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【咲-Saki-SS:憩智】智葉「彼女がくれた猛毒の名は」_前編【ヤンデレ】【共依存】

<あらすじ>
道半ばにして心を折った同胞を見舞うべく
病院に通う辻垣内智葉。
そこで出会った人物は、かつて
個人戦決勝でまみえた荒川憩だった。

憩は言う。「もう来ない方がいい」と。
智葉は問う。「なぜだ」と。
憩は笑った。「伝染るから」と。

憩の忠告を聞き入れず、智葉は再び同胞を見舞う。
その選択は正解か。それとも、
取り返しのつかぬ過ちか。

<登場人物>
辻垣内智葉,荒川憩,宮永照,弘世菫,Alexandra Windheim

<症状>
・共依存
・愛情過多
・異常行動
・自傷

<その他>
以下のリクエストに対する作品です。
・憩がガイトさんをどんどん
 依存の沼に引き摺り込んで行くみたいな話

※辻垣内智葉および荒川憩ともに原作での
 露出がまだ少ないため、独自設定の部分が多くなる上、
 原作とは異なる展開を迎えます。



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一人、清潔感に包まれた病棟を歩く。

足を一歩踏み出す度に、カツン、カツンと音が響く。
その音すら静謐さが漂っていて、
僅かばかりの息苦しさに襲われる。

待ち合い用だろう。廊下に設置されたベンチに腰掛け一呼吸入れる。
吸い込んだ空気が冷たくて、無意識のうちに眉根を寄せた。

病院が悪いわけではない。だが、
なぜか外来の汚染物質にでもなったような
居心地の悪さを感じるのは。
私、辻垣内智葉が健常者だからだろうか。

消毒液をこれでもかとばかりにぶちまけたような、
ある種病的な清らかさは、
何度来ても好きになる事ができない。


「遠路はるばるご苦労様ですよーぅ」

「……荒川か」


笑顔で声を掛けてきた人物――荒川憩が、
ニコニコと笑みを見せながら
私の隣にちょこんと座った。
相も変わらずナース服を身に纏っている。
医療従事者でもないくせに。


「患者さんはどうでしたーぁ?」

「変わらずだ。生きる望みを無くしている」

「あー、まぁそう簡単にはよくなりませんよねーぇ」


荒川は軽い調子で言葉を返すと、
苦笑しながら肩をすくめた。


今日、この荒川病院を訪れたのは、
病に伏せる同胞を見舞うためだ。
病。だが肉体的な問題ではない。
精神。そう、同胞は精神を患っていた。

関西の中学から引き抜きを受け、
鳴り物入りで臨海女子に特待入学。
だが世界から集められた猛者を前に、
思うような成績を残す事ができず。
結局、一度として公式試合に出る事もなく、
戦力外通達を突き付けられた。

そして彼女は精神を病み。ここ、地元にある
荒川病院で希望の牙を研いでいる。
錆ついた牙が輝きを取り戻すには、
まだ相当の時間が掛かりそうだ。


「辻垣内さんもまめやんなー。
 一度も試合に出えへんかった補欠のために、
 毎月こうして見舞うとかー」

「彼女はいつだって真剣だった。精神を病んでしまう程に。
 そんな彼女を見舞うのは、同胞として当然だろう」

「同胞ですかーぁ。試合にも出てない補欠ですよーぅ?」

「だが同じ部員だ。正メンバーと補欠の差はあれど、
 そこに人間としての優劣は存在しない」

「はー、相変わらずかっこええなー」


叶わんわー、荒川はそう続けてにへらと笑う。

特別な事をしているつもりはない。
だが客観的な視点で見れば、やはり異例なのだろう。
事実、私以外で彼女を見舞う部員は皆無だった。

臨海の麻雀は勝利を至上とする麻雀だ。
勝つためならば何でもする。留学生の招致もその一つ。
そこに仲間意識は存在せず、
部員は皆倒すべきライバルとなる。

くだんの彼女が心を病み、病院に収容されたと聞いても、
ほとんどの部員は動じなかった。
弱い者は淘汰される。足切りされた負け犬に配る愛情など、
臨海の部員は持ち合わせていないのだ。


「辻垣内さんも、そろそろ身を引いた方がええと思うけどなー。
 レギュラー争いにも影響が出てるんと違います?」

「心配無用だ。すでにレギュラーとして内定している」

「所詮仮決定やんなー?覆る事もあるわけでー。
 それに、今のままであの宮永照に勝てますかーぁ?
 練習に時間割いた方がええと思うけどなー」

「練習だけが強くなる方法ではないさ。
 私はここに来る事で、精神の牙を研いでいる」

「彼女の無念を受け止めて。思いを全国に連れて行くために」


ピタリ。ここまで終始笑顔だった荒川の表情が静止する。

数秒して、次に浮かんだのはまたも笑顔。
だがそれはこれまでとは明らかに違う、
貼りつけたような笑みだった。


「ん。やっぱ辻垣内さんはもう来ん方がええわー」

「なぜそう思う」

「優し過ぎるし、綺麗過ぎるわ。
 精神病院に来たらあかんタイプの人やー」


抑揚のない声で荒川は語る。
模る表情は笑顔、だが本心で笑っていないのは明白だった。
警告、あるいは脅迫。そんな圧力を感じた私は、
少し低い声で荒川に問う。


「仮に私がそうだとして、精神病院に来てはいけない理由は何だ?」

「伝染るからですよーぅ」


伝染る。そう告げる彼女の声音は、どこまでも淡々と無味無臭。
なのに鋭い。まるで、首元に刃の切っ先を突き付けられた心地がした。


「精神病は、伝染するんですよーぅ。
 悪い事言わへんから、来るのはもう今日限りにしときや」

「……お前だって、医療関係者でもないのに
 ここに入り浸っているだろう。
 でも特に病んでないじゃないか」

「あはは。やっぱ辻垣内さんアウトやんなー」


「……ウチがいつ、病んでへんって言いました?」


世界が反転する。

病的な清潔さを見せていた白い廊下は一変、
荒川から溢れ出す闇に全てを黒く塗り潰される。

目を見開き口角を上げる荒川は、確かに
どこか大切な線がネジ切れているかのようだった。


「見誤っていたか。お前はどんな病気なんだ?」

「ふふ、秘密ですよーぅ。でもまあこれでわかったでしょう?
 伝染される前に退散するのが吉やんなー」


狂った笑顔で嗤う荒川は、どこか独特の凄味がある。
とは言え、彼女が私を慮っているのは事実なのだろう。

だが。それでも引くつもりはなかった。


「病気を伝染されるから逃げる、か。
 火消しとしてはあり得ない発想だな」

「ご実家が火消しの家系でしたっけー」

「ああ。今は稼業としてやっているわけではないが、
 その遺伝子は私にも受け継がれている」

「危ないから避難する?逆だ。
 危ないからこそ私が行くべきだ。私はそう考える」

「難儀な性格ですねーぇ」


ぽそりとそう呟いた後、荒川は腰を上げて席を立つ。
そのまま立ち去るのかと思えば、
数歩進んだその先で、くるりと振り向き言い放った。


「……なら。伝染されても文句は言わないでくださいね」


いつもの笑顔を浮かべながら、今度こそ荒川は姿を消す。
遠ざかる背中を眺めつつ、私は一人呟いた。



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「やれるものならやってみろ。
 もっとも、お前が私を壊せるほど
 私に執着するとも思えないがな」




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新幹線で岐路につく。辿り着いたら夜だった。
報告は明日にするべきか。
だが監督室にはまだあかりが灯っていた。
扉を叩く。『どうぞ』、短い返事に扉を開く。

監督は牌譜に目を通していた。
近寄ると少しだけ頭を持ち上げ、
世間話のように軽く問い掛けてくる。


「どうだった?」

「相変わらずです。まだ日常生活に戻るのも難しいかと」

「そっか」


視線は再び牌譜に戻る。もはや関心はないとばかりに。
それを冷徹だと感じるのは、少し感傷に過ぎるだろうか。


「もう、彼女に興味はありませんか」

「んにゃ、バリバリあるよ。
 むしろ前より気になってるくらいだわ」

「心を病んで離脱したのに?」

「心を病んで離脱したから、だよ」


監督は牌譜を机に置くと、私の方に向き直る。
光を灯さぬその瞳は、愉快に笑っているようだった。


「いくら特待で入ったとは言ってもさ。
 結局は部活に過ぎないっしょ?
 病むほど思いつめるには値しないよ。
 ペナルティーがあるわけでもなし、
 別の道だっていくらでもあるんだからね」

「なのにあの子は壊れて病んだ。
 異常だね。異常なのは素晴らしい。
 ぜひその執念を持ち続けたまま
 復帰して欲しいもんだわ」


自然と眉間に皺が寄る。
病気だ。この女も狂気に囚われている。

心を壊すほどの絶望。一生残りうる心の傷を、
成長するための糧程度にしか思っていない。


「異常と言えばさ。あの子には会わなかった?」

「あの子、とは」

「三箇牧の荒川憩。院長の娘で、
 よく病院に入り浸ってるって聞いたんだけど」

「荒川になら会いましたが、それが?」

「あの子気になってるんだわ。
 もしその気があればスカウトしたいから、
 サトハからも粉かけてよ」


あまり気乗りはしなかった。

見舞いで出向いた病院でスカウト行為に走る、
その不謹慎さもさることながら。
そもそも、あの荒川という小娘は不気味で仕方ない――


――と、待て。『異常と言えば』?


「監督は、荒川が異常だと思ってるんですか?」

「モチ。というか異常でもなきゃ、
 高1であの強さはありえないっしょ」

「どう異常だと?」

「さあね。当て推量で語るのもなんだし、
 直接聞いてみればいいんじゃない?」


既に一度聞いているんです、そう口に出し掛けて、
とっさに言葉を飲み込んだ。
交流がある事を知られたくはない。

しかし、狂人の直感とでも言うのだろうか。
一見明朗で優良児の荒川だが、
見る者が見れば異常だとわかるらしい。

いぶかしむ。彼女は一体、
どんな『異常』を隠し持っているのだろう。



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月の暦が数を改め、また病院に顔を出す。

事前に聞いた医師の診断では、
寛解の兆しは見えていない。
それでも、顔を出す事で治療の一助になればと
考えた上での訪問だった。


だが、そう思っていたのは私だけだったらしい。


『何やねん、毎月毎月!嫌がらせのつもりなん!?』


私の顔を目に留めるなり、彼女は逆上して掴みかかった。
瞳に宿る感情は怒りと憎しみ。
弁解の言葉より先に、彼女の口が罵声を放つ。


『ほっとけや!こんな負け犬見て何が楽しいねん!!
 悪趣味にもほどがあるわ!!』

『もう、二度と来んといて!!!』


騒ぎを聞きつけた職員が彼女を取り押さえる。
羽交い締めにされて退場する、彼女の背中を見つめながら、
一人唇を噛みしめた。


「そうか。私の思いは届いていなかったか」

「だから言うたでしょーぅ?もう来ん方がええってーぇ」


振り向くと、そこにはいつもの笑顔があった。


「皆が皆、辻垣内さんみたいに
 前だけ向いて歩けるわけちゃうんやでー?」

「そのようだな。どうやら私は、
 心を病んだ者に上手く接する事ができないらしい」


言われてみれば至極当然の事だった。
毎日心をすり減らしながら牌を握り、
それでも追いつく事は叶わず絶望に身を落とした彼女。

そんな彼女にとってすれば、私は。


「辻垣内さんは眩し過ぎたんよ。
 強くて、明るくて、眩しくて、苦しい」

「あれやんな。もうくたくたで眠りたい、
 そんな時に直射日光でガンガン照らされるようなもんや」

「彼女にとって、辻垣内さんは
 猛毒もええところやったと思いますよーぅ?」


成程。彼女の望みは、再起する事でも、
思いを引き継いでもらう事でもなく。
むしろ全てを捨て去る事だったのだろう。
とどのつまり、監督の対応が最善だったという事だ。

自身の浅慮を深く恥じ入る。
だが、だとすれば一つ疑問が生まれてくる。


「荒川。お前も病気だと言っていたな?
 だとしたら、お前にとっても私は猛毒じゃないのか?」

「お前はなぜ、私に纏わりついてくる」


荒川は朗らかに笑った。だがひとしきり笑い終えた後、
酷く蠱惑的な笑みを浮かべる。


「病気に処方は変わるって事ですよーぅ」

「あの人にとって辻垣内さんは猛毒やった。
 でも、ウチにとっては特効薬なんやなー」

「……私にできる事があると?」

「んーと。それ答える前に、一つ聞いときたいんやけどー」

「辻垣内さんは、もうあの人を見舞う必要はない。
 この病院に来る理由も無くなったわけやんなー?」

「どうしますーぅ?それでも、
 ウチのために来てくれますかーぁ?」


脳内で警鐘が鳴っていた。
間違いない。ここで首肯したならば、
私は少なからず危険に晒されるのだろう。
そこまでする義理はない。だが気になるのも事実だった。

この、一見健常に見える小娘の奥に潜む闇。
それを私が照らしてやれるという。
ならば火消しの末裔として、
危うきに飛び込むのが筋ではないか。


「いいだろう。若干野次馬気味ではあるが、
 お前の病気にも興味がある」

「お前の闇。私に晒け出して見せろ」


荒川がにたりと微笑む。
刹那、背筋にぞわりと悪寒が走った。


「言質、取りましたよ?」


笑顔は笑顔。だが、それは酷く攻撃的で。
まるでこちらを取り殺さんとばかりの凶悪さを伴っていた。
気づく。己の選択に後悔はないし、無論撤回などしないが、
正直見誤っていたようだ。


荒川憩。彼女が身に纏う闇は、私の想像をはるかに超えた、
酷くどす黒いものらしい。



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荒川憩と接触した、その報告を受けた監督は、
私に一つの特命を出した。

週一回大阪に出張する事。
端的に言えばスカウトして来いというわけだ。
もちろんそれは荒川にとっても慮外の事ではあるのだが。
心情的には、二人が手を組んで
外堀を埋めに来ているようにすら思えた。


「いやー、本当に助かったわー。
 三箇牧じゃ誰もウチと打ってくれへんし」


病院の娯楽室、変則的な二人麻雀に興じながら、
荒川は嬉しそうに目を細めた。


「苛められているのか」

「人間関係は良好ですよーぅ?
 ただ、ウチと打っても練習にならん言われましてー」

「成程」


三箇牧高校。北大阪における中堅校だが、
全国の団体戦でその名を見た事はない。
理由は酷く単純で、北大阪には千里山女子が在るからだ。

全国を目指す者は皆千里山の門を叩く。
むしろ三箇牧を選んだ荒川の方が異質だと言える。


「千里山に行く気はなかったのか?」

「なかったですねー。別に
 麻雀で選んだわけじゃなかったんでー」

「でも。今はちょっと後悔してますー」


後悔。彼女らしからぬ負の要素を纏う言葉。
にわかに興味が湧いてきて、少し掘り下げてみようとしたら、
先に問いを投げられた。


「辻垣内さんは、麻雀を打ってて
 孤独を感じた事はありませんかー?」

「もともと麻雀は孤独なものだろう。
 四人で卓を囲んでおきながら、
 味方なんて一人もいない」

「それはそうですけど。
 ほら、団体戦ならチームプレイじゃないですかーぁ」

「あいにく、団体戦に出た事がないんでな」

「じゃあ、周りは敵だらけなんですねーぇ」


我が意を得たり。そう言わんばかりに、
荒川は口の端を釣り上げる。


「麻雀は競技。卓を囲む相手は敵。それはわかります」

「でも、ウチの場合。たとえ団体戦でも、
 勝っても喜んではくれません」

「勝ってもそれはチームの勝利やない。
 単にウチが強いだけ。そんな風に思われとる。
 団体戦やのに、ハンディありの個人戦に出とる気分。
 孤独にもほどがあるやんな?」

「寂しいな、悲しいな。
 もっとウチの事必要としてくれへんかな。
 勝ったら喜んでくれへんかな」

「そういう気持ち、辻垣内さんは理解できへん?」


言葉を返さず黙り込む。
対局、ひいては部内における孤独感。
感じた事がないと言えば嘘になる。
むしろ、孤独は必然だとすら思っていた。

臨海はどこまでも勝利至上主義だ。
そこにチームワークは存在しない。
個々が各卓で勝利を収めれば必然優勝できる、
そんな考えのもとで成り立っている。

ゆえにチームメイトでも手の内は見せない。
将来的には敵になる可能性が高いからだ。

麻雀は孤独な競技。最初からそう割り切っていた。
まあ、団体戦に出られないからこそ
そう思えるのかもしれないが。

だから。


「正直理解できないな。私にとって、
 麻雀は自分のために打つものだ」

「それは、誰かのために打った事がないからと違います?」

「否定はしないが」

「なら試しに、ウチのために打ってくれませんか?」

「具体的には?」


荒川はニコリと微笑むと、
牌を倒しながら言葉を紡いだ。



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「練習試合しましょう。相手は例の王者校で」




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荒川の話はこうだった。

王者白糸台と二対二の小規模な団体戦を実施する。
持ち点は各チーム5万点。
相手は宮永、そして弘世。こちらは私と荒川が担当する。
残りのメンバーは白糸台の部員に担当してもらうが、
彼女達からのロンは禁止とする。


「この度は無理なお願いを聞いてくださって
 ありがとうございますーぅ」

「いや、こちらとしても個人戦の2位と3位が
 相手してくれるなら願ったりだからな。
 しかし、随分と変則的なルールだが……
 意図を聞かせてもらってもいいか?」


荒川の申し出を快諾したらしい弘世が、
ルールに関する説明を要求してくる。
荒川は笑顔で頷くと、さらに言葉を付け足した。


「いやー、ウチって団体戦の絆ってもんを
 感じた事がないんですよーぅ。
 今回ぜひその辺を体験してみたいなーと」

「それでどうして辻垣内さん?」

「ぼっち同盟ですーぅ」

「勝手に妙な同盟に加えるな。
 だがまあ、私の方もこいつと同じ理由だ。
 臨海の方針上、団体戦には出た事がないからな」

「なるほど、そういう事」


かくして変則団体戦が幕を開く。
先鋒戦は荒川と宮永の対決となった。

もっとも結果は見えている。
無論、荒川も決して弱くはない。弱くはないが、
相手が宮永では力不足は否めなかった。

結果、先鋒戦が終わった時点で、
白糸台との点差は6万点にまで開いていた。


(苦しいな)


勝算がないという程でもない。
弘世を侮るわけではないが、
地力ではこちらに分があるのも事実だ。

だがそこは弘世も重々承知の上だろうから、
鳴きの速攻で守りに入ってくるはずだ。
厳しい戦いになるのは目に見えている。

だが。当の荒川は相好を崩して、
私の両手をぎゅっと握った。


「力及ばすごめんなさい。でも、
 辻垣内さんならやってくれると信じてますーぅ」

「……どうか、力を貸してください」


握られた手。対局を終えたばかりで汗ばんだその手から、
荒川の熱意が伝わってくる。

今までにない感覚だった。

誰かの思いを背負って戦う。
ただそれだけの違いなのに、胸が酷く熱を持つ。


「……任せておけ。仇はちゃんと取ってやる」


高揚する気分そのままに、強い言葉を吐いて捨てる。
そして私は卓につき、目の前の敵を睨みつけた。



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事前に予想した通り、苦しい滑り出しとなった。

6万点のリードを持つ弘世は、決して無理はしてこない。
速攻に次ぐ速攻で、安手で場を流し続ける。

それはある意味弘世の真骨頂でもあった。
弘世菫と言えば、相手を狙い撃つ能力での評価が高い。
だがそれは裏を返せば、
大半の局で相手より速く聴牌するという事だ。
伊達に2年生にして王者白糸台の
部長を張っているわけではないという事か。

この条件で逆転手を育てるのは難しい。
途中何局かやり返しはしたものの。
結果として点差は縮まらないままオーラスを迎える。

これは敗色濃厚か。
諦めではなく事実としてそう考えながら、
ふと横を見た瞬間だった。


(……っ)


荒川が、胸の前で両手を重ねてこちらを見ている。
唇を噛みしめ、悲痛な面持ちで、
すがるように私を見つめている。

気圧された、それが正直な感想だった。

やるからには真剣勝負、それは無論その通りだが。
だが事実として、所詮は変則麻雀での練習試合に過ぎない。

にも関わらず。荒川のその眼差しは、まるでこの一戦に
己の全てが掛かっているかのようだった。


「……」


牌を持つ手に力が籠る。

身体が熱い。まるで荒川の思いが私に力を貸すように、
全身から奔流が噴き出してくる。

思いの強さに牌が応えたのか。クズ手のはずが、
連続して有効牌ばかりを自模り続ける。
巡目を追うたびに刃は鋭さを増して行き――


――やがて、弘世の喉笛にまで到達した。


「……ロン。タンヤオ三暗刻対々和三色同刻ドラ6」

「32000!」


しんっ……と場が静まり返る。

だがそれもほんの一瞬。
次の瞬間、荒川が黄色い歓声を上げ、
私にしがみついてきた。


「やった!やりましたよーぅ!さっすが辻垣内さん!」


まるで我が事のように喜ぶ荒川。

もとい、我が事には違いないか。
などとぼんやり思いながら、はしゃぐ荒川の頭を撫でる。

成程、これがチームの勝利というものか。
確かに個人で戦う時よりも、はるかに熱が乗った気がする。
現実的な目線で見れば、たかが練習試合の一戦。
だがとてもそうは思えないほどの高揚感だった。


(……悪くないな)


荒川には感謝しなければいけないだろう。
新しい世界を垣間見る事ができたのだから――



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――だが。




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私は気づいていなかった。

この、荒川からのプレゼントこそが。
私をどこまでも腐らせる、致死性の猛毒であった事を。



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白糸台での一戦からはや一週間。
部内での成績は、面白い程に下降の一途を辿っていた。

手を抜いているわけではない。
だがここぞという局面で押し負ける。
理由は明白。真剣味が足りないからだ。


仲間の思いを背負って打つ麻雀の密度に対し、
自身のために打つ麻雀のなんと薄味たる事か。
あの時の気迫と比べれば、今の私など
腑抜け同然と言ってもよかった。

そして私の醜態は、他人から見てもわかる程らしい。


「どしたよサトハ、随分気が抜けてるみたいだけど」

「意識して抜いているわけではないのですが。
 どうにも心が籠りません」

「あの子に伝染されたかい?」

「……成程。そういう見方もありますか」


畢竟するに、今の私は『寂しい』のだろう。
目の前のこの対局に、自身の思いしか乗らない事が寂しい。
だからこそ価値を見出せず、牌に思いが籠らない。

それを『伝染された』と表現するなら、
確かにその通りなのかもしれない。


「面白い事になって来たね」

「駒を一つ潰されたのに、ですか?」

「潰されたと思ってないからね。
 言ったろ?雀士なんて壊れてなんぼさ。
 さらに一皮むけてくれる事を期待してるよ」

「欲を言えば、つがいも連れて来てくれれば重畳だね」


軽薄に声をあげて笑いながら、
監督は私に新幹線の切符を渡す。
役に立たない練習はもう切り上げて、
さっさと荒川に会ってこいという事らしい。


正直気乗りはしなかった。
自身を少しずつ搦め捕られていく感覚。
それは気のせいではないだろう。

次、荒川に会った時。
私は今まで通りの自分で居られるだろうか。



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普段とは異なる週中での邂逅。
にも関わらず、荒川は二つ返事で予定を空けてきた。
病院の待合室に座っていると、ナース姿の荒川が顔を出す。
少し息を切らしていた。どうやら走って来たらしい。


「おっまたせーぇ」

「こちらが無理に予定を突っ込んだんだ。
 別に急ぐ必要はなかった」

「ウチが会いたいから急いだだけですよーぅ」


想い人との逢瀬が如き台詞を吐きながら、
荒川が私の手を握る。
そのまま娯楽室に向かう荒川の足は、
まるでスキップと見まがう程に軽かった。


「随分とご機嫌だな」

「そりゃーもう。智葉さんと週2で逢えたんやもん」

「名前呼びする程親しくなった記憶はないが」

「ええー、あんなに固く抱擁しあった仲ですやーん」


妙にテンションの高い荒川に辟易しつつ。
いつものように卓を挟んで向かい合う。
二人で牌をめくりあっていると、
荒川がこちらを覗き込みながら問い掛けてきた。


「で、どうです?心境に変化ありましたーぁ?」

「おかげさまでな。重度のスランプに陥っている」

「あはは。じゃあわかったんやねー。
 独りで打つ麻雀の味気無さっちゅうのが」

「ああ。そこで質問だが、
 お前はどうやって対策してるんだ?」


何気ない質問。だがその問いを口にした途端、
荒川の纏う雰囲気がガラリと変わる。

纏わりつくような濃厚な闇。
それを蛇の舌のごとくチロチロとちらつかせながら、
荒川は流し目でほほ笑んだ。


「対策ですかーぁ。できてへんから、
 寂しい寂しい言うてるんやけどなー」

「でも。もし対策があるとしたら、やっぱり
 誰かのために打つしかないんと違いますかねー」


眉を顰めて押し黙る。期待する回答ではなかったからだ。
誰かのために打つ。団体戦や代打ちでもするなら有りだろう。
だが、私は個人戦しか出られないし、
誰かの代わりで打つつもりもない。


「じゃあこうしませんか?
 智葉さんはウチのために打つって言う事で」

「それで私が勝ったとして、お前が何の得をするんだ」

「好きな人が勝ったら嬉しいやん?」

「で、ウチも智葉さんのために打つ。
 一日が終わったら、二人で報告しあうんです。
 お互い勝ってたら喜びあって、
 負けてたら二人でしょげるっちゅぅ事で」

「私は別に、お前が勝っても嬉しくはないが」

「最初はそれでもええですよー?でも、
 ウチは智葉さんが負けたら泣きじゃくるんでよろしぅ」


馬鹿な。そう一笑に付したかったが、
虚言ではないのだろう。

白糸台での出来事を思い出す。
あの時見せた荒川の顔。生死を懸けているかのような決死の表情。
私が負けたら本当に泣きじゃくるに違いない。


「この前も思ったが。お前はどうして、
 そこまで私に感情移入できるんだ?」

「お互い様だと思いますよーぅ?智葉さんだって、
 ウチの思いに応えてくれたじゃないですか」

「求められたから応えたまでだ。
 起点はお前にあるだろう」

「そりゃーウチは病気なんでー」

「ならその病名を答えて見せろ。
 そろそろ私には聞く権利があるだろう」


もはや荒川が纏う闇は、
へばりつくように私の全身を包み込んでいる。
まるで舌で舐め擦るように、私の肌に触れながら。
それでも荒川が口を割る事はなかった。


「まだ駄目やんなー。後少しの辛抱やー」

「……もう少し、智葉さんが駄目になるまで」


ぞぞぞ、と悪寒が這い回る。
後少し、荒川は確かにそう言った。

私は私が思う以上に、
病気を伝染されているのだろうか。

自覚はない。だが、だからこそ気味が悪かった。


(後編に続く)
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posted by ぷちどろっぷ at 2018年10月05日 | Comment(6) | TrackBack(0) | 咲-Saki-
この記事へのコメント
自分が病気と自覚してる憩ちゃんの言動がひじょうにそそられます
Posted by at 2018年10月06日 08:27
荒川さんの闇が深く辻垣内さんがどう壊れていくのか楽しみです
Posted by at 2018年10月06日 12:19
リクエストリストを見たときから楽しみにしてた作品ですが、これはこれはスタートから憩ちゃんネジぶっ飛びまくってますね。ちゃんとネジ止めしてないから至る所から闇が噴き出まくってます。
闇堕ち不可避となった智葉の末路は果たして・・・。
Posted by at 2018年10月06日 12:20
リクエスト書いてくださって感謝です。

憩さんの危ない感じが滲み出てて最高です…
Posted by at 2018年10月06日 20:46
めっちゃ続き気になるー!
共依存になる過程たまらんです!
Posted by at 2018年10月07日 16:59
???「やすな…私というものがありながら…」
Posted by at 2018年10月07日 23:27
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