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【咲-Saki-SS:久咲】久「新年明けての大掃除」 【お正月SS】【共依存】
<あらすじ>
正月更新の小ネタです。
寝正月で過ごす久と咲。
<登場人物>
竹井久,宮永咲
<症状>
・共依存(重度)
<その他>
特になし。
--------------------------------------------------------
寝正月。どてらを着込んでこたつに潜りこんだ私は、
もう二時間も同じ体勢のまま、怠惰に本を読み続けていた。
しゅんしゅんと、ストーブの上でやかんが音を立てて主張する。
そういえば喉が渇いたな、
なんて思って、隣にいる咲に声をかけた。
「ねえ咲、じゃんけんしましょ?」
「え?はい、いいですけど」
「じゃーんけーん、ぽん」
「あっ…負けちゃいました」
「コーヒーよろしくー」
「ああ、そういう…別に言ってくれれば普通に淹れますよ?」
くすりと柔らかく微笑みながら、
咲はあっさりこたつを抜け出す。
なんて強靭な精神の持ち主だろう。
私にはとても真似できない。
数分後。咲が淹れてくれたコーヒーで喉を潤しながら、
傍らの咲に問い掛けた。
「で、積み本はどのくらい消化できたんだっけ」
「ええと…このお正月で5冊ですね」
「あらら、先は長いわね」
「はい。卒業までには終わりそうにないです」
困ったような笑みを浮かべつつ、咲は私を上目で見やる。
その瞳に、縋るような色が混じっているのは、
気のせいではないだろう。
「ま、気長に続ければいいわ。本は逃げたりしないから」
ぱあ、と咲の顔に光が差した。
でも次の瞬間、少し寂しそうに影を落とす。
もごついた小さな呟きが、咲の唇に阻まれて音もなく消えた。
『部長は、私から逃げちゃいますけどね』
なんとなく、その呟きの意味が分かった気がして。
私は見なかったふりをして、ぐいとコーヒーを飲みほした。
--------------------------------------------------------
『新年明けての大掃除』
--------------------------------------------------------
咲が遊びに来るようになった理由。
きっかけは年末まで遡る。
『大掃除しましょっか』
『そうですね』
晦日も近い事もあり、部員のみんなで大掃除としゃれ込んだ。
もっとも部室は普段から片付いている。
だからせいぜい、私物を整理して持ち帰る程度だけれど。
皆が手早く終わらせる中、私だけが作業に難航していた。
『うーん。やっぱり一番大変なのがこれよねぇ』
『竹井図書か』
竹井図書。
それは独りぼっちだった私が、来ない待ち人を夢見ながら、
少しずつ築いていった蔵書達。
数冊積んであっただけの本が、だんだんと数を増していき。
そのうち本棚が据え付けられ、いつしかそれは図書館と化した。
私にとって、この子はもう一人の部員。
独りだった私を支えてくれた、かけがえのない大切な存在。
とは言え。
『寄贈って線も考えたけど…どうせ読むのは咲だけよねぇ』
『人が居れば当然麻雀を打ちますし…』
『漫画を置いてくれれば読むじょ?』
『ま、初心者にはとっつきにくい本が多いのも事実だけどさ』
そう、竹井図書にはマイナーなハードカバーが多い。
その独特な品揃えは、本の虫である咲の心を鷲掴みだったけど。
それ以外の部員にはあまり受けがよろしくなかった。
『よし!大変だけど持ち帰るわ!
空いたスペースは漫画でも入れてちょうだい』
ここにある本は、私にとってもお気に入りの本ばかり。
読まれずに埃をかぶるくらいなら回収したい。
妥当な選択だと思ったけど、今度は咲が悲鳴を上げた。
『ま、待ってください!私まだ半分しか読んでないです!』
『むしろ半分読んでたことに驚きだじぇ』
『ちゅうか読破する気じゃったんか』
あまり我を張らないこの子にしては珍しく、
咲は竹井図書の存続を主張した。
その切羽詰まった様相に、私は少なからず驚く。
咲が読書家だから、というのは理解できる。
それでも、大きく揺らいだその瞳には、
何か別の意味を探さずにはいられない。
予想外の抵抗に、少し迷ってはみたものの。
結局私は、前言の撤回はしなかった。
『ん、やっぱ持って帰るわ』
『うぅ……』
『そんな顔しないの。読みたければ私の家に来ればいいわ』
『えぇ!?』
『だって、需要が咲にしかないんだもの。直接貸した方が早いでしょ?』
『は…はい!』
こうして咲は、住処を移した竹井図書を求め、
私の家に入り浸る事になったのだった。
◇
大晦日からお正月、我が家に籠りきりだった咲。
でも、本の読破は遅々として進まなかった。
元々咲は、1冊をじっくりと愛でるように読み耽るタイプだ。
加えて、私達は読書が終わった後感想会を開いていた。
ここがよかった、あの表現が胸に響いた。
そうやって感想を交わしていたら、気づけばどっぷりと日が暮れている
こんな読み方をしていては、1日1冊が関の山だろう。
「……やっぱり、竹井図書復活させませんか?」
「だーめ。また私の全身が筋肉痛に襲われるじゃない」
「私が全部運びますから」
「ここで読めばいいじゃない」
「……部室に置いてほしいんです」
「どうして?」
「……だって、そしたら。卒業後も、
部長は部室に来てくれますよね?」
沈黙が部屋を支配する。咲は唇を噛んで俯いた。
わかっていた。咲がここまで縋る理由は。
特殊な家庭環境から来るものか、咲は離別を酷く恐れる。
卒業を機に、私との縁が切れてしまう事を危惧しているのだ。
「怖いん、です」
「部室から、部長の私物がどんどん消えていく」
「痕跡を消すみたいに、部長の気配が失われていく」
「怖くて、怖くて、仕方ないんです」
「お願いです。図書館だけでも、残してください」
顔を上げた咲の目には、涙が滲んで光っていた。
それは見とれる程綺麗だけど、どこか危険な光を孕んでいる。
依存だ。
咲は私に依存している。
私から離れられずに、心が不安定になっている。
二人きりの時、頑なに『部長』と呼ぶのもその表れだろう。
「私が存在した証なら、十分部室に遺されてるわ」
「麻雀部。そして何より貴方達そのものが、
私が清澄にいた証になるの」
「そ、そういうのじゃダメなんです」
「もっと、もっとちゃんとした繋がりが欲しいんです」
「だってそれ…結局、部長はいないじゃないですか!」
咲は嗚咽を始めてしまった。
危うさを隠そうともしない咲を前にして、心が暗く沈んでいく。
ああ、考えちゃ駄目。
そう心に蓋をしても、闇がどんどん溢れ出てくる。
闇は私を絡め取り、より深い底と引きずり込む。
縋りつきたいのは咲だけじゃない。
本音では私だって泣きたいのだ。
独りぼっちで居座り続けた部室。
でもあの日、確かに私は部室の主(あるじ)だった。
やがてそこにまこが現れ、一年生が来てくれて。
部室は温もりに包まれた。
なのに私は、去りゆく者としてそこを追われる。
手を伸ばして縋りたい。仲間外れにしないでと泣き喚きたい。
言っても仕方のない事だ。残していくあの子達を苦しめるだけだ。
だから私は、我慢して笑顔を作って――
――なのに咲は……弱い私を引きずり出そうとする!
「……あのね、咲。卒業で別れが訪れるのは自然な事なの。
それは、貴女が経験した離別とは全然種類が違うものよ?」
「会おうと思えばいつでも会える。心はちゃんと繋がってる。
大丈夫。何も心配する必要はないの」
自分に言い聞かせるように。纏わりつく闇を振り払うかのように。
じっくりと、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
咲は言葉を振りほどいた。
「そういうの何度も見てきました!
だんだん会う機会が減って、
そのうち連絡取るのに勇気が必要になって!」
「それで、最後は他人になっちゃうんです!
間違いなくそうなります!だって私、
麻雀部以外で部長と連絡取った事ないもん!!」
「言葉じゃ駄目なんです!安心できる証拠が欲しいんです!」
咲は私に縋りつくと、胸に頬を埋めて泣きじゃくる。
その剥きだしの懇願は、私の武装を剥がしていく。
悲哀と、苦痛と。それを上回る暗い喜びがないまぜになる。
折角人が手放そうとしてるのに、当の本人が追いすがるのだ。
(もう、どっぷり依存しちゃえばいいんじゃないかしら?)
もう二度と、この子が、私から離れられなくなる程に。
闇が心を覆い尽くす。
道徳は黒く塗り潰されて、醜い欲望だけが残った。
私は心からの笑みをちらつかせると、
懐からあるものを取り出して咲に渡す。
「そんなに欲しいならあげるわよ。
これ以上ない証拠ってやつを、ね」
「こ、これ……」
手の中に納まった金属を見て、咲は目を見開いた。
握られているのは小さな鍵。
玄関の扉を開ける時、私が使っていたものだ。
「でも、それを受け取るなら覚悟しなさい?
もう二度と離してあげないから」
「考え直すなら今のうちよ?」
咲はみるみる涙をためると、鍵を抱き締めてかぶりを振った。
「それ、こっちのセリフですっ……!!」
涙を流しながら微笑む咲に、後悔は微塵もうかがえない。
ただただ救われた喜びが、咲の全てを支配していた。
今この瞬間、『普通』の枠組みから零れ落ちたにも関わらず。
咲は、心底幸せそうに笑っている。
その笑顔を見て思う。
ああ。捕まったのは私の方だったのかもしれないと。
◆
2月。
1年前、私の私物で溢れ返っていた部室は見る影もなく。
私が部室に居た痕跡は、ほぼ完全に抹消されていた。
「なんだか、随分広く感じますね……」
「本棚が結構なスペース陣取ってたからねー」
「まさか本棚ごと撤去されるとは思わなかったじょ」
「やー、竹井図書持って帰ったら、本棚が全然足りなくなって」
もちろんただの口実だ。実際は咲の強い要望。
部屋の合鍵をもらった咲は、それまでの方針を180度転換した。
私の全てを部室から取り払い、独り占めする方向に。
「でも、これはこれで寂しいじょ」
「ですね…なんだか、心にぽっかり穴が空いた気分です」
「だ、大丈夫だよ。久さん、卒業後も時々来てくれるんですよね?」
「ええ。進学先も長野だし、割と頻繁に顔を出せると思う」
貴女がそれを言いますか。
なんてこっそり肩をすくめながら、私は咲に相槌を打った。
「あれ?咲ちゃんいつの間に呼び方変えたんだじょ?」
「前はずっと『部長』って言ってましたよね」
「私が変えさせたのよ。いい加減、世代交代を受け入れてもらわないとね」
「そんでいきなり名前呼びか?」
「だって、『部長』から『竹井先輩』ってなんか格下げっぽくない?」
「だったら私も久さんって呼ぶじょ!」
「あ、あはは……」
困ったように笑いながら、咲は皆から顔を背ける。
一瞬だけ見えたその目には、嫉妬の炎が渦巻いていた。
刹那チャイムが鳴り響き、姦しい雑談はお開きとなる。
「あれ?咲ちゃんはまだ帰らないのか?」
「あ、うん。久さんと一緒に図書室寄ってから帰るよ」
「さよなら」
「あ、うん…?さよならだじょ!」
手を振って皆を見送った後、咲は私に向き直る。
光の消えた目を隠そうともせず、咲は淡々とした声で問い掛けた。
「卒業後は部室に来ないよね?」
「行かないわよ」
間髪入れずに返事した。それでも咲の闇は収まらず。
抑揚のない声で言葉を続ける。
「卒業したらどうしたって関係は薄れる。
それを『普通だ』って受け入れられちゃうなら、
所詮その程度の繋がりなんだよ」
「だったら、別にゼロでもいいよね?」
「私は無理だった。久さんが居なくなるって考えただけで、
怖くて怖くて仕方なかった」
「だったら、私が独り占めしてもいいよね?」
どろりとした笑みで咲が微笑む。
まったく、短期間で随分と病んでしまったものだ。
ううん、実際にはこっちが、咲の本性なのかもしれない。
そんな、脆くて怖くて歪な咲を、『可愛い』と思えちゃう私も。
多分、相当狂ってるんだろうけど。
「……そうかもね」
本音を言えば、まだ未練は断ち切れない。
私にとっては、咲以外の仲間も大切な存在。
部室だって、まだ愛着をぬぐいきれない。
なんて事を漏らしたら、咲はきっと怒るのだろう。
だから隠そうとしたけれど、心を覗き見られてしまう。
「…まだ『大掃除』終わってないみたいだね」
「そりゃ、物みたいに綺麗さっぱり捨てるのは無理よ」
「まあ、私もそこまでは求めないけど。
そういう弱さも、大好きな好きな久さんの一面だし」
「……でも、できれば。もっと、もっと薄めたいな」
流し目で呟く咲の言葉に、思わず背筋がぶるりと震える。
多分咲はわかっているのだ。
あの子達を取り去れば、より私が依存する事に。
酷く私に依存する咲は、
私が同じところまで堕ちてくる事を願っている。
「そんなに心配しなくても。私はもう依存してるわよ」
「泣きたくなるくらいに、ね」
卒業が近づくにつれ、心が不安定になっていくのを自覚していた。
新年が明けてしまっても、まだ大掃除の真っ最中だ。
繋がりがどんどん薄れていく。咲以外が希薄になっていく。
それに震えが止まらなくなって、私は咲に縋りついている。
今からこんな体たらくでは、卒業したらどうなるだろう。
私は喪失に耐えられるのか。否、多分耐えられるのだろう。
咲に依存する事を代償に。
「…私がおかしくなっちゃっても、絶対に離さないでね?」
「大丈夫だよ。私はもうとっくにおかしいから」
「むしろ、早くおかしくなって欲しいな」
咲の手をぎゅっと握りこむ。
握り返された手はとても温かい。
そのぬくもりが優し過ぎて、私は素直に溺れていった。
卒業式まで、後少し。
(完)
正月更新の小ネタです。
寝正月で過ごす久と咲。
<登場人物>
竹井久,宮永咲
<症状>
・共依存(重度)
<その他>
特になし。
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寝正月。どてらを着込んでこたつに潜りこんだ私は、
もう二時間も同じ体勢のまま、怠惰に本を読み続けていた。
しゅんしゅんと、ストーブの上でやかんが音を立てて主張する。
そういえば喉が渇いたな、
なんて思って、隣にいる咲に声をかけた。
「ねえ咲、じゃんけんしましょ?」
「え?はい、いいですけど」
「じゃーんけーん、ぽん」
「あっ…負けちゃいました」
「コーヒーよろしくー」
「ああ、そういう…別に言ってくれれば普通に淹れますよ?」
くすりと柔らかく微笑みながら、
咲はあっさりこたつを抜け出す。
なんて強靭な精神の持ち主だろう。
私にはとても真似できない。
数分後。咲が淹れてくれたコーヒーで喉を潤しながら、
傍らの咲に問い掛けた。
「で、積み本はどのくらい消化できたんだっけ」
「ええと…このお正月で5冊ですね」
「あらら、先は長いわね」
「はい。卒業までには終わりそうにないです」
困ったような笑みを浮かべつつ、咲は私を上目で見やる。
その瞳に、縋るような色が混じっているのは、
気のせいではないだろう。
「ま、気長に続ければいいわ。本は逃げたりしないから」
ぱあ、と咲の顔に光が差した。
でも次の瞬間、少し寂しそうに影を落とす。
もごついた小さな呟きが、咲の唇に阻まれて音もなく消えた。
『部長は、私から逃げちゃいますけどね』
なんとなく、その呟きの意味が分かった気がして。
私は見なかったふりをして、ぐいとコーヒーを飲みほした。
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『新年明けての大掃除』
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咲が遊びに来るようになった理由。
きっかけは年末まで遡る。
『大掃除しましょっか』
『そうですね』
晦日も近い事もあり、部員のみんなで大掃除としゃれ込んだ。
もっとも部室は普段から片付いている。
だからせいぜい、私物を整理して持ち帰る程度だけれど。
皆が手早く終わらせる中、私だけが作業に難航していた。
『うーん。やっぱり一番大変なのがこれよねぇ』
『竹井図書か』
竹井図書。
それは独りぼっちだった私が、来ない待ち人を夢見ながら、
少しずつ築いていった蔵書達。
数冊積んであっただけの本が、だんだんと数を増していき。
そのうち本棚が据え付けられ、いつしかそれは図書館と化した。
私にとって、この子はもう一人の部員。
独りだった私を支えてくれた、かけがえのない大切な存在。
とは言え。
『寄贈って線も考えたけど…どうせ読むのは咲だけよねぇ』
『人が居れば当然麻雀を打ちますし…』
『漫画を置いてくれれば読むじょ?』
『ま、初心者にはとっつきにくい本が多いのも事実だけどさ』
そう、竹井図書にはマイナーなハードカバーが多い。
その独特な品揃えは、本の虫である咲の心を鷲掴みだったけど。
それ以外の部員にはあまり受けがよろしくなかった。
『よし!大変だけど持ち帰るわ!
空いたスペースは漫画でも入れてちょうだい』
ここにある本は、私にとってもお気に入りの本ばかり。
読まれずに埃をかぶるくらいなら回収したい。
妥当な選択だと思ったけど、今度は咲が悲鳴を上げた。
『ま、待ってください!私まだ半分しか読んでないです!』
『むしろ半分読んでたことに驚きだじぇ』
『ちゅうか読破する気じゃったんか』
あまり我を張らないこの子にしては珍しく、
咲は竹井図書の存続を主張した。
その切羽詰まった様相に、私は少なからず驚く。
咲が読書家だから、というのは理解できる。
それでも、大きく揺らいだその瞳には、
何か別の意味を探さずにはいられない。
予想外の抵抗に、少し迷ってはみたものの。
結局私は、前言の撤回はしなかった。
『ん、やっぱ持って帰るわ』
『うぅ……』
『そんな顔しないの。読みたければ私の家に来ればいいわ』
『えぇ!?』
『だって、需要が咲にしかないんだもの。直接貸した方が早いでしょ?』
『は…はい!』
こうして咲は、住処を移した竹井図書を求め、
私の家に入り浸る事になったのだった。
◇
大晦日からお正月、我が家に籠りきりだった咲。
でも、本の読破は遅々として進まなかった。
元々咲は、1冊をじっくりと愛でるように読み耽るタイプだ。
加えて、私達は読書が終わった後感想会を開いていた。
ここがよかった、あの表現が胸に響いた。
そうやって感想を交わしていたら、気づけばどっぷりと日が暮れている
こんな読み方をしていては、1日1冊が関の山だろう。
「……やっぱり、竹井図書復活させませんか?」
「だーめ。また私の全身が筋肉痛に襲われるじゃない」
「私が全部運びますから」
「ここで読めばいいじゃない」
「……部室に置いてほしいんです」
「どうして?」
「……だって、そしたら。卒業後も、
部長は部室に来てくれますよね?」
沈黙が部屋を支配する。咲は唇を噛んで俯いた。
わかっていた。咲がここまで縋る理由は。
特殊な家庭環境から来るものか、咲は離別を酷く恐れる。
卒業を機に、私との縁が切れてしまう事を危惧しているのだ。
「怖いん、です」
「部室から、部長の私物がどんどん消えていく」
「痕跡を消すみたいに、部長の気配が失われていく」
「怖くて、怖くて、仕方ないんです」
「お願いです。図書館だけでも、残してください」
顔を上げた咲の目には、涙が滲んで光っていた。
それは見とれる程綺麗だけど、どこか危険な光を孕んでいる。
依存だ。
咲は私に依存している。
私から離れられずに、心が不安定になっている。
二人きりの時、頑なに『部長』と呼ぶのもその表れだろう。
「私が存在した証なら、十分部室に遺されてるわ」
「麻雀部。そして何より貴方達そのものが、
私が清澄にいた証になるの」
「そ、そういうのじゃダメなんです」
「もっと、もっとちゃんとした繋がりが欲しいんです」
「だってそれ…結局、部長はいないじゃないですか!」
咲は嗚咽を始めてしまった。
危うさを隠そうともしない咲を前にして、心が暗く沈んでいく。
ああ、考えちゃ駄目。
そう心に蓋をしても、闇がどんどん溢れ出てくる。
闇は私を絡め取り、より深い底と引きずり込む。
縋りつきたいのは咲だけじゃない。
本音では私だって泣きたいのだ。
独りぼっちで居座り続けた部室。
でもあの日、確かに私は部室の主(あるじ)だった。
やがてそこにまこが現れ、一年生が来てくれて。
部室は温もりに包まれた。
なのに私は、去りゆく者としてそこを追われる。
手を伸ばして縋りたい。仲間外れにしないでと泣き喚きたい。
言っても仕方のない事だ。残していくあの子達を苦しめるだけだ。
だから私は、我慢して笑顔を作って――
――なのに咲は……弱い私を引きずり出そうとする!
「……あのね、咲。卒業で別れが訪れるのは自然な事なの。
それは、貴女が経験した離別とは全然種類が違うものよ?」
「会おうと思えばいつでも会える。心はちゃんと繋がってる。
大丈夫。何も心配する必要はないの」
自分に言い聞かせるように。纏わりつく闇を振り払うかのように。
じっくりと、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
咲は言葉を振りほどいた。
「そういうの何度も見てきました!
だんだん会う機会が減って、
そのうち連絡取るのに勇気が必要になって!」
「それで、最後は他人になっちゃうんです!
間違いなくそうなります!だって私、
麻雀部以外で部長と連絡取った事ないもん!!」
「言葉じゃ駄目なんです!安心できる証拠が欲しいんです!」
咲は私に縋りつくと、胸に頬を埋めて泣きじゃくる。
その剥きだしの懇願は、私の武装を剥がしていく。
悲哀と、苦痛と。それを上回る暗い喜びがないまぜになる。
折角人が手放そうとしてるのに、当の本人が追いすがるのだ。
(もう、どっぷり依存しちゃえばいいんじゃないかしら?)
もう二度と、この子が、私から離れられなくなる程に。
闇が心を覆い尽くす。
道徳は黒く塗り潰されて、醜い欲望だけが残った。
私は心からの笑みをちらつかせると、
懐からあるものを取り出して咲に渡す。
「そんなに欲しいならあげるわよ。
これ以上ない証拠ってやつを、ね」
「こ、これ……」
手の中に納まった金属を見て、咲は目を見開いた。
握られているのは小さな鍵。
玄関の扉を開ける時、私が使っていたものだ。
「でも、それを受け取るなら覚悟しなさい?
もう二度と離してあげないから」
「考え直すなら今のうちよ?」
咲はみるみる涙をためると、鍵を抱き締めてかぶりを振った。
「それ、こっちのセリフですっ……!!」
涙を流しながら微笑む咲に、後悔は微塵もうかがえない。
ただただ救われた喜びが、咲の全てを支配していた。
今この瞬間、『普通』の枠組みから零れ落ちたにも関わらず。
咲は、心底幸せそうに笑っている。
その笑顔を見て思う。
ああ。捕まったのは私の方だったのかもしれないと。
◆
2月。
1年前、私の私物で溢れ返っていた部室は見る影もなく。
私が部室に居た痕跡は、ほぼ完全に抹消されていた。
「なんだか、随分広く感じますね……」
「本棚が結構なスペース陣取ってたからねー」
「まさか本棚ごと撤去されるとは思わなかったじょ」
「やー、竹井図書持って帰ったら、本棚が全然足りなくなって」
もちろんただの口実だ。実際は咲の強い要望。
部屋の合鍵をもらった咲は、それまでの方針を180度転換した。
私の全てを部室から取り払い、独り占めする方向に。
「でも、これはこれで寂しいじょ」
「ですね…なんだか、心にぽっかり穴が空いた気分です」
「だ、大丈夫だよ。久さん、卒業後も時々来てくれるんですよね?」
「ええ。進学先も長野だし、割と頻繁に顔を出せると思う」
貴女がそれを言いますか。
なんてこっそり肩をすくめながら、私は咲に相槌を打った。
「あれ?咲ちゃんいつの間に呼び方変えたんだじょ?」
「前はずっと『部長』って言ってましたよね」
「私が変えさせたのよ。いい加減、世代交代を受け入れてもらわないとね」
「そんでいきなり名前呼びか?」
「だって、『部長』から『竹井先輩』ってなんか格下げっぽくない?」
「だったら私も久さんって呼ぶじょ!」
「あ、あはは……」
困ったように笑いながら、咲は皆から顔を背ける。
一瞬だけ見えたその目には、嫉妬の炎が渦巻いていた。
刹那チャイムが鳴り響き、姦しい雑談はお開きとなる。
「あれ?咲ちゃんはまだ帰らないのか?」
「あ、うん。久さんと一緒に図書室寄ってから帰るよ」
「さよなら」
「あ、うん…?さよならだじょ!」
手を振って皆を見送った後、咲は私に向き直る。
光の消えた目を隠そうともせず、咲は淡々とした声で問い掛けた。
「卒業後は部室に来ないよね?」
「行かないわよ」
間髪入れずに返事した。それでも咲の闇は収まらず。
抑揚のない声で言葉を続ける。
「卒業したらどうしたって関係は薄れる。
それを『普通だ』って受け入れられちゃうなら、
所詮その程度の繋がりなんだよ」
「だったら、別にゼロでもいいよね?」
「私は無理だった。久さんが居なくなるって考えただけで、
怖くて怖くて仕方なかった」
「だったら、私が独り占めしてもいいよね?」
どろりとした笑みで咲が微笑む。
まったく、短期間で随分と病んでしまったものだ。
ううん、実際にはこっちが、咲の本性なのかもしれない。
そんな、脆くて怖くて歪な咲を、『可愛い』と思えちゃう私も。
多分、相当狂ってるんだろうけど。
「……そうかもね」
本音を言えば、まだ未練は断ち切れない。
私にとっては、咲以外の仲間も大切な存在。
部室だって、まだ愛着をぬぐいきれない。
なんて事を漏らしたら、咲はきっと怒るのだろう。
だから隠そうとしたけれど、心を覗き見られてしまう。
「…まだ『大掃除』終わってないみたいだね」
「そりゃ、物みたいに綺麗さっぱり捨てるのは無理よ」
「まあ、私もそこまでは求めないけど。
そういう弱さも、大好きな好きな久さんの一面だし」
「……でも、できれば。もっと、もっと薄めたいな」
流し目で呟く咲の言葉に、思わず背筋がぶるりと震える。
多分咲はわかっているのだ。
あの子達を取り去れば、より私が依存する事に。
酷く私に依存する咲は、
私が同じところまで堕ちてくる事を願っている。
「そんなに心配しなくても。私はもう依存してるわよ」
「泣きたくなるくらいに、ね」
卒業が近づくにつれ、心が不安定になっていくのを自覚していた。
新年が明けてしまっても、まだ大掃除の真っ最中だ。
繋がりがどんどん薄れていく。咲以外が希薄になっていく。
それに震えが止まらなくなって、私は咲に縋りついている。
今からこんな体たらくでは、卒業したらどうなるだろう。
私は喪失に耐えられるのか。否、多分耐えられるのだろう。
咲に依存する事を代償に。
「…私がおかしくなっちゃっても、絶対に離さないでね?」
「大丈夫だよ。私はもうとっくにおかしいから」
「むしろ、早くおかしくなって欲しいな」
咲の手をぎゅっと握りこむ。
握り返された手はとても温かい。
そのぬくもりが優し過ぎて、私は素直に溺れていった。
卒業式まで、後少し。
(完)
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更新めっちゃまってました
しかも久咲とか最高です!!
今年もよろしくお願いいたします(°▽°)
とっても素晴らしいssでした!
他の百合ssより何倍も読み応えがあります!
久々の更新待ち遠しかったです
咲さんの病み具合がゾクリしました
今後も応援します
マイルド久咲のとても暖かい表現が
身に染みる…( *¯ㅿ¯*)
今年1年も一方的にですがどうぞよろしく
お願いしますm(_ _)m
実にいい咲久だと思います。
楽しく読ませていただきました!