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【咲-Saki-SS:菫照】照「彼女とのキスは、いつも血の味がした」前編【ヤンデレ】【依存】【自傷】
<あらすじ>
なし。リクエストがそのままあらすじです。
<登場人物>
弘世菫,宮永照,大星淡,宮永咲
<症状>
・ヤンデレ
・狂気
・共依存
・執着
・自傷
<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・照菫で、実は相当病んでる菫さんが、
そんな自分を表に出さないよう隠し切りすぎて、
我慢の末照への思いが爆発し、
でもそれを照にぶつけるのは
生来の優しい芯が許さず自傷に陥っちゃう……
そこをテルーが自分が狂うのも分かった上で助ける
強くあるが故に壊れていく二人、的な
ドシリアス、最終的に共依存ハッピーエンド
(いろいろ都合のいい感じに変わっても大丈夫。ただし菫を謀略系にしない事)
--------------------------------------------------------
宮永照。
日本高校麻雀界の頂点に君臨する女王であり、
名を知らぬ者を探す方が難しい存在。
人は彼女をこう呼んだ。『チャンピオン』と。
洒落た二つ名は必要ない。最強、ただそれだけ告げれば、
宮永照だと通じるからだ。
もっとも、私、弘世菫が照に執着するのは、
そんな強さが理由ではない。
むしろ弱さ。不意に滲ませる独特の危うさ、
人としての脆さにこそ、惹きつけられてやまないのだ。
もう少し端的に言うならば、『ほうっておけない』
これが一番適切な表現だろう。
事あるごとに迷子になり、それでいて挽回しようともせず、
人付き合いを厭い、丁寧語すらろくに使わない。
雀士としての強さを除けば間違いなく社会不適合者の照。
そんな照に嘆息しながらも、甲斐甲斐しく世話をし続けた。
『お前は私が居ないとてんで駄目だな』なんて、
上から目線の言葉を投げ掛けながら。
自分が、照にとって必要な存在であると疑いもしなかった。
滑稽だ。照が本当に欲していたものは、
何一つ与えてやれなかった癖に。
本当に救いが必要だった問題について、
まるで力になる事ができなかった癖に。
出会って2年と4か月、私は照のそばに在り続けた。
誰よりも長く、誰よりも近くに寄り添っていた。
それは事実だ。でも、それだけでしかなくて。
--------------------------------------------------------
結局私は、照の特別にはなれない。
--------------------------------------------------------
インターハイの決勝戦。
招集の直前で席を外した照は、戻ってくるなり、
私の目の前で壁に激突した。
「妹に会ったんだ」
なおもよろりとぐらつきながら。
懺悔するかのごとく照は呟く。
「でも、何を話すべきか。
なんにもわからなかったよ………」
「なんにも――」
顔面には自嘲の笑みが張り付いていた。
普段の無表情が過ぎる照からは考えられない程に、
自らを嘲り、苛み、責め立てている。
「……」
弱った照をかき抱く。されるがまま腕に納まる照を撫でながら、
私はこんな事を考えていた。
(宮永咲。照を助けてくれるのか。それとも――)
我が事ながら他力本願が過ぎると思う。
何が『助けてくれるのか』だ。
本来なら誰よりもそばに居る私こそが、
照を助けなければならないだろうに。
でも、おそらくこれが私の限界なのだろう。
自分では照を助けられないと
無意識のうちに白旗を上げていたのだ。
結局私は、弱り切った照に気の利いた言葉を
返してやる事すらできず。
ただただ、崩れ落ちそうになる照を
単なる壁のように支えていた。
--------------------------------------------------------
結論を先に言ってしまえば、
照は見事に救われた。
宮永咲は照にとって劇薬ではあったものの、
確かに救いでもあったらしい。
大将戦が決着し、淡が宮永咲に向き直る。
何一つ事情を知らず、わだかまりも持たない淡は、
酷く気安く、至極当然のように語り掛けた。
「テルの妹なんだよね!せっかくだからテルに会ってく?」
「で、でも……何話したらいいかわからないから」
「へ?別に何でもいいじゃん。
最近どうだったーとかさ」
「でも……お姉ちゃん、何も話してくれないかも」
「???よくわかんないけどだいじょーぶだと思うよ?
前テルにサキの事聞いたけど普通だったし」
淡は知らない。
かつて宮永家を襲った悲劇を。
淡は知らない。
照と妹の間に横たわる深い溝の存在を。
淡は知らない。
照はすでに一度、彼女との対話を拒んでいる事を。
だが、淡は。生来の気質から、強引に正解を掴み取った。
「何があったかは知らないけどさ。
そーゆー時はリセットしちゃえばいいんだよ!」
「リセット?」
「そ。ケンカとかしてるなら、開口一番謝ってさ。
仕切り直しちゃえばいいんじゃないかな」
「サキのテルに対する思いは、
対局の時にビリビリ伝わってきたから。
きっとテルにも届いてるはずだよ」
「だからきっとだいじょーぶ!」
根拠のない太鼓判を押しながら、淡は彼女の手を掴む。
そしてそのまま彼女を連れて、白糸台の控室に戻って来た。
「……」
「お、お姉ちゃ……」
かくして、数年越しの邂逅が果たされる。
この期に及んでも照が口を開く事は叶わず、
妹も満足にしゃべる事はできなかったが。
淡はまるで意に介さず、
半ば空気を読まないマイペースさで
二人の手を強引に繋ぎ合わせる。
「はい、これで仲直り!」
次の瞬間、宮永咲の目に涙があふれた。
おずおずと、残されたもう片方の手も照の指に重ね。
ぎゅっと、包むように握りこむ。
「……」
照は口を開かない。
だが、思いは確かに通じたのだろう。
二人は沈黙を守りつつも、互いの手を静かに重ね合わせ。
失った時を取り戻さんとばかりに、
ただ二人で寄り添っていた。
「……」
心温まる光景だった。
長きにわたり姉妹を苦しめてきた障害が、
ついにこの瞬間取り払われた。
それはきっと、照にとってずっと切望していた瞬間。
照が妹を抱き寄せる。妹は心から幸せそうに、
瞳を閉じて、全体重を姉に預けた。
そんな姉妹の姿を、
傍観者として遠巻きに眺めながら。
私は一人、心の中で呟いた。
--------------------------------------------------------
『ああ。結局私は、何の役にも立たなかったな』と。
--------------------------------------------------------
心温まる光景のはずだった。
私が照の親友を自認するのなら。
慈愛の笑みでも浮かべながら、
二人の門出に祝福を贈るべき場面だろう。
だが実際の私は笑顔を見せるどころか、
唇を、血が滲むほどに強く噛み締めていた。
胸に、ぽっかりと風穴が開いていく。
私では照を救えなかった。誰より照のそばに居た癖に、
きっかけすら与える事ができなかった。
結果、まったく無関係であるはずの淡が
見事それを成し遂げて。
私はただその場に居合わせた部外者として、
ただ観客として舞台を眺めるだけ。
無論、照の憂いが取り払われたのは喜ばしい事だ。
だが、やはり考えずにはいられない。
こんなに簡単に解決できる話だったのか?
なのにどうして私はできなかった?
私がもっと早く手を打っていれば、
もっと早く照を苦しみから解放する事ができたのではないか?
どうしてだ。どうして私にはできなかった!
ぎりり、口内を強く噛み締める。
じわり、鉄の味が口の中に広がって。
どろり、口の端から赤が一筋伝っていった。
「……っ」
垂れ落ちそうになる血を慌てて拭う。
私は小さく俯いた後、ごまかすように穏やかな声を響かせた。
「しばらく二人にしてやろう」
「何を話すべきか、まだわからないかもしれないが、
言葉なんて必要ない。
ただ、二人でそうして寄り添っていればいい」
「私達は席を外そう。終わったら呼んでくれ」
笑顔の仮面を貼りつけて、控室を後にする。
他のみんなを追い出しながら、その顔色を伺った。
皆が皆一様に笑っている。心から笑えていないのは私だけだった。
そして改めて気づかされる。
おそらく私は、この中でもっとも
照に相応しくない人間なのだろう、と。
その事実に気づいた時。
また、口元を血が一筋垂れ落ちて行った。
--------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------
暑い夏が終わりを告げて、
日の落ちる時間が早くなり始めた頃。
照と私の関係は、以前からは考えられない程
疎遠になっていた。
単純に部活を引退した事も大きい。
だがそれ以上に、私が照と距離を取り始めたのが原因だった。
私は照のそばに居るべき人間じゃない。
そう確信してしまったからだ。
さらに私を苦しめたのは、それで特に問題なかった事だ。
私の世話がなくなっても、照は普通に生活できている。
また一つ気づかされた。
やはり、照には私など必要なかったのだ。
否、実際には真逆。
私にこそ、照が必要だったのだろう。
思えば部の運営も、照の能力頼みだった。
有望な選手のピックアップも、
個人の能力を伸ばす方策も。
敵チームの分析も、全て照が行っていて。
私はただチームの代表として
ふんぞり返っていただけだ。
麻雀の強さも同じ。私が三連覇できたのは、
圧倒的強さを持つ照と同期だったからに過ぎない。
事実、私自身は個人戦に出場すらできていないのだから。
そして部を引退し、照と疎遠になった今。
私は道標となるものを失った。
結果、進路すら決める事もできず、
うだうだ悩み続けている。
確かに優勝校の部長として、
プロや大学からオファーは来ている。
だが申し出を受ける気にはなれなかった。
その道の先に照は居ないから。
「……あいつは。もう麻雀を
続ける気はないんだよな」
引退する前に一度だけ、照と進路について語った事がある。
そして悟った。もはや、照と私の道が交わる事はないと。
『照、お前は進路どうするつもりだ?
このままプロになるつもりか?』
『ならないかな。正直、
競技麻雀はもういいかなって思ってる』
『家族とか、身近な人と打てればそれでいい』
『……そうか』
引き留める言葉は思い浮かばなかった。
もし私が照と無関係なら、
『こんなに強いのにもったいない、続けろよ』
なんて無責任に言えただろう。
だが私は知っている。照にとっての麻雀は、
競技として研鑽を積む道ではなく、
かけがえのない仲間とのコミュニケーションである事を。
『菫は麻雀続けるの?』
『正直迷ってはいる。
ありがたい事にプロからも大学からもオファーが来てるしな。
高校では正直お前に頼りっきりだったから
自分の力でもう少しあがいてみたいと思わなくもない』
『だが、高校で自分の天井が見えたのも事実だ。
いっそアーチェリーとか純粋な進学もありだとは思う』
『そっか。菫ならどの道でも行けると思うよ』
照から掛けられたその言葉は、
決して負の意味を持つものではない。
だが私は、自身の四肢がすぅ、と
凍てついていくのを感じた。
酷く他人事のように聞こえたからだ。
私がどんな道を選ぼうと、自分には特に関係ない。
だから好きにすればいい。
そう切り捨てられた気すらした。
『……お前の方はどうなんだ?』
『細かい事は決めてないけど、多分進学すると思う。
おかげさまで両親も復縁できそうだし、
長野に戻って家族と暮らすよ』
『……』
またも私は沈黙する。知らず知らずのうち、
咥内で肉を噛み締めていた。
『進学を機に長野に帰る』
これを許せば、十中八九私とは進路を違う事になるだろう。
高校ですら注文を付けてきた私の親が、
長野の大学に進学するなんて許すはずもない。
だからと言って、照の進路を否定する権利など私にはなかった。
『離別していた家族と、少しでも一緒に過ごしたい』
そんな細やかで大切な思いを踏みにじれる程の大義など、
部外者の私が持ち合わせているはずもないのだから。
結果、私が返す言葉はこうなる。
『……そうか』
肯定でも否定でもなく、傍観。
照を傷つける勇気も、照の決定を受け入れる覚悟も持てず。
私はただ白痴がごとく相槌を打つだけだった。
やがて会話は終わりとなり、照は席を立っていく。
その背中を目で追い掛けながら、
口内をひときわ強く噛みしめた。
口の中で血を溢れさせながら、
私は一人、ぽつりと呟く。
『もし、私に勇気があれば。
あの日、私がお前を救えていたら』
『お前と交わる道を選ぶ事ができたんだろうか』
返事など返ってくるはずもなく。
自らを嘲るように鼻を鳴らして、
肉をがじりと噛み千切った。
--------------------------------------------------------
照と疎遠になっていく。
それと反比例するかのように、
想いは苛烈さを増していった。
自分がおかしくなっていくのがわかる。
口の中は歯を当てすぎてぐじゅぐじゅになり、
常に血の味が滲んでいる有様だ。
それが『自傷』である事に気づく頃には、
もはや手遅れになっていた。
何もかもが背反する。相反する感情は、
私を捻じ曲げ狂わせていく。
こんな醜態を照に晒したくはない。
だから想いを閉じ込める。
吐き出す事無くため込んだ想いは、
どんどん鬱屈してねじくれていき、
私をより醜い存在へと変えていく。
会いたい。会うわけにはいかない。
吐き出したい。でも知られたくない。
助けて欲しい。おこがましい、
自分は照を助けられなかったじゃないか。
脳内で攻防を繰り広げながら、
危ういところで踏みとどまる。
例え気が違っても。この狂気を照にぶつけて、
照を傷つけるのだけはごめんだった。
せめてもの幸いは、私の自傷が酷く特殊で、
露見しにくい事だろう。
口さえ閉じていれば秘匿できる。
誰かに笑みを浮かべながらでも、
私は自らを断罪する事ができるのだ。
(……辛抱だ。後数か月も経てば、
照と私の道は途切れる)
ただただ、月日が過ぎ去る事だけを願っていた。
照を徹底的に回避する。
少しでも時間を与えれば、照魔鏡を覗く隙を与えてしまえば。
照は、私の醜悪な内面に気づいてしまうだろうから。
後数か月耐え忍ぼう。
卒業式を迎えて、照に笑顔で別れを告げて。
よき親友を完遂しよう。
『いい友人だった』
照にそう思われて終わる事ができたなら、
その後の事はもうどうでもいい。
--------------------------------------------------------
そう、それだけを願って耐えていたのに。
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『菫、開けて。開けてくれないなら、
私はこの場で舌を噛みちぎる』
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照は、私を許してはくれなかった。
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菫が変質し始めている。
私がそれに気づいたのは、
団体の決勝が終わってすぐの事だった。
菫が私の表情を読み取れるように、
私にだって菫の変化くらい読み取れる。
まして私には照魔鏡があるのだから、
菫の内面なんて筒抜けだった。
何しろ私は、数日おきに菫を鏡で覗いているのだから。
鏡越しに見た菫の口は、血に染まりきっていた。
穏やかに笑うその口元は、後から後から血が垂れ落ちて。
菫が、狂おしい程の激情と闘っているのは明白だった。
(このまま放置するわけにはいかない)
なんて、そんな事わかりきっていたはずなのに。
私は随分と長い間二の足を踏み続ける。
ここまで放置してしまったのは、
ひとえに私が弱いからに他ならない。
思えば私はいつもそうだ。いつだって困難に背を向ける。
あの痛ましい事件が起きた時も、
咲と向き合う事を避けて逃げ出した。
その後も、咲がやってくるたびに沈黙を貫いて。
咲の心を傷つけ続けてきた。
今回もあれとまったく同じだ。
菫が何を望んでいて、菫が何で苦しんでいるのか。
私は全てを知っているのに。
ただ沈黙を貫いて、自分で解決しようとしない。
怖かった。不用意な発言で、余計に相手を傷つける事が。
怖かった。私自身の発言で、他人の人生を左右する事が。
怖かった。怖かった。怖かった。怖かった。
(でも。もうそんな事言ってられないくらい、
菫は危険な状態にある)
口の中を噛み千切る。それはリストカットなどと比べれば、
比較的ダメージの少なそうな行為。
でも実際は、死すら垣間見えるほどの、
酷く深刻な自傷行為だった。
菫の自傷は気軽にできる。いつでもできる。すぐできる。
器具がなくても即座にできる。それでいてバレない上に防げない。
常習化しやすく、エスカレートするのも簡単な自傷だ。
口の中が傷だらけだから、食事すらも苦痛を伴う。
必然食事がおろそかになり、栄養補給も滞る。
栄養が不足すれば気力も衰え、生きる活力は失われていく。
絶望的な悪循環だ。
食堂を見渡して、菫が居ない事を確認する。
念のため食堂のおばさんにも確認して、
私の背筋は凍り付いた。
『弘世さん、もう3日も食堂来てないのよねぇ。
ちゃんとご飯食べてればいいけれど』
もはや一刻の猶予もない。私は即座に駆け出した。
掛ける言葉は思いつかない。
どう話せば最善か、うまく決着をつけられるのか。
まるで整理もできていない。
それでも。もうこれ以上
逃げるわけにはいかなかった。
今まで私は、散々菫に助けられてきた。
今度は、私が菫を救う番だ。
--------------------------------------------------------
『菫、開けて。開けてくれないなら、
私はこの場で舌を噛み千切る』
『いきなり物騒な話だが何があった』
『いいから開けて。直接顔を見て話をしたい』
『断る。今人前に出られる状態じゃないんでな』
『だったら待つよ。
菫が私と話せるようになるまで待ってる』
『……随分と強情だな。今日はもう眠りたいんだが』
『照魔鏡を使われるのを恐れてるなら無意味だよ。
私は今の菫の状況をほぼ完璧に把握してるから』
『……だったらなぜ顔を見て話したがる』
『大切な話をしたいから。ただ、それだけ』
--------------------------------------------------------
『私と、菫の一生に関わる話をしたいから』
--------------------------------------------------------
長い、長い沈黙の後。
返事の代わりに、ドアがきしんで音を立てた。
徐々に開いていく扉、でも光が漏れ出す事はなく。
むしろ、室内の闇が廊下に広がっていく。
菫は灯りをつけていなかった。
暗がりの中無表情で佇む菫は、
なぜかぞっとする程美しくて。
思わず惹きこまれそうになる。
でも。一文字に引かれた口が開き始めた途端、
一気に全身の毛が逆立った。
臭い。腐敗臭がする。
菫の咥内がどうなっているのか、
否が応でも想像できてしまう。
危険だ。噛み千切られた口内はもちろん、
酷使を繰り返した歯も危ういだろう。
一刻も早い解決が要求される。
策を弄する猶予はなかった。
「先に一つ伝えておこう。もし照魔鏡を使ったら、
その時点で絶交する」
「いいよ。言ったでしょ。
菫の状況はわかってるから」
「……で、何の話だ」
「単純な話だよ。菫と、私の進路の話」
「今更なんだ。お前は長野の大学に進学するんだろう?
私はまだ決めあぐねているが、それはお前とは関係ない話だ」
「それ、白紙撤回するよ。
私は菫が選んだ進路に追従する」
「……何のために」
「これ以上、菫に壊れて欲しくないから」
「……」
ただでさえ光を失った菫の瞳が、すう、と細く鋭く尖る。
口を開いて放たれた言葉は酷く低く。
冷たく、鋭く、まるで刃のようだった。
「ありがたいご提案だ。なら何か。お前は、
私のために一生を台無しにしてくれるとでも?」
「菫がそう望むなら」
「なんでお前がそこまでするんだ。
私はお前が一番苦しんでる時に、
ただ傍観して何もしなかった女だぞ」
「それは菫の思い込み。私が一番苦しんでる時、
手を差し伸べてくれたのは間違いなく菫。
菫がどう考えようと、この事実は譲らない」
「だから。菫が私を求めるというのなら、
私は全てを菫に捧げる」
「だからもう自傷はやめて。
自傷するくらいなら私を傷つけて」
「はは、参ったな。本当に全てバレているとは」
「……だが」
菫の瞳に光が灯る。でもそれは、
菫が本来持っている慈愛の光ではなくて。
獲物を食い破ろうとする猛獣のような、
どこまでも獰猛で残忍な輝きだった。
「お前は。私が何のために自傷してきたと思ってるんだ?」
「お前を傷つけないために。醜い感情をぶつけないために。
いい友人として幕を引くために」
「欲望を抑え込んで、文字通り、
身を千切りながら耐えてきたんだ」
「なのに、お前がその身を差し出したら。
私の苦労は水の泡じゃないか」
憤怒。怒りに声を震わせながら、菫はなおも奥歯を動かす。
ぶちりっ、口の端から血がびゅるりと噴出した。
頭の中が真っ白になる。
私は衝動的に自らの腕に噛みついて、
深く牙を突き立てた。
「イッ……!!!」
瞬間、閃光のような痛みが走る。
でも、噛み痕から滲む血はじわりじわりと緩慢で。
菫の狂気との差を見せつけられて悔しかった。
「何をしてる!!」
「こっちの台詞だよ。菫が自傷するなら私もする。
菫がボロボロになるなら私もボロボロになる」
「いい加減わかって。私は菫に耐える事を望んでない。
菫が欲望を我慢して自傷するくらいなら――」
「私にぶつけて滅茶苦茶にして欲しい」
菫の前で両腕を広げる。
何もかもを受け止めるかのように。
--------------------------------------------------------
「あ゛ぁぁあ゛ぁああぁあぁ゛ア゛ア゛アアッッ!!!」
--------------------------------------------------------
菫は獣のように咆哮した後、乱暴に私を押し倒した
押し倒し、服のえりを掴み、
力任せにボタンを引き千切って、
露になった肌を食んで
そして、そして、そして、そして――
--------------------------------------------------------
――私の、全てを蹂躙した
--------------------------------------------------------
ずぷり、と私の穴から指を引き抜いて
粘り垂れ落ちる血を眺めながら
菫は小さくポツリと呟く
--------------------------------------------------------
『……どうして』
--------------------------------------------------------
そうして菫は瞳を閉じると
ただひとつぶだけ涙を流した
(後編に続く)
なし。リクエストがそのままあらすじです。
<登場人物>
弘世菫,宮永照,大星淡,宮永咲
<症状>
・ヤンデレ
・狂気
・共依存
・執着
・自傷
<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・照菫で、実は相当病んでる菫さんが、
そんな自分を表に出さないよう隠し切りすぎて、
我慢の末照への思いが爆発し、
でもそれを照にぶつけるのは
生来の優しい芯が許さず自傷に陥っちゃう……
そこをテルーが自分が狂うのも分かった上で助ける
強くあるが故に壊れていく二人、的な
ドシリアス、最終的に共依存ハッピーエンド
(いろいろ都合のいい感じに変わっても大丈夫。ただし菫を謀略系にしない事)
--------------------------------------------------------
宮永照。
日本高校麻雀界の頂点に君臨する女王であり、
名を知らぬ者を探す方が難しい存在。
人は彼女をこう呼んだ。『チャンピオン』と。
洒落た二つ名は必要ない。最強、ただそれだけ告げれば、
宮永照だと通じるからだ。
もっとも、私、弘世菫が照に執着するのは、
そんな強さが理由ではない。
むしろ弱さ。不意に滲ませる独特の危うさ、
人としての脆さにこそ、惹きつけられてやまないのだ。
もう少し端的に言うならば、『ほうっておけない』
これが一番適切な表現だろう。
事あるごとに迷子になり、それでいて挽回しようともせず、
人付き合いを厭い、丁寧語すらろくに使わない。
雀士としての強さを除けば間違いなく社会不適合者の照。
そんな照に嘆息しながらも、甲斐甲斐しく世話をし続けた。
『お前は私が居ないとてんで駄目だな』なんて、
上から目線の言葉を投げ掛けながら。
自分が、照にとって必要な存在であると疑いもしなかった。
滑稽だ。照が本当に欲していたものは、
何一つ与えてやれなかった癖に。
本当に救いが必要だった問題について、
まるで力になる事ができなかった癖に。
出会って2年と4か月、私は照のそばに在り続けた。
誰よりも長く、誰よりも近くに寄り添っていた。
それは事実だ。でも、それだけでしかなくて。
--------------------------------------------------------
結局私は、照の特別にはなれない。
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インターハイの決勝戦。
招集の直前で席を外した照は、戻ってくるなり、
私の目の前で壁に激突した。
「妹に会ったんだ」
なおもよろりとぐらつきながら。
懺悔するかのごとく照は呟く。
「でも、何を話すべきか。
なんにもわからなかったよ………」
「なんにも――」
顔面には自嘲の笑みが張り付いていた。
普段の無表情が過ぎる照からは考えられない程に、
自らを嘲り、苛み、責め立てている。
「……」
弱った照をかき抱く。されるがまま腕に納まる照を撫でながら、
私はこんな事を考えていた。
(宮永咲。照を助けてくれるのか。それとも――)
我が事ながら他力本願が過ぎると思う。
何が『助けてくれるのか』だ。
本来なら誰よりもそばに居る私こそが、
照を助けなければならないだろうに。
でも、おそらくこれが私の限界なのだろう。
自分では照を助けられないと
無意識のうちに白旗を上げていたのだ。
結局私は、弱り切った照に気の利いた言葉を
返してやる事すらできず。
ただただ、崩れ落ちそうになる照を
単なる壁のように支えていた。
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結論を先に言ってしまえば、
照は見事に救われた。
宮永咲は照にとって劇薬ではあったものの、
確かに救いでもあったらしい。
大将戦が決着し、淡が宮永咲に向き直る。
何一つ事情を知らず、わだかまりも持たない淡は、
酷く気安く、至極当然のように語り掛けた。
「テルの妹なんだよね!せっかくだからテルに会ってく?」
「で、でも……何話したらいいかわからないから」
「へ?別に何でもいいじゃん。
最近どうだったーとかさ」
「でも……お姉ちゃん、何も話してくれないかも」
「???よくわかんないけどだいじょーぶだと思うよ?
前テルにサキの事聞いたけど普通だったし」
淡は知らない。
かつて宮永家を襲った悲劇を。
淡は知らない。
照と妹の間に横たわる深い溝の存在を。
淡は知らない。
照はすでに一度、彼女との対話を拒んでいる事を。
だが、淡は。生来の気質から、強引に正解を掴み取った。
「何があったかは知らないけどさ。
そーゆー時はリセットしちゃえばいいんだよ!」
「リセット?」
「そ。ケンカとかしてるなら、開口一番謝ってさ。
仕切り直しちゃえばいいんじゃないかな」
「サキのテルに対する思いは、
対局の時にビリビリ伝わってきたから。
きっとテルにも届いてるはずだよ」
「だからきっとだいじょーぶ!」
根拠のない太鼓判を押しながら、淡は彼女の手を掴む。
そしてそのまま彼女を連れて、白糸台の控室に戻って来た。
「……」
「お、お姉ちゃ……」
かくして、数年越しの邂逅が果たされる。
この期に及んでも照が口を開く事は叶わず、
妹も満足にしゃべる事はできなかったが。
淡はまるで意に介さず、
半ば空気を読まないマイペースさで
二人の手を強引に繋ぎ合わせる。
「はい、これで仲直り!」
次の瞬間、宮永咲の目に涙があふれた。
おずおずと、残されたもう片方の手も照の指に重ね。
ぎゅっと、包むように握りこむ。
「……」
照は口を開かない。
だが、思いは確かに通じたのだろう。
二人は沈黙を守りつつも、互いの手を静かに重ね合わせ。
失った時を取り戻さんとばかりに、
ただ二人で寄り添っていた。
「……」
心温まる光景だった。
長きにわたり姉妹を苦しめてきた障害が、
ついにこの瞬間取り払われた。
それはきっと、照にとってずっと切望していた瞬間。
照が妹を抱き寄せる。妹は心から幸せそうに、
瞳を閉じて、全体重を姉に預けた。
そんな姉妹の姿を、
傍観者として遠巻きに眺めながら。
私は一人、心の中で呟いた。
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『ああ。結局私は、何の役にも立たなかったな』と。
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心温まる光景のはずだった。
私が照の親友を自認するのなら。
慈愛の笑みでも浮かべながら、
二人の門出に祝福を贈るべき場面だろう。
だが実際の私は笑顔を見せるどころか、
唇を、血が滲むほどに強く噛み締めていた。
胸に、ぽっかりと風穴が開いていく。
私では照を救えなかった。誰より照のそばに居た癖に、
きっかけすら与える事ができなかった。
結果、まったく無関係であるはずの淡が
見事それを成し遂げて。
私はただその場に居合わせた部外者として、
ただ観客として舞台を眺めるだけ。
無論、照の憂いが取り払われたのは喜ばしい事だ。
だが、やはり考えずにはいられない。
こんなに簡単に解決できる話だったのか?
なのにどうして私はできなかった?
私がもっと早く手を打っていれば、
もっと早く照を苦しみから解放する事ができたのではないか?
どうしてだ。どうして私にはできなかった!
ぎりり、口内を強く噛み締める。
じわり、鉄の味が口の中に広がって。
どろり、口の端から赤が一筋伝っていった。
「……っ」
垂れ落ちそうになる血を慌てて拭う。
私は小さく俯いた後、ごまかすように穏やかな声を響かせた。
「しばらく二人にしてやろう」
「何を話すべきか、まだわからないかもしれないが、
言葉なんて必要ない。
ただ、二人でそうして寄り添っていればいい」
「私達は席を外そう。終わったら呼んでくれ」
笑顔の仮面を貼りつけて、控室を後にする。
他のみんなを追い出しながら、その顔色を伺った。
皆が皆一様に笑っている。心から笑えていないのは私だけだった。
そして改めて気づかされる。
おそらく私は、この中でもっとも
照に相応しくない人間なのだろう、と。
その事実に気づいた時。
また、口元を血が一筋垂れ落ちて行った。
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暑い夏が終わりを告げて、
日の落ちる時間が早くなり始めた頃。
照と私の関係は、以前からは考えられない程
疎遠になっていた。
単純に部活を引退した事も大きい。
だがそれ以上に、私が照と距離を取り始めたのが原因だった。
私は照のそばに居るべき人間じゃない。
そう確信してしまったからだ。
さらに私を苦しめたのは、それで特に問題なかった事だ。
私の世話がなくなっても、照は普通に生活できている。
また一つ気づかされた。
やはり、照には私など必要なかったのだ。
否、実際には真逆。
私にこそ、照が必要だったのだろう。
思えば部の運営も、照の能力頼みだった。
有望な選手のピックアップも、
個人の能力を伸ばす方策も。
敵チームの分析も、全て照が行っていて。
私はただチームの代表として
ふんぞり返っていただけだ。
麻雀の強さも同じ。私が三連覇できたのは、
圧倒的強さを持つ照と同期だったからに過ぎない。
事実、私自身は個人戦に出場すらできていないのだから。
そして部を引退し、照と疎遠になった今。
私は道標となるものを失った。
結果、進路すら決める事もできず、
うだうだ悩み続けている。
確かに優勝校の部長として、
プロや大学からオファーは来ている。
だが申し出を受ける気にはなれなかった。
その道の先に照は居ないから。
「……あいつは。もう麻雀を
続ける気はないんだよな」
引退する前に一度だけ、照と進路について語った事がある。
そして悟った。もはや、照と私の道が交わる事はないと。
『照、お前は進路どうするつもりだ?
このままプロになるつもりか?』
『ならないかな。正直、
競技麻雀はもういいかなって思ってる』
『家族とか、身近な人と打てればそれでいい』
『……そうか』
引き留める言葉は思い浮かばなかった。
もし私が照と無関係なら、
『こんなに強いのにもったいない、続けろよ』
なんて無責任に言えただろう。
だが私は知っている。照にとっての麻雀は、
競技として研鑽を積む道ではなく、
かけがえのない仲間とのコミュニケーションである事を。
『菫は麻雀続けるの?』
『正直迷ってはいる。
ありがたい事にプロからも大学からもオファーが来てるしな。
高校では正直お前に頼りっきりだったから
自分の力でもう少しあがいてみたいと思わなくもない』
『だが、高校で自分の天井が見えたのも事実だ。
いっそアーチェリーとか純粋な進学もありだとは思う』
『そっか。菫ならどの道でも行けると思うよ』
照から掛けられたその言葉は、
決して負の意味を持つものではない。
だが私は、自身の四肢がすぅ、と
凍てついていくのを感じた。
酷く他人事のように聞こえたからだ。
私がどんな道を選ぼうと、自分には特に関係ない。
だから好きにすればいい。
そう切り捨てられた気すらした。
『……お前の方はどうなんだ?』
『細かい事は決めてないけど、多分進学すると思う。
おかげさまで両親も復縁できそうだし、
長野に戻って家族と暮らすよ』
『……』
またも私は沈黙する。知らず知らずのうち、
咥内で肉を噛み締めていた。
『進学を機に長野に帰る』
これを許せば、十中八九私とは進路を違う事になるだろう。
高校ですら注文を付けてきた私の親が、
長野の大学に進学するなんて許すはずもない。
だからと言って、照の進路を否定する権利など私にはなかった。
『離別していた家族と、少しでも一緒に過ごしたい』
そんな細やかで大切な思いを踏みにじれる程の大義など、
部外者の私が持ち合わせているはずもないのだから。
結果、私が返す言葉はこうなる。
『……そうか』
肯定でも否定でもなく、傍観。
照を傷つける勇気も、照の決定を受け入れる覚悟も持てず。
私はただ白痴がごとく相槌を打つだけだった。
やがて会話は終わりとなり、照は席を立っていく。
その背中を目で追い掛けながら、
口内をひときわ強く噛みしめた。
口の中で血を溢れさせながら、
私は一人、ぽつりと呟く。
『もし、私に勇気があれば。
あの日、私がお前を救えていたら』
『お前と交わる道を選ぶ事ができたんだろうか』
返事など返ってくるはずもなく。
自らを嘲るように鼻を鳴らして、
肉をがじりと噛み千切った。
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照と疎遠になっていく。
それと反比例するかのように、
想いは苛烈さを増していった。
自分がおかしくなっていくのがわかる。
口の中は歯を当てすぎてぐじゅぐじゅになり、
常に血の味が滲んでいる有様だ。
それが『自傷』である事に気づく頃には、
もはや手遅れになっていた。
何もかもが背反する。相反する感情は、
私を捻じ曲げ狂わせていく。
こんな醜態を照に晒したくはない。
だから想いを閉じ込める。
吐き出す事無くため込んだ想いは、
どんどん鬱屈してねじくれていき、
私をより醜い存在へと変えていく。
会いたい。会うわけにはいかない。
吐き出したい。でも知られたくない。
助けて欲しい。おこがましい、
自分は照を助けられなかったじゃないか。
脳内で攻防を繰り広げながら、
危ういところで踏みとどまる。
例え気が違っても。この狂気を照にぶつけて、
照を傷つけるのだけはごめんだった。
せめてもの幸いは、私の自傷が酷く特殊で、
露見しにくい事だろう。
口さえ閉じていれば秘匿できる。
誰かに笑みを浮かべながらでも、
私は自らを断罪する事ができるのだ。
(……辛抱だ。後数か月も経てば、
照と私の道は途切れる)
ただただ、月日が過ぎ去る事だけを願っていた。
照を徹底的に回避する。
少しでも時間を与えれば、照魔鏡を覗く隙を与えてしまえば。
照は、私の醜悪な内面に気づいてしまうだろうから。
後数か月耐え忍ぼう。
卒業式を迎えて、照に笑顔で別れを告げて。
よき親友を完遂しよう。
『いい友人だった』
照にそう思われて終わる事ができたなら、
その後の事はもうどうでもいい。
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そう、それだけを願って耐えていたのに。
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『菫、開けて。開けてくれないなら、
私はこの場で舌を噛みちぎる』
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照は、私を許してはくれなかった。
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菫が変質し始めている。
私がそれに気づいたのは、
団体の決勝が終わってすぐの事だった。
菫が私の表情を読み取れるように、
私にだって菫の変化くらい読み取れる。
まして私には照魔鏡があるのだから、
菫の内面なんて筒抜けだった。
何しろ私は、数日おきに菫を鏡で覗いているのだから。
鏡越しに見た菫の口は、血に染まりきっていた。
穏やかに笑うその口元は、後から後から血が垂れ落ちて。
菫が、狂おしい程の激情と闘っているのは明白だった。
(このまま放置するわけにはいかない)
なんて、そんな事わかりきっていたはずなのに。
私は随分と長い間二の足を踏み続ける。
ここまで放置してしまったのは、
ひとえに私が弱いからに他ならない。
思えば私はいつもそうだ。いつだって困難に背を向ける。
あの痛ましい事件が起きた時も、
咲と向き合う事を避けて逃げ出した。
その後も、咲がやってくるたびに沈黙を貫いて。
咲の心を傷つけ続けてきた。
今回もあれとまったく同じだ。
菫が何を望んでいて、菫が何で苦しんでいるのか。
私は全てを知っているのに。
ただ沈黙を貫いて、自分で解決しようとしない。
怖かった。不用意な発言で、余計に相手を傷つける事が。
怖かった。私自身の発言で、他人の人生を左右する事が。
怖かった。怖かった。怖かった。怖かった。
(でも。もうそんな事言ってられないくらい、
菫は危険な状態にある)
口の中を噛み千切る。それはリストカットなどと比べれば、
比較的ダメージの少なそうな行為。
でも実際は、死すら垣間見えるほどの、
酷く深刻な自傷行為だった。
菫の自傷は気軽にできる。いつでもできる。すぐできる。
器具がなくても即座にできる。それでいてバレない上に防げない。
常習化しやすく、エスカレートするのも簡単な自傷だ。
口の中が傷だらけだから、食事すらも苦痛を伴う。
必然食事がおろそかになり、栄養補給も滞る。
栄養が不足すれば気力も衰え、生きる活力は失われていく。
絶望的な悪循環だ。
食堂を見渡して、菫が居ない事を確認する。
念のため食堂のおばさんにも確認して、
私の背筋は凍り付いた。
『弘世さん、もう3日も食堂来てないのよねぇ。
ちゃんとご飯食べてればいいけれど』
もはや一刻の猶予もない。私は即座に駆け出した。
掛ける言葉は思いつかない。
どう話せば最善か、うまく決着をつけられるのか。
まるで整理もできていない。
それでも。もうこれ以上
逃げるわけにはいかなかった。
今まで私は、散々菫に助けられてきた。
今度は、私が菫を救う番だ。
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『菫、開けて。開けてくれないなら、
私はこの場で舌を噛み千切る』
『いきなり物騒な話だが何があった』
『いいから開けて。直接顔を見て話をしたい』
『断る。今人前に出られる状態じゃないんでな』
『だったら待つよ。
菫が私と話せるようになるまで待ってる』
『……随分と強情だな。今日はもう眠りたいんだが』
『照魔鏡を使われるのを恐れてるなら無意味だよ。
私は今の菫の状況をほぼ完璧に把握してるから』
『……だったらなぜ顔を見て話したがる』
『大切な話をしたいから。ただ、それだけ』
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『私と、菫の一生に関わる話をしたいから』
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長い、長い沈黙の後。
返事の代わりに、ドアがきしんで音を立てた。
徐々に開いていく扉、でも光が漏れ出す事はなく。
むしろ、室内の闇が廊下に広がっていく。
菫は灯りをつけていなかった。
暗がりの中無表情で佇む菫は、
なぜかぞっとする程美しくて。
思わず惹きこまれそうになる。
でも。一文字に引かれた口が開き始めた途端、
一気に全身の毛が逆立った。
臭い。腐敗臭がする。
菫の咥内がどうなっているのか、
否が応でも想像できてしまう。
危険だ。噛み千切られた口内はもちろん、
酷使を繰り返した歯も危ういだろう。
一刻も早い解決が要求される。
策を弄する猶予はなかった。
「先に一つ伝えておこう。もし照魔鏡を使ったら、
その時点で絶交する」
「いいよ。言ったでしょ。
菫の状況はわかってるから」
「……で、何の話だ」
「単純な話だよ。菫と、私の進路の話」
「今更なんだ。お前は長野の大学に進学するんだろう?
私はまだ決めあぐねているが、それはお前とは関係ない話だ」
「それ、白紙撤回するよ。
私は菫が選んだ進路に追従する」
「……何のために」
「これ以上、菫に壊れて欲しくないから」
「……」
ただでさえ光を失った菫の瞳が、すう、と細く鋭く尖る。
口を開いて放たれた言葉は酷く低く。
冷たく、鋭く、まるで刃のようだった。
「ありがたいご提案だ。なら何か。お前は、
私のために一生を台無しにしてくれるとでも?」
「菫がそう望むなら」
「なんでお前がそこまでするんだ。
私はお前が一番苦しんでる時に、
ただ傍観して何もしなかった女だぞ」
「それは菫の思い込み。私が一番苦しんでる時、
手を差し伸べてくれたのは間違いなく菫。
菫がどう考えようと、この事実は譲らない」
「だから。菫が私を求めるというのなら、
私は全てを菫に捧げる」
「だからもう自傷はやめて。
自傷するくらいなら私を傷つけて」
「はは、参ったな。本当に全てバレているとは」
「……だが」
菫の瞳に光が灯る。でもそれは、
菫が本来持っている慈愛の光ではなくて。
獲物を食い破ろうとする猛獣のような、
どこまでも獰猛で残忍な輝きだった。
「お前は。私が何のために自傷してきたと思ってるんだ?」
「お前を傷つけないために。醜い感情をぶつけないために。
いい友人として幕を引くために」
「欲望を抑え込んで、文字通り、
身を千切りながら耐えてきたんだ」
「なのに、お前がその身を差し出したら。
私の苦労は水の泡じゃないか」
憤怒。怒りに声を震わせながら、菫はなおも奥歯を動かす。
ぶちりっ、口の端から血がびゅるりと噴出した。
頭の中が真っ白になる。
私は衝動的に自らの腕に噛みついて、
深く牙を突き立てた。
「イッ……!!!」
瞬間、閃光のような痛みが走る。
でも、噛み痕から滲む血はじわりじわりと緩慢で。
菫の狂気との差を見せつけられて悔しかった。
「何をしてる!!」
「こっちの台詞だよ。菫が自傷するなら私もする。
菫がボロボロになるなら私もボロボロになる」
「いい加減わかって。私は菫に耐える事を望んでない。
菫が欲望を我慢して自傷するくらいなら――」
「私にぶつけて滅茶苦茶にして欲しい」
菫の前で両腕を広げる。
何もかもを受け止めるかのように。
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「あ゛ぁぁあ゛ぁああぁあぁ゛ア゛ア゛アアッッ!!!」
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菫は獣のように咆哮した後、乱暴に私を押し倒した
押し倒し、服のえりを掴み、
力任せにボタンを引き千切って、
露になった肌を食んで
そして、そして、そして、そして――
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――私の、全てを蹂躙した
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ずぷり、と私の穴から指を引き抜いて
粘り垂れ落ちる血を眺めながら
菫は小さくポツリと呟く
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『……どうして』
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そうして菫は瞳を閉じると
ただひとつぶだけ涙を流した
(後編に続く)
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腐敗臭がするってどんな感じ何ですかね。元通りになる気が全くしないのですが…笑
あと、ふんぞり返るって語感かわいいですよね
後半も凄く楽しみです。
元通りになる気が全くしないのですが>
照「まあ元通りは無理だよね」
菫「せめて当人視点で
幸せになれるか…が焦点だな」
照「後ふんぞり返る菫かわいい」
菫「高慢なイメージのつもりだったが」
痛みを越えた慙愧の念>
照「実際にやると常に痛みに苛まれて
考え事するどころじゃなくなると思う」
菫「逆に、だからこそ抑鬱的になるのかもな」
照さんも壊れる覚悟で受け入れている>
照「ここまで壊れたらもう受け入れるしかない」
菫「などと言っているが…果たして
照は代償としてどこまで壊れたのか」
照「壊れる事前提なんだ」
菫さん痛そう>
菫「痛みの幅はどれだけ強く噛むかによるが、
作中の私まで行ったら実際には
即病院行きだろうな」
照「流石に周りも気づくよね」