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【咲-Saki-SS:爽ネリ】ネリー「飛べない小鳥は空を見上げる」【重度共依存】
<あらすじ>
その他のリクエストがあらすじです。
<登場人物>
ネリー・ヴィルサラーゼ,獅子原爽,岩館揺杏
<症状>
・共依存(重度)
・狂気(重度)
・アダルトチルドレン
・異常行動
<その他>
・次のリクエストに対する作品です。
《欲しいものリストお礼リクエスト》
爽ネリーで幼少期から貧しく両親や周りから愛をもらえず
愛を求める為にひたすら働く日々 例えネリーに対して
感謝の気持ちもなく逆に利用してこき使われても
高校生活でも両親達に愛を求める為に
両親達の気持ちを分かっている上で
日本で夜遅くまで過労してまでアルバイトしてお金を稼ぎ祖国へ送る生活
偶然爽と出会いどっぷり依存していくお話しです
前回執筆された爽ネリーの 「後はただただ、地を這い、地を這い」 が
とても好きでそれの病みと悲惨さが増した感じでお願いします
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ネリーの中に眠る最古の記憶
がらんどうの部屋
誰もいない部屋
蒸し暑くて気持ち悪い
助けを求めて泣いた気がする
目に見える範囲、誰もいなかったけど
赤子のネリーにできるのは
泣く事だけだったから
やがて努力は報われる
ただし、それは最悪の形で
全身が震える程の衝撃
次に、視界の全てが真っ赤になった
目にどろついた何かが入る
頭が、目が、痛くて、痛くて
ネリーはさらに泣き喚く
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ネリーの中に眠る最古の記憶
『親に頭を殴られて血みどろになった』
その意味を知ったのは、3歳になってからだった
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『飛べない小鳥は空を見上げる』
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私こと獅子原爽は、それなりに
波乱万丈の人生を送ってきたつもりだった。
幼い頃に死に掛けて、そこをカムイに助けられ。
あいつらが私にしてくれたように、私も人助けしようと、
『正義のヒーロー』の真似事なんかしたりして。
気味悪がられもしたけれど、それ以上の感謝もされて。
愛と勇気に満ち満ちた、幸せな人生だったと思う。
そんな私が、『絶望』を知ったのは18の夏。
麻雀のインターハイで全国に駒を進め、
東京の地に降り立った時の事だった。
「うっはー。随分遅くなっちゃったな。
こりゃ、チカの奴に怒鳴られるぞ」
大会の全工程が終わり、北海道に帰る前日。
土産物屋に籠った私は、ついつい夢中になってしまい。
夜の帳が下りた街を、一人小走りで駆け抜けていた。
「お、こっちの方が近そうだ!」
なんて、土地勘もない癖に裏路地を攻めてみたりして。
なんだかんだ、夜の冒険を堪能していた私は、
見事トラブルに遭遇する。
するりと入り込んだ先、人気(ひとけ)のない小径(こみち)。
一人の少女が倒れ伏していた。
見覚えのある子ども。民族衣装の名残なのか、
特徴的な帽子をかぶった小柄な少女。
ネリー・ヴィルサラーゼ。
私に、絶望を教える事になる少女だった。
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「おい、ヴィルサラーゼ!しっかりしろ!!」
事件の臭いを嗅ぎ取った私は、
ヴィルサラーゼに駆け寄った。
まずは外傷・呼吸・脈拍・瞳孔の確認。
特に問題は見て取れない。
単に気絶していると判断した私は、
頬をはたいて覚醒を促す。
「…………んっ」
低いうめき声を漏らしながら、
ゆっくりと瞼が開き始める。
ほっと一息安堵のため息。
でも次の瞬間、開き切ったその目を見て、
戦慄に全身を震わせた。
露にされた瞳はどこまでも、黒く澱んで濁っている。
感想を明け透けに語ってしまえば、死体。
精魂尽き果てた死人(しびと)のような眼球だった。
「獅子原……どうして?」
「こっちが聞きたいんだけどな。
お前、ここで倒れてたんだよ。
偶然見つけて介抱してた」
「……そっか。ネリー、倒れてたんだ」
濁りきった目を細めながら、
抑揚のない声でヴィルサラーゼが零す。
そのままゆらりと立ち上がり、
なおも体をふらつかせながら。
一人どこかに歩き始めた。
「おい、無茶するな。フラフラじゃないか。
倒れてたんだろ?せめてもう少し休め」
背後から掛けた私の言葉に、
ヴィルサラーゼが顔だけ振り向く。
嘲るような表情を全面に張り付かせながら。
「獅子原は、幸せそうでいいね」
「……どういう意味だ?」
「無茶をしなくても生きられるんでしょ?」
「っ……!?」
「ネリーは違う。無茶をしなければ、
ただ、死ぬだけなんだよ」
くたびれたように嗤うヴィルサラーゼ。
あまりに『日常』から乖離したその表情に、
私は気圧され言葉をなくした。
そんな私に背を向けて、あいつは一人歩き出す。
そして。数歩よろめき歩いたところで、
再び倒れ、動かなくなったのだった。
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初めて覚えた言葉は『プリ(おかね)』
とにかくお金が欲しかった
幸せはお金で買える
愛情もお金で買える
逆に言えば、お金がなければ幸せも、
愛情だってもらえない
そしてネリーは
ただ生きているだけで
親からお金を吸い取り続ける寄生虫
愛されるはずもなかった
比較的いい子だったと思う
あれが欲しい、これが欲しいだなんて言わなかった
ごはんがなくてつらくても
どれだけお腹がぐるぐる鳴っても
頑張って独り耐え続けた
それでもやっぱり殴られる
『腹を鳴らすな、うるさい』って
あの日の事を思い出す
5歳、家を抜け出し街に出た
ブリキの缶を持って歩いた
『おかね、ください』
数時間そうして歩き、もらえたお金はたった3ラリ
(当時の日本円で240円程度)
それでも、小銭が入った缶を親に見せて
その時初めて、親がネリーに微笑んだ
『よくやったぞ、ネリー』
その笑顔が嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて
涙が止まらなかったのを覚えてる
とにかくお金が欲しかった
幸せはお金で買える、愛情もお金で買える
ネリーはただ、愛が欲しい
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どうするべきか迷ったものの。
自分達が泊まるホテルに連れていく事にした。
救急車を呼ぶ事も考えた。
でも、おそらくは疲れの類だろうし、
大事にしたら逆に怒るだろう。
しばらく様子を見て危険そうなら、
その時病院に連れていけばいい。
(……まあ、ここに連れてきても怒るだろうけどさ)
プライドが高そうな奴だ。
弱ったところを見られるのは嫌がるに違いない。
倒れる程消耗してたくせに、
あんな人気のない道を歩いていたのがいい証拠だ。
というわけで、ヴィルサラーゼ用に一部屋あてがう事にする。
他の奴らにはちょっと席を外してもらった。
「……ここは?」
窓を見て物思いにふけっていたら、不意に声を掛けられた。
ベッドに視線を向ければ、いつのまにか
ヴィルサラーゼの目が開いている。
相変わらず濁ったままだったけれど。
「うちが泊まってるホテルだよ。
流石にあのまま放置するわけにもいかなかったしな」
「お人好しだね。むしられるタイプだよ」
「むしる気があるなら好きなだけむしってくれ」
「じゃあ、何か食べたい」
少し見誤っていた。意外と助けられる事に
頓着しないのかもしれない。
まあ、それならそれで話は早い。
テキトーにコンビニで弁当を買ってきてやる。
凄まじい勢いでがっつく様を横目で見ながら、
それとなくつついてみる事にした。
「で、お前なんで倒れてたの」
「過労だよ。日本人ならおなじみだよね?」
「練習のし過ぎか?」
「ううん。アルバイト」
眉を顰める。そういえば、風の噂で聞いていた。
ネリー・ヴィルサラーゼは守銭奴だと。
だからと言って、普通倒れるまで働くだろうか。
というか。
「バイトなんてしなくても、
雀荘行けばいいんじゃないの?」
「契約上のルールだよ。
臨海に泥を塗る真似はするなって」
成程確かに。臨海女子の留学生は、
言わば傭兵のようなものだ。
その傭兵が近隣を荒らしたとなれば、
学校の責任能力が問われるだろう。
「なんでそんなにお金が必要なんだ?
暮らすのに必要な分はもらってるんだろ?」
貪欲にお金を稼ぐヴィルサラーゼ。
その割には、彼女が贅沢をしているなんて話は聞かない。
なら、何にお金を使っているのか。
踏み込み過ぎかとは思ったが、
単刀直入に聞いてみる事にした。
「ああ、隠すような事じゃないからいいよ。
親に送金してるだけ。親孝行で健気でしょ?」
軽薄な笑みを浮かべるヴィルサラーゼ。
目の濁りが酷くなったのは気のせいではないだろう。
家庭の事情は知らない。だが、そもそも彼女は
麻雀による出稼ぎで日本に来ているようなものだ。
その彼女が、夜遅く倒れるまでバイトする。
そこまでする理由は果たしてなんだろうか。
親が重病で、治療に多額のお金が掛かるとか?
それとも――
「憶測の同情は要らないよ。
同情するならお金ちょうだい」
ここにきてようやく、こいつがすんなり
事情を話した理由に思い至る。
金だ。私から憐憫とお金を引き出そうとしているのだ。
「そこで金を要求するなら、
送金する理由まで聞きたいけどな」
使途のわからない募金は駄目だ。そんなの自己満足でしかない。
お金がどう使われて、状況の改善に役立つかちゃんと確認する、
それは募金する側の権利であり義務だと思う。
むろん、募金を募る側は言うまでもない。
だが、ヴィルサラーゼは義務を果たさなかった。
「ならいいよ。どうせ、話しても分かってもらえない」
「話してみなきゃわからないだろ」
「いいや、わかるね。獅子原は幸せだから。
生まれた時から羽を折られて、地べたを這いずり回る
ひな鳥の気持ちなんてわからないよね?」
「……そいつは、『わかる』とは言えないな」
「もっと言えばさ。そのひな鳥を救うために、
自分の人生を犠牲にする覚悟はある?」
「……『ある』とも言えないな」
「でしょ。だったらさ、
哀れなひな鳥を遠巻きに眺めて、
かわいそうって餌をくれるだけでいいんだよ。
そうやって自己満足に溺れてればいい」
「だから。何も聞かずに、お金ちょうだい?」
結局、私はお金を渡さなかった。
それが正解だとは思えなかったからだ。
ヴィルサラーゼは気を悪くした風でもなく、
皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「なんだ。これで渡してくれるなら、
いいカモになるって思ったのに」
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愛を、お金で買ってきた
今日も愛を求めて送金してきた
そしたら手紙がやってくる
『ありがとう、ネリーのおかげで助かっている』
感謝の気持ちが書かれた手紙
その手紙さえあれば、ネリーは地獄を生き抜けるんだ
でも
本当はわかってる
利用されてるだけだって
ネリーが送ったお金は酒瓶に変わるだろう
あの人達が自堕落に暮らすために使われるのだろう
そしてお金が無くなれば、生活が苦しいと泣きつくのだ
結局のところ、ネリーは二人にとってのATMに過ぎない
間違ってるのはわかってる
だから獅子原には言わない
『目を覚ませ』、正論でそう諭されるだけだから
でも、ならどうすればいいのかな
ネリーの夢はただ一つ
血を分けた両親に愛して欲しい
腕を広げて抱き締めて、わしわしと頭を撫でて欲しい
そんな夢さえどぶに捨てれば
ネリーは幸せになれるだろうか
嘘だ
そんなちっぽけな願いすら叶えられない人間が、
幸せになれるはずがない
だからいいんだ、ネリーはこのままで
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あいつにお金をせびられた時、
『アフリカの子供達』を思い出した。
CMやネットでよく見る広告。
恵まれない子に愛の手を、という奴だ。
私はアレが好きじゃなかった。
理由はたくさんあるけれど。一番気に入らないのは、
お金を送ってはいおしまい、ってところだ。
自分がどこの誰を救おうとして、結果その子は救えたのか、
そんな事すらわからない。
人一人を本気で救いたいと思うなら、
それこそ自分の人生を犠牲にする覚悟がいる。
でも、そこまでするつもりはなかった。
ヒーローでありたいと願う私でも、
理想と現実の区別はつく。たった一人の人間が、
人類全てを救うなんて不可能だ。
だからこそ、手の届く人は助けたい。
でも、そう考えた時。果たしてヴィルサラーゼは、
手を差し伸べる対象になりうるだろうか。
ノーだ。
あいつのためだけに東京に引っ越すわけにはいかない。
今の生活をぶち壊して、一生あいつに
寄り添おうとも思わない。
向こうもそんなの望んでないだろう。
あいつを助けたその翌日。
私は予定通り本州を離れ、北海道の地に戻る。
『あいつは範囲外だった』、そう自分に言い聞かせて。
それでも。ヴィルサラーゼにつけられた心の傷は、
今もジクジクと腐り続け、膿を吐き出し続けている。
絶望に等しい傷だった。
救えない人が居る。そして結局、
私は自分を優先するために人を切り捨てるのだ。
偽善者め。言葉の刃が私を貫く。
(……駄目だ。いい加減切り替えろ)
ふさぎ込む自分を戒める。範囲を拡大し過ぎるな。
私は神様じゃないのだから。
気にするな、私は間違ってはいない。
そう自分に言い聞かせては、周囲に笑顔を振りまいて。
時間による風化を待った。
でも、幸か不幸か。痛みが取り払われる前に、
私は二度目を経験する事になる。
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愛の値段
それは麻薬の値段に近い
最初は3ラリで買えた愛
今では毎月1000ラリ必要になる
それでもネリーは払うしかない
愛を売ってくれるのは両親だけなのだから
命をお金に変えていく
お金で愛を買い求める
命の灯が小さくなっていくのが分かる
こんな生活を続けていれば、
20までは生きられないかもしれない
ああ、後どれだけ愛を買う事ができるだろう
なんて、まだまだ考えが甘かった
神様がネリーに与えた運命は――
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――もっと、どす黒くて救いがないのに
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大学受験。再び本州に舞い降りた私は、
そこで再びヴィルサラーゼと出会う。
数か月ぶりに見たヴィルサラーゼは、
もう壊れる寸前だった。
身を切るような極寒に包まれた冬の公園、
霜が降り白くなったベンチの上で。
ヴィルサラーゼは、その身をぐったり投げ出していた。
まるで息絶えたかのように。
「おい!ヴィルサラーゼ!しっかりしろ!!」
あの日と一字一句違わない言葉を吐いて、
私はヴィルサラーゼに駆け寄る。
あの時と違いがあるとすれば、
ヴィルサラーゼが言葉を返した事だろう。
「……ん、またししはらか。
なんで、とうきょうにいるの?」
ほっと胸を撫でおろす。よかった、まだ生きていた。
否、生きているのだろうか。
そう疑いたくなる程に、その目は濁り切っている。
「大学受験の帰りだよ。お前こそどうしたんだ。
よりによってこんな寒いとこで」
「ママ(お父さん)がしんだ」
抑揚のない台詞。でも、その言葉は、
だからこそ私を深々と突き刺した。
「おかね。どれだけあれば、もどってきてくれるかな」
濁った目を空に向け、幼子のようにヴィルサラーゼは呟く。
その瞳は、もう何も映してはいないようだった。
涙腺が緩む。思わず腕の中に抱き寄せた。
抵抗せず納まる彼女は、氷のように凍えていた。
「ししはら、たぶん、かんちがいしてるよ。
そんな、しあわせな、はなしじゃ、ない」
そしてヴィルサラーゼは語り始める。
前は話す事を拒んだ内情。
吐き出さずにはいられなかったのか、
それとも、もう、どうでもよくなってしまったのか。
小さな少女は、淡々と言葉を紡ぐ。
「ってわけで、しいんは、アルコールちゅうどく。
じごうじとくだよ」
「だから。たぶん、これでよかったんだ」
そう言うと、ヴィルサラーゼは力尽きたように目を閉じる。
そしてそのまま、今度こそ意識を失った。
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本当に欲しい愛をもらえないまま、
父と死に別れる事になった
急いで帰国しようとして、でも母に止められた
戻ってくるにもお金が掛かる
その分のお金を送金しろと
その言葉を聞いた時
頭の中で、何かがぷつりと音を立てた
気づいてしまったのだ
きっとこれからもネリーは一生
この人から愛してもらえない
わかってた
利用されてるだけだって
わかってた
ネリーはATMだって
わかってた、わかってたけど
それでもいつか、愛してもらえるかもしれないって
ありもしない夢に縋り付いてた
夢が、覚める
悪夢が、覚める
でも
現実はきっと、もっと地獄
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フロントに事情を説明し、二人部屋に変えてもらった。
ヴィルサラーゼをベッドに寝かせ、
彼女の寝顔を眺めている。
綺麗とは言い難かった。きっと悪夢を見ているのだろう。
その顔は常に苦しみに歪み、悲しみに涙を吐き出している。
『あいして』
寝言、そう片付けるにはあまりにも痛々しい言葉。
今日だけで何度聞いただろう。
歯噛みする。こいつは今まで、
この痩せぎすの小さな体に、
どれだけの悲しみを詰め込んできたのだろうか。
『あいして、ぎゅっとして』
ヴィルサラーゼが腕を掲げる。
ぼろぼろ涙をこぼしながら、
まるでだっこを求めるように。
もう我慢ができなくて。ほとんど反射的に、
腕の間に体を滑り込ませた。
ぎゅう、と強く抱き締められる。
それと同時に目が覚めたのか。
酷く舌ったらずな幼い声で、
ヴィルサラーゼが小さく呟いた。
「デダ(おかあさん)?」
言葉の意味はわからない。
でも、なんとなく想像はついた。
泣きながら頬を擦りつけてきたから。
さながら、親にしがみつくかのように。
覚悟が、決まる。
「決めたよ、ネリー。私はお前を助ける事にする」
「例え、自分の人生が犠牲になったとしても」
ネリーはきょとんとした表情を浮かべて、
じっくりとその言葉を反芻(はんすう)した後。
やがて、涙で顔をぐちゃぐちゃにして泣きじゃくった。
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愛が転がり込んできた
それも、血の繋がりと関係ないところから
正直眉唾だったけど
本物のお母さんよりもあったかかった
違う、嘘ついた
お母さんのぬくもりなんて記憶にない
こんな風に、優しく抱き締めてもらえた事も
信じられなかった
だってネリーは買ってない、獅子原の愛を買ってない
何か裏があるんじゃないか
そう訝しむのが普通だろう
でも、たとえ偽りの愛だとしても
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もう、このぬくもりを手放せそうにない
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どんな手を使ってもネリーを救う。
なんて意気込んではみたものの。
正直楽観視していたのも事実だった。
何しろネリーは養う側だ。それも不当にむしられていた。
父の死を経て正気に戻った今、やるべき事は多くない。
そう、単純に親への支援を打ち切るだけでいい。
なんて単純に考えていたあたり、
やはり考えが足りなかったのだろう。
『正気に戻った』?馬鹿を言うな。
ネリーは生まれた時から洗脳され続けてきた。
そもそも『正気の時』がなかったのだ。
「おいネリー、通帳持ってどこに行くつもりだ?」
「え、あ、その。ちょっとお金が見たいだけだよ?」
あまりにも丸わかりの嘘だ。
一緒に暮らし始めて知った。
ネリーはお金を使わない。むしろ不安を覚える程に。
通帳を見せられて愕然とした。
出金は一度もなし。全て、送金でお金が消えている。
「お母さんに送金する気なら駄目だ。
何度も言っただろ?
それはお母さんのためにもならない」
「それに」
ぐっとお腹に力を籠める。
「それをしても、お前は愛してもらえない」
途端、ネリーは大声をあげて泣きじゃくる。
こうなる事はわかっていた。でも、言わないわけにもいかない。
洗脳を解く必要がある。ネリーが幸せになるために。
「なあネリー。人にはさ、どうしようもない奴が居るんだ。
どれだけ善意で接しても、返してくれない奴が居る。
人の気持ちを踏みにじって、平気で嗤える奴が居る」
「酷い事を言ってる自覚はあるよ。
でも多分、お前のお母さんはそういう奴だ。
お前が救われるには、もう縁を切るしかない」
「私が代わりになる。本物のお母さんよりずっと、
たくさんの愛を注いでやるから」
「だから、もう。私だけを見ててくれ」
しゃくりあげるネリーを包み込む。
もう何度このやり取りを繰り返しただろう。
なのに、洗脳はまるで解ける兆しを見せない。
問題はもう一つあった。ネリーの依存が、
思った以上に深刻だった事だ。
典型的なアダルトチルドレン予備軍だったネリー。
やっと与えられた愛情を離すまいと、
どこに行くにもついて回った。
私が誰かと話していると不機嫌になり、
構ってもらうために癇癪を起こす。
そしてその波が過ぎると、
『捨てないで』と泣きながら縋り付く。
学校に行かせるのも無理だった。
行く理由がなくなってしまったからだ。
ネリーが臨海に通っていたのはお金のため。
そしてそれは手段にすぎず、本当の目的は愛を買う事。
ようやく本当の愛をくれる相手が現れた今、
ネリーが私から離れるはずもなかった。
「……このままでいいのかな」
寝かしつけたネリーの横で、図書館で借りた本を読む。
アダルトチルドレン・メンタルヘルス・共依存。
ほんの少し目を通しただけで、
身に覚えのある事例がわんさか出てくる。
私達の関係は、まさしく典型的な共依存だ。
愛に溺れ、まっとうな社会生活を送れないネリー。
憂慮こそしながらも、甘える事を止めさせない私。
行きつく先は破滅。どちらも病んで共倒れになるか、
捨てる捨てられるの話になって関係が終わる。
そして、捨てられた方は……あえて語るまでもないだろう。
改善が必要なのはわかってる。
でも同時に、それに反論する自分も居るのだ。
生まれてから15年。愛を知らずに苦しんで、
ただただ搾取され続けてきた。
少しくらい依存したっていいじゃないか。
そんな小さな願いくらい叶えてやれ、と。
なんて、この考え方そのものが、
共依存患者の典型的な症状なんだけど。
わかっていても、なかなか治す気になれない。
多分気づいてなかったんだろう。
自分が、凄いスピードでおかしくなっている事に。
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私を取り巻く環境は、瞬く間に壊れていった。
他人と会話が成立しない。
ネリーが全て邪魔をするから。
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学校に行けなくなった。
いつでもどこでも、ネリーがしがみついてくるから。
ネリーが求めるのは無垢な愛。
でも、周りからはそう見えない。
風紀を乱す無職の女、それを平然と連れ歩く私。
除籍処分も仕方のない事だった。
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定職につけるはずもなかった。
ネリーは私を離してはくれないし、
私もネリーを独りにして働きに出る気はない。
結果として、私達は雀荘荒らしの道を選ぶ事になる。
あぶく銭が入ってきて、
まっとうに働く必要も感じなくなって。
世界が完全に閉じた気がした。
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ネリーの裏切りが発覚したのは、そんな。
いよいよ、落伍者としての道が固定し始めた、
そんな時の事だった。
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ネリーは。私達二人のお金を、
こっそり送金し続けていたのだ。
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母はネリーを愛してくれない
爽はネリーを愛してくれる
それはわかっていたけれど
だからと言って、
血を分けた母を見捨てられるかと言えば
それは別問題だった
爽と一緒に学んで分かった事がある
親から愛をもらえなかった子供は、
自分もそういう親になる可能性が高いのだと
だとすれば、母は
母も同じように苦しんできたのではないか
愛しあったはずの夫から暴力を振るわれ
あげくその夫は他界して
定職にもついていなかったのに、
子供からの援助は激減した
爽から愛をもらえ、余裕のできた今だから気づく
母は母で、地獄の業火に焼かれながら、
ずっと苦しみ続けてきたのではないか
なんて事を唱えたら、
爽は冷たい目をして言った
『だからどうした』って
爽は言う
同情はするけど救いはしないって
鋭い声で切り捨てた
どんな経緯があったところで
所詮は子供が倒れるまで働かせ、
父親の死に目に会わせないような母親
そんな女など知った事かと
正論だと思う
そもそもネリー達自体、
他人の心配ができる程裕福なわけじゃない
人生における成功者でもなければ、
むしろ落伍者と言ってもいい
でも、それでもネリーはどうしても
母を、切り捨てる事はできなくて
だから、でも、ああ、ああ
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お願いです、許してください
ネリーが間違ってました
もう二度と爽に逆らいません
だから
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もう、独りにしないでください
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縋り付いて泣くネリーを置き去りにして、
私はジョージアへと飛び立った
もちろん罰の意味もある
正直、醜い嫉妬に狂っていた事も認めよう
でも、それ以上に確かめたくなったのだ
私が愛を注ぎ続けてもなお、呪詛の如くネリーを縛り付け、
金を搾り取るネリーの母親
この目で確かめてやろうじゃないか
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果たして、生かしておく価値のある女なのか
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『ネリー、ちゃんと生きてるか?帰ってきたぞ』
『さ、さわや、さわや゛っ!さわやぁ゛っ!!』
『ははっ、飛び掛かってくるなって』
『おねがい゛、おねがいでず、すてないで、ぐだざい。
もう、ひとり、ひとりは、い゛やだ』
『な゛んでもするから゛、もう゛、
さからったり゛しないがら』
『おいおい、勘違いするなよネリー。
お前を捨てる気なんてさらさらないぞ。
誰よりもお前の幸せを願ってる。
自分の幸せよりもずっとな』
『ただ、今回のはさ。お前の幸せのために、
どうしても必要だったんだ』
『ねりーの、しあわせ……?』
『ああ』
『でも、もう大丈夫』
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『お前を苦しめる奴はもう居なくなった。
これからは、ずっと私だけ見てればいい』
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サカルトヴェロで何があったのか、
爽は何も言わなかった
でもこれだけは確実だった
お母さんとの縁が切れた
だって、口座が無くなってたから
手紙も返ってこなかった
届いたけど返事を書いてないだけなのか、
そもそも届いていないのか
ネリーにはもうわからない
でも
ネリーの予想が当たってるなら
もう、お母さんはこの世に居ないだろう
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親と切り離されたと知り、ネリーを支配した感情
それは爽への怒りや憎しみ、
ましてや恐怖なんかじゃなくて
むしろ、今まで感じた事のない程の安心だった
きっと、爽の言う通りだったのだろう
ネリーは両親に縛られていて、
心のどこかでこう思っていた
『親にお金も送らずに、一人だけ
幸せになるなんて許されない』って
爽は、そんなネリーを呪縛から解き放ってくれた
自らその手を真っ赤に染めて
悪人としてネリーを縛り付ける事で
ネリーの手を汚させる事なく
両親から解き放ってくれたんだ
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ありがとう、そして、ごめんなさい
誰よりも強く優しくて、正義のヒーローだった貴女を
ネリーは、どす黒く染めて壊してしまった
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行きつけの居酒屋、すっかり腐れ縁になったメンバー。
そんな皆で舌鼓を打つさなか、
チカセンが一人携帯をいじくっていた。
「うーん、繋がらないわねぇ」
「まーだやってんのチカセン。もういい加減諦めなって」
「だって卒業10周年よ?せっかく同窓会してるんだし、
声ぐらい聴きたいじゃない」
「爽先輩と連絡が取れなくなってもう6年ですか……
確かにいい加減会いたいですね」
「揺杏ちゃんは今でも繋がってるんですか?」
「…………」
「揺杏ちゃん?」
「あ、悪い、よそ見してた。
私も、あいつが中退してからは切れてるよ」
「そうですかぁ」
半分だけ嘘ついた。今切れてるのは確かな事実。
でも、本当に切れたのはもう少し後だ。
爽の奴が、急にジョージアに行くとか言い出して。
ただならぬものを感じた私は、
引き留めるべく空港まで押し掛けた。
(えっ……何だこいつ。マジで爽?)
一目見て心底びびった。
完全に『人殺し』の目をしてたから。
いや、殺人犯の目なんか見た事ないけどさ。
何も言えずただ木偶の棒みたいに立ち尽くす私を前にして、
爽は笑ってこう言った。
「万が一さ。万が一があって、
私がやらかしてしくじった時には、
ネリーの面倒を見てやってくれないか」
その言葉で我に返る。そしてついでに呆れ果てた。
ああ、こいつはここまで狂っても、
結局は自己犠牲のヒーローなんだ。
「やだね。面倒見たいなら自分で見ろよ」
「そこを何とか」
「やだってーの。ていうか何しに行くわけ?
それ、絶対やんなきゃダメな事なの?」
「絶対にやらなきゃ駄目な事だ。
今のままじゃ、ネリーは一生救われない」
天を仰いでため息を一つ。ああ、こいつはいつもそうだ。
他人の事ばっかり考えて、自分の幸せはどぶに捨てる。
一体、何がそこまでこいつを駆り立てるんだか。
「……もしお前が捕まったらさ。
マスコミの前で例の奴言ってやるよ。
『いつかやると思ってました』ってさ」
「だからさ、ちゃんと戻って来いよ。
お前のケツなんか絶対拭いてやらねーから」
「はは、高校の時も同じやり取りしたっけな。
変わってなくて何よりだ」
「お前は随分変わっちまったな。そんな、
ドロドロの腐った目をする奴じゃなかった」
「軽蔑するか?」
「尊敬するよ。見ていて泣きたくなるくらい」
結局、私はあいつを止める事はできなかった。
邪魔するならお前も殺す。
そう目で訴えられたのもあるけれど。
それが爽にとって、『本当に必要な事』だって
わかってしまったから。
私は善人にはなれない。それで爽が救われるなら、
黙って飲み込む悪人なんだ。
あれから数年、爽と連絡は取ってない。
何度もジョージアの情報を漁ったけれど、
爽の名前は出て来なかった。
そもそもやらなかったのか、それとも上手くやったのか。
まあ、便りがないのはいい知らせだと思いたい。
「こうなったら出るまで掛け続けてやるわ!」
「やめときなって。それで出たとしてもブチ切れモードっしょ」
なあ、爽。お前はもう、
私達と縁を切ったつもりなんだろうな。
でもさ、実際はまだ繋がってるんだぜ。
目の前のチカセンがいい証拠だ。
ま。お前はもう、ネリーしか見えないんだろうけどさ。
だからさ、いつかふらっと戻って来いよ。
なんならネリーの奴も連れてさ。
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なんて。そんな未来ありえないか。
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六畳一間のボロアパート。二人で抱き合い夜を明かす。
少しだけ首を横に向ければ、生まれたままの姿のネリー。
だらしなくよだれを垂らしながら、
でも心底幸せそうに眠りこけている。
あれ以来、ネリーは完全に壊れて狂った。そして私も。
私達は固く体を繋ぎ合わせて、離れる事はほとんどない。
二人が離れる時と言えば、
食い扶持を稼ぐために麻雀を打つ時くらいだ。
狂人としての完成を見た。
もう私はネリーを見失うだけで我を失うし、
ネリーに至っては赤子のように泣きじゃくる。
それで何の問題もない。
ううん、むしろ。これからもそうであって欲しい。
「あれ、さわや、おきてたんだ。
どうして、わらってるの?」
寝顔をぼんやり眺めていたら、
ネリーの瞼がゆっくり開いた。
頭をそっと撫でながら、思ったままを口にする。
「いや、あの時もこんなんだったなってさ」
「あのとき?」
「お前が倒れてた時」
「ああ」
「それで思ったんだ。もしあの時、
道が横に一本ずれてて、お前を見つけなかったら。
今頃どうなってたんだろうなって」
「さわやは、ふつうに
しあわせになってるんじゃない?」
「お前は?」
「もうこのよに、いないんじゃないかな」
「……こうなって本当に良かった」
「ねりーにとってはそうだね」
ネリーは感慨にふけるような表情を浮かべた後、
神妙な顔つきで私を見据える。
「ねえ、さわや。さわやは、いま、しあわせ?」
「ん?なんだ急に。幸せに決まってるだろ。
それともお前は違うのか?」
「ねりーはもちろん、しあわせだよ。
でも。さわやはきっと、ふこうになった」
「なんでまた」
「だって、さわやはねりーの……『ぎせい』になったから」
しがみつき、目に涙をためこんで。
震えながらネリーは呟く。
ごめんなさい、許してください。
何度聞いた事だろう。
もしあの日に戻れたなら、自分を殴り倒してやりたい。
あの日の不用意な一言が、今もネリーを苦しめている。
「……まあ確かに、思い描いてた人生とは違ったさ。
あの時、お前のために人生を
捨てるつもりだったのも事実だ」
実際今の私達を見て、『おめでとう』と
声を掛ける者は居ないだろう。
きっと誰もが眉を顰め、『どうしてこうなった』、
そう嘆くに違いない。
あるいは『目を覚ませ』なんて言いながら、
病院に連れて行こうと腕を掴むのかもしれない。
「それでも私は幸せなんだ。今の状況を壊したくない」
「二人で勉強しただろ?共依存ってのはさ、
どちらか一方じゃ成立しないんだ」
「どっちも壊れて、狂って、依存しあってる。
お前だけじゃないんだよ。
私だって、お前が私を捨てようとしたら、
殺してでも引き留める」
「そのくらい、お前に依存してるんだよ」
別に共依存を賛辞するつもりはない。
純然たる病気なのは間違いないし、
できるなら回避した方がいいとも思ってる。
でも、同時にこうも思うのだ。
互いに離れられない泥沼の関係になって、それでいて、
互いに『捨てないで』なんて想いあえるのは。
とても幸せな事じゃないかって。
「だからもっと依存してくれ。私に愛を注がせてくれ。
で、『その時』が来たら一緒に死んでくれ」
「……うんっ!」
ネリーは満面の笑みで微笑むと。
そっと腰にキスを落とした。
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いつも運命を憎んでた
愛をくれない親から生まれ落ち
餌よりも多く拳をもらった
愛を買うためお金を稼いだ
どれだけ払っても本当の愛はもらえなかった
そして父親が死んだ時、ネリーは全てを諦めた
あの日、寒空の下ベンチに腰掛けて
凍えて死ぬつもりだったんだ
なのに今、ネリーは愛に包まれている
思う
ネリーが生まれてすぐ羽をもがれ、
地べたを這って耐え続けたのは
きっと爽に会うためだった
爽に憐憫の情を向けられ、
愛してもらうためだったんだ
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巣から落とされ羽を折り、生まれながらに飛べない小鳥
幾度となく空を見上げては、巣を求め囀る(さえず)哀れなひな鳥
結局鳥は、元の巣に戻る事は叶わなかった
それでも鳥はもう嘆かない
なぜなら鳥には番(つがい)がいるから
立派な巣もこしらえた、愛すべき番と共に
番の名は爽
ネリーのために、地べたに落ちてくれた鳥
(完)
その他のリクエストがあらすじです。
<登場人物>
ネリー・ヴィルサラーゼ,獅子原爽,岩館揺杏
<症状>
・共依存(重度)
・狂気(重度)
・アダルトチルドレン
・異常行動
<その他>
・次のリクエストに対する作品です。
《欲しいものリストお礼リクエスト》
爽ネリーで幼少期から貧しく両親や周りから愛をもらえず
愛を求める為にひたすら働く日々 例えネリーに対して
感謝の気持ちもなく逆に利用してこき使われても
高校生活でも両親達に愛を求める為に
両親達の気持ちを分かっている上で
日本で夜遅くまで過労してまでアルバイトしてお金を稼ぎ祖国へ送る生活
偶然爽と出会いどっぷり依存していくお話しです
前回執筆された爽ネリーの 「後はただただ、地を這い、地を這い」 が
とても好きでそれの病みと悲惨さが増した感じでお願いします
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ネリーの中に眠る最古の記憶
がらんどうの部屋
誰もいない部屋
蒸し暑くて気持ち悪い
助けを求めて泣いた気がする
目に見える範囲、誰もいなかったけど
赤子のネリーにできるのは
泣く事だけだったから
やがて努力は報われる
ただし、それは最悪の形で
全身が震える程の衝撃
次に、視界の全てが真っ赤になった
目にどろついた何かが入る
頭が、目が、痛くて、痛くて
ネリーはさらに泣き喚く
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ネリーの中に眠る最古の記憶
『親に頭を殴られて血みどろになった』
その意味を知ったのは、3歳になってからだった
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『飛べない小鳥は空を見上げる』
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私こと獅子原爽は、それなりに
波乱万丈の人生を送ってきたつもりだった。
幼い頃に死に掛けて、そこをカムイに助けられ。
あいつらが私にしてくれたように、私も人助けしようと、
『正義のヒーロー』の真似事なんかしたりして。
気味悪がられもしたけれど、それ以上の感謝もされて。
愛と勇気に満ち満ちた、幸せな人生だったと思う。
そんな私が、『絶望』を知ったのは18の夏。
麻雀のインターハイで全国に駒を進め、
東京の地に降り立った時の事だった。
「うっはー。随分遅くなっちゃったな。
こりゃ、チカの奴に怒鳴られるぞ」
大会の全工程が終わり、北海道に帰る前日。
土産物屋に籠った私は、ついつい夢中になってしまい。
夜の帳が下りた街を、一人小走りで駆け抜けていた。
「お、こっちの方が近そうだ!」
なんて、土地勘もない癖に裏路地を攻めてみたりして。
なんだかんだ、夜の冒険を堪能していた私は、
見事トラブルに遭遇する。
するりと入り込んだ先、人気(ひとけ)のない小径(こみち)。
一人の少女が倒れ伏していた。
見覚えのある子ども。民族衣装の名残なのか、
特徴的な帽子をかぶった小柄な少女。
ネリー・ヴィルサラーゼ。
私に、絶望を教える事になる少女だった。
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「おい、ヴィルサラーゼ!しっかりしろ!!」
事件の臭いを嗅ぎ取った私は、
ヴィルサラーゼに駆け寄った。
まずは外傷・呼吸・脈拍・瞳孔の確認。
特に問題は見て取れない。
単に気絶していると判断した私は、
頬をはたいて覚醒を促す。
「…………んっ」
低いうめき声を漏らしながら、
ゆっくりと瞼が開き始める。
ほっと一息安堵のため息。
でも次の瞬間、開き切ったその目を見て、
戦慄に全身を震わせた。
露にされた瞳はどこまでも、黒く澱んで濁っている。
感想を明け透けに語ってしまえば、死体。
精魂尽き果てた死人(しびと)のような眼球だった。
「獅子原……どうして?」
「こっちが聞きたいんだけどな。
お前、ここで倒れてたんだよ。
偶然見つけて介抱してた」
「……そっか。ネリー、倒れてたんだ」
濁りきった目を細めながら、
抑揚のない声でヴィルサラーゼが零す。
そのままゆらりと立ち上がり、
なおも体をふらつかせながら。
一人どこかに歩き始めた。
「おい、無茶するな。フラフラじゃないか。
倒れてたんだろ?せめてもう少し休め」
背後から掛けた私の言葉に、
ヴィルサラーゼが顔だけ振り向く。
嘲るような表情を全面に張り付かせながら。
「獅子原は、幸せそうでいいね」
「……どういう意味だ?」
「無茶をしなくても生きられるんでしょ?」
「っ……!?」
「ネリーは違う。無茶をしなければ、
ただ、死ぬだけなんだよ」
くたびれたように嗤うヴィルサラーゼ。
あまりに『日常』から乖離したその表情に、
私は気圧され言葉をなくした。
そんな私に背を向けて、あいつは一人歩き出す。
そして。数歩よろめき歩いたところで、
再び倒れ、動かなくなったのだった。
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初めて覚えた言葉は『プリ(おかね)』
とにかくお金が欲しかった
幸せはお金で買える
愛情もお金で買える
逆に言えば、お金がなければ幸せも、
愛情だってもらえない
そしてネリーは
ただ生きているだけで
親からお金を吸い取り続ける寄生虫
愛されるはずもなかった
比較的いい子だったと思う
あれが欲しい、これが欲しいだなんて言わなかった
ごはんがなくてつらくても
どれだけお腹がぐるぐる鳴っても
頑張って独り耐え続けた
それでもやっぱり殴られる
『腹を鳴らすな、うるさい』って
あの日の事を思い出す
5歳、家を抜け出し街に出た
ブリキの缶を持って歩いた
『おかね、ください』
数時間そうして歩き、もらえたお金はたった3ラリ
(当時の日本円で240円程度)
それでも、小銭が入った缶を親に見せて
その時初めて、親がネリーに微笑んだ
『よくやったぞ、ネリー』
その笑顔が嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて
涙が止まらなかったのを覚えてる
とにかくお金が欲しかった
幸せはお金で買える、愛情もお金で買える
ネリーはただ、愛が欲しい
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どうするべきか迷ったものの。
自分達が泊まるホテルに連れていく事にした。
救急車を呼ぶ事も考えた。
でも、おそらくは疲れの類だろうし、
大事にしたら逆に怒るだろう。
しばらく様子を見て危険そうなら、
その時病院に連れていけばいい。
(……まあ、ここに連れてきても怒るだろうけどさ)
プライドが高そうな奴だ。
弱ったところを見られるのは嫌がるに違いない。
倒れる程消耗してたくせに、
あんな人気のない道を歩いていたのがいい証拠だ。
というわけで、ヴィルサラーゼ用に一部屋あてがう事にする。
他の奴らにはちょっと席を外してもらった。
「……ここは?」
窓を見て物思いにふけっていたら、不意に声を掛けられた。
ベッドに視線を向ければ、いつのまにか
ヴィルサラーゼの目が開いている。
相変わらず濁ったままだったけれど。
「うちが泊まってるホテルだよ。
流石にあのまま放置するわけにもいかなかったしな」
「お人好しだね。むしられるタイプだよ」
「むしる気があるなら好きなだけむしってくれ」
「じゃあ、何か食べたい」
少し見誤っていた。意外と助けられる事に
頓着しないのかもしれない。
まあ、それならそれで話は早い。
テキトーにコンビニで弁当を買ってきてやる。
凄まじい勢いでがっつく様を横目で見ながら、
それとなくつついてみる事にした。
「で、お前なんで倒れてたの」
「過労だよ。日本人ならおなじみだよね?」
「練習のし過ぎか?」
「ううん。アルバイト」
眉を顰める。そういえば、風の噂で聞いていた。
ネリー・ヴィルサラーゼは守銭奴だと。
だからと言って、普通倒れるまで働くだろうか。
というか。
「バイトなんてしなくても、
雀荘行けばいいんじゃないの?」
「契約上のルールだよ。
臨海に泥を塗る真似はするなって」
成程確かに。臨海女子の留学生は、
言わば傭兵のようなものだ。
その傭兵が近隣を荒らしたとなれば、
学校の責任能力が問われるだろう。
「なんでそんなにお金が必要なんだ?
暮らすのに必要な分はもらってるんだろ?」
貪欲にお金を稼ぐヴィルサラーゼ。
その割には、彼女が贅沢をしているなんて話は聞かない。
なら、何にお金を使っているのか。
踏み込み過ぎかとは思ったが、
単刀直入に聞いてみる事にした。
「ああ、隠すような事じゃないからいいよ。
親に送金してるだけ。親孝行で健気でしょ?」
軽薄な笑みを浮かべるヴィルサラーゼ。
目の濁りが酷くなったのは気のせいではないだろう。
家庭の事情は知らない。だが、そもそも彼女は
麻雀による出稼ぎで日本に来ているようなものだ。
その彼女が、夜遅く倒れるまでバイトする。
そこまでする理由は果たしてなんだろうか。
親が重病で、治療に多額のお金が掛かるとか?
それとも――
「憶測の同情は要らないよ。
同情するならお金ちょうだい」
ここにきてようやく、こいつがすんなり
事情を話した理由に思い至る。
金だ。私から憐憫とお金を引き出そうとしているのだ。
「そこで金を要求するなら、
送金する理由まで聞きたいけどな」
使途のわからない募金は駄目だ。そんなの自己満足でしかない。
お金がどう使われて、状況の改善に役立つかちゃんと確認する、
それは募金する側の権利であり義務だと思う。
むろん、募金を募る側は言うまでもない。
だが、ヴィルサラーゼは義務を果たさなかった。
「ならいいよ。どうせ、話しても分かってもらえない」
「話してみなきゃわからないだろ」
「いいや、わかるね。獅子原は幸せだから。
生まれた時から羽を折られて、地べたを這いずり回る
ひな鳥の気持ちなんてわからないよね?」
「……そいつは、『わかる』とは言えないな」
「もっと言えばさ。そのひな鳥を救うために、
自分の人生を犠牲にする覚悟はある?」
「……『ある』とも言えないな」
「でしょ。だったらさ、
哀れなひな鳥を遠巻きに眺めて、
かわいそうって餌をくれるだけでいいんだよ。
そうやって自己満足に溺れてればいい」
「だから。何も聞かずに、お金ちょうだい?」
結局、私はお金を渡さなかった。
それが正解だとは思えなかったからだ。
ヴィルサラーゼは気を悪くした風でもなく、
皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「なんだ。これで渡してくれるなら、
いいカモになるって思ったのに」
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愛を、お金で買ってきた
今日も愛を求めて送金してきた
そしたら手紙がやってくる
『ありがとう、ネリーのおかげで助かっている』
感謝の気持ちが書かれた手紙
その手紙さえあれば、ネリーは地獄を生き抜けるんだ
でも
本当はわかってる
利用されてるだけだって
ネリーが送ったお金は酒瓶に変わるだろう
あの人達が自堕落に暮らすために使われるのだろう
そしてお金が無くなれば、生活が苦しいと泣きつくのだ
結局のところ、ネリーは二人にとってのATMに過ぎない
間違ってるのはわかってる
だから獅子原には言わない
『目を覚ませ』、正論でそう諭されるだけだから
でも、ならどうすればいいのかな
ネリーの夢はただ一つ
血を分けた両親に愛して欲しい
腕を広げて抱き締めて、わしわしと頭を撫でて欲しい
そんな夢さえどぶに捨てれば
ネリーは幸せになれるだろうか
嘘だ
そんなちっぽけな願いすら叶えられない人間が、
幸せになれるはずがない
だからいいんだ、ネリーはこのままで
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あいつにお金をせびられた時、
『アフリカの子供達』を思い出した。
CMやネットでよく見る広告。
恵まれない子に愛の手を、という奴だ。
私はアレが好きじゃなかった。
理由はたくさんあるけれど。一番気に入らないのは、
お金を送ってはいおしまい、ってところだ。
自分がどこの誰を救おうとして、結果その子は救えたのか、
そんな事すらわからない。
人一人を本気で救いたいと思うなら、
それこそ自分の人生を犠牲にする覚悟がいる。
でも、そこまでするつもりはなかった。
ヒーローでありたいと願う私でも、
理想と現実の区別はつく。たった一人の人間が、
人類全てを救うなんて不可能だ。
だからこそ、手の届く人は助けたい。
でも、そう考えた時。果たしてヴィルサラーゼは、
手を差し伸べる対象になりうるだろうか。
ノーだ。
あいつのためだけに東京に引っ越すわけにはいかない。
今の生活をぶち壊して、一生あいつに
寄り添おうとも思わない。
向こうもそんなの望んでないだろう。
あいつを助けたその翌日。
私は予定通り本州を離れ、北海道の地に戻る。
『あいつは範囲外だった』、そう自分に言い聞かせて。
それでも。ヴィルサラーゼにつけられた心の傷は、
今もジクジクと腐り続け、膿を吐き出し続けている。
絶望に等しい傷だった。
救えない人が居る。そして結局、
私は自分を優先するために人を切り捨てるのだ。
偽善者め。言葉の刃が私を貫く。
(……駄目だ。いい加減切り替えろ)
ふさぎ込む自分を戒める。範囲を拡大し過ぎるな。
私は神様じゃないのだから。
気にするな、私は間違ってはいない。
そう自分に言い聞かせては、周囲に笑顔を振りまいて。
時間による風化を待った。
でも、幸か不幸か。痛みが取り払われる前に、
私は二度目を経験する事になる。
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愛の値段
それは麻薬の値段に近い
最初は3ラリで買えた愛
今では毎月1000ラリ必要になる
それでもネリーは払うしかない
愛を売ってくれるのは両親だけなのだから
命をお金に変えていく
お金で愛を買い求める
命の灯が小さくなっていくのが分かる
こんな生活を続けていれば、
20までは生きられないかもしれない
ああ、後どれだけ愛を買う事ができるだろう
なんて、まだまだ考えが甘かった
神様がネリーに与えた運命は――
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――もっと、どす黒くて救いがないのに
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大学受験。再び本州に舞い降りた私は、
そこで再びヴィルサラーゼと出会う。
数か月ぶりに見たヴィルサラーゼは、
もう壊れる寸前だった。
身を切るような極寒に包まれた冬の公園、
霜が降り白くなったベンチの上で。
ヴィルサラーゼは、その身をぐったり投げ出していた。
まるで息絶えたかのように。
「おい!ヴィルサラーゼ!しっかりしろ!!」
あの日と一字一句違わない言葉を吐いて、
私はヴィルサラーゼに駆け寄る。
あの時と違いがあるとすれば、
ヴィルサラーゼが言葉を返した事だろう。
「……ん、またししはらか。
なんで、とうきょうにいるの?」
ほっと胸を撫でおろす。よかった、まだ生きていた。
否、生きているのだろうか。
そう疑いたくなる程に、その目は濁り切っている。
「大学受験の帰りだよ。お前こそどうしたんだ。
よりによってこんな寒いとこで」
「ママ(お父さん)がしんだ」
抑揚のない台詞。でも、その言葉は、
だからこそ私を深々と突き刺した。
「おかね。どれだけあれば、もどってきてくれるかな」
濁った目を空に向け、幼子のようにヴィルサラーゼは呟く。
その瞳は、もう何も映してはいないようだった。
涙腺が緩む。思わず腕の中に抱き寄せた。
抵抗せず納まる彼女は、氷のように凍えていた。
「ししはら、たぶん、かんちがいしてるよ。
そんな、しあわせな、はなしじゃ、ない」
そしてヴィルサラーゼは語り始める。
前は話す事を拒んだ内情。
吐き出さずにはいられなかったのか、
それとも、もう、どうでもよくなってしまったのか。
小さな少女は、淡々と言葉を紡ぐ。
「ってわけで、しいんは、アルコールちゅうどく。
じごうじとくだよ」
「だから。たぶん、これでよかったんだ」
そう言うと、ヴィルサラーゼは力尽きたように目を閉じる。
そしてそのまま、今度こそ意識を失った。
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本当に欲しい愛をもらえないまま、
父と死に別れる事になった
急いで帰国しようとして、でも母に止められた
戻ってくるにもお金が掛かる
その分のお金を送金しろと
その言葉を聞いた時
頭の中で、何かがぷつりと音を立てた
気づいてしまったのだ
きっとこれからもネリーは一生
この人から愛してもらえない
わかってた
利用されてるだけだって
わかってた
ネリーはATMだって
わかってた、わかってたけど
それでもいつか、愛してもらえるかもしれないって
ありもしない夢に縋り付いてた
夢が、覚める
悪夢が、覚める
でも
現実はきっと、もっと地獄
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フロントに事情を説明し、二人部屋に変えてもらった。
ヴィルサラーゼをベッドに寝かせ、
彼女の寝顔を眺めている。
綺麗とは言い難かった。きっと悪夢を見ているのだろう。
その顔は常に苦しみに歪み、悲しみに涙を吐き出している。
『あいして』
寝言、そう片付けるにはあまりにも痛々しい言葉。
今日だけで何度聞いただろう。
歯噛みする。こいつは今まで、
この痩せぎすの小さな体に、
どれだけの悲しみを詰め込んできたのだろうか。
『あいして、ぎゅっとして』
ヴィルサラーゼが腕を掲げる。
ぼろぼろ涙をこぼしながら、
まるでだっこを求めるように。
もう我慢ができなくて。ほとんど反射的に、
腕の間に体を滑り込ませた。
ぎゅう、と強く抱き締められる。
それと同時に目が覚めたのか。
酷く舌ったらずな幼い声で、
ヴィルサラーゼが小さく呟いた。
「デダ(おかあさん)?」
言葉の意味はわからない。
でも、なんとなく想像はついた。
泣きながら頬を擦りつけてきたから。
さながら、親にしがみつくかのように。
覚悟が、決まる。
「決めたよ、ネリー。私はお前を助ける事にする」
「例え、自分の人生が犠牲になったとしても」
ネリーはきょとんとした表情を浮かべて、
じっくりとその言葉を反芻(はんすう)した後。
やがて、涙で顔をぐちゃぐちゃにして泣きじゃくった。
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愛が転がり込んできた
それも、血の繋がりと関係ないところから
正直眉唾だったけど
本物のお母さんよりもあったかかった
違う、嘘ついた
お母さんのぬくもりなんて記憶にない
こんな風に、優しく抱き締めてもらえた事も
信じられなかった
だってネリーは買ってない、獅子原の愛を買ってない
何か裏があるんじゃないか
そう訝しむのが普通だろう
でも、たとえ偽りの愛だとしても
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もう、このぬくもりを手放せそうにない
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どんな手を使ってもネリーを救う。
なんて意気込んではみたものの。
正直楽観視していたのも事実だった。
何しろネリーは養う側だ。それも不当にむしられていた。
父の死を経て正気に戻った今、やるべき事は多くない。
そう、単純に親への支援を打ち切るだけでいい。
なんて単純に考えていたあたり、
やはり考えが足りなかったのだろう。
『正気に戻った』?馬鹿を言うな。
ネリーは生まれた時から洗脳され続けてきた。
そもそも『正気の時』がなかったのだ。
「おいネリー、通帳持ってどこに行くつもりだ?」
「え、あ、その。ちょっとお金が見たいだけだよ?」
あまりにも丸わかりの嘘だ。
一緒に暮らし始めて知った。
ネリーはお金を使わない。むしろ不安を覚える程に。
通帳を見せられて愕然とした。
出金は一度もなし。全て、送金でお金が消えている。
「お母さんに送金する気なら駄目だ。
何度も言っただろ?
それはお母さんのためにもならない」
「それに」
ぐっとお腹に力を籠める。
「それをしても、お前は愛してもらえない」
途端、ネリーは大声をあげて泣きじゃくる。
こうなる事はわかっていた。でも、言わないわけにもいかない。
洗脳を解く必要がある。ネリーが幸せになるために。
「なあネリー。人にはさ、どうしようもない奴が居るんだ。
どれだけ善意で接しても、返してくれない奴が居る。
人の気持ちを踏みにじって、平気で嗤える奴が居る」
「酷い事を言ってる自覚はあるよ。
でも多分、お前のお母さんはそういう奴だ。
お前が救われるには、もう縁を切るしかない」
「私が代わりになる。本物のお母さんよりずっと、
たくさんの愛を注いでやるから」
「だから、もう。私だけを見ててくれ」
しゃくりあげるネリーを包み込む。
もう何度このやり取りを繰り返しただろう。
なのに、洗脳はまるで解ける兆しを見せない。
問題はもう一つあった。ネリーの依存が、
思った以上に深刻だった事だ。
典型的なアダルトチルドレン予備軍だったネリー。
やっと与えられた愛情を離すまいと、
どこに行くにもついて回った。
私が誰かと話していると不機嫌になり、
構ってもらうために癇癪を起こす。
そしてその波が過ぎると、
『捨てないで』と泣きながら縋り付く。
学校に行かせるのも無理だった。
行く理由がなくなってしまったからだ。
ネリーが臨海に通っていたのはお金のため。
そしてそれは手段にすぎず、本当の目的は愛を買う事。
ようやく本当の愛をくれる相手が現れた今、
ネリーが私から離れるはずもなかった。
「……このままでいいのかな」
寝かしつけたネリーの横で、図書館で借りた本を読む。
アダルトチルドレン・メンタルヘルス・共依存。
ほんの少し目を通しただけで、
身に覚えのある事例がわんさか出てくる。
私達の関係は、まさしく典型的な共依存だ。
愛に溺れ、まっとうな社会生活を送れないネリー。
憂慮こそしながらも、甘える事を止めさせない私。
行きつく先は破滅。どちらも病んで共倒れになるか、
捨てる捨てられるの話になって関係が終わる。
そして、捨てられた方は……あえて語るまでもないだろう。
改善が必要なのはわかってる。
でも同時に、それに反論する自分も居るのだ。
生まれてから15年。愛を知らずに苦しんで、
ただただ搾取され続けてきた。
少しくらい依存したっていいじゃないか。
そんな小さな願いくらい叶えてやれ、と。
なんて、この考え方そのものが、
共依存患者の典型的な症状なんだけど。
わかっていても、なかなか治す気になれない。
多分気づいてなかったんだろう。
自分が、凄いスピードでおかしくなっている事に。
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私を取り巻く環境は、瞬く間に壊れていった。
他人と会話が成立しない。
ネリーが全て邪魔をするから。
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学校に行けなくなった。
いつでもどこでも、ネリーがしがみついてくるから。
ネリーが求めるのは無垢な愛。
でも、周りからはそう見えない。
風紀を乱す無職の女、それを平然と連れ歩く私。
除籍処分も仕方のない事だった。
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定職につけるはずもなかった。
ネリーは私を離してはくれないし、
私もネリーを独りにして働きに出る気はない。
結果として、私達は雀荘荒らしの道を選ぶ事になる。
あぶく銭が入ってきて、
まっとうに働く必要も感じなくなって。
世界が完全に閉じた気がした。
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ネリーの裏切りが発覚したのは、そんな。
いよいよ、落伍者としての道が固定し始めた、
そんな時の事だった。
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ネリーは。私達二人のお金を、
こっそり送金し続けていたのだ。
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母はネリーを愛してくれない
爽はネリーを愛してくれる
それはわかっていたけれど
だからと言って、
血を分けた母を見捨てられるかと言えば
それは別問題だった
爽と一緒に学んで分かった事がある
親から愛をもらえなかった子供は、
自分もそういう親になる可能性が高いのだと
だとすれば、母は
母も同じように苦しんできたのではないか
愛しあったはずの夫から暴力を振るわれ
あげくその夫は他界して
定職にもついていなかったのに、
子供からの援助は激減した
爽から愛をもらえ、余裕のできた今だから気づく
母は母で、地獄の業火に焼かれながら、
ずっと苦しみ続けてきたのではないか
なんて事を唱えたら、
爽は冷たい目をして言った
『だからどうした』って
爽は言う
同情はするけど救いはしないって
鋭い声で切り捨てた
どんな経緯があったところで
所詮は子供が倒れるまで働かせ、
父親の死に目に会わせないような母親
そんな女など知った事かと
正論だと思う
そもそもネリー達自体、
他人の心配ができる程裕福なわけじゃない
人生における成功者でもなければ、
むしろ落伍者と言ってもいい
でも、それでもネリーはどうしても
母を、切り捨てる事はできなくて
だから、でも、ああ、ああ
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お願いです、許してください
ネリーが間違ってました
もう二度と爽に逆らいません
だから
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もう、独りにしないでください
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縋り付いて泣くネリーを置き去りにして、
私はジョージアへと飛び立った
もちろん罰の意味もある
正直、醜い嫉妬に狂っていた事も認めよう
でも、それ以上に確かめたくなったのだ
私が愛を注ぎ続けてもなお、呪詛の如くネリーを縛り付け、
金を搾り取るネリーの母親
この目で確かめてやろうじゃないか
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果たして、生かしておく価値のある女なのか
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『ネリー、ちゃんと生きてるか?帰ってきたぞ』
『さ、さわや、さわや゛っ!さわやぁ゛っ!!』
『ははっ、飛び掛かってくるなって』
『おねがい゛、おねがいでず、すてないで、ぐだざい。
もう、ひとり、ひとりは、い゛やだ』
『な゛んでもするから゛、もう゛、
さからったり゛しないがら』
『おいおい、勘違いするなよネリー。
お前を捨てる気なんてさらさらないぞ。
誰よりもお前の幸せを願ってる。
自分の幸せよりもずっとな』
『ただ、今回のはさ。お前の幸せのために、
どうしても必要だったんだ』
『ねりーの、しあわせ……?』
『ああ』
『でも、もう大丈夫』
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『お前を苦しめる奴はもう居なくなった。
これからは、ずっと私だけ見てればいい』
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サカルトヴェロで何があったのか、
爽は何も言わなかった
でもこれだけは確実だった
お母さんとの縁が切れた
だって、口座が無くなってたから
手紙も返ってこなかった
届いたけど返事を書いてないだけなのか、
そもそも届いていないのか
ネリーにはもうわからない
でも
ネリーの予想が当たってるなら
もう、お母さんはこの世に居ないだろう
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親と切り離されたと知り、ネリーを支配した感情
それは爽への怒りや憎しみ、
ましてや恐怖なんかじゃなくて
むしろ、今まで感じた事のない程の安心だった
きっと、爽の言う通りだったのだろう
ネリーは両親に縛られていて、
心のどこかでこう思っていた
『親にお金も送らずに、一人だけ
幸せになるなんて許されない』って
爽は、そんなネリーを呪縛から解き放ってくれた
自らその手を真っ赤に染めて
悪人としてネリーを縛り付ける事で
ネリーの手を汚させる事なく
両親から解き放ってくれたんだ
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ありがとう、そして、ごめんなさい
誰よりも強く優しくて、正義のヒーローだった貴女を
ネリーは、どす黒く染めて壊してしまった
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行きつけの居酒屋、すっかり腐れ縁になったメンバー。
そんな皆で舌鼓を打つさなか、
チカセンが一人携帯をいじくっていた。
「うーん、繋がらないわねぇ」
「まーだやってんのチカセン。もういい加減諦めなって」
「だって卒業10周年よ?せっかく同窓会してるんだし、
声ぐらい聴きたいじゃない」
「爽先輩と連絡が取れなくなってもう6年ですか……
確かにいい加減会いたいですね」
「揺杏ちゃんは今でも繋がってるんですか?」
「…………」
「揺杏ちゃん?」
「あ、悪い、よそ見してた。
私も、あいつが中退してからは切れてるよ」
「そうですかぁ」
半分だけ嘘ついた。今切れてるのは確かな事実。
でも、本当に切れたのはもう少し後だ。
爽の奴が、急にジョージアに行くとか言い出して。
ただならぬものを感じた私は、
引き留めるべく空港まで押し掛けた。
(えっ……何だこいつ。マジで爽?)
一目見て心底びびった。
完全に『人殺し』の目をしてたから。
いや、殺人犯の目なんか見た事ないけどさ。
何も言えずただ木偶の棒みたいに立ち尽くす私を前にして、
爽は笑ってこう言った。
「万が一さ。万が一があって、
私がやらかしてしくじった時には、
ネリーの面倒を見てやってくれないか」
その言葉で我に返る。そしてついでに呆れ果てた。
ああ、こいつはここまで狂っても、
結局は自己犠牲のヒーローなんだ。
「やだね。面倒見たいなら自分で見ろよ」
「そこを何とか」
「やだってーの。ていうか何しに行くわけ?
それ、絶対やんなきゃダメな事なの?」
「絶対にやらなきゃ駄目な事だ。
今のままじゃ、ネリーは一生救われない」
天を仰いでため息を一つ。ああ、こいつはいつもそうだ。
他人の事ばっかり考えて、自分の幸せはどぶに捨てる。
一体、何がそこまでこいつを駆り立てるんだか。
「……もしお前が捕まったらさ。
マスコミの前で例の奴言ってやるよ。
『いつかやると思ってました』ってさ」
「だからさ、ちゃんと戻って来いよ。
お前のケツなんか絶対拭いてやらねーから」
「はは、高校の時も同じやり取りしたっけな。
変わってなくて何よりだ」
「お前は随分変わっちまったな。そんな、
ドロドロの腐った目をする奴じゃなかった」
「軽蔑するか?」
「尊敬するよ。見ていて泣きたくなるくらい」
結局、私はあいつを止める事はできなかった。
邪魔するならお前も殺す。
そう目で訴えられたのもあるけれど。
それが爽にとって、『本当に必要な事』だって
わかってしまったから。
私は善人にはなれない。それで爽が救われるなら、
黙って飲み込む悪人なんだ。
あれから数年、爽と連絡は取ってない。
何度もジョージアの情報を漁ったけれど、
爽の名前は出て来なかった。
そもそもやらなかったのか、それとも上手くやったのか。
まあ、便りがないのはいい知らせだと思いたい。
「こうなったら出るまで掛け続けてやるわ!」
「やめときなって。それで出たとしてもブチ切れモードっしょ」
なあ、爽。お前はもう、
私達と縁を切ったつもりなんだろうな。
でもさ、実際はまだ繋がってるんだぜ。
目の前のチカセンがいい証拠だ。
ま。お前はもう、ネリーしか見えないんだろうけどさ。
だからさ、いつかふらっと戻って来いよ。
なんならネリーの奴も連れてさ。
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なんて。そんな未来ありえないか。
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六畳一間のボロアパート。二人で抱き合い夜を明かす。
少しだけ首を横に向ければ、生まれたままの姿のネリー。
だらしなくよだれを垂らしながら、
でも心底幸せそうに眠りこけている。
あれ以来、ネリーは完全に壊れて狂った。そして私も。
私達は固く体を繋ぎ合わせて、離れる事はほとんどない。
二人が離れる時と言えば、
食い扶持を稼ぐために麻雀を打つ時くらいだ。
狂人としての完成を見た。
もう私はネリーを見失うだけで我を失うし、
ネリーに至っては赤子のように泣きじゃくる。
それで何の問題もない。
ううん、むしろ。これからもそうであって欲しい。
「あれ、さわや、おきてたんだ。
どうして、わらってるの?」
寝顔をぼんやり眺めていたら、
ネリーの瞼がゆっくり開いた。
頭をそっと撫でながら、思ったままを口にする。
「いや、あの時もこんなんだったなってさ」
「あのとき?」
「お前が倒れてた時」
「ああ」
「それで思ったんだ。もしあの時、
道が横に一本ずれてて、お前を見つけなかったら。
今頃どうなってたんだろうなって」
「さわやは、ふつうに
しあわせになってるんじゃない?」
「お前は?」
「もうこのよに、いないんじゃないかな」
「……こうなって本当に良かった」
「ねりーにとってはそうだね」
ネリーは感慨にふけるような表情を浮かべた後、
神妙な顔つきで私を見据える。
「ねえ、さわや。さわやは、いま、しあわせ?」
「ん?なんだ急に。幸せに決まってるだろ。
それともお前は違うのか?」
「ねりーはもちろん、しあわせだよ。
でも。さわやはきっと、ふこうになった」
「なんでまた」
「だって、さわやはねりーの……『ぎせい』になったから」
しがみつき、目に涙をためこんで。
震えながらネリーは呟く。
ごめんなさい、許してください。
何度聞いた事だろう。
もしあの日に戻れたなら、自分を殴り倒してやりたい。
あの日の不用意な一言が、今もネリーを苦しめている。
「……まあ確かに、思い描いてた人生とは違ったさ。
あの時、お前のために人生を
捨てるつもりだったのも事実だ」
実際今の私達を見て、『おめでとう』と
声を掛ける者は居ないだろう。
きっと誰もが眉を顰め、『どうしてこうなった』、
そう嘆くに違いない。
あるいは『目を覚ませ』なんて言いながら、
病院に連れて行こうと腕を掴むのかもしれない。
「それでも私は幸せなんだ。今の状況を壊したくない」
「二人で勉強しただろ?共依存ってのはさ、
どちらか一方じゃ成立しないんだ」
「どっちも壊れて、狂って、依存しあってる。
お前だけじゃないんだよ。
私だって、お前が私を捨てようとしたら、
殺してでも引き留める」
「そのくらい、お前に依存してるんだよ」
別に共依存を賛辞するつもりはない。
純然たる病気なのは間違いないし、
できるなら回避した方がいいとも思ってる。
でも、同時にこうも思うのだ。
互いに離れられない泥沼の関係になって、それでいて、
互いに『捨てないで』なんて想いあえるのは。
とても幸せな事じゃないかって。
「だからもっと依存してくれ。私に愛を注がせてくれ。
で、『その時』が来たら一緒に死んでくれ」
「……うんっ!」
ネリーは満面の笑みで微笑むと。
そっと腰にキスを落とした。
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いつも運命を憎んでた
愛をくれない親から生まれ落ち
餌よりも多く拳をもらった
愛を買うためお金を稼いだ
どれだけ払っても本当の愛はもらえなかった
そして父親が死んだ時、ネリーは全てを諦めた
あの日、寒空の下ベンチに腰掛けて
凍えて死ぬつもりだったんだ
なのに今、ネリーは愛に包まれている
思う
ネリーが生まれてすぐ羽をもがれ、
地べたを這って耐え続けたのは
きっと爽に会うためだった
爽に憐憫の情を向けられ、
愛してもらうためだったんだ
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巣から落とされ羽を折り、生まれながらに飛べない小鳥
幾度となく空を見上げては、巣を求め囀る(さえず)哀れなひな鳥
結局鳥は、元の巣に戻る事は叶わなかった
それでも鳥はもう嘆かない
なぜなら鳥には番(つがい)がいるから
立派な巣もこしらえた、愛すべき番と共に
番の名は爽
ネリーのために、地べたに落ちてくれた鳥
(完)
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ネリーの過労で辛くても自分の父が亡くなっても愛を求める姿とネリーの為に堕落して制止するなら友でも容赦しない覚悟で悪に身を染める爽。
最後は2人で形は違えどハッピーエンドにとても心が震えました。
これからも微力ながら応援していきます、素晴らしいSSありがとうございました。
爽「本当は正義の味方になりたいんだけどな」
ネリー
「十分正義の味方でしょ。
普通のヒーローだって、結局
やってる事だけ抜き出せば殺害だよね?
当事者がどう思うかの問題だよ」
ネリー
「だから、ネリーにとっては、爽は今も
正義のヒーローだよ」
爽「そっか」
ネリー
「後応援ありがとね!これからも
細々と続けていけたらいいな」