たくさんの人が
玄さんを置き去りにしていった。

だから、傷つく事には慣れているって。
寂しそうに玄さんは笑っていた。


でも私は、逆だと思った。


別れを繰り返せば繰り返す程、
『次』に対する恐怖はつのる。
だから玄さんは、むしろ人一倍別れに弱い。
本人にはとても言えなかったけど。


そして、それは思った通りだった。


宥さんとの別れ。それは宥さん…
ううん、普通の思考の持ち主からすれば、
そこまで大事ではないんだろう。

でも、それは。幾度となく別れを告げられて、
傷ついてきた玄さんにとっては
致命的なものだった。

今の玄さんに、宥さんとの別れを
乗り切るだけの強さはない。


「…でも、大丈夫です」


震える玄さんの手を握る。
空いた手で、玄さんの頬を伝う涙をぬぐう。


「…咲ちゃん……?」

「私がずっとそばに居ます。
 私は、玄さんから絶対に離れません」

「だから…大丈夫です」


大粒の涙を零す玄さんの目。
いつもキラキラ輝いていた玄さんの瞳。

その目が、私の言葉を受けて光を失っていく。
健常な光を失い、私という底なし沼に沈んでいく。

わかってる。今、私がしている事。
それは玄さんのためにはならない。
むしろ、玄さんを完全に壊してしまう行為だって。

そうなってしまえば最後。
私達はお互い依存しあって、
壊れていく事しかできないだろう。

でもそれでいいと思った。
ううん。むしろ、そう在りたいと思った。

今思えば、最初から。
玄さんに初めて会ったあの日から。
私は玄さんに壊されていたのかもしれない。


「…玄さん」


そっと玄さんに口づけた。
玄さんは眠るように瞼を閉じて、
私の唇を受け入れる。

そして、次に瞼を開いた時…
玄さんの瞳から、光は完全に消えていた。



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冬休みが終わり、センター試験も通り過ぎ。
卒業式が秒読みの段階に至っても、
咲が戻ってくる事はなかった。

もう随分と使われていない
咲用のティーカップに視線を落としながら、
私はぽそりと呟いた。


「…やっぱりこうなっちゃったか」

「わかっとったんか」

「なんとなくね。状況は結構前から宥に聞いてたから」

「わかっていたならどうして止めなかったんですか!」


和が声も荒げながら詰め寄ってくる。
そんな事を言われても。
乾いた笑みを浮かべるしかない。


「あはは。止められるわけないじゃない」

「結局私は、あの日咲を助けなかったのだから」


そう、インターハイのあの日。
私は咲に手を差し伸べる事ができなかった。

姉にこっぴどく拒絶され、咲が
救いを求めている事は知っていたのに。

依存させてあげる事ができなかった。
いずれ卒業するからと。いずれ別れが訪れるからと、
くだらない道徳に囚われたせいで。


「でも、松実さんは違った」


咲に手を差し伸べた。
あの子を溺れさせてあげた。
それがどれ程あの子の救いになったか。

もし松実さんが居なければ、
咲は今頃この世に居なかったかもしれない。
だからこそ咲は、松実さんが狂気に堕ちた時。
その手を握る事を選んだのだろう。


「…もちろんそれが
 『正しい』とは思わないけどさ」


でも、例え病気であったとしても。
もう、離れる事ができない程に
依存してしまったとしても。


「二人が幸せになれるなら…
 それでいいんじゃないかしら?」


誰に言うでもなく呟いた。
もう二度と戻らないだろう、
咲の笑顔を思い浮かべながら。



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玄さんの手を取った私が選んだ道。
それは高校を中退して、
松実館のお世話になる事だった。

玄さんは阿知賀に転校すればいいと
言ってくれたけど、それは頑なに断った。


「別に高校生までやめる必要は
 ないと思うんだけどなぁ」

「いいんです。これは私なりの決意表明ですから」

「決意表明…?」

「はい。これで私は、玄さん以外
 全部無くなっちゃいました」

「ここまですれば…玄さんも
 安心してくれますよね?」

「…!」

「むしろ、玄さんに捨てられたら、
 私の方が困りますから…
 捨てないでくださいね?」

「っ、捨てないよ!私は、
 絶対に咲ちゃんを捨てない!」

「はい。もちろん信じてます」


仲居の着物に身を包んだ私を、
玄さんがぎゅっと抱き寄せる。
玄さんの温もりにうっとり目を細めながら、
自らの体重をそっと預けた。


(なんて、本当はそれだけじゃなくて)

(宥さんが居なくなった後、少しでも
 玄さんを独り占めしたいからなんだけどね)

(私が学校をやめれば、玄さんだって
 その内やめるだろうし)


心の中で舌を出す。そして改めて実感した。
やっぱり、私達は似た者同士なんだろう。

どちらも重度の依存症で、お姉ちゃんに依存してて。
挙句捨てられた者同士、その傷を舐めあっている。

健全とは言えない。壊れていると言っていい。
それでも私は構わない。
だって、確かに今。私は幸せなんだから。

私は玄さんの異常な献身に救われた。
だから私も玄さんを救う。
二人でどっぷり依存しあう事で。


私達はそれでいい。


「いらっしゃいませ!長旅お疲れさまでした!」


今日も松実館は大忙しだ。若女将候補の玄さんが、
お客さんに笑顔を振りまいている。

普通に観光に来た家族もいれば、
卒業旅行シーズンらしく友達同士で
肩を並べている人達もいる。

そして…そんな人達の中に紛れる様に、
どこか虚ろな目をした人もいる。

そう、あの日の私と同じように。


「……」


玄さんのものになって、松実館に就職した私。
そんな私には、ちょっとした信念がある。

それは誰かを救う事。あの日、
玄さんが私にしてくれたように。

もちろん、私は玄さんのものだから、
私自身を捧げる事はできないけれど。
それでも。


(傷ついた人を。少しでも癒す事ができたらいいな)


なんて事を考えながら。
私は玄さんに倣って声を張り上げた。


「…ま、松実館へ、ようこそ!!」


(完)
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posted by ぷちどろっぷ at 2016年01月08日 | Comment(6) | TrackBack(0) | 咲-Saki-
この記事へのコメント
咲さんの胸に顔をうずめる……? 愛? 愛の成せる技なの?

お世話する側まで可愛いのは素晴らしいですね。あと縋り付く様がなんかセクシー。
Posted by at 2016年01月08日 22:20
首を長くして待ちました。今回は続き物で壊れながら最後はハッピーエンド?のSSでとても良かったです。久の最後の台詞はかっこよかったです。
Posted by at 2016年01月08日 22:33
すごい良かったですわ。
また玄咲書いてくらさいオナシャス。
Posted by at 2016年01月09日 00:15
続きが出ると思ってなかったから、出てきた時凄く嬉しかった
 
「ようこそ」から「お帰り」に変化してるのに気付くのに三回掛かった……
 
最初の二回全く気付かず普通に読んでしまった自分に少しばかりの恐怖を覚えたゾ……
Posted by at 2016年01月09日 13:58
コメントありがとうございます!

愛の成せる技なの>
玄「おもちの大小に貴賎なs」
咲「いくら玄さんでも怒りますよ?」

久の最後の台詞は>
久「ちょっとした後悔が混じってるのよねー」
和「自分はその境地に至れなかった、みたいな」

また玄咲書いてくらさい>
玄「リクエストで一杯来たら書くかも」
咲「原作では絡みがないですからね…」

「ようこそ」から「お帰り」>
玄「気づく人いるんだね!嬉しい!」
咲「暗に家族扱いでもう逃がさない
  宣言なんですよね」
Posted by ぷちどろっぷ(管理人) at 2016年01月11日 14:20
2人が幸せなら、それはそれですばら!
本当にいい作品でした!かれこれ何回も読んでるけど、未だに読んでしまう。
Posted by 名無し at 2017年03月11日 08:50
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