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【咲-Saki-SS:久菫】久「身も、心も、貴女のモノ」【ヤンデレ】【依存】【狂気】
<あらすじ>
なし。<その他>のリクエストを参照の事。
<登場人物>
竹井久,弘世菫
<症状>
・狂気
・依存
・ヤンデレ
<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・久菫で、菫さんを好きになった久さんが
自分を好きになってもらうように
色々と頑張るお話
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「はぁ…寂しいな」
花冷えに身を震わせながら、
一人ぽそりと呟いてみた。
呟きを拾って言葉を返す人はいない。
しん…と静まり返った空気に
また少し体温を奪い取られた気がして、
私は思わず目を細めた。
(…寂しいな)
今度は心の中で呟いた。これ以上、
身体が凍てつかないように。
高校卒業を機に長野を出た。
無性に一人になりたくて。
清澄高校の皆とも離れ離れになった。
喧嘩でもしたのか?違う。
皆との関係は良好だった。
だからこそ、少しずつ皆が私を
必要としなくなっていく事に耐えられなかった。
インターハイが終わり、部長職を引き継いで。
麻雀部を引退し、自由登校期間に入る。
少しずつ、少しずつ、
私の関わる機会が減っていく。
足場を削り取られていくような感覚。
居場所を奪われていくような感覚が
怖くて仕方なかった。
『部長が作った麻雀部、私達が
しっかり受け継いでいきます!』
引退の時に和がくれた台詞。
普通なら、この頼もしい後輩の言葉を前に、
もう心配する事はないと
肩の荷を下ろすところなのだろう。
でも私は駄目だった。『お前はもう要らない』と、
自分が切り捨てられたようにしか聞こえなかった。
このまま長野に留まれば、この苦痛は
ますますひどくなっていくのだろう。
高校を卒業してしまえば、私は完全に
『OB』という名の部外者となる。
控室に入る事も許されず、
ただ皆が私の知らない後輩と一致団結する姿を
蚊帳の外で眺める存在に成り下がる。
(それならいっそ、自ら身を引きましょう)
耐え切れなくなって、みっともなく
縋りつくようになる前に。
そして私は県外に飛び出した。
やるならとことんやってみようと、
はるか遠く、東京の大学に進学する事に決めた。
近場だと戻りたくなったら戻れちゃうから。
部屋も借りた。30平米にも満たない
典型的なワンルームだけど。格安で
なかなかいい物件をチョイスした。
心機一転、ここでまた一から頑張っていこう。
…それでも。やっぱり寂しいものは寂しい。
どうやら私は、一人では
生きられない生き物らしい。
「……寂しいな」
もはや口癖と化したその言葉。
言ったら余計辛くなるとわかっているのに、
呟かずにはいられなかった。
心が悲鳴を上げている。
胸の内に留めておけない程に、
寂寥の念に支配されている。
「…寂しい、寂しい」
返事が返ってくるはずもないのに、
誰かにそれを受け取ってほしくて。
私はただ嗚咽するように言葉を吐き出し続ける――
――と、そんな時。
「…お前は一人暮らしが長くなったOLか」
「……!?」
返ってくるはずのない応答が返ってきた。
驚いて振り向くと、そこには見覚えのある顔。
「久しぶり。まさかお前もこの大学に来ているとはな」
元白糸台高校部長。弘世菫その人だった。
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弘世さんの事は前から知っていた。
白糸台とはインターハイの決勝戦で対局したし、
その後も何度かやり取りがあった。
あの日の事を思い出す。
チーム虎姫をうちの合宿所に招いて
強化合宿をした時の事だった。
「しばらくの間よろしく頼む」
長身で無表情な上に無骨な物言い。
ともすれば声を掛けるのに躊躇いそうな
雰囲気を纏った弘世さん。
そんな彼女が深々とお辞儀をした時に、
ぺらりと背中に何かが見えた。
張り紙だった。
妙に流麗な毛筆で、その紙に
したためられていた文字はと言うと…
『シャープシューター☆すみれ』
噴いた。
あんまりにもあんまりすぎる不意打ちに、
私は笑いを堪えながら挨拶を返す。
「よ、よろしく…しゃ、
シャープシューター☆すみれさん」
「ぶはっ!」
それを受けて今度は白糸台の金髪の子――
大星さんが噴き出した。
「な!?どうして君がその名を!?」
「や、だってっ…わざわざ背中に
張り紙してあるから、
そう呼ばなくちゃいけないのかなって」
「張り紙!?あっ、なんだこれ!」
「淡!!」
「キ、キオクニゴザイマセン…ぷふっ」
貼り付けられた紙をぐしゃりと握り締めながら、
弘世さんが大星さんに掴みかかる。
他校の合宿所に招かれたにしては
あまりに自由奔放な有様を尻目に、
宮永さんが一言付け加えた。
「…とまあ、虎姫は大体こんなチーム」
「違う!虎姫は白糸台の代表として、
淑女の集まりであるべきで……」
「…そう思うならこの首絞めやめてよ菫先輩!
落ちる!落ちるから!!」
「淑女…ねぇ」
「…と、とにかくよろしく頼む!
私の事はただ弘世と呼んでくれ」
痙攣し始めた大星さんを慌てて離すと、
真っ赤な顔をして弘世さんが訂正する。
私は生暖かい笑みを浮かべながら頷いた。
「わかったわ。シャープシューター☆すみれさん」
「何もわかっちゃいない!」
ああ私、多分この人大好きだ。
だって…
すっごく、いじりがいありそう。
結局合宿があった3日間、
私は大星さんと一緒に
弘世さんをいじり倒した。
それは幸せな日々だった。
もっとも、弘世さんにとっては
地獄だったかもしれないけれど。
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そんなわけで、元々交流はあった私達。
でも、今ここで居合わせたのは全くの偶然だった。
特に示し合わせたわけでもなく
お互いバラバラにこの大学を選び、
偶然にこの時間キャンパスで顔を合わせたのだ。
それは奇跡とも呼ぶべき僥倖だった。
(まさか、このタイミングでこの人に会うなんて)
いじりがいがあって、それでいて
大半の悪戯には目をつぶってくれる人。
全体重をかけて寄りかかっても、
潰れる事無く受け止めてくれそうな人。
寂しさに押し潰されそうになって、
誰かに甘えたくて仕方ない私にとって。
弘世さんはまさに適任だった。
あまりにもタイミングが良すぎて、
まるで運命ではないかと思ってしまう程に。
(これってきっと…何か意味があるんでしょうね)
(…なら、この人を逃がしちゃいけないわ!)
そこからの行動は早かった。
「弘世さん、いきなりだけどお願いがあるの」
「…なんだ?」
「ルームシェアしましょ?」
「はぁ!?」
出会って数分。黄昏ていた理由も、
そもそもなぜここに居るのか告げる事もなく。
私が投げ掛けたのはルームシェアの誘い。
当然ながら弘世さんは目を白黒させながら
戸惑いの声をあげる。
「いやいや、今もう4月だぞ?
お前だってとっくに
住むところは確保してるだろう?」
「今の場所に居たくないの。弘世さんは実家?」
「いや、大学入学を機に一人暮らしだが…」
「置いてください!お願いします!
何でもしますから!この通りです!!」
「お願いします!!捨てないでください!!」
大声で意味深な台詞を叫ぶ私に、
キャンパスを歩く人達が足を止める。
「ちょ!?大声出すのやめろ!?
なんか私がアレな人みたいじゃないか!」
「捨てないで!!一人にしないで!!!」
「ああ、もうわかったらとりあえず口を閉じろ!」
「言質取ったわよ」
「こいつっ……!」
刺さる視線に耐えかねて、
弘世さんは安易に承諾してしまった。
私はこうべを垂れながら、一人密かに舌を出す。
(うん、わかってた。貴女はそういう人よね)
「まあでも実際本格的に堪えてるのよ。
一人暮らしって寂しくて仕方がないわ」
「意外だな。そんなに弱い奴には見えなかったが」
「そこは後輩がいる手前、
ある程度は虚勢張ってたもの。
本当の私はすっごくナイーブなのよ?」
「ナイーブという単語に謝れ。
そんな奴がキャンパスのど真ん中で
大声で騒いだりするか」
「それはそれ、これはこれ。
で、どうなの?私結構家事とかもできるし
置いて損はないと思うわよ?」
「別に家事は間に合っているが…
あれだけ沈んだ様子を見ておいて、
手を差し伸べず立ち去るのも心苦しい」
「仕方ない。しばらくうちに来い。
一緒に暮らせるか試してやる」
「やりっ!気に入ってもらえるように頑張るわ!
あ、女の子連れ込む時はちゃんと
外してあげるからね?」
「余計な気遣いは無用だ!」
会話が始まって数分足らず。あっという間に
ルームシェアする事が決定した。
それは弘世さんからしたら、
野良犬に噛まれたのと同じ類の
災難だったかもしれない。
でも私は救われた。
全てが色褪せて寒々しく感じた世界が、
瞬く間に色めいて華やかな世界に転じていく。
これが私の、華麗なる新生活への第一歩。
そして、弘世さんに依存していく
最初のきっかけとなる出来事だった。
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次の日。家財道具を詰め込んで
押しかけた私を待ち受けていたのは、
別世界かと思わせる程に
きらびやかなマンションだった。
「…え、うそ。ホントにここなの?」
エントランスには警備員が常駐している。
オートロックで廊下に入るにも
生体認証が必要という徹底ぶり。
私は若干おどおどしながら
弘世さんを呼び出してもらった。
この時点でも既に驚きなのに、
弘世さんの言葉はさらに私を戸惑わせる。
「このマンションは弘世家の所有だから、
好きな部屋を選ぶといい」
「は?」
明らかに富裕層専用の豪奢なマンション。
それを所有?あまつさえどの部屋を使ってもいい?
「…もしかして、弘世さんって
超がつくお嬢様?」
「世間的に見たらそうなるだろうな」
「シャープシューター☆すみれなのに?」
「その名前を口に出すな!」
語気を強めながらツッコミを入れる弘世さん。
やがてごほんと一つ咳払いすると
どこかばつが悪そうに弁解し始める。
「無用な贅沢だというのはわかっているさ。
私としても社会勉強の一環で
家を出るのだから、ごく一般的な
賃貸がいいと主張したんだが…」
「結果はこの通りだ。マンションを
ポンと一棟与えられた」
「はぁー…セレブは規模が違うわねぇ。
ホント、別世界の人間って感じがするわ」
「そう言うな。そんなわけだから…
こういう言い方もなんだが、
今回ルームシェアする事になって
少し楽しみでもある」
「学生同士で住みかを共有なんて、
『らしい』からな」
そう言って弘世さんは薄く微笑む。
なるほど。この優雅な立ち振る舞いや、
悪戯に鷹揚な大器も、
相応の下地があっての事なんだろう。
同時に、私の中で黒い思惑が頭をもたげる。
箱入り娘のお嬢様が初めての一人暮らし。
それって、いかようにも汚染し放題、
という事ではないだろうか。
これからの生活を妄想して胸が躍り出す。
「ちなみに私は430号室をメインに使っている。
決め手がないならその隣でいいと思うが」
「ええとね、弘世さん?ルームシェアって
そういう事じゃないのよ?」
「読んで字のごとく、部屋を共有するから
ルームシェア。部屋が別々じゃ
ただの一人暮らし×2じゃない」
「む、そうなのか…」
…その前に、まずは一般的な知識から
教えていく必要がありそうだけど。
「と言うわけで私の住む部屋はここ。
よろしくね?」
私は自分の荷物を強引に430号室に運び込むと、
洗面室の歯ブラシスタンドに
自分のそれを立て掛けた。
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毎日菫と一緒に過ごした。
学科も違うというのに、できる限り
菫のそばに居続ける様に心掛けた。
兎にも角にも、早く菫との距離を
縮めたかったのだ。
遠く離れた都会に一人。
全てを曝け出せる人が欲しかった。
幸いと言うかなんと言うか。
菫は菫で、大学に馴染んでいるとは
お世辞にも言えない状況だった。
インターハイでの活躍もあって
菫の知名度は異常に高い。
お嬢様学校出身である事も、
格式ある家の出である事も
既に学内中に広まっている。
それでいてあの容貌と振る舞いだ。
あまりにも高嶺の花。
そう感じたのか、大半の学生は
話し掛けるのに気後れしているようだった。
そんな中話しかけてくるとすれば、
物怖じしないガツガツとした軽薄な男か、
取り巻きになって甘い蜜を啜ろうとする意地汚い女。
後は自分なら釣り合いが取れていると勘違いした
プライドばっかり高い人間くらいのもので。
私が何もしなくても、数週間もしたら
菫の方から周りと距離を置き始めた。
「…それなりに評判のいい大学を
選んだつもりなんだがな」
「何かご不満でも?」
「どいつもこいつも中身がない。
流行のドラマ、流行の服。
もしくは見当違いの選民思想。
挙句の果てに親に金を出してもらっているくせに
自主休校などと抜かす輩までいる」
「何しに大学に来てるんだ?
学ぶ気がないなら来なければいいだろうに」
「正直失望した。これなら親が勧めてきた
歴史のある女子大の方がよかったかもしれない」
「ま、世間一般の大学なんてこんなもんよ。
菫が求めるようなまっとうな学生なんて
一握りしかいないわ」
本当は知っていた。別にこの大学が
そこまで悪いわけではないのだと。
どんな大学にも、一定数やる気のある人はいる。
ただ大学の場合、そう言った人を見つけるには
自分から相応に動かなければならない。
サークル、ゼミ、委員会。
しかるべきコミュニティーに入れば、
きっと菫が求めるような学生もいるだろう。
知ってはいたけれど口をつぐんだ。
まずは私との関係を深めてほしかったから。
「人との出会いなんて結局は運だしねー。
ま、私に会えただけよかったと思いなさい」
「何を偉そうに…と言いたいところだが、
冗談抜きで助かった」
「もしお前が居なかったら、
私もキャンパスで『寂しい』なんて
呟いていたかもしれないな」
「お互い助かったわね。最悪4年間
二人きりだけどよろしくね」
「ぞっとしない話だが…
割と真剣にそうなりそうで怖い」
顔をしかめながらため息を吐く菫。
それは起こりうる未来を想像して
げんなりしたとでも言わんばかりの表情だった。
でも私はまったく逆で。
そうなった時の事を想像すると、
心が弾むのを止められなかった。
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菫との生活は快適そのものだった。
格式高いお嬢様の菫だけあって、
家事に必要な技能も完璧に身につけていた。
「久。洗濯を終わらせたぞ。
他に何か残ってるか?」
「こっちも洗い物終わったわ。
優雅にティータイムとでも
洒落込みましょうか」
「いいな。なら私は紅茶を淹れよう」
「こっちはスコーンでも用意するわ」
それだけには留まらない。特に意思疎通しなくても、
阿吽の呼吸で万事が滞りなく進んでいく。
大所帯の部長を務めていただけあって、
効率のいいやり方が染みついているのだろう。
生活リズムも整っていて言う事なし。
その辺りは意外ときっちりしたい
私にとっては非常に助かる。
結論、住んでいてすごく心地よい。
そしてそれは、菫も同じように感じてくれたようだ。
「意外だったな。立ち振る舞いから察するに、
お前はもっと色々と雑な奴かと思っていたが」
「いやいや、私けっこう几帳面よ?
対局前とかチェックリスト作って
潰してるくらいだし」
「正直嬉しい誤算だった。ここまで
過ごしやすくなるとは思わなかったよ」
「もっと手間を掛けさせられると
思っていたんだがな」
「照の時みたいに」
「……」
素直に喜んでいたところに不意打ちの一言。
心に黒い炎が灯る。
菫はふとした折りにこうやって、
かつての仲間の話を持ち出してくる。
「宮永さん?あの子もけっこう
優等生っぽいけど」
「外面はな。あいつ物凄いマイペースなんだよ。
部屋中にお菓子が散りばめられてるし
本に熱中し過ぎてしょっちゅう
お風呂に入るのを忘れるし」
「相部屋だったの?」
「そういうわけではなかったが。
私が気にしてないと
どんどん堕落していくからな」
相部屋でもないなら放っておけばいいのに、
なんて毒づきたくなったけれど。
それが菫のいいところだから仕方がない。
「…私も堕落した方がいいのかしら」
「なんでだよ」
「手がかかる子ほど可愛いって言うじゃない?
菫って結構世話焼きだと思うし」
「必要に駆られて仕方なく、だ。
好き好んで面倒をしょい込みたいとは思ってない」
「でも、目が離せなくなるんでしょ?」
「…まぁな」
ふっと浮かべたその笑みは苦笑。
でもその表情はひどく優しい。
その笑みは私に向けられたものじゃない。
遠い、遠い長野に居る、
菫を捨てた人に向けられたもの。
「……」
ちりちりと、嫉妬の炎が火の粉をあげて
燃え盛っていく。
菫とルームシェアするようになって、
寂しさは飛んで行った。
でも、時折無性に苦しくなる時がある。
こういう時だ。
菫が私以外の誰かに目を向ける時。
居もしない誰かを思い出して、
懐かしそうに頬を緩める時。
菫の心はまだ私で埋まっていないのだと
思い知らされる。
私の方は、もうかなりの部分を
菫に占拠されているというのに。
菫を独り占めしたい。
身体はもちろん、心も全て奪いたい。
そのためにはどうしたらいいのだろう。
「…ま、できるところからやっていきますか」
「何をだよ」
「こっちの話〜」
「ちょ、すり寄ってくるな気持ち悪い」
「とか言って、顔が赤くなってるわよー?」
とりあえずは手のかかる子になろう。
一緒に居て心地よく、でも
危なっかしくて目が離せない子に。
そんな決意を胸に秘めながら、
嫌がる菫に圧し掛かった。
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結局私達は二人きりのまま、
一年、二年と月日を重ねていった。
そんな代わり映えしないような生活の中、
少しずつ変わっていったものもある。
それは、菫と私の関係。
いつしか私は、歩く時菫の手を握るようになった。
最初は雑に指全体を握るように、
あくまでも仲のいい友達として。
「恥ずかしいからやめろ」
なんて菫は言うけれど、その手を
払いのけようとはしなかった。
それからどれくらい経っただろう。
寒さが心底身に染みて、
人恋しくなるような雪の日に。
私は指を一本一本絡み合わせた。
それはさながら、恋人達がするように。
「……」
菫は何も言わなかった。
でも、抗おうとはしなかった。
少しだけ頬を上気させながら、
重ねた指をぎゅっと握り返してくれた。
何か大きなきっかけがあったわけじゃない。
ただ、ただ、二人で過ごした時間が
お互いの距離を縮めていく。
少しずつ、少しずつ。
お互いの境界が近づいていく。
やがて境界が触れ合って、
仕切りが曖昧になっていく。
そして、私が二十歳になった誕生日。
私達は初めて唇を重ねた。
「…ねえ、これ、菫の初めて?」
「お前、そういう事普通聞くか?」
「やましい事がないなら言えるでしょ」
「…やましくなくても、
羞恥心ってものがあるだろ」
「で?実際のところは?」
「……初めてだよ。悪いか」
「……ううん、最高」
私はもう一度キスを落とす。
二回、三回。四回五回。
菫の唇を全部私で独占したい。
雨のようにキスを降らす私を前に、
菫は頬を真っ赤に染めながら苦言を呈した。
「が、がっつき過ぎだ!」
「菫はしたくないの?」
「私は…抱きあってるだけでも十分だ」
「小食ねー。でも私は残念ながら欲張りなの」
「というわけで、いただきます」
「ちょ、もう少し恥じらいを…んむっ!」
抱き寄せて強引に唇を奪う。
舌を滑り込ませて、菫の咥内に侵入する。
奥の方で縮こまっている舌を探し当てて
ぬるりとその身を絡みとる。
「んっ…んっ……」
お互いの舌が絡み合う。くぐもった声と
ぬめる粘膜が感覚を支配して、
全てが溶けてしまいそうになる。
「……はぁっ」
荒い息を吐きながら離れると、
菫との間につぅーっと糸の橋がかかった。
「好きよ、菫…愛してる」
「私も…好きだ。久」
熱に浮かされたかのように、
蕩けた表情で愛を囁く菫。
堪らなく扇情的で、魅惑的で、
美しくて、愛おしい。
「…好き」
体の奥が熱く疼く。その衝動そのままに、
再度菫を貪った。
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お互いの唇の味を知り、より深く繋がった私達。
そんな私達の関係は、これからもずっと
続いていくのだろう。
やっぱり恋人は同い年がいい。
だって、なんでも一緒に経験できる。
これが年が違うとそうはいかない。
卒業だとか、引退だとか。
そういった無味乾燥なルールで
無理矢理引き離されてしまうだろう。
菫となら、大学を卒業したって大丈夫。
同じ会社に就職して、今住んでいる
マンションから通えばいい。
そうしていずれは結婚して。
二人ぼっちで幸せに暮らしていけるだろう。
子供はできないかもしれないけれど、
それでも私は構わない。
菫と二人なら、私はそれだけで幸せだ。
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なんて…そう考えていたのは私だけだった。
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少し考えればわかる事だった。
社交界にもその名が轟く程の名家の娘。
どこに出しても恥ずかしくないように
家事作法を躾けられた娘。
そんな名家の娘の行く末を、
想像できない方がどうかしている。
私はどうかしていた。情けない事に、
まるで考えが及ばなかった。
そう…あの時――
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――菫に拒絶されるまで。
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『ひ、久…そこは……駄目だ』
『あらどうして…?もうこんなになってるのに』
『わ、私は…操だけは守らなければならない』
『……』
『今更でしょ。唇だって、抱擁だって経験済み。
お互いの蜜の味も知り尽くしてるのに、
なんでここだけ頑なに守ろうとするわけ?』
『……そこを許す権利は、私にはない』
『…どういう事』
『そこは、弘世家の物だ。私の物じゃない』
『だから…だ、から……』
『あげたく、ても……あげ、られ、ないっ……』
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将来の婚約者のために操を守る。
そしてその婚約者を決める権利は弘世家にある。
なんて旧態依然とした馬鹿げた話。
でも、残念ながら現実だった。
「私じゃ駄目なの?」
「…跡継ぎはどうするんだ」
「今どき子供なんてiPS細胞で何とかなるじゃない」
「将来的には何とかなる可能性がある、
の間違いだろう。
私が出産適齢期の間に
実現するかと言われると現実性は低い」
「なら養子縁組は?」
「血が途切れるのをよしとはしないだろう。
健康体の女がいるのにあえて
養子で妥協する必要がない」
矢継ぎ早に問い掛ける私に対し、
あくまでも淡々と菫は答える。
一縷の望みに縋る私を断ち切るかのように。
淡々と、冷たい言葉で菫は可能性を否定していく。
「じゃあ、何?菫は最初から、
大学期間だけのお遊びとして
私と関係を持ったわけ?」
「っ…体に関しては…そういう事になる」
「…言い訳もしないんだ?」
「…返す言葉がない」
私は思わず歯噛みした。
口汚く罵りたい衝動に駆られる。
罵倒の言葉が喉元まで出かかっている。
でも、他でもない私が一番よくわかっていた。
菫は軽々に火遊びをするような女じゃない。
おそらく菫は最初から、恋なんて
するつもりはなかったのだろう。
そんな菫にすり寄って、
無理矢理心を盗み取ったのは私。
家と私に挟まれて、身もだえする程に
苦しんだに違いない。
事実、それを証明するかのように…
歯を食いしばった端からは血が滲み、
握り締められた拳は痛々しく変色していた。
「…どうしようもないのね」
「…すまない」
菫の事だ。あらゆる視点で考えに考え抜いただろう。
その上でどうしようもないと結論付けた。
ならきっと、本当に解はないのだ。
そして私も知っていた。というか経験済みだった。
いくら泣いて縋っても、どれだけ子供が
苦しむ事になったとしても。
親が下した決定を、子供が覆す事はできない事を。
「……結局最後はこうなるのね」
いつだってそうだ。私の手の及ばない外部から、
理不尽に関係が断ち切られていく。
中三で両親が離婚した時も。
手塩を掛けて作り上げた麻雀部を
取り上げられてしまった時も。
そして今も。
いつも、いつも、いつも。
まるで私を嘲笑うかのように、
大切な人は私を切り離していく。
「私はそれを…黙って
受け入れるしかないの?」
菫は否定してはくれなった。
ただただ、沈黙を守り続ける。
沈黙は肯定。
それを悟った時、私の中で何かが壊れた。
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菫と会話する事がなくなった。
私達の関係はとうに
終わってしまったかのように思えた。
いや、そもそも始まってすら
いなかったのかもしれない。
だってこれは菫にとって、
将来別の男と結ばれるまでの
モラトリアムに過ぎないのだから。
わかってる。菫が私を
心から愛してくれている事は。
将来家のために誰かに嫁いだとしても、
心だけは私にくれるかもしれない。
(…でも、私は欲張りなのよ)
心だけじゃなく、体も全部欲しい。
菫の全てを私の物にしたい。
誰かに触れさせるなんて耐えられない。
(…駄目。今回だけは諦めきれない)
生まれて初めて、心も体も愛した人。
それが菫。代替なんて存在しない。
菫本人の心変わりで破局を迎えるなら仕方がない。
でも、顔も知らない第三者の都合で
一方的に破談にされるなんて許せなかった。
考える、考える、考える。
どんな手を使ってもいい。
輝かしい未来も、平穏な家庭も全部要らない。
ただ、菫だけ手に入ればそれでいい。
「菫、菫、すみれ、スミレ」
心が闇に染まっていく。自分の中から
正気が失われていくのを感じる。
でもそれでいい。まっとうな神経では
この状況を打開できないのは、
他ならぬ菫が示してくれている。
何がなんでも菫を手に入れる。
この際、それが犯罪であっても構わな――
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――そっか。
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――道を外れてもいいなら…
いくらかやりようはあるんじゃない?
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そして私は計画を練り始める。
たくさんの人を巻き込んで。
たくさんの人に迷惑をかける計画を。
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久が私のもとを去った。行く先も告げず、
私に相談する事もなく立ち退いた。
無理もない。私は久を弄んだ。
将来添い遂げる事ができないと知りながら、
久と関係を持ってしまったのだから。
三下り半を突き付けられて当然だろう。
ただ別れ際。久は私に呪詛を投げ掛けた。
「結婚式をあげるまでは綺麗な体で居なさい。
絶対に誰にも許したら駄目」
「で、心は一生私に捧げなさい。
他の人を愛するなんて許さない」
反論を許さない笑みで久は告げた。
私は今もその言葉に縛られたまま、
久以外を愛せずにいる。
久は大学も退学した。
結果私は空っぽのまま、一人ぼっちで
大学生活を続ける事になった。
このままもう、一生久と交わる事は
ないのかもしれない。
顔を見る事も、声を聴く事も
ないのかもしれない。
それでも私は…久を愛し続ける。
なんて事を考えていたにも関わらず。
離別してから半年後、久は何をどうやったのか、
プロ麻雀リーグのトップチームに在籍していた。
スクリーンに映し出された
久の姿を前にして、私は目を疑った。
過去に聞いた時、久はプロになる気はないと
断言していたからだ。
『プロ麻雀の世界ってさぁ、
結局は個人主義じゃない?』
『そりゃ団体戦とかもあるけど、
結局評価されるのは個人の戦績』
『なんかそれって違うのよね。
人との繋がりが希薄って言うか、
私の求めてる麻雀じゃないわ』
人と繋がりたいから麻雀を打つ。
それが得られないからプロにはならない。
久らしいと思ったし、
私はその考えが好きだった。
その久が、一体どうして?
思考の海に埋没していた私を、
突如沸き起こった喝采が
現実に呼び戻す。
画面の中では、久が対戦相手に
倍満を直撃して、トップをまくって
対局を終えていた。
どこか冷静なアナウンサーの口調と、
解説の間延びした声が
耳に入り込んでくる。
『それにしても、竹井選手の活躍は
目覚ましいものがありますね』
『んー、まぁ確かに強いけどねぃ。
あんま好きな強さじゃないかなー』
『…と言いますと?』
『執念ってーの?なんか怨念に近いものを
感じるんだよねぃ。しかもその目的が
麻雀とは無関係っていうか』
『目的のための手段として
麻雀を打ってるって感じ?
昔はもっと麻雀自体を楽しんで
打つ子だったはずなんだけど』
三尋木プロに同感だった。
久とは何度も二人で打った。
強化合宿での対局は勿論、
二人で暮らすようになってからも。
久との麻雀は、まさに心の対話だった。
ただ麻雀を打っているだけ。
なのに、久の気持ちが、喜びが
生き生きと伝わってくるようで。
思わず心の中で久に語り掛けてしまう。
そして久も答えてくれる。
ただ牌を打ち合うだけで、
心を通い合わせる事ができる。
それこそが久の麻雀だった。
なのに今の久はどうだ。
まるで相手を寄せ付けない、
拒絶としか言いようのない麻雀。
モニタ越しにすら伝わってくる程の
寒々しく凍てついた空気。
さらには久の目を見て驚いた。
そこにあるのはただただ絶対的な闇。
かつての、麻雀を通して
対話を楽しんでいた
彼女の姿はどこにもなかった。
(…私の、せいなんだろうな)
久から笑顔を、楽しいという感情を
奪い去ってしまったのは
紛れもなく私なのだろう。
彼女が寂しがり屋だとわかっていたのに、
それでも家を選んでしまった私のせいだ。
胸が締めつけられる。
不意に零れ落ちそうになった涙を
唇を噛んで必死に押し留めた。
私は一生、この罪を背負って
生きていかなければならない。
ただ、一つだけ。気にかかる事がある。
三尋木プロは言っていた。
何かの目的のために麻雀を打っているようだと。
だとしたら、その目的とは何なのか。
(…久。お前は、何のために麻雀を打っている?)
モニターに映る久の顔を見る。
その顔は相も変わらず無表情で、
何も読み取る事はできなかった。
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久と別れてから数年が経ち、
ついにその日がやってきた。
そう、親が決めた婚約者と結婚する日が。
親が悪いわけではない。
元々こうなる事は決められていた。
私とてそれで納得していた。
なのに脇道に逸れた私が悪いのだ。
添い遂げる相手も申し分なかった。
人格も、教養も、家柄も何もかも。
むしろ私なんかと契りを結ばせてしまう事に、
こちらが申し訳なさを感じる程の好人物だった。
「…貴方に、言っておかなければ
いけない事があります」
久の事を彼に告げた。
私には付き合っていた恋人がいて、
まだ彼女を忘れられずにいると。
そして忘れるつもりもないと。
それでも家のために貴方と結婚すると。
結ばれる前から不貞を宣言し、
さらにはそれを止める気がないとほざく妻。
世が世ならその場で斬り捨てられていただろう。
いや、いっそ斬って欲しかった。
それが駄目なら、せめて罵倒して欲しかった。
でも。
それでいいと彼は言ってくれた。
寂しそうに笑いながら私の手をとってくれた。
それがまた、私の心を打ちのめす。
ああ、私はなんて罪深いのだろう。
今すぐ死んでしまいたい。
無論それは許されない。私の命は、
最早私のものではないのだから。
迷いに迷った挙句、久には
招待状を出さなかった。
私の心はまだ久に囚われている。
他人との結婚式に招待するなんて
できようはずもなかった。
「…久。私は明日結婚するよ。
でも約束通り、心はお前に捧げたままだ」
「でも、どうかお前は。
もう私の呪縛から逃れて…
誰かと幸せになってくれ」
居るはずもない久に語り掛ける。
当たり前だが、返事は返ってこなかった。
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結婚式当日。
純白の衣装を身に纏いながら、
漫然と空を眺めていた。
ただ人形のように座っていた。
酷く体がけだるくて何も考える気が起きない。
そんな生き人形を飾りつけるべく、
スタイリストが懸命に髪をいじくっている。
静まり返った部屋には、
退屈なテレビの昼番組が
BGM代わりに流されている。
それも私の中に留まる事無く、
右から左へと抜けていく。
刹那。
『竹井久による緊急放送を始めるぜぃー!』
悪戯猫っぽい声が私の耳をつんざいた。
…今、竹井久と言ったか?
まるで条件反射のように、
私はテレビに視線を向ける。
テレビには確かに久が映っていた。
しかも何故かタキシード姿で。
似合っているのが腹立たしい。
『えー、ついにこの日がやってきました。
今日は、私の嫁が勝手に
結婚式を挙げる日です』
『今ここに宣言します。
私が今日まで麻雀を打ってきたのは、
彼女の結婚式を阻止するためです』
スタイリストは我関せずだった。
当然だ。久と私の関係は一部を除けば
誰にも伝えられていないのだから。
映像の久が語り続ける。
『大学時代。私は彼女と深い仲になりました。
でも、その彼女は日本でも有名な名家のお嬢様で、
政略結婚をさせられる運命にありました』
『あ、その時の私はそれと知らずに
彼女と付き合ってたんですけどね』
『で、いざ結ばれようとした時にそれが発覚して。
女の私とじゃ子供が産めないから結婚できないと。
それで破局したわけですよ』
『でも私も、あの子だけは諦めたくなくて。
何が何でも、どんな手を使っても
手に入れたいって思っちゃったわけで』
『と言うわけで、今からその子の結婚式を
ぶち壊しに行ってきます!』
『あ、最後におまけ。これ、最後の最後に
その子が言い残した言葉ね。
別にこれ、私の独り相撲じゃないのよ?』
『カチッとな』
久が手に持っていた
スマートフォンを指で押す。
そして、全国ネットでの報道による
公開処刑が始まった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『私は弘世家の人間だ。家の繁栄のために、
男と子をなして次代を紡ぐ必要がある』
『だが、私が愛するのは、
生涯をかけて愛するのはお前だけだ』
『体は与えてやれないが…
心だけはお前に捧げる』
『久、お前を一生愛している』
『いつか、私達が年寄りになって。
お前がまだ私の事を愛していてくれたなら…』
『また一緒になってくれないか?』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
嗚咽混じりの独白を散々
お茶の間に流し終えた後、
満面の笑みで久が答える。
『待ちきれません!フレッシュな
弘世菫を食べに行きます!じゃ!』
勇ましい久の捨て台詞と共に、
画面が一瞬ブラックアウトする。
映像が回復した次の瞬間には、
久はドアップの三尋木プロに
すり替わっていた。
『と言うわけで、以上で竹井プロによる
緊急放送を終了するぜぃ』
『あ、ちなみにこれ録画なんだよねぃ。
続きは現場に引き継ぐぜぃ。
というわけで現場のこーこちゃーん』
さらに映像は切り替わり、
今度はいかにもライブ中継と言わんばかりの
荒い映像が映し出される。
『はい、こちら福与恒子!
面白そうな事には何でも
首を突っ込む福与恒子です!』
『今竹井プロは旧シャープシューターの
結婚式場内部をひた走っています!』
『ていうか足早い!もうちょっと手加減して!
こちとらアラサーなんだけど!?』
『いや手加減できるわけないから。
警備の人に捕まったらおしまいだからね?』
『ノープロブレム。警備の人間が来たら
私が速やかに処理しますよ』
テレビ画面に映し出された映像は、
ひどく見覚えのある廊下。
そうそれは、数時間前私がこの部屋に入る前に
歩いていたその場所で…
バンッ!!
勢いよく扉が開けられると同時に、
テレビと現場の映像が一致する。
「というわけで菫。神妙にお縄につきなさい!」
「…それ、花嫁に言う言葉じゃないだろ」
「じゃあ言い換えるわ。
迎えに来たよ、マイワイフ」
久しぶりの再会にも関わらず、
人を舐めたような言動を繰り返す久。
「……」
だがその目は笑っていなかった。
真剣そのものに、私の瞳を
真っ直ぐに見据えている。
事の重大さ。それは久もわかっているのだろう。
それでも、問い掛けずにはいられない。
「…久。自分が何をしたのかわかっているのか」
「お前は弘世家に泥を塗った。
そして麻雀界にも多大な迷惑をかけた」
「これから日の当たる世界で
生きていけなくなるかもしれないぞ」
脅迫とも取れる物言いに、
久はまるで動じる事なく口を開く。
「…ま、弘世家が私達を
引き裂こうとするならそうでしょうね。
ここまで壮絶に愛し合う二人を
引き裂こうとする程
度量が小さい家ならね?」
「ていうか、ぶっちゃけそんなの関係ないのよ」
「関係ない?」
「うん。私は貴女と添い遂げられないなら
生きるつもりはないの」
「貴女と別れるくらいなら、
いっそ弘世家に追い詰められて
無理心中する方が幸せなのよ」
「というわけで、貴女の意見は聞かないわ。
最初から奪うつもりで来たから」
「何なら少しは抵抗してくれていいわよ?
その方が私も楽しいから」
語りながら久がにじり寄ってくる。
スタイリストが散り散りになって逃げていく。
私は一歩も動けずにいた。
そもそもあんな公開処刑をされた後で、
今更どんな言い訳ができると言うのか。
「…もとはと言えば、私がお前より
家を優先したのが悪い」
「心を決めた。私を奪って逃げてくれ。
一緒に罪を背負ってくれ」
「そして、もしその時が来たなら…」
「私と一緒に死んでくれ」
久が満面の笑みを浮かべる。
私を抱えて持ち上げながら、
声高らかに言い放った。
「喜んで!」
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縁談は破談となった。
当たり前だ。花嫁が目の前で攫われた。
しかも相手はその花嫁が
密かに想い続けていた相手で、
あまつさえ一部始終がテレビで
暴露されたのだから。
メディアは連日荒れに荒れた。
私達を悲劇のヒロイン達として
好意的に報道する局もあれば、
自分勝手に周囲を振り回したと
酷評する局もあった。
ただどちらの報道にせよ、
『竹井久は責任を取って
弘世菫を幸せにすべき』
という論調に終わるあたり、
何らかの根回しが働いていると
思わずにはいられない。
「ふふ。これで菫は、私の子供以外
産めなくなったわねー」
「私以外の子供を産んだとなれば、
あの子の親は誰だ?ってなるもんねー」
「世間は私達がいつiPS細胞で子供を作るか
もちきりよ?この状態で弘世家が
貴女を別の男と孕ませようというなら、
弘世家の評判は地に落ちるわ」
してやったりとばかりに、
私を抱き締めながらニコニコと
だらしない笑顔を見せ続ける久。
帰ってきてからはずっとこうだ。
まあ、笑顔が戻って何よりではあるが。
「…お前に結婚式を無茶苦茶にされた
慰謝料の請求が来てるんだが」
「2億4000万円」
「んふふー、残念ながら払えちゃうのよねー。
何のために麻雀のプロになったと思ってるの?」
「慰謝料払うためか」
「それもあるけどー」
「社会現象レベルで貴女の将来をぶち壊すため」
ついさっきまで喜色満面だった
久の表情が一転する。
瞳から光が消えていき、
真っ黒な闇が広がっていく。
その唐突な変わりように、
私は思わず息を呑んだ。
「私との仲を認めない限り、
貴女にまっとうな幸せは訪れないわ」
「…貴女がまだ弘世家と繋がってるなら、
現当主に言っておきなさい」
「私から菫を奪い盗る気なら、
私を殺す気で来なさいって」
「私は菫を失うくらいなら、
菫を道連れにしてこの世を去るから」
芯まで凍える程に冷やかな声。
それはあの麻雀での対局時に見せた
雰囲気そのものだった。
飄々としているようでも、やはり。
久はまだどこか壊れている。
「…ま、その心配はないさ。
その辺はお父様も狸だからな。
『私達が恋仲だったとは知らなかった。
私にも殿方にも悪い事をした。
今後は二人の仲を全面的に認めるし、
iPS細胞の研究も支援していく』
…というストーリーにするらしい」
「だったらなんで慰謝料取るのよ」
「そこはけじめだろう。お前が弘世家に
ものすごい迷惑をかけたのは事実だ」
「そして、私も」
「……何にせよ、この件はもう終わったんだ。
私達を縛るものは何もない」
「…そっか」
終わった。それを聞いて、
久の顔からようやく闇が霧散する。
私は肩を竦めて苦笑しながら、
思ったままを口にした。
「…それにしても、本当に
とんでもない事をしてくれたもんだ」
「あのまま私と結ばれずに、悲劇のヒロインを
演じ続ける方がよかった?」
「もちろんそんな事はないが。
まさかここまでするとは思わなかった」
「テレビでも言ったけどさ。
貴女だけは失いたくなかったのよ」
「例え、どんな犯罪を犯してでもね」
そう言って久は笑った。
その笑みにはまたほの暗い狂気が
見え隠れしている。
「…とんでもない女に捕まってしまったな」
「…でも」
「ありがとう」
私は、その狂気のおかげで救われた。
「どういたしまして。でもお礼は要らないわ。
下心あっての事だから」
「湿っぽい話はこれでおしまい!
長い事お預けを喰らったんだから、
今日こそ食べさせてもらうわね?」
言うが早いか、猛獣と化した久が
猛然と襲い掛かってくる。
「いきなりか!本当にムードも
何もない奴だな!?」
「どんだけ禁欲させたと思ってるの?
ムードなんてもっと年を取ってから
考えればいいのよ」
「それとも…本気でしたくないの?」
久の目が不安に揺らぐ。
私が拒絶したあの日と同じように。
私は大きく溜息をつくと、
久を顔ごと抱き締める。
「馬鹿言うな」
「私だって…こんな日が来るのを
ずっと夢見ていた」
そう。本当に…何度夢に見て、
枕をみっともなく濡らした事か。
「……久」
「何?」
「私の人生は…前半戦で終わりだと思っていた」
やりたい事は全部若いうちに終わらせる。
そして大学を卒業した後は
弘世家の人形として生を終えると。
そういうものだと諦めていた。
「わかっていたのに、いつの間にか
お前に心を奪われていた」
挙句久を拒絶して傷つけた。
そのせいで、久はどこか壊れてしまった。
なのに私は贖罪もせず、ただ人形のように
日々を浪費するだけだった。
「でもお前は、それでも私を求めてくれた」
心を壊しながらも私を求め続けてくれて。
本当は意外に常識的なくせに、
手段を選ばず私を奪い去ってくれて。
結果、今私達はこうやって、
互いに寄り添いあっている。
「今度は私の番だ」
犯してしまった罪は消えない。
それでも、全てを懸けて久を愛そう。
「久…愛している。今度こそ、
心も体も捧げさせてくれ」
耳元でそう囁くと……涙で滲む視界の中、
久の唇を優しく塞ぐ。
「…遅いわよ」
「今度は、何があっても…」
「逃がしてあげないから」
私の口づけを受けた久は、
静かに肩を震わせながら…
最後は笑顔で私を押し倒した。
(完)
なし。<その他>のリクエストを参照の事。
<登場人物>
竹井久,弘世菫
<症状>
・狂気
・依存
・ヤンデレ
<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・久菫で、菫さんを好きになった久さんが
自分を好きになってもらうように
色々と頑張るお話
--------------------------------------------------------
「はぁ…寂しいな」
花冷えに身を震わせながら、
一人ぽそりと呟いてみた。
呟きを拾って言葉を返す人はいない。
しん…と静まり返った空気に
また少し体温を奪い取られた気がして、
私は思わず目を細めた。
(…寂しいな)
今度は心の中で呟いた。これ以上、
身体が凍てつかないように。
高校卒業を機に長野を出た。
無性に一人になりたくて。
清澄高校の皆とも離れ離れになった。
喧嘩でもしたのか?違う。
皆との関係は良好だった。
だからこそ、少しずつ皆が私を
必要としなくなっていく事に耐えられなかった。
インターハイが終わり、部長職を引き継いで。
麻雀部を引退し、自由登校期間に入る。
少しずつ、少しずつ、
私の関わる機会が減っていく。
足場を削り取られていくような感覚。
居場所を奪われていくような感覚が
怖くて仕方なかった。
『部長が作った麻雀部、私達が
しっかり受け継いでいきます!』
引退の時に和がくれた台詞。
普通なら、この頼もしい後輩の言葉を前に、
もう心配する事はないと
肩の荷を下ろすところなのだろう。
でも私は駄目だった。『お前はもう要らない』と、
自分が切り捨てられたようにしか聞こえなかった。
このまま長野に留まれば、この苦痛は
ますますひどくなっていくのだろう。
高校を卒業してしまえば、私は完全に
『OB』という名の部外者となる。
控室に入る事も許されず、
ただ皆が私の知らない後輩と一致団結する姿を
蚊帳の外で眺める存在に成り下がる。
(それならいっそ、自ら身を引きましょう)
耐え切れなくなって、みっともなく
縋りつくようになる前に。
そして私は県外に飛び出した。
やるならとことんやってみようと、
はるか遠く、東京の大学に進学する事に決めた。
近場だと戻りたくなったら戻れちゃうから。
部屋も借りた。30平米にも満たない
典型的なワンルームだけど。格安で
なかなかいい物件をチョイスした。
心機一転、ここでまた一から頑張っていこう。
…それでも。やっぱり寂しいものは寂しい。
どうやら私は、一人では
生きられない生き物らしい。
「……寂しいな」
もはや口癖と化したその言葉。
言ったら余計辛くなるとわかっているのに、
呟かずにはいられなかった。
心が悲鳴を上げている。
胸の内に留めておけない程に、
寂寥の念に支配されている。
「…寂しい、寂しい」
返事が返ってくるはずもないのに、
誰かにそれを受け取ってほしくて。
私はただ嗚咽するように言葉を吐き出し続ける――
――と、そんな時。
「…お前は一人暮らしが長くなったOLか」
「……!?」
返ってくるはずのない応答が返ってきた。
驚いて振り向くと、そこには見覚えのある顔。
「久しぶり。まさかお前もこの大学に来ているとはな」
元白糸台高校部長。弘世菫その人だった。
--------------------------------------------------------
弘世さんの事は前から知っていた。
白糸台とはインターハイの決勝戦で対局したし、
その後も何度かやり取りがあった。
あの日の事を思い出す。
チーム虎姫をうちの合宿所に招いて
強化合宿をした時の事だった。
「しばらくの間よろしく頼む」
長身で無表情な上に無骨な物言い。
ともすれば声を掛けるのに躊躇いそうな
雰囲気を纏った弘世さん。
そんな彼女が深々とお辞儀をした時に、
ぺらりと背中に何かが見えた。
張り紙だった。
妙に流麗な毛筆で、その紙に
したためられていた文字はと言うと…
『シャープシューター☆すみれ』
噴いた。
あんまりにもあんまりすぎる不意打ちに、
私は笑いを堪えながら挨拶を返す。
「よ、よろしく…しゃ、
シャープシューター☆すみれさん」
「ぶはっ!」
それを受けて今度は白糸台の金髪の子――
大星さんが噴き出した。
「な!?どうして君がその名を!?」
「や、だってっ…わざわざ背中に
張り紙してあるから、
そう呼ばなくちゃいけないのかなって」
「張り紙!?あっ、なんだこれ!」
「淡!!」
「キ、キオクニゴザイマセン…ぷふっ」
貼り付けられた紙をぐしゃりと握り締めながら、
弘世さんが大星さんに掴みかかる。
他校の合宿所に招かれたにしては
あまりに自由奔放な有様を尻目に、
宮永さんが一言付け加えた。
「…とまあ、虎姫は大体こんなチーム」
「違う!虎姫は白糸台の代表として、
淑女の集まりであるべきで……」
「…そう思うならこの首絞めやめてよ菫先輩!
落ちる!落ちるから!!」
「淑女…ねぇ」
「…と、とにかくよろしく頼む!
私の事はただ弘世と呼んでくれ」
痙攣し始めた大星さんを慌てて離すと、
真っ赤な顔をして弘世さんが訂正する。
私は生暖かい笑みを浮かべながら頷いた。
「わかったわ。シャープシューター☆すみれさん」
「何もわかっちゃいない!」
ああ私、多分この人大好きだ。
だって…
すっごく、いじりがいありそう。
結局合宿があった3日間、
私は大星さんと一緒に
弘世さんをいじり倒した。
それは幸せな日々だった。
もっとも、弘世さんにとっては
地獄だったかもしれないけれど。
--------------------------------------------------------
そんなわけで、元々交流はあった私達。
でも、今ここで居合わせたのは全くの偶然だった。
特に示し合わせたわけでもなく
お互いバラバラにこの大学を選び、
偶然にこの時間キャンパスで顔を合わせたのだ。
それは奇跡とも呼ぶべき僥倖だった。
(まさか、このタイミングでこの人に会うなんて)
いじりがいがあって、それでいて
大半の悪戯には目をつぶってくれる人。
全体重をかけて寄りかかっても、
潰れる事無く受け止めてくれそうな人。
寂しさに押し潰されそうになって、
誰かに甘えたくて仕方ない私にとって。
弘世さんはまさに適任だった。
あまりにもタイミングが良すぎて、
まるで運命ではないかと思ってしまう程に。
(これってきっと…何か意味があるんでしょうね)
(…なら、この人を逃がしちゃいけないわ!)
そこからの行動は早かった。
「弘世さん、いきなりだけどお願いがあるの」
「…なんだ?」
「ルームシェアしましょ?」
「はぁ!?」
出会って数分。黄昏ていた理由も、
そもそもなぜここに居るのか告げる事もなく。
私が投げ掛けたのはルームシェアの誘い。
当然ながら弘世さんは目を白黒させながら
戸惑いの声をあげる。
「いやいや、今もう4月だぞ?
お前だってとっくに
住むところは確保してるだろう?」
「今の場所に居たくないの。弘世さんは実家?」
「いや、大学入学を機に一人暮らしだが…」
「置いてください!お願いします!
何でもしますから!この通りです!!」
「お願いします!!捨てないでください!!」
大声で意味深な台詞を叫ぶ私に、
キャンパスを歩く人達が足を止める。
「ちょ!?大声出すのやめろ!?
なんか私がアレな人みたいじゃないか!」
「捨てないで!!一人にしないで!!!」
「ああ、もうわかったらとりあえず口を閉じろ!」
「言質取ったわよ」
「こいつっ……!」
刺さる視線に耐えかねて、
弘世さんは安易に承諾してしまった。
私はこうべを垂れながら、一人密かに舌を出す。
(うん、わかってた。貴女はそういう人よね)
「まあでも実際本格的に堪えてるのよ。
一人暮らしって寂しくて仕方がないわ」
「意外だな。そんなに弱い奴には見えなかったが」
「そこは後輩がいる手前、
ある程度は虚勢張ってたもの。
本当の私はすっごくナイーブなのよ?」
「ナイーブという単語に謝れ。
そんな奴がキャンパスのど真ん中で
大声で騒いだりするか」
「それはそれ、これはこれ。
で、どうなの?私結構家事とかもできるし
置いて損はないと思うわよ?」
「別に家事は間に合っているが…
あれだけ沈んだ様子を見ておいて、
手を差し伸べず立ち去るのも心苦しい」
「仕方ない。しばらくうちに来い。
一緒に暮らせるか試してやる」
「やりっ!気に入ってもらえるように頑張るわ!
あ、女の子連れ込む時はちゃんと
外してあげるからね?」
「余計な気遣いは無用だ!」
会話が始まって数分足らず。あっという間に
ルームシェアする事が決定した。
それは弘世さんからしたら、
野良犬に噛まれたのと同じ類の
災難だったかもしれない。
でも私は救われた。
全てが色褪せて寒々しく感じた世界が、
瞬く間に色めいて華やかな世界に転じていく。
これが私の、華麗なる新生活への第一歩。
そして、弘世さんに依存していく
最初のきっかけとなる出来事だった。
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次の日。家財道具を詰め込んで
押しかけた私を待ち受けていたのは、
別世界かと思わせる程に
きらびやかなマンションだった。
「…え、うそ。ホントにここなの?」
エントランスには警備員が常駐している。
オートロックで廊下に入るにも
生体認証が必要という徹底ぶり。
私は若干おどおどしながら
弘世さんを呼び出してもらった。
この時点でも既に驚きなのに、
弘世さんの言葉はさらに私を戸惑わせる。
「このマンションは弘世家の所有だから、
好きな部屋を選ぶといい」
「は?」
明らかに富裕層専用の豪奢なマンション。
それを所有?あまつさえどの部屋を使ってもいい?
「…もしかして、弘世さんって
超がつくお嬢様?」
「世間的に見たらそうなるだろうな」
「シャープシューター☆すみれなのに?」
「その名前を口に出すな!」
語気を強めながらツッコミを入れる弘世さん。
やがてごほんと一つ咳払いすると
どこかばつが悪そうに弁解し始める。
「無用な贅沢だというのはわかっているさ。
私としても社会勉強の一環で
家を出るのだから、ごく一般的な
賃貸がいいと主張したんだが…」
「結果はこの通りだ。マンションを
ポンと一棟与えられた」
「はぁー…セレブは規模が違うわねぇ。
ホント、別世界の人間って感じがするわ」
「そう言うな。そんなわけだから…
こういう言い方もなんだが、
今回ルームシェアする事になって
少し楽しみでもある」
「学生同士で住みかを共有なんて、
『らしい』からな」
そう言って弘世さんは薄く微笑む。
なるほど。この優雅な立ち振る舞いや、
悪戯に鷹揚な大器も、
相応の下地があっての事なんだろう。
同時に、私の中で黒い思惑が頭をもたげる。
箱入り娘のお嬢様が初めての一人暮らし。
それって、いかようにも汚染し放題、
という事ではないだろうか。
これからの生活を妄想して胸が躍り出す。
「ちなみに私は430号室をメインに使っている。
決め手がないならその隣でいいと思うが」
「ええとね、弘世さん?ルームシェアって
そういう事じゃないのよ?」
「読んで字のごとく、部屋を共有するから
ルームシェア。部屋が別々じゃ
ただの一人暮らし×2じゃない」
「む、そうなのか…」
…その前に、まずは一般的な知識から
教えていく必要がありそうだけど。
「と言うわけで私の住む部屋はここ。
よろしくね?」
私は自分の荷物を強引に430号室に運び込むと、
洗面室の歯ブラシスタンドに
自分のそれを立て掛けた。
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毎日菫と一緒に過ごした。
学科も違うというのに、できる限り
菫のそばに居続ける様に心掛けた。
兎にも角にも、早く菫との距離を
縮めたかったのだ。
遠く離れた都会に一人。
全てを曝け出せる人が欲しかった。
幸いと言うかなんと言うか。
菫は菫で、大学に馴染んでいるとは
お世辞にも言えない状況だった。
インターハイでの活躍もあって
菫の知名度は異常に高い。
お嬢様学校出身である事も、
格式ある家の出である事も
既に学内中に広まっている。
それでいてあの容貌と振る舞いだ。
あまりにも高嶺の花。
そう感じたのか、大半の学生は
話し掛けるのに気後れしているようだった。
そんな中話しかけてくるとすれば、
物怖じしないガツガツとした軽薄な男か、
取り巻きになって甘い蜜を啜ろうとする意地汚い女。
後は自分なら釣り合いが取れていると勘違いした
プライドばっかり高い人間くらいのもので。
私が何もしなくても、数週間もしたら
菫の方から周りと距離を置き始めた。
「…それなりに評判のいい大学を
選んだつもりなんだがな」
「何かご不満でも?」
「どいつもこいつも中身がない。
流行のドラマ、流行の服。
もしくは見当違いの選民思想。
挙句の果てに親に金を出してもらっているくせに
自主休校などと抜かす輩までいる」
「何しに大学に来てるんだ?
学ぶ気がないなら来なければいいだろうに」
「正直失望した。これなら親が勧めてきた
歴史のある女子大の方がよかったかもしれない」
「ま、世間一般の大学なんてこんなもんよ。
菫が求めるようなまっとうな学生なんて
一握りしかいないわ」
本当は知っていた。別にこの大学が
そこまで悪いわけではないのだと。
どんな大学にも、一定数やる気のある人はいる。
ただ大学の場合、そう言った人を見つけるには
自分から相応に動かなければならない。
サークル、ゼミ、委員会。
しかるべきコミュニティーに入れば、
きっと菫が求めるような学生もいるだろう。
知ってはいたけれど口をつぐんだ。
まずは私との関係を深めてほしかったから。
「人との出会いなんて結局は運だしねー。
ま、私に会えただけよかったと思いなさい」
「何を偉そうに…と言いたいところだが、
冗談抜きで助かった」
「もしお前が居なかったら、
私もキャンパスで『寂しい』なんて
呟いていたかもしれないな」
「お互い助かったわね。最悪4年間
二人きりだけどよろしくね」
「ぞっとしない話だが…
割と真剣にそうなりそうで怖い」
顔をしかめながらため息を吐く菫。
それは起こりうる未来を想像して
げんなりしたとでも言わんばかりの表情だった。
でも私はまったく逆で。
そうなった時の事を想像すると、
心が弾むのを止められなかった。
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菫との生活は快適そのものだった。
格式高いお嬢様の菫だけあって、
家事に必要な技能も完璧に身につけていた。
「久。洗濯を終わらせたぞ。
他に何か残ってるか?」
「こっちも洗い物終わったわ。
優雅にティータイムとでも
洒落込みましょうか」
「いいな。なら私は紅茶を淹れよう」
「こっちはスコーンでも用意するわ」
それだけには留まらない。特に意思疎通しなくても、
阿吽の呼吸で万事が滞りなく進んでいく。
大所帯の部長を務めていただけあって、
効率のいいやり方が染みついているのだろう。
生活リズムも整っていて言う事なし。
その辺りは意外ときっちりしたい
私にとっては非常に助かる。
結論、住んでいてすごく心地よい。
そしてそれは、菫も同じように感じてくれたようだ。
「意外だったな。立ち振る舞いから察するに、
お前はもっと色々と雑な奴かと思っていたが」
「いやいや、私けっこう几帳面よ?
対局前とかチェックリスト作って
潰してるくらいだし」
「正直嬉しい誤算だった。ここまで
過ごしやすくなるとは思わなかったよ」
「もっと手間を掛けさせられると
思っていたんだがな」
「照の時みたいに」
「……」
素直に喜んでいたところに不意打ちの一言。
心に黒い炎が灯る。
菫はふとした折りにこうやって、
かつての仲間の話を持ち出してくる。
「宮永さん?あの子もけっこう
優等生っぽいけど」
「外面はな。あいつ物凄いマイペースなんだよ。
部屋中にお菓子が散りばめられてるし
本に熱中し過ぎてしょっちゅう
お風呂に入るのを忘れるし」
「相部屋だったの?」
「そういうわけではなかったが。
私が気にしてないと
どんどん堕落していくからな」
相部屋でもないなら放っておけばいいのに、
なんて毒づきたくなったけれど。
それが菫のいいところだから仕方がない。
「…私も堕落した方がいいのかしら」
「なんでだよ」
「手がかかる子ほど可愛いって言うじゃない?
菫って結構世話焼きだと思うし」
「必要に駆られて仕方なく、だ。
好き好んで面倒をしょい込みたいとは思ってない」
「でも、目が離せなくなるんでしょ?」
「…まぁな」
ふっと浮かべたその笑みは苦笑。
でもその表情はひどく優しい。
その笑みは私に向けられたものじゃない。
遠い、遠い長野に居る、
菫を捨てた人に向けられたもの。
「……」
ちりちりと、嫉妬の炎が火の粉をあげて
燃え盛っていく。
菫とルームシェアするようになって、
寂しさは飛んで行った。
でも、時折無性に苦しくなる時がある。
こういう時だ。
菫が私以外の誰かに目を向ける時。
居もしない誰かを思い出して、
懐かしそうに頬を緩める時。
菫の心はまだ私で埋まっていないのだと
思い知らされる。
私の方は、もうかなりの部分を
菫に占拠されているというのに。
菫を独り占めしたい。
身体はもちろん、心も全て奪いたい。
そのためにはどうしたらいいのだろう。
「…ま、できるところからやっていきますか」
「何をだよ」
「こっちの話〜」
「ちょ、すり寄ってくるな気持ち悪い」
「とか言って、顔が赤くなってるわよー?」
とりあえずは手のかかる子になろう。
一緒に居て心地よく、でも
危なっかしくて目が離せない子に。
そんな決意を胸に秘めながら、
嫌がる菫に圧し掛かった。
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--------------------------------------------------------
結局私達は二人きりのまま、
一年、二年と月日を重ねていった。
そんな代わり映えしないような生活の中、
少しずつ変わっていったものもある。
それは、菫と私の関係。
いつしか私は、歩く時菫の手を握るようになった。
最初は雑に指全体を握るように、
あくまでも仲のいい友達として。
「恥ずかしいからやめろ」
なんて菫は言うけれど、その手を
払いのけようとはしなかった。
それからどれくらい経っただろう。
寒さが心底身に染みて、
人恋しくなるような雪の日に。
私は指を一本一本絡み合わせた。
それはさながら、恋人達がするように。
「……」
菫は何も言わなかった。
でも、抗おうとはしなかった。
少しだけ頬を上気させながら、
重ねた指をぎゅっと握り返してくれた。
何か大きなきっかけがあったわけじゃない。
ただ、ただ、二人で過ごした時間が
お互いの距離を縮めていく。
少しずつ、少しずつ。
お互いの境界が近づいていく。
やがて境界が触れ合って、
仕切りが曖昧になっていく。
そして、私が二十歳になった誕生日。
私達は初めて唇を重ねた。
「…ねえ、これ、菫の初めて?」
「お前、そういう事普通聞くか?」
「やましい事がないなら言えるでしょ」
「…やましくなくても、
羞恥心ってものがあるだろ」
「で?実際のところは?」
「……初めてだよ。悪いか」
「……ううん、最高」
私はもう一度キスを落とす。
二回、三回。四回五回。
菫の唇を全部私で独占したい。
雨のようにキスを降らす私を前に、
菫は頬を真っ赤に染めながら苦言を呈した。
「が、がっつき過ぎだ!」
「菫はしたくないの?」
「私は…抱きあってるだけでも十分だ」
「小食ねー。でも私は残念ながら欲張りなの」
「というわけで、いただきます」
「ちょ、もう少し恥じらいを…んむっ!」
抱き寄せて強引に唇を奪う。
舌を滑り込ませて、菫の咥内に侵入する。
奥の方で縮こまっている舌を探し当てて
ぬるりとその身を絡みとる。
「んっ…んっ……」
お互いの舌が絡み合う。くぐもった声と
ぬめる粘膜が感覚を支配して、
全てが溶けてしまいそうになる。
「……はぁっ」
荒い息を吐きながら離れると、
菫との間につぅーっと糸の橋がかかった。
「好きよ、菫…愛してる」
「私も…好きだ。久」
熱に浮かされたかのように、
蕩けた表情で愛を囁く菫。
堪らなく扇情的で、魅惑的で、
美しくて、愛おしい。
「…好き」
体の奥が熱く疼く。その衝動そのままに、
再度菫を貪った。
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お互いの唇の味を知り、より深く繋がった私達。
そんな私達の関係は、これからもずっと
続いていくのだろう。
やっぱり恋人は同い年がいい。
だって、なんでも一緒に経験できる。
これが年が違うとそうはいかない。
卒業だとか、引退だとか。
そういった無味乾燥なルールで
無理矢理引き離されてしまうだろう。
菫となら、大学を卒業したって大丈夫。
同じ会社に就職して、今住んでいる
マンションから通えばいい。
そうしていずれは結婚して。
二人ぼっちで幸せに暮らしていけるだろう。
子供はできないかもしれないけれど、
それでも私は構わない。
菫と二人なら、私はそれだけで幸せだ。
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なんて…そう考えていたのは私だけだった。
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少し考えればわかる事だった。
社交界にもその名が轟く程の名家の娘。
どこに出しても恥ずかしくないように
家事作法を躾けられた娘。
そんな名家の娘の行く末を、
想像できない方がどうかしている。
私はどうかしていた。情けない事に、
まるで考えが及ばなかった。
そう…あの時――
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――菫に拒絶されるまで。
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『ひ、久…そこは……駄目だ』
『あらどうして…?もうこんなになってるのに』
『わ、私は…操だけは守らなければならない』
『……』
『今更でしょ。唇だって、抱擁だって経験済み。
お互いの蜜の味も知り尽くしてるのに、
なんでここだけ頑なに守ろうとするわけ?』
『……そこを許す権利は、私にはない』
『…どういう事』
『そこは、弘世家の物だ。私の物じゃない』
『だから…だ、から……』
『あげたく、ても……あげ、られ、ないっ……』
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将来の婚約者のために操を守る。
そしてその婚約者を決める権利は弘世家にある。
なんて旧態依然とした馬鹿げた話。
でも、残念ながら現実だった。
「私じゃ駄目なの?」
「…跡継ぎはどうするんだ」
「今どき子供なんてiPS細胞で何とかなるじゃない」
「将来的には何とかなる可能性がある、
の間違いだろう。
私が出産適齢期の間に
実現するかと言われると現実性は低い」
「なら養子縁組は?」
「血が途切れるのをよしとはしないだろう。
健康体の女がいるのにあえて
養子で妥協する必要がない」
矢継ぎ早に問い掛ける私に対し、
あくまでも淡々と菫は答える。
一縷の望みに縋る私を断ち切るかのように。
淡々と、冷たい言葉で菫は可能性を否定していく。
「じゃあ、何?菫は最初から、
大学期間だけのお遊びとして
私と関係を持ったわけ?」
「っ…体に関しては…そういう事になる」
「…言い訳もしないんだ?」
「…返す言葉がない」
私は思わず歯噛みした。
口汚く罵りたい衝動に駆られる。
罵倒の言葉が喉元まで出かかっている。
でも、他でもない私が一番よくわかっていた。
菫は軽々に火遊びをするような女じゃない。
おそらく菫は最初から、恋なんて
するつもりはなかったのだろう。
そんな菫にすり寄って、
無理矢理心を盗み取ったのは私。
家と私に挟まれて、身もだえする程に
苦しんだに違いない。
事実、それを証明するかのように…
歯を食いしばった端からは血が滲み、
握り締められた拳は痛々しく変色していた。
「…どうしようもないのね」
「…すまない」
菫の事だ。あらゆる視点で考えに考え抜いただろう。
その上でどうしようもないと結論付けた。
ならきっと、本当に解はないのだ。
そして私も知っていた。というか経験済みだった。
いくら泣いて縋っても、どれだけ子供が
苦しむ事になったとしても。
親が下した決定を、子供が覆す事はできない事を。
「……結局最後はこうなるのね」
いつだってそうだ。私の手の及ばない外部から、
理不尽に関係が断ち切られていく。
中三で両親が離婚した時も。
手塩を掛けて作り上げた麻雀部を
取り上げられてしまった時も。
そして今も。
いつも、いつも、いつも。
まるで私を嘲笑うかのように、
大切な人は私を切り離していく。
「私はそれを…黙って
受け入れるしかないの?」
菫は否定してはくれなった。
ただただ、沈黙を守り続ける。
沈黙は肯定。
それを悟った時、私の中で何かが壊れた。
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菫と会話する事がなくなった。
私達の関係はとうに
終わってしまったかのように思えた。
いや、そもそも始まってすら
いなかったのかもしれない。
だってこれは菫にとって、
将来別の男と結ばれるまでの
モラトリアムに過ぎないのだから。
わかってる。菫が私を
心から愛してくれている事は。
将来家のために誰かに嫁いだとしても、
心だけは私にくれるかもしれない。
(…でも、私は欲張りなのよ)
心だけじゃなく、体も全部欲しい。
菫の全てを私の物にしたい。
誰かに触れさせるなんて耐えられない。
(…駄目。今回だけは諦めきれない)
生まれて初めて、心も体も愛した人。
それが菫。代替なんて存在しない。
菫本人の心変わりで破局を迎えるなら仕方がない。
でも、顔も知らない第三者の都合で
一方的に破談にされるなんて許せなかった。
考える、考える、考える。
どんな手を使ってもいい。
輝かしい未来も、平穏な家庭も全部要らない。
ただ、菫だけ手に入ればそれでいい。
「菫、菫、すみれ、スミレ」
心が闇に染まっていく。自分の中から
正気が失われていくのを感じる。
でもそれでいい。まっとうな神経では
この状況を打開できないのは、
他ならぬ菫が示してくれている。
何がなんでも菫を手に入れる。
この際、それが犯罪であっても構わな――
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――そっか。
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――道を外れてもいいなら…
いくらかやりようはあるんじゃない?
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そして私は計画を練り始める。
たくさんの人を巻き込んで。
たくさんの人に迷惑をかける計画を。
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久が私のもとを去った。行く先も告げず、
私に相談する事もなく立ち退いた。
無理もない。私は久を弄んだ。
将来添い遂げる事ができないと知りながら、
久と関係を持ってしまったのだから。
三下り半を突き付けられて当然だろう。
ただ別れ際。久は私に呪詛を投げ掛けた。
「結婚式をあげるまでは綺麗な体で居なさい。
絶対に誰にも許したら駄目」
「で、心は一生私に捧げなさい。
他の人を愛するなんて許さない」
反論を許さない笑みで久は告げた。
私は今もその言葉に縛られたまま、
久以外を愛せずにいる。
久は大学も退学した。
結果私は空っぽのまま、一人ぼっちで
大学生活を続ける事になった。
このままもう、一生久と交わる事は
ないのかもしれない。
顔を見る事も、声を聴く事も
ないのかもしれない。
それでも私は…久を愛し続ける。
なんて事を考えていたにも関わらず。
離別してから半年後、久は何をどうやったのか、
プロ麻雀リーグのトップチームに在籍していた。
スクリーンに映し出された
久の姿を前にして、私は目を疑った。
過去に聞いた時、久はプロになる気はないと
断言していたからだ。
『プロ麻雀の世界ってさぁ、
結局は個人主義じゃない?』
『そりゃ団体戦とかもあるけど、
結局評価されるのは個人の戦績』
『なんかそれって違うのよね。
人との繋がりが希薄って言うか、
私の求めてる麻雀じゃないわ』
人と繋がりたいから麻雀を打つ。
それが得られないからプロにはならない。
久らしいと思ったし、
私はその考えが好きだった。
その久が、一体どうして?
思考の海に埋没していた私を、
突如沸き起こった喝采が
現実に呼び戻す。
画面の中では、久が対戦相手に
倍満を直撃して、トップをまくって
対局を終えていた。
どこか冷静なアナウンサーの口調と、
解説の間延びした声が
耳に入り込んでくる。
『それにしても、竹井選手の活躍は
目覚ましいものがありますね』
『んー、まぁ確かに強いけどねぃ。
あんま好きな強さじゃないかなー』
『…と言いますと?』
『執念ってーの?なんか怨念に近いものを
感じるんだよねぃ。しかもその目的が
麻雀とは無関係っていうか』
『目的のための手段として
麻雀を打ってるって感じ?
昔はもっと麻雀自体を楽しんで
打つ子だったはずなんだけど』
三尋木プロに同感だった。
久とは何度も二人で打った。
強化合宿での対局は勿論、
二人で暮らすようになってからも。
久との麻雀は、まさに心の対話だった。
ただ麻雀を打っているだけ。
なのに、久の気持ちが、喜びが
生き生きと伝わってくるようで。
思わず心の中で久に語り掛けてしまう。
そして久も答えてくれる。
ただ牌を打ち合うだけで、
心を通い合わせる事ができる。
それこそが久の麻雀だった。
なのに今の久はどうだ。
まるで相手を寄せ付けない、
拒絶としか言いようのない麻雀。
モニタ越しにすら伝わってくる程の
寒々しく凍てついた空気。
さらには久の目を見て驚いた。
そこにあるのはただただ絶対的な闇。
かつての、麻雀を通して
対話を楽しんでいた
彼女の姿はどこにもなかった。
(…私の、せいなんだろうな)
久から笑顔を、楽しいという感情を
奪い去ってしまったのは
紛れもなく私なのだろう。
彼女が寂しがり屋だとわかっていたのに、
それでも家を選んでしまった私のせいだ。
胸が締めつけられる。
不意に零れ落ちそうになった涙を
唇を噛んで必死に押し留めた。
私は一生、この罪を背負って
生きていかなければならない。
ただ、一つだけ。気にかかる事がある。
三尋木プロは言っていた。
何かの目的のために麻雀を打っているようだと。
だとしたら、その目的とは何なのか。
(…久。お前は、何のために麻雀を打っている?)
モニターに映る久の顔を見る。
その顔は相も変わらず無表情で、
何も読み取る事はできなかった。
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
久と別れてから数年が経ち、
ついにその日がやってきた。
そう、親が決めた婚約者と結婚する日が。
親が悪いわけではない。
元々こうなる事は決められていた。
私とてそれで納得していた。
なのに脇道に逸れた私が悪いのだ。
添い遂げる相手も申し分なかった。
人格も、教養も、家柄も何もかも。
むしろ私なんかと契りを結ばせてしまう事に、
こちらが申し訳なさを感じる程の好人物だった。
「…貴方に、言っておかなければ
いけない事があります」
久の事を彼に告げた。
私には付き合っていた恋人がいて、
まだ彼女を忘れられずにいると。
そして忘れるつもりもないと。
それでも家のために貴方と結婚すると。
結ばれる前から不貞を宣言し、
さらにはそれを止める気がないとほざく妻。
世が世ならその場で斬り捨てられていただろう。
いや、いっそ斬って欲しかった。
それが駄目なら、せめて罵倒して欲しかった。
でも。
それでいいと彼は言ってくれた。
寂しそうに笑いながら私の手をとってくれた。
それがまた、私の心を打ちのめす。
ああ、私はなんて罪深いのだろう。
今すぐ死んでしまいたい。
無論それは許されない。私の命は、
最早私のものではないのだから。
迷いに迷った挙句、久には
招待状を出さなかった。
私の心はまだ久に囚われている。
他人との結婚式に招待するなんて
できようはずもなかった。
「…久。私は明日結婚するよ。
でも約束通り、心はお前に捧げたままだ」
「でも、どうかお前は。
もう私の呪縛から逃れて…
誰かと幸せになってくれ」
居るはずもない久に語り掛ける。
当たり前だが、返事は返ってこなかった。
--------------------------------------------------------
結婚式当日。
純白の衣装を身に纏いながら、
漫然と空を眺めていた。
ただ人形のように座っていた。
酷く体がけだるくて何も考える気が起きない。
そんな生き人形を飾りつけるべく、
スタイリストが懸命に髪をいじくっている。
静まり返った部屋には、
退屈なテレビの昼番組が
BGM代わりに流されている。
それも私の中に留まる事無く、
右から左へと抜けていく。
刹那。
『竹井久による緊急放送を始めるぜぃー!』
悪戯猫っぽい声が私の耳をつんざいた。
…今、竹井久と言ったか?
まるで条件反射のように、
私はテレビに視線を向ける。
テレビには確かに久が映っていた。
しかも何故かタキシード姿で。
似合っているのが腹立たしい。
『えー、ついにこの日がやってきました。
今日は、私の嫁が勝手に
結婚式を挙げる日です』
『今ここに宣言します。
私が今日まで麻雀を打ってきたのは、
彼女の結婚式を阻止するためです』
スタイリストは我関せずだった。
当然だ。久と私の関係は一部を除けば
誰にも伝えられていないのだから。
映像の久が語り続ける。
『大学時代。私は彼女と深い仲になりました。
でも、その彼女は日本でも有名な名家のお嬢様で、
政略結婚をさせられる運命にありました』
『あ、その時の私はそれと知らずに
彼女と付き合ってたんですけどね』
『で、いざ結ばれようとした時にそれが発覚して。
女の私とじゃ子供が産めないから結婚できないと。
それで破局したわけですよ』
『でも私も、あの子だけは諦めたくなくて。
何が何でも、どんな手を使っても
手に入れたいって思っちゃったわけで』
『と言うわけで、今からその子の結婚式を
ぶち壊しに行ってきます!』
『あ、最後におまけ。これ、最後の最後に
その子が言い残した言葉ね。
別にこれ、私の独り相撲じゃないのよ?』
『カチッとな』
久が手に持っていた
スマートフォンを指で押す。
そして、全国ネットでの報道による
公開処刑が始まった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『私は弘世家の人間だ。家の繁栄のために、
男と子をなして次代を紡ぐ必要がある』
『だが、私が愛するのは、
生涯をかけて愛するのはお前だけだ』
『体は与えてやれないが…
心だけはお前に捧げる』
『久、お前を一生愛している』
『いつか、私達が年寄りになって。
お前がまだ私の事を愛していてくれたなら…』
『また一緒になってくれないか?』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
嗚咽混じりの独白を散々
お茶の間に流し終えた後、
満面の笑みで久が答える。
『待ちきれません!フレッシュな
弘世菫を食べに行きます!じゃ!』
勇ましい久の捨て台詞と共に、
画面が一瞬ブラックアウトする。
映像が回復した次の瞬間には、
久はドアップの三尋木プロに
すり替わっていた。
『と言うわけで、以上で竹井プロによる
緊急放送を終了するぜぃ』
『あ、ちなみにこれ録画なんだよねぃ。
続きは現場に引き継ぐぜぃ。
というわけで現場のこーこちゃーん』
さらに映像は切り替わり、
今度はいかにもライブ中継と言わんばかりの
荒い映像が映し出される。
『はい、こちら福与恒子!
面白そうな事には何でも
首を突っ込む福与恒子です!』
『今竹井プロは旧シャープシューターの
結婚式場内部をひた走っています!』
『ていうか足早い!もうちょっと手加減して!
こちとらアラサーなんだけど!?』
『いや手加減できるわけないから。
警備の人に捕まったらおしまいだからね?』
『ノープロブレム。警備の人間が来たら
私が速やかに処理しますよ』
テレビ画面に映し出された映像は、
ひどく見覚えのある廊下。
そうそれは、数時間前私がこの部屋に入る前に
歩いていたその場所で…
バンッ!!
勢いよく扉が開けられると同時に、
テレビと現場の映像が一致する。
「というわけで菫。神妙にお縄につきなさい!」
「…それ、花嫁に言う言葉じゃないだろ」
「じゃあ言い換えるわ。
迎えに来たよ、マイワイフ」
久しぶりの再会にも関わらず、
人を舐めたような言動を繰り返す久。
「……」
だがその目は笑っていなかった。
真剣そのものに、私の瞳を
真っ直ぐに見据えている。
事の重大さ。それは久もわかっているのだろう。
それでも、問い掛けずにはいられない。
「…久。自分が何をしたのかわかっているのか」
「お前は弘世家に泥を塗った。
そして麻雀界にも多大な迷惑をかけた」
「これから日の当たる世界で
生きていけなくなるかもしれないぞ」
脅迫とも取れる物言いに、
久はまるで動じる事なく口を開く。
「…ま、弘世家が私達を
引き裂こうとするならそうでしょうね。
ここまで壮絶に愛し合う二人を
引き裂こうとする程
度量が小さい家ならね?」
「ていうか、ぶっちゃけそんなの関係ないのよ」
「関係ない?」
「うん。私は貴女と添い遂げられないなら
生きるつもりはないの」
「貴女と別れるくらいなら、
いっそ弘世家に追い詰められて
無理心中する方が幸せなのよ」
「というわけで、貴女の意見は聞かないわ。
最初から奪うつもりで来たから」
「何なら少しは抵抗してくれていいわよ?
その方が私も楽しいから」
語りながら久がにじり寄ってくる。
スタイリストが散り散りになって逃げていく。
私は一歩も動けずにいた。
そもそもあんな公開処刑をされた後で、
今更どんな言い訳ができると言うのか。
「…もとはと言えば、私がお前より
家を優先したのが悪い」
「心を決めた。私を奪って逃げてくれ。
一緒に罪を背負ってくれ」
「そして、もしその時が来たなら…」
「私と一緒に死んでくれ」
久が満面の笑みを浮かべる。
私を抱えて持ち上げながら、
声高らかに言い放った。
「喜んで!」
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縁談は破談となった。
当たり前だ。花嫁が目の前で攫われた。
しかも相手はその花嫁が
密かに想い続けていた相手で、
あまつさえ一部始終がテレビで
暴露されたのだから。
メディアは連日荒れに荒れた。
私達を悲劇のヒロイン達として
好意的に報道する局もあれば、
自分勝手に周囲を振り回したと
酷評する局もあった。
ただどちらの報道にせよ、
『竹井久は責任を取って
弘世菫を幸せにすべき』
という論調に終わるあたり、
何らかの根回しが働いていると
思わずにはいられない。
「ふふ。これで菫は、私の子供以外
産めなくなったわねー」
「私以外の子供を産んだとなれば、
あの子の親は誰だ?ってなるもんねー」
「世間は私達がいつiPS細胞で子供を作るか
もちきりよ?この状態で弘世家が
貴女を別の男と孕ませようというなら、
弘世家の評判は地に落ちるわ」
してやったりとばかりに、
私を抱き締めながらニコニコと
だらしない笑顔を見せ続ける久。
帰ってきてからはずっとこうだ。
まあ、笑顔が戻って何よりではあるが。
「…お前に結婚式を無茶苦茶にされた
慰謝料の請求が来てるんだが」
「2億4000万円」
「んふふー、残念ながら払えちゃうのよねー。
何のために麻雀のプロになったと思ってるの?」
「慰謝料払うためか」
「それもあるけどー」
「社会現象レベルで貴女の将来をぶち壊すため」
ついさっきまで喜色満面だった
久の表情が一転する。
瞳から光が消えていき、
真っ黒な闇が広がっていく。
その唐突な変わりように、
私は思わず息を呑んだ。
「私との仲を認めない限り、
貴女にまっとうな幸せは訪れないわ」
「…貴女がまだ弘世家と繋がってるなら、
現当主に言っておきなさい」
「私から菫を奪い盗る気なら、
私を殺す気で来なさいって」
「私は菫を失うくらいなら、
菫を道連れにしてこの世を去るから」
芯まで凍える程に冷やかな声。
それはあの麻雀での対局時に見せた
雰囲気そのものだった。
飄々としているようでも、やはり。
久はまだどこか壊れている。
「…ま、その心配はないさ。
その辺はお父様も狸だからな。
『私達が恋仲だったとは知らなかった。
私にも殿方にも悪い事をした。
今後は二人の仲を全面的に認めるし、
iPS細胞の研究も支援していく』
…というストーリーにするらしい」
「だったらなんで慰謝料取るのよ」
「そこはけじめだろう。お前が弘世家に
ものすごい迷惑をかけたのは事実だ」
「そして、私も」
「……何にせよ、この件はもう終わったんだ。
私達を縛るものは何もない」
「…そっか」
終わった。それを聞いて、
久の顔からようやく闇が霧散する。
私は肩を竦めて苦笑しながら、
思ったままを口にした。
「…それにしても、本当に
とんでもない事をしてくれたもんだ」
「あのまま私と結ばれずに、悲劇のヒロインを
演じ続ける方がよかった?」
「もちろんそんな事はないが。
まさかここまでするとは思わなかった」
「テレビでも言ったけどさ。
貴女だけは失いたくなかったのよ」
「例え、どんな犯罪を犯してでもね」
そう言って久は笑った。
その笑みにはまたほの暗い狂気が
見え隠れしている。
「…とんでもない女に捕まってしまったな」
「…でも」
「ありがとう」
私は、その狂気のおかげで救われた。
「どういたしまして。でもお礼は要らないわ。
下心あっての事だから」
「湿っぽい話はこれでおしまい!
長い事お預けを喰らったんだから、
今日こそ食べさせてもらうわね?」
言うが早いか、猛獣と化した久が
猛然と襲い掛かってくる。
「いきなりか!本当にムードも
何もない奴だな!?」
「どんだけ禁欲させたと思ってるの?
ムードなんてもっと年を取ってから
考えればいいのよ」
「それとも…本気でしたくないの?」
久の目が不安に揺らぐ。
私が拒絶したあの日と同じように。
私は大きく溜息をつくと、
久を顔ごと抱き締める。
「馬鹿言うな」
「私だって…こんな日が来るのを
ずっと夢見ていた」
そう。本当に…何度夢に見て、
枕をみっともなく濡らした事か。
「……久」
「何?」
「私の人生は…前半戦で終わりだと思っていた」
やりたい事は全部若いうちに終わらせる。
そして大学を卒業した後は
弘世家の人形として生を終えると。
そういうものだと諦めていた。
「わかっていたのに、いつの間にか
お前に心を奪われていた」
挙句久を拒絶して傷つけた。
そのせいで、久はどこか壊れてしまった。
なのに私は贖罪もせず、ただ人形のように
日々を浪費するだけだった。
「でもお前は、それでも私を求めてくれた」
心を壊しながらも私を求め続けてくれて。
本当は意外に常識的なくせに、
手段を選ばず私を奪い去ってくれて。
結果、今私達はこうやって、
互いに寄り添いあっている。
「今度は私の番だ」
犯してしまった罪は消えない。
それでも、全てを懸けて久を愛そう。
「久…愛している。今度こそ、
心も体も捧げさせてくれ」
耳元でそう囁くと……涙で滲む視界の中、
久の唇を優しく塞ぐ。
「…遅いわよ」
「今度は、何があっても…」
「逃がしてあげないから」
私の口づけを受けた久は、
静かに肩を震わせながら…
最後は笑顔で私を押し倒した。
(完)
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ヒーローすぎる久さんかっこいい…!?
ヤンデレ百合はデレ十割の純粋無垢な想いのジャンルだ、とどこかで読みましたが、このブログのSSはその通りな気がします
またの久菫を心待にしていきていきます!!
久さんの冷静な狂気・周到な計算で貫き通した愛情、心だけは久さんだけに捧げた菫さん。全てがただただ美しかったです。すばらでした。