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【咲-Saki-SS:久咲】 君を待つ、春を待つ【リレーSS】
<あらすじ>
卒業してから10年後。
部室のあった旧校舎が取り壊されるとの知らせを受け、
宮永咲は久方ぶりに母校を訪れる。
10年もの歳月は、少女をすっかり大人に変えた。
取り巻く環境も、立場も、何もかもが変化して。
なのに、今眼前に広がる旧校舎は何も変わらず。
タイムスリップしたかのような錯覚に陥ってしまう。
時が止まってしまったかのような空間で、
宮永咲はある人に出会う。
彼女の名は竹井久。その出会いも実に10年ぶりだった。
今。止まっていた二人の時が動き出す。
<登場人物>
宮永咲,竹井久
<症状>
・特になし
<その他>
以下のお題を使ったリレーSS企画。
・百人一首から一つ選んで言葉以外の方法で告白
前編はこなつさん(@knatu_22)が書いたものです。
後編は管理人が書いてます。
※どこで入れ替わってるか推測してみるのも面白いとおもうよ!
--------------------------------------------------------
人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほいける
10年振りに母校を訪れるというのは、
なかなかどうにも落ち着かない。
あの頃と全く同じ制服を来た学生たちが
颯爽と私を追い越していく。
私もああいう感じだったのかな。
振り返ってみるが、学生時代は大人しく過ごしていたなと
思い出すまでもなかった。
「でも1番、きらきらしてたよね」
昔を懐かしむのは年を取った証拠だと
貴女はよく嘆いていたけど。
今日くらいはいいですよね。
だってもう、校舎を目にしたら
たくさんの思い出が蘇ってくる。
貴女と過ごした1年間、
そしてもちろん貴女が卒業してからも。
清澄高校は普段生徒たちが通う校舎の他に、
今は使われていない旧校舎がある。
私が通っていた当時でさえ、
随分古いと思っていたのに未だにこうして佇んでいる。
できることなら、ずっとこのままであって欲しいと思っていたけれど、
なかなかそうとはいかないらしい。
安全面や維持費という経済面から
近々取り壊すことが決定したそうだ。
旧校舎の入り口までやってくると
『立入禁止』の札が扉に掛けられていた。
普段は施錠もしているらしいが、
今日は外してくれている。
人の出入りが無くなると、扉はより固く閉ざしてしまうものだ。
簡単には開かず、体重を乗せるようにして
なんとか旧校舎に入ることができた。
これでは先が思いやられるなとギギッと歩くたびに
音が鳴る床や古書店に来たような香りにごくりと唾を飲む。
それでも、窓から差し込んだ光が
舞い上がる埃に反射している廊下や、
息を上げて階段を登ってようやくたどり着く部室の扉、
『麻雀部』と掠れた文字で書かれている
プレートを見てしまえば心が踊ってしまうのだ。
麻雀部の部室は旧校舎の屋上へと続くこの部屋にあった。
現在は、といっても数年前くらいからだけれども
向こうの校舎のほうに移ってしまったらしい。
先程振り返ったように、自分では
大人しい学生生活だったと思っているが
世間や周りのひとはそれに頷いてはくれないだろう。
なにしろここから始まった麻雀の世界での
"宮永咲"はとても大きな存在になってしまっている。
「全然、そんなことないんだけどな」
昔を懐かしむ姿は他の人たちと大差はないはずだ。
扉の向こうにもういるかもしれない人を想って
緊張してしまうのとか、
こんな――告白する前のどきどきだとか。
会う前から自爆するなんてとため息が出る。
部室に入る前に肩から下げた鞄のひもをぎゅっとに握る。
もう、10年が経ってしまった。
私服を着て、お化粧だってして。
ここにいる私は紛れもなく大人の私だ。
でも、扉に手を掛けた瞬間。
自分の意思で初めて開けたあの時と同じ――
高校生に戻ってしまったような、そんな気分になっていた。
*
さて、あなたはどうでしょう。
他人の心はわからないというけれど、
昔なじみのこの里では、
梅の花だけがかつてと同じいい香りを漂わせています。
尤も、この校舎には梅の花はないのだけれどね。
*
重厚な扉が、音を立てて開いていく。
視界に広がる光景に、言葉も忘れて立ち尽くした。
だって。何もかもが、10年前と同じだったから。
老朽化が進んだ旧校舎。訪れる人なんて誰も居なくて、
でも、だからこそ時は『あの日』から止まったままだった。
ただ一つだけ違うのは。ステンドグラスの下、
差し込む光に照らされながら佇む女性の存在。
10年前、私から関係を断ち切ってしまった人。
「来てくれたのね」
元麻雀部長の竹井先輩。
10年の歳月を経て、より美しく大人になった先輩が、
まるで聖母のように微笑んでいた。
*
10年前の卒業式。あの日も私はこうやって、
竹井先輩に呼び出された。
先輩はとっくに卒業していて、今はもうOGという名の部外者。
なのに当然のように潜り込んでいる事に苦笑して、
でも胸が不規則に高鳴ったのを覚えてる。
だって、卒業式の後に呼び出されて二人きりになるなんて。
まるで、『そういう事』みたいだったから。
『まさか竹井先輩に呼び出されるとは思いませんでした』
『あら、私以外に誰かあてがあったのかしら?
咲もいつの間にか隅に置けない人になっちゃったのねー』
『そ、そういうわけじゃないですけど』
目の前でクスクス笑う先輩に、でも少し距離を感じてしまう。
元々奇麗な人だったけど、やっぱり大学に入ると変わるのだろうか。
高校生には醸し出せない、大人びた雰囲気が漂っている。
『でも、一人で来て欲しいって、何かあったんですか?』
『あはは、咲ったら冗談ばっかり。
このシチュエーションで起きる事なんて
一つしかないんじゃない?』
『……え、と』
ドクン、と鼓動が胸を刻む。
あり得ない、でも、もしかして。
心の片隅に追いやっていた妄想が、再び頭を持ち上げる。
戸惑いが脳を支配して、所在なげに顔色をうかがった。
そして気づく。気づいてしまう。
普段はゆったりと煌いているウェーブが、
ヘアゴムで束ねられている事に。
『ここで言っとかないと、一生後悔すると思ったから』
『ねえ、咲。私は――』
*
結果だけ先に言ってしまえば、
私が先輩の想いを受け入れる事はなかった。
戸惑い、言葉すら返せずまごつく私。
そんな私に、先輩は『そっか』って儚げに微笑む。
それでおしまい。私は逃げるように部室を後にして、
そのまま高校生活にピリオドを打つ。
以来、ここに近づいた事はなかった。
「よいしょ、っと…この扉もだいぶ歪んでるわねー」
鼓膜を揺らす声に我を取り戻すと、
先輩がベランダへの扉を開けている。
後を追う様にベランダに足を踏み出すと、
パラソルとビーチチェアが私達を待っていた。
本当に何も変わってない。まるでタイムスリップしたような錯覚に陥る。
でも、先輩の声が私を再び現実に引き戻した。
「流石にあそこに行くのは無理そうねー。
かなり老朽化しちゃってるわ」
屋根に足を掛けた途端、ミシリ、ときしむ音がした。
先輩は残念そうに肩をすくめながら、踏み出した足を引っ込める。
「むしろ、ここにもよく入れてもらえましたね。
普段は立ち入り禁止なんですよね?」
「あー、咲は知らないのね。私、今ここの先生やってるのよ?
流石にOGだからってだけじゃ入れてはもらえないわ」
「そ、そうだったんですね……すいません」
「まったく、咲ったら薄情ねー。もうちょっと
旧知の人に関心持ってもいいんじゃない?」
「忙し、かったので……」
「あはは。新しい関係に夢中で、旧い人なんて忘れちゃったかしら?」
本気なのか冗談なのか。あの頃と同じでわからない、
飄々とした態度で先輩は笑う。
ずきん、と胸が酷く痛んだ。
「もし、そうだったなら。もっと楽だったんですけどね」
高校を卒業して、世界はめまぐるしく姿を変えた。
プロ入り、新人戦、日本リーグ、世界大会。
怒涛の波にもみくちゃにされる中、
色んな人が私の人生と交わっていった。
出会った人の数で言えば、卒業後の方が遥かに多い。
それなのに。現実が、未来が思い出を超えてくれない。
脳裏に浮かぶのはいつも昔の事ばかり。
もう12年も経っているのに。あの日、あの頃の1年間に、
縋りながら生きている。
「うん、知ってるわ。貴女が独りで頑張ってた事」
はっと目を見開いて、傍らの先輩を覗きこむ。
竹井先輩は酷く柔らかい笑みを浮かべて、ただゆっくりと頷いた。
不意に目頭が熱くなる。あの頃に戻ってしまいそうになる。
頼れる先輩と気弱な後輩に。幸せだったあの頃に。
でも、それは許されない事だ。
目の前の人にべったり甘えられた日々はもう遠い昔。
私は世界を股に掛けるトッププロで、全日本を代表する宮永咲。
何より、私はこの人を切り捨ててしまったのだから。
でも。なのに私は、ここに来てしまっている。
零れ落ちそうになる涙を噛み締めていると、
竹井先輩は呟くように何かを詠った。
「人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほいける」
「なんてね。知ってる?」
ドキリと胸がざわついた。彼女が口にしたその歌は、
私がこの旧校舎に踏み入った時思い浮かべたそれだったから。
「……紀貫之の歌ですよね。
昔よく泊まっていた宿を久しぶりに訪れた時に、
主人に贈った歌でしたっけ」
久しく訪れていなかった紀貫之に、宿屋の主人はこう言った。
『この宿は変わってないのに、貴方は心変わりされて、
久しくおいでになりませんでしたね』と。
対して彼の歌人はこの歌を詠った。現代語訳を示すならこうだ。
『他人の心はわからないというけれど、昔なじみのこの里では、
梅の花だけがかつてと同じいい香りを漂わせています』
つまりは、
『貴方だって私の事なんて忘れていたんじゃないのか?
ふるさとと梅の香りは昔と変わらないけどね』
と皮肉を返したという事だ。
「うんうん、よく知ってるじゃない。
流石に文学少女は伊達じゃないわね」
竹井先輩は満足そうに頷きながら、視線をぼんやり空に投げる。
ここではないどこかに想いを馳せるような遠い目で、
零すように先輩は呟いた。
「ここが取り壊されるって聞いてね、久しぶりに入ってみたのよ。
ビックリしたわ。あまりに何も変わらなかったから」
「でね、何となくこの歌が浮かんだの。部室は何一つ変わらない。
でも、そこを去った私達はどうだったのかしら」
「果たして、『心変わり』しちゃったのかしら。
それとも……『何も変わっていない』のかしらね?」
「その答えが知りたくて。貴女をここに呼び出しちゃったの」
どうかしら?なんて首を傾げる先輩は、
きっと答えを知っているだろう。
何もかもわかっていて、ハードルを下げてくれている。
でも、この期に及んで臆病な私は、
想いをストレートに口にはできなくて。
ただ、酷く婉曲的な答えを返す。
「……ここに。この場所に戻って来た事が答えです」
先輩は満面の笑みを浮かべると、私をそっと抱き寄せた。
*
変わったのか、変わらなかったのか。
敢えて答えを求めるなら、どちらも正解だったんだろう。
きっと私は10年前から竹井先輩が好きだった。
ううん、それこそまだ高校1年生だった頃から。
ただ、人生経験に乏しい私は自分の気持ちにすら答えを出せなくて。
先輩の想いに釣り合う程の感情が
自分の中に眠っている事に気づけなかった。
それから10年。いろんな人が私の道を通り抜けて、
ようやく自分の想いに気づいた。
愛を囁かれた事もある。想いを形にして贈られた事もある。
そのたびに脳裏に浮かぶのはいつも竹井先輩。
そして思い知らされるのだ。
自分がどれほどにあの人を愛していたのかを。
変わらない想いに気づいて、だから心変わりして。
私は竹井先輩に想いを告げるべくこの場所に舞い戻った。
なんて、そんな変遷すら。先輩はお見通しだったんだけど。
「お見通しって言うか予想通りね!」
「え、えぇ!?じゃあ、こうなるってわかってたんですか!?」
「うん。ぶっちゃけ咲が私の事好きってのは気づいてたしね。
じゃないとあんなにあっさり引き下がらないわよ」
「わ、わかってたなら……10年も放置しなくても
よかったじゃないですか」
「自分で気づいて欲しかったのよ。
まさか10年もかかるとは思わなかったし」
「先輩は寂しくなかったんですか?」
「寂しかったに決まってるじゃない。
でも、私の異名知ってるでしょ?」
「悪待ちの竹井久……ですか。人生悪待ち過ぎですよ」
「あはは。流石に待ちきれずに誘い水しちゃったけどねー」
あっけらかんと語る竹井先輩は、
『私の気持ちは変わってない』と伝えてくれた。
でも、だとすれば、だからこそ胸が痛む。
心変わりしないまま、先輩はひたすら待ち続けた。
それは心変わりするよりもずっと苦しかっただろう。
いっそ忘れて新しい恋に溺れられたら、よほど幸せだったろう。
それでも竹井先輩は想いを貫いた。
そして、心よりも先にふるさとの寿命が来て。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。
待つのに慣れている先輩が我慢できなくなる程に苦しくて、
ついに決断したのだろう。
でもこれからはもう大丈夫。
「花が落ち ふるさとが土に かえるとも
心ぞとわに かわらざりけり」
例え故郷がなくなってしまっても、
梅の花の香りが掻き消えてしまっても。
想いはきっと変わらないから。
(完)
卒業してから10年後。
部室のあった旧校舎が取り壊されるとの知らせを受け、
宮永咲は久方ぶりに母校を訪れる。
10年もの歳月は、少女をすっかり大人に変えた。
取り巻く環境も、立場も、何もかもが変化して。
なのに、今眼前に広がる旧校舎は何も変わらず。
タイムスリップしたかのような錯覚に陥ってしまう。
時が止まってしまったかのような空間で、
宮永咲はある人に出会う。
彼女の名は竹井久。その出会いも実に10年ぶりだった。
今。止まっていた二人の時が動き出す。
<登場人物>
宮永咲,竹井久
<症状>
・特になし
<その他>
以下のお題を使ったリレーSS企画。
・百人一首から一つ選んで言葉以外の方法で告白
前編はこなつさん(@knatu_22)が書いたものです。
後編は管理人が書いてます。
※どこで入れ替わってるか推測してみるのも面白いとおもうよ!
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人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほいける
10年振りに母校を訪れるというのは、
なかなかどうにも落ち着かない。
あの頃と全く同じ制服を来た学生たちが
颯爽と私を追い越していく。
私もああいう感じだったのかな。
振り返ってみるが、学生時代は大人しく過ごしていたなと
思い出すまでもなかった。
「でも1番、きらきらしてたよね」
昔を懐かしむのは年を取った証拠だと
貴女はよく嘆いていたけど。
今日くらいはいいですよね。
だってもう、校舎を目にしたら
たくさんの思い出が蘇ってくる。
貴女と過ごした1年間、
そしてもちろん貴女が卒業してからも。
清澄高校は普段生徒たちが通う校舎の他に、
今は使われていない旧校舎がある。
私が通っていた当時でさえ、
随分古いと思っていたのに未だにこうして佇んでいる。
できることなら、ずっとこのままであって欲しいと思っていたけれど、
なかなかそうとはいかないらしい。
安全面や維持費という経済面から
近々取り壊すことが決定したそうだ。
旧校舎の入り口までやってくると
『立入禁止』の札が扉に掛けられていた。
普段は施錠もしているらしいが、
今日は外してくれている。
人の出入りが無くなると、扉はより固く閉ざしてしまうものだ。
簡単には開かず、体重を乗せるようにして
なんとか旧校舎に入ることができた。
これでは先が思いやられるなとギギッと歩くたびに
音が鳴る床や古書店に来たような香りにごくりと唾を飲む。
それでも、窓から差し込んだ光が
舞い上がる埃に反射している廊下や、
息を上げて階段を登ってようやくたどり着く部室の扉、
『麻雀部』と掠れた文字で書かれている
プレートを見てしまえば心が踊ってしまうのだ。
麻雀部の部室は旧校舎の屋上へと続くこの部屋にあった。
現在は、といっても数年前くらいからだけれども
向こうの校舎のほうに移ってしまったらしい。
先程振り返ったように、自分では
大人しい学生生活だったと思っているが
世間や周りのひとはそれに頷いてはくれないだろう。
なにしろここから始まった麻雀の世界での
"宮永咲"はとても大きな存在になってしまっている。
「全然、そんなことないんだけどな」
昔を懐かしむ姿は他の人たちと大差はないはずだ。
扉の向こうにもういるかもしれない人を想って
緊張してしまうのとか、
こんな――告白する前のどきどきだとか。
会う前から自爆するなんてとため息が出る。
部室に入る前に肩から下げた鞄のひもをぎゅっとに握る。
もう、10年が経ってしまった。
私服を着て、お化粧だってして。
ここにいる私は紛れもなく大人の私だ。
でも、扉に手を掛けた瞬間。
自分の意思で初めて開けたあの時と同じ――
高校生に戻ってしまったような、そんな気分になっていた。
*
さて、あなたはどうでしょう。
他人の心はわからないというけれど、
昔なじみのこの里では、
梅の花だけがかつてと同じいい香りを漂わせています。
尤も、この校舎には梅の花はないのだけれどね。
*
重厚な扉が、音を立てて開いていく。
視界に広がる光景に、言葉も忘れて立ち尽くした。
だって。何もかもが、10年前と同じだったから。
老朽化が進んだ旧校舎。訪れる人なんて誰も居なくて、
でも、だからこそ時は『あの日』から止まったままだった。
ただ一つだけ違うのは。ステンドグラスの下、
差し込む光に照らされながら佇む女性の存在。
10年前、私から関係を断ち切ってしまった人。
「来てくれたのね」
元麻雀部長の竹井先輩。
10年の歳月を経て、より美しく大人になった先輩が、
まるで聖母のように微笑んでいた。
*
10年前の卒業式。あの日も私はこうやって、
竹井先輩に呼び出された。
先輩はとっくに卒業していて、今はもうOGという名の部外者。
なのに当然のように潜り込んでいる事に苦笑して、
でも胸が不規則に高鳴ったのを覚えてる。
だって、卒業式の後に呼び出されて二人きりになるなんて。
まるで、『そういう事』みたいだったから。
『まさか竹井先輩に呼び出されるとは思いませんでした』
『あら、私以外に誰かあてがあったのかしら?
咲もいつの間にか隅に置けない人になっちゃったのねー』
『そ、そういうわけじゃないですけど』
目の前でクスクス笑う先輩に、でも少し距離を感じてしまう。
元々奇麗な人だったけど、やっぱり大学に入ると変わるのだろうか。
高校生には醸し出せない、大人びた雰囲気が漂っている。
『でも、一人で来て欲しいって、何かあったんですか?』
『あはは、咲ったら冗談ばっかり。
このシチュエーションで起きる事なんて
一つしかないんじゃない?』
『……え、と』
ドクン、と鼓動が胸を刻む。
あり得ない、でも、もしかして。
心の片隅に追いやっていた妄想が、再び頭を持ち上げる。
戸惑いが脳を支配して、所在なげに顔色をうかがった。
そして気づく。気づいてしまう。
普段はゆったりと煌いているウェーブが、
ヘアゴムで束ねられている事に。
『ここで言っとかないと、一生後悔すると思ったから』
『ねえ、咲。私は――』
*
結果だけ先に言ってしまえば、
私が先輩の想いを受け入れる事はなかった。
戸惑い、言葉すら返せずまごつく私。
そんな私に、先輩は『そっか』って儚げに微笑む。
それでおしまい。私は逃げるように部室を後にして、
そのまま高校生活にピリオドを打つ。
以来、ここに近づいた事はなかった。
「よいしょ、っと…この扉もだいぶ歪んでるわねー」
鼓膜を揺らす声に我を取り戻すと、
先輩がベランダへの扉を開けている。
後を追う様にベランダに足を踏み出すと、
パラソルとビーチチェアが私達を待っていた。
本当に何も変わってない。まるでタイムスリップしたような錯覚に陥る。
でも、先輩の声が私を再び現実に引き戻した。
「流石にあそこに行くのは無理そうねー。
かなり老朽化しちゃってるわ」
屋根に足を掛けた途端、ミシリ、ときしむ音がした。
先輩は残念そうに肩をすくめながら、踏み出した足を引っ込める。
「むしろ、ここにもよく入れてもらえましたね。
普段は立ち入り禁止なんですよね?」
「あー、咲は知らないのね。私、今ここの先生やってるのよ?
流石にOGだからってだけじゃ入れてはもらえないわ」
「そ、そうだったんですね……すいません」
「まったく、咲ったら薄情ねー。もうちょっと
旧知の人に関心持ってもいいんじゃない?」
「忙し、かったので……」
「あはは。新しい関係に夢中で、旧い人なんて忘れちゃったかしら?」
本気なのか冗談なのか。あの頃と同じでわからない、
飄々とした態度で先輩は笑う。
ずきん、と胸が酷く痛んだ。
「もし、そうだったなら。もっと楽だったんですけどね」
高校を卒業して、世界はめまぐるしく姿を変えた。
プロ入り、新人戦、日本リーグ、世界大会。
怒涛の波にもみくちゃにされる中、
色んな人が私の人生と交わっていった。
出会った人の数で言えば、卒業後の方が遥かに多い。
それなのに。現実が、未来が思い出を超えてくれない。
脳裏に浮かぶのはいつも昔の事ばかり。
もう12年も経っているのに。あの日、あの頃の1年間に、
縋りながら生きている。
「うん、知ってるわ。貴女が独りで頑張ってた事」
はっと目を見開いて、傍らの先輩を覗きこむ。
竹井先輩は酷く柔らかい笑みを浮かべて、ただゆっくりと頷いた。
不意に目頭が熱くなる。あの頃に戻ってしまいそうになる。
頼れる先輩と気弱な後輩に。幸せだったあの頃に。
でも、それは許されない事だ。
目の前の人にべったり甘えられた日々はもう遠い昔。
私は世界を股に掛けるトッププロで、全日本を代表する宮永咲。
何より、私はこの人を切り捨ててしまったのだから。
でも。なのに私は、ここに来てしまっている。
零れ落ちそうになる涙を噛み締めていると、
竹井先輩は呟くように何かを詠った。
「人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほいける」
「なんてね。知ってる?」
ドキリと胸がざわついた。彼女が口にしたその歌は、
私がこの旧校舎に踏み入った時思い浮かべたそれだったから。
「……紀貫之の歌ですよね。
昔よく泊まっていた宿を久しぶりに訪れた時に、
主人に贈った歌でしたっけ」
久しく訪れていなかった紀貫之に、宿屋の主人はこう言った。
『この宿は変わってないのに、貴方は心変わりされて、
久しくおいでになりませんでしたね』と。
対して彼の歌人はこの歌を詠った。現代語訳を示すならこうだ。
『他人の心はわからないというけれど、昔なじみのこの里では、
梅の花だけがかつてと同じいい香りを漂わせています』
つまりは、
『貴方だって私の事なんて忘れていたんじゃないのか?
ふるさとと梅の香りは昔と変わらないけどね』
と皮肉を返したという事だ。
「うんうん、よく知ってるじゃない。
流石に文学少女は伊達じゃないわね」
竹井先輩は満足そうに頷きながら、視線をぼんやり空に投げる。
ここではないどこかに想いを馳せるような遠い目で、
零すように先輩は呟いた。
「ここが取り壊されるって聞いてね、久しぶりに入ってみたのよ。
ビックリしたわ。あまりに何も変わらなかったから」
「でね、何となくこの歌が浮かんだの。部室は何一つ変わらない。
でも、そこを去った私達はどうだったのかしら」
「果たして、『心変わり』しちゃったのかしら。
それとも……『何も変わっていない』のかしらね?」
「その答えが知りたくて。貴女をここに呼び出しちゃったの」
どうかしら?なんて首を傾げる先輩は、
きっと答えを知っているだろう。
何もかもわかっていて、ハードルを下げてくれている。
でも、この期に及んで臆病な私は、
想いをストレートに口にはできなくて。
ただ、酷く婉曲的な答えを返す。
「……ここに。この場所に戻って来た事が答えです」
先輩は満面の笑みを浮かべると、私をそっと抱き寄せた。
*
変わったのか、変わらなかったのか。
敢えて答えを求めるなら、どちらも正解だったんだろう。
きっと私は10年前から竹井先輩が好きだった。
ううん、それこそまだ高校1年生だった頃から。
ただ、人生経験に乏しい私は自分の気持ちにすら答えを出せなくて。
先輩の想いに釣り合う程の感情が
自分の中に眠っている事に気づけなかった。
それから10年。いろんな人が私の道を通り抜けて、
ようやく自分の想いに気づいた。
愛を囁かれた事もある。想いを形にして贈られた事もある。
そのたびに脳裏に浮かぶのはいつも竹井先輩。
そして思い知らされるのだ。
自分がどれほどにあの人を愛していたのかを。
変わらない想いに気づいて、だから心変わりして。
私は竹井先輩に想いを告げるべくこの場所に舞い戻った。
なんて、そんな変遷すら。先輩はお見通しだったんだけど。
「お見通しって言うか予想通りね!」
「え、えぇ!?じゃあ、こうなるってわかってたんですか!?」
「うん。ぶっちゃけ咲が私の事好きってのは気づいてたしね。
じゃないとあんなにあっさり引き下がらないわよ」
「わ、わかってたなら……10年も放置しなくても
よかったじゃないですか」
「自分で気づいて欲しかったのよ。
まさか10年もかかるとは思わなかったし」
「先輩は寂しくなかったんですか?」
「寂しかったに決まってるじゃない。
でも、私の異名知ってるでしょ?」
「悪待ちの竹井久……ですか。人生悪待ち過ぎですよ」
「あはは。流石に待ちきれずに誘い水しちゃったけどねー」
あっけらかんと語る竹井先輩は、
『私の気持ちは変わってない』と伝えてくれた。
でも、だとすれば、だからこそ胸が痛む。
心変わりしないまま、先輩はひたすら待ち続けた。
それは心変わりするよりもずっと苦しかっただろう。
いっそ忘れて新しい恋に溺れられたら、よほど幸せだったろう。
それでも竹井先輩は想いを貫いた。
そして、心よりも先にふるさとの寿命が来て。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。
待つのに慣れている先輩が我慢できなくなる程に苦しくて、
ついに決断したのだろう。
でもこれからはもう大丈夫。
「花が落ち ふるさとが土に かえるとも
心ぞとわに かわらざりけり」
例え故郷がなくなってしまっても、
梅の花の香りが掻き消えてしまっても。
想いはきっと変わらないから。
(完)
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穏やかなぷちさんも好きです
ひささきはいいなぁ
『ねえ、咲。私は――』
のところで変わってるような気がします
久さんかわいい
ひっささき!ひっささき!ひっささき!>
咲「ひっささき!」
久「ひっささき!」
穏やかなぷちさんも好きです>
穏やかなssも大好き>
久「穏やかなのは前編側を書いた人の影響ね。
いい影響受けてると思います」
咲「奇麗なお話を書かれる方なので」
『ねえ、咲。私は――』のところで>
久「Twitterでもここからはぷちだって
断定する人が多かったわね」
咲「正解は
『重厚な扉が、音を立てて開いていく。』
からでした!」
やっぱりかわいいなぁ二人とも>
咲「ですよね。部長かわいいです」
久「う、うーん。面と向かって言われると
面映ゆい」
大人な久咲良いですな>
久「おろおろするだけの咲が
大人らしさを身に着けた時、
果たして甘えるのはどちらなんでしょうね」
咲「支えあえたらいいなと思いますよ?」