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【咲-Saki-SS:えり咏】えり「本当の貴女は、どこまでも弱く独りで」【病気】【共依存】

<あらすじ>
日本を代表するプロ雀士、三尋木咏。

そんな彼女の悪名は高く、
相方となるアナウンサーを探すにも
苦労するほどだった。

彼女と仕事をした者はみなこう語る。
「とにかく一緒に居たくない」と。

針生えりはいぶかしむ。
確かに彼女はうっとうしい。
だが、トッププロとのコンビ、
そんな美味しい立場を
かなぐり捨てるほど酷いだろうか、と。

人付き合いに不器用な彼女は
気づく事ができなかった。
三尋木咏が滲ませる心の闇に。

最後、蝕まれて共に堕ちるまで。

<登場人物>
三尋木咏,針生えり

<症状>
・?(重度)
・?(重度)
・?(重度)
・?(重度)
・?(重度)
※ネタバレになるので末尾に記載。
 ただしリクエストの都合上かなり深刻です

<その他>
・ほしいものリスト贈答者様によるリクエストの作品です。
 ※かなり詳細なリクエストだったので
  内容は末尾に記載しています。

・リクエストの都合上、展開において
 原作との大きな乖離が発生しますがご容赦ください。

・作者的にはハッピーエンドのつもりです。



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なあエリちゃん。
アンタはどうして生きるんだい?

私?私は――


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『本当の貴女は、どこまでも弱く独りで』




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私、針生えりが三尋木プロに抱いた印象。
歯に衣着せず言ってしまえば、
『社会不適合者』の一言に尽きた。

解説として呼ばれたにもかかわらず、
『わっかんねー』と匙を投げ。
声を荒げて叱責しても
『知らんし』と言って聞く耳持たず。
挙句、生放送中に茶菓子を貪り食う始末。

そんな彼女はプロ雀士。
それも日本を代表するトッププロだ。
年齢は24、つまり私より4歳年下。
にもかかわらず。私が一生働いても、
到底稼げない金額を貯めこんでいる。
その気になれば仕事などすぐ辞めて、
一生遊んで暮らせるらしい。


(ああ。人生って、
 なんでこんなに不平等なんだろう)


持たざる者は徹底的に虐げられる。
謹厳実直、品行方正に努めても、稼げる金は雀の涙。
かと思えば、三尋木プロのような『ギフテッド』は、
自由気ままに暮らしながら巨万の富を築き上げる。

不公平だ、不平等だ、理不尽だ、不条理だ。
不平を挙げ連ねても、世界が変わる事はない。

だから私はそれを飲み込む。
代わりに皮肉を言葉に込めて、
ため息とともに叩き付けるのだ。


「麻雀さえ強ければ、こんなお子様でも
 もてはやされる。まったく、いい御身分ですよね」と。



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もう分かってもらえるだろうが、
私は三尋木プロを嫌っている。
にも関わらず。局は私を採用し続け、
三尋木プロとコンビを組ませ続けた。

理由は二つ。
一つ、破天荒なプロと不器用なアナウンサー、
その正面衝突が思いのほか『ウケた』事。
そしてもう一つは……少し詳細に触れるとしよう。

かつて彼女とコンビを組まされ、
早々に解消した局アナ達はこう語る。
『とにかく一緒に居たくない』と。

一人や二人の話ではない。
10人だ。10人もの大人達が全員、
三尋木プロにNOをつきつけた。

理由を問えば、異口同音にこう語る。
『頭がおかしいから』。
気持ちは痛い程よくわかった。
私とて、選択権があるならチェンジを叫ぶ。

これが、私が彼女と組まされるもう一つの理由。
三尋木プロは大半のアナウンサーから疎まれている。
要領の悪い私は逃れる事ができず、
まんまと人身御供にされたわけだ。

そして私は今日もまた。
彼女とセットでお茶の間に登場し、
精神をすり減らし続けている。


でも。少しだけ気になっていた。


確かに、三尋木プロは幼稚だし、
自分勝手で、社会人にあるまじき存在だ。
だからと言って、いくらなんでも
『頭がおかしい』とまで言われる程だろうか。

流石に辛辣過ぎる気がする。だが、
真意を皆に訪ねても、皆一様に首を振り。
答えをくれはしなかった。



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配置換えを拒否され続け、
気づけば三か月が過ぎていた。

収録中の休憩時間、ため息交じりにそれを告げると、
三尋木プロは手を叩いて喝采した。


「おぉー、すごいねぃ針生さん。
 おめでとさん、過去最長記録樹立だよん!」

「最長記録……?何のですか?」

「私とコンビ組んだ期間だよ。
 確か一番長い奴で、2か月が最長だったはずだぜ?
 えりちゃんよく持ってんねぃ」

「はぁ……。そうなる原因を
 考えた事はありますか?」

「じゃー反省会してみよっか。
 ほれほれ、反省要素挙げてみな」


これだ。どう考えても自分が原因なのに、
他人をおちょくるこの態度。皆が嫌がるのも無理はない。

でも。


「正直、私もよくわからないんですよね」


確かに三尋木プロの言動は目に余る。
それでも彼女は数字を持っている芸能人で、
繋がれば活躍の機会が増えるのも事実なのだ。

多少のウザさに目を瞑れば大きなリターンが見込める。
私は断固お断りだが、彼女にすり寄って
躍進を狙う人が居てもおかしくはない。

なのに全員に拒絶される。その理由とは何なのだろう。


「あはは。やっぱ針生さんって鈍いんだねぃ」


ああ、また人を馬鹿にする。脳が沸騰しかけるも、
好奇心が苛立ちを凌駕した。


「三尋木プロはわかるんですか?」

「そりゃもちろん」

「先に言っておきますが。三尋木プロがウザいから、
 的な表面的な理由は却下ですよ?」

「はっきり言うねぃ。でもそんな
 針生さんも嫌いじゃないよん」

「私は残念ながら大嫌いです。
 では教えてください。
 腐っても大スターである貴女と繋がるメリットを捨ててでも、
 コンビを解消するその理由を」


三尋木プロが笑う。鈴が鳴るようにコロコロと。
笑いながら口にした。さも当然の事実のように。


「簡単だよ。一緒に居たら破滅するからさ」

「……はい?」


思わず耳を疑った。破滅。
休憩中の談話で飛び出すには
あまりにも場違いなキーワード。

聞き間違いか。いや、
彼女は訂正をせず言葉を続ける。


「ほら、アナウンサーってその手の嗅覚鋭いじゃん?
 だから勘付くんだろねぃ。私に関わり続けたら、
 いずれ人生をメチャクチャにされるってさ」


淡々とした口調。『何を馬鹿な』、
そう返そうと彼女の顔を見て背筋が凍る。

異様だった。

口角だけがいびつに歪み、
でも目は決して笑っていない。
まるで悪魔のような笑み。
『その宣告は正しい』、
そう思わせるだけの迫力があった。


「つ、まり。私は破滅すると?」

「さあねぃ。そこまで行った奴が
 いないからわっかんねー」

「でも」

「まあ怖いなら逃げた方がいいと思うよん?
 リスクヘッジって奴さね」


まるで挑発するかのように、
三尋木プロはせせら笑う。

上から目線の不快な挑発。
つい目をむいて異を唱えようとして、
だから私は気づいてしまった。


(あれ……?)


居丈高な物言いとは裏腹に。彼女の手は、
着物の裾をぎゅっと握りこんでいる。
まるで幼い子供のように。

唐突に思い出す。確か大学の授業だったか。
人が無意識に取る行動は、時として
言葉より多くの心理を相手に告げると。

服の端を触る事、それは対象が不安を感じている時。
拳を握るのは恐怖、または何かを否定したい時。
これらを素直に受け取れば。


(三尋木プロは、私が離れていく事に
 密かに不安を感じている――?)


一瞬浮かんだ憐みの情。でも、すぐに眉根が寄っていく。

馬鹿馬鹿しい。離れて欲しくないと思うなら、
反省して態度を見直せばいいのだ。

散々相手を振り回しておいて、
いざ相手に見限られたら悲しむだとか、
自分勝手にも程がある。


「……相手に決断を迫る前に、
 まずは自分が反省してみてはどうですか?」

「そうすれば、離れていった相手も
 手の平を反すかもしれませんよ?」


決して優しい言葉ではなかった。
むしろ突き放したとすら言えただろう。

でも、三尋木プロはきょとんとした
表情を浮かべた後、次の瞬間破顔する。


「さっすが針生さん、いい子ちゃんだねぃ。
 それ、いかにも風紀委員が言いそうな台詞じゃね?」

「なっ……普通ここで茶化しますか!?」

「普通なんて存じ上げぬ」


今度こそ怒りが頂点に達し、爆発しようとしたその瞬間。
『休憩終了でーす』、ADさんの声が響いた。
早く笑顔を作らなければ。
瞳を閉じて天を仰ぎ、深呼吸を繰り返す。


そんな私は気づかなかった。
三尋木プロが私を見つめている事に。
彼女の唇がわずかに動き、言葉を形作った事に。


『む り だ よ』


言葉は音に変わる事無く。
誰にも伝わらず消えていった。


そして――



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この日から、私達の関係が変わり始める。



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『離れなければ破滅する』、
理由はどうあれ、私は警告を突っぱねた。

それに安心したからか、むしろ
警告の色を強めたのか。

三尋木プロは少しずつ、
その異常性を私に晒し始めたのだ。



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例えばこんな事があった。

お昼下がりのテレビ番組。放送中、
雀士の『異能』について触れる機会があった。


『そう言えば、女性雀士の中には
 不思議な能力を持つ人間がいて、
 その能力は日常生活にも使用できるらしいですね』

『あー、例えばこの子とか?』


VTRがスタートし、宮永選手が映し出される。
対局中、彼女の腕から旋風が巻き起こる様が
カメラに捉えられていた。

『扇風機代わりにちょうどいい』
一緒に映っていた弘世選手が真顔で呟く。
現場がドッと笑いに包まれた後、
この話題は小話としてその幕を閉じた。


それだけだ。正直大した話じゃない。
なのに三尋木プロは一人だけ、
珍しく表情を強張らせていた。

収録が終わってもその硬直がとける事はなく。
三尋木プロは、まるで内緒話でもするかのように、
私に小声で話し掛けてくる。


「おいおいアナウンサー。
 今日の放送ヤバいんじゃね?」

「何がです?」

「あれだよあれ。雀士の異能についての奴。
 あんなの報道したらヤバいんじゃねーの?」

「……?別に問題とは思いませんが……」


本音だった。彼女の懸念が理解できない。

雀士には異能を持つ者がいる。
そんな事は周知の事実だ。
日常生活で使えたとしても不思議ではないし、
それで問題が起きるとも思えない。


「悪用できる能力もあるじゃん?
 火をおこせる能力とかさ」

「ライターやガスバーナーでも
 同じ事ができるでしょう?
 そんなのは使う人間の問題です」

「だからそう言ってんだよ。
 使うニンゲンの問題だってさ」


「雀士なんて、頭おかしい奴しかいないんだぜ?」

「……は?」


思わず顔を覗き込む。三尋木プロは真顔だった。
つまり、『雀士はみな狂っている』、
彼女はそう信じ切っているのだ。

彼女が何を問題視してるのかはわからない。
でも、彼女の言動には恐怖を覚えた。


(ああ、三尋木プロはいつもこうだ)


酷く唐突に不穏を投げ込む。
現実との振れ幅があまりにも大き過ぎて、
会話についていく事ができない。

というか。


「その理屈で行くと、三尋木プロも
 狂っている事になりますよ?」

「私がまともだと思うかい?」

「愚問でしたね。でも別に、
 重犯罪を起こすタイプとも思いませんが」


「そりゃ、針生さんが私の事をよく知らないからさ」


まただ。彼女はまた、着物の裾を掴んでいる。

徐々に胸がざわめき始めた。
前回と同じ理論を当てはめるなら。
彼女は今、自分が重犯罪を犯すタイプだと認めた事になる。


「っ……」


途端、脳内を情報が埋め尽くし、
バラバラだった情報が繋がっていった。


『とにかく一緒に居たくない』
『頭がおかしい』
『一緒に居たら破滅する』
『雀士なんて、頭おかしい奴しかいない』
『雀士は異能を日常生活でも使える』


『重犯罪』


ぞくり、全身の毛が逆立った。

これだろうか。かつて先輩達が禁忌して、
三尋木プロを遠ざけた理由。事実なら十分に頷ける。


「何か。犯罪を犯したんですか?」


三尋木プロは答えない。でも答えはすでに出ていた。
彼女の癖が教えてくれる。


「罪は償ったんですか?」

「法的には、ね」


四肢から体温が奪われていった。


言い回しに救いがなさ過ぎる。
法的にはクリア、なら心情的には?
人道的にはどうだったのか。

尋ねる間でもない。何も解決していないのだろう。
そして、もう解決できないのかもしれない。


「……どうだい、私が怖いかい?
 怖いって思うなら、やっぱ
 今日の報道はミスだったって事さ」

「……話がまるで繋がりません。
 それとこれとでは話は別でしょう?」

「キチガイが刃物持ってる。そんなのバレたら、
 ニンゲンは雀士を駆逐しようとするだろ?」

「んで、そうなりゃキチガイ側もこう思う。
 『殺られる前に殺れ』ってねぃ」


「今日の放送さ。個人的には、
 『ニンゲン側からの宣戦布告』
 くらいの意味があると思うんだよねぃ」


爛々と赤く輝く瞳。その瞳に宿るは狂気。
恐怖すら覚えるほどの。

おそらく彼女はどこまでも本気で、
でもだからこそいびつだった。


「針生さんは、どう思う?」


理屈の上では確かに成り立つ。
でもあまりに非現実的過ぎだ。
空想と現実の区別がついてないのでは、
そう思わずには居られない。


「ありえませんよ。
 雀士はキチガイではありませんし、
 そもそも雀士だって人間です」

「争うべき間柄じゃありませんよ」


それは偽らざる本音。でも、
彼女の求めた答えではなかったのだろう。

彼女の瞳から獰猛な光が消える。
だが輝く事もなく、泥ついた目のまま。
彼女は言葉を反芻する。


「雀士は狂ってないし、
 そもそもニンゲン……」

「……」

「だとしたら、私は。」


声はそこで途切れて終わる。

そのまま彼女は口をつぐみ、
ふらつきながら去って行った。
私は一人取り残される。


「……結局何だったのよ」


最後、彼女は何を言おうとしたのだろう。
わからない、続く言葉を連想するには、
私は彼女の事を知らなさ過ぎる。

でも、きっとその方がいいのだろう。
私はここにきてようやく、
先輩達と同じ結論に辿り着く。

三尋木プロはどこかおかしい。
病的だ。気が狂っている。
これ以上、下手に関わらない方がいい。



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でも。

鈍感で不器用で要領の悪い私は、
そこで引く事ができなかった。



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見てしまったのだ。口をつぐんだその刹那、
絶望に染まった彼女の顔を。

全てに見捨てられた子供のような。
酷く幼く、むごたらしいその表情を。




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彼女が何を隠しているのか。
どんな闇を孕んでいるのかはわからない。
それを暴く事が自分のためになるとは思わない。

だが、今彼女を見限り離れていく事が、
『正しい』とはどうしても思えなかった。



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彼女と過ごす時間が増えた。

別に私の意思じゃない。
テレビ局の意向としては、数字が取れる三尋木プロは
どんどん使っていきたいわけで。
でも、今までは相方の不在がネックとなっていた。

そこに私が登場し、問題は一応の解決を見た。
となれば当然出番も増えて、
コンビである私も駆り出される事になる。
ただそれだけの事だった。

そんなわけで。セットで出張する事も多くなり、
今ではこうして、二人でビジネスホテルに
泊まるまでの関係に至る。


「最近いつも一緒に居るねぃ」

「おかげさまで過労気味ですよ。
 お薦めの胃薬とかありませんか?」

「必要そうに見えるかい?」

「皮肉ですよ」


付き合いが長くなるにつれ、
直接的な物言いが増えた。
いい加減気づいたからだ。棘を隠した言葉など、
彼女にはまるで刺さらない。

でも、私が分かった事などそのくらい。
彼女がにじませる闇深さは、
まるで底を見せる気配がない。


「レバミピドがいいよ」

「はい?」

「いやだから、レバミピド」

「胃痛の種類はいろいろあってさ。
 必要な薬も違うんだよ」

「吐き気や食欲不振ならドグマチール、
 胃もたれならランソプラゾールとかかねぃ」

「んで、ストレスからくる急性の胃炎は、
 やっぱレバミピドになるんじゃね?知らんけど」


スラスラと、メモでも読むように語る三尋木プロ。
思わず耳を疑った。そして当然の疑問が口を突く。


「どうしてそんなに詳しいんですか?」

「このくらい普通じゃね?
 何かと面倒くさいニンゲン社会だからねぃ」


あっけらかんと笑うその様は、
悩みがあるようには見えない。

いつもどおり異質だ。
会話と表情がチグハグ過ぎる。


「貴女も胃痛を抱えていると?」

「うんにゃ」


ガクリと膝から崩れ落ちた。

ああ、本当にこの人はいつもこうなのだ。
何もかも煙に巻くような物言いで、
本当の事がわからない。

飄々としていると思ったら、
次の瞬間どす黒くなる。
不穏を滲ませたと思ったら、
何事もなかったように笑うのだ。


「何なんですか本当に。
 一体どれが本当の貴女なんですか」

「存じ上げぬ」

「またそう言ってはぐらかす。
 いい加減にしてくれませんか?」

「おりょ?ガチおこ?」

「見せる気がないなら隠してください。
 見せたいならさっさと見せなさ――」


「――本当に見たいのかい?」


瞬間、脳裏に文字が浮かぶ。
『しくじった』。即座にそう思わせるほど、
彼女の闇が、一気に濃さを増していく。

でも本音でもあった。底を覗いてみたかったのだ。
関わらない方がいい、そんな事はもうわかっている。

でも私は不器用だった。

彼女の全容を明らかにして、正せるものなら正したい。
それが彼女と接し続ける理由。
つまり、端的に一言で言ってしまえば。

好奇心に殺されたのだ。


「ええ。というかさっさと見せなさい」


そして世界が裏返る。

部屋に闇のとばりが下りて、瞬く間に夜になる。
彼女から放出された闇が、周囲を包み込んでいる。

私の周囲を、完全に。


「なあ、針生さん。アンタは
 どうして生きるんだい?」

「はい?」

「アンタにゃわかりにくいかねぃ?
 生きてる理由を聞いてるんだよ」

「ど、どうしてそんな話になるんですか」

「究極さ、『そいつがどんなニンゲンか』なんて、
 『何のために生きてるか』に尽きるんじゃね?」

「ホントの私を知りたいならさ。
 まずはアンタが答えてくれよ」

「なあ。アンタはどうして生きてんだ?」


彼女の視線が私を捉える。
あまりの悍ましさに戦慄した。

どこまでも黒く、暗く、まがまがしい。
生まれてこの方28年、
ここまで病的な目を見た事はなかった。

まるで心臓を鷲掴みにされたような圧迫感に震えながら、
何とか声を絞り出す。
答えなければ『死』。
それはどこまでもリアルな感触。
なぜかそう確信できた。


「わた、しは……そうですね。
 誇りのために生きています」

「誇り?」

「はい。ただ生きるだけなら、
 もっと楽な道があるでしょう。
 でも、それじゃ私は満足できない」

「死ぬ瞬間、『自分の人生は誇れるものだった』、
 『だからもう悔いはない』、
 そう胸を張って死にたいと思います」

「だから、誇り。それが私の生きる理由です」


上手く伝えられたかはわからない。
酷く概念的過ぎるし、彼女の問いに対しての
答えになっているかはわからない。

わからない。わからないけれど。
少なくとも、彼女が期待した答えではなかったらしい。


「針生さんは幸せだねぃ」

「馬鹿にしてるんですか?」

「いいや、礼賛してるのさ。
 ニンゲンとはかくたるべき!
 見習いたいもんだねぃ」

「ま、私にゃ無理だけどさ」


「……なら、貴女が生きる意味は何なんですか」


問い返す。しかし彼女は沈黙した。
無表情。そこにいつもの余裕はなく、
感情は読み取れない。

それでも私は理解できた。今、
彼女を支配している感情を。

彼女は不安と戦っている。
告げるのを躊躇うほどの闇。
今まで何度もはぐらかされて、
こちらも触れずに来た真実。

本当に晒してよいものか、
いまだ勇気を出せずにいるのだ。


「……大丈夫ですよ。今更、
 何を言われても逃げたりはしませんから」


一歩足を踏み出した。彼女はビクリと硬直して、
恐れるように後ずさる。
構わずさらに踏み出した。
そして、着物の裾を掴む彼女の手を、
両手でそっと包み込む。

彼女は躊躇うように唇を震わせ、
やがてきゅっと硬く結んだ。

覚悟を決めたかのように、
あるいは観念したかのように、
彼女の口が開き始める。


「私が生きる意味、かぁ――



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――意味なんか、ないよ

死ねなかったから、生きてる

ただそれだけ



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全身の血が凍り付いた。



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頭は真っ白に消去されて、理解する事を拒絶した。
それでも言葉を反芻して、絶望が脳を支配する。

聞いた事がなかった。想像だにしなかったのだ。
これほどまでに哀しく、残酷な『生きる理由』など。


「罪を犯したんだ。大切なものを壊しちまった。
 それはもう戻らなくって、
 死をもって償うべきだと思った」

「だから腹を掻っ捌いた。真っ赤になって、
 頭がぼーっと楽になって、ぷかぷかあったかくって、
 ああやっと死ねるって」

「なのに目を閉じて開けたら病院に移動しててさ、
 みんなしてこう言うんだよ」

「『死ぬな、生きろ』ってさ!」

「何度死んでも生き返るんだ!
 スタートに戻る!病院ではいリスタート!
 いつも見られてるんだ!耳元に声を注ぎ込む!
 『お前を監視してるぞ!自殺なんてさせねぇ!』」

「『生きろ!完璧に天寿を全うして見せろ!
  正しくあれ!導いてやる!囁いてやる!』
 ありったけの目で監視しやがる!!」


「死なせてくれよ!!!」


彼女の目から涙が零れた。
涙を、言葉を吐き出し続ける。

堰を切ってしまったように、
感情はもう止まらない。


「生きてるだけで罪なんだ!
 擬態なんてできねぇよ!私にニンゲンを求めるな!」

「殺せよ!皮をはいで八つ裂きにして、
 市中引きまわしてくれよ!」

「お願いだよ、もう無理だ……!
 殺してくれ、死ぬべきなんだ、殺してくれっ……!」


「なあ!!!」


ビクリ、今度は私が硬直する。
あまりに苛烈な激情に、
どう応えればいいかわからない。
包み込んだ手が離れる。


途端、彼女は絶叫した。


「離しちゃやだ!!」


慌ててそれを握りこむ。全身を支配する無力感。
もう何もわからなかった。
どうすればいい?
どうすれば目の前の狂気を押さえられる?

ぐるぐるぐるぐる思考は回る。
ただただこの状況から逃れたくて、
ならそうすればいいのに、でも私は不器用だった。
この期に及んで、まだ『私らしさ』が邪魔するのだ。


(ここで逃げてしまったら……私はきっと後悔する)


どうすればいいかわからない。でも何とかする必要がある。
答えが欲しい、情報が足りない、思い出せ、何かないか、突破口、
彼女の心を不安がらせる理由――


――そうだ、彼女は『拒絶』を恐れていた!!


震える彼女の肩を抱き、すっぽり腕で包み込む。
私にできる精いっぱいの『受容』。
彼女が拒絶を恐れて泣くなら、逆に受け入れてやればいい!

だから私は、三尋木プロを強く抱きしめて――!



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「あ゛ぁ゛ぁぁぁぁあ゛ぁぁぁぁぁぁ゛っ!!!!!」




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――それが、彼女にとどめを刺す決定打になった。




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とおいとおい、むかしのはなし

わたしは、みんなに、きらわれて

でも、ひとりだけ、わたしを、
みてくれるこが、いました

わたしは、そのこが、だいすきで
ずっと、いっしょに、いたくって
そういったら、ぎゅって、してくれました

うれしかった、しあわせだった
でも、ひるになって、よるになって、
そのこは、いったんです

かえろっか、って

わたしは、くびをふります
ぎゅっとしながら、くびをふります

いやだ、はなれたくないの
わたしは、ぎゅって、しつづけました

そのこは、あばれ、だしました

なんで、すきだよ、すきなの、すきなのに
にげないで、わたしには、あなたしかいないの
いっしょに、いてくれるって、いったでしょ

あばれました、おしつけました、
ぎゅってしました、あばれました、
だから、もっと、ぎゅっとして、



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そしたら、かのじょが、ぐきって、
まがって、うごかなくなって――



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境界性パーソナリティ障害。
それが三尋木咏の病名。

発症の原因は多岐にわたる。
彼女の場合は、『愛情不足』が原因らしい。

幼少期、もっとも愛が必要な時。
注がれるべき愛は与えられず、むしろ放置され続け。
さらには精神的に虐待された。


『あの子、教えてもない事を知ってたりするのよ。
 心を覗かれてるみたい』

『何でもかんでも「知り過ぎてる」の。
 気持ち悪いったらありゃしない』


母親の証言は真実か、今となってはわからない。
ただ、三尋木咏が『普通』でない事は事実だった。

当時を知る人間はこう語る。
『彼女はサトリと呼ばれていた』と。

過ぎた才能は畏怖へと変わる。
彼女は周りから遠ざけられた。
結果、彼女は健常な人格形成に失敗する。

聡明な彼女は気づいてしまった。
こうなった原因が自分にある事に。
そして自分を責めてしまった。

感情を制御する術を知らない彼女は、
その激烈なエネルギーの全てを
自己否定に費やす事になる。



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そんな彼女を孤独から救う少女が現れた。
だが、その時にはもう手遅れだった。

すでに病気を発症していた三尋木咏は、
彼女に酷く依存する。

残念ながら少女は普通だった。
泣きじゃくる三尋木咏を抱き締めて、
でも夜になったから帰ろうとした。

壊れた三尋木咏はそれを許さず、
彼女の体を抱き締め続け――
やがて少女を『破壊』する。

激痛に意識を失い倒れた少女を見て、
三尋木咏の症状はさらに悪化した。

衝動的に包丁で腹を突き刺し、
以降、自殺未遂を繰り返す。


希死念慮に襲われながら。



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『エイミーが好きなんだ!セアミィはダメだねっ。
 ほら、エイミーはぐねぐね形を変えられるでしょ?
 なら、ぐきって死んだりしないもん』


『ねえねえ、なんで死んじゃダメなの?
 私はあの子を壊したよ?
 むしろ死ななきゃダメだよねっ』


『苦しかったけど今日も生きたよっ。
 何のために生きてるのかなぁ』


『あははっ、センセーがウソついてるのは知ってるよっ。
 誰も私を愛してくれない。
 あの子だってそうだったもん。
 飽きたら私を捨てるんだよね?』


『お願いだよ、私を捨てないで。
 捨てるならちゃんと殺してください』


『「わっかんねー」、なにそれ、魔法の言葉?
 でも私わかってるよ?
 なのにわざわざウソつくの?』


『しょせーじゅつ?』


『「わっかんねー!」「知らんし!」
 すごいねこの魔法っ!これ言うと、
 テキトーでも許されるんだっ!
 自分にウソついてだますんだねっ!
 これなら、私もニンゲンにギタイできるかもねっ』


『どうしたらいいかなんてわっかんねー!
 寂しさなんて知らんしっ!
 あははっ!あははっ!あははははっ!!』



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『って、そんなわけないじゃん』


『助けて。誰か、どうか、私を――』



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『殺して』




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「――苦慮に苦慮を重ねた私は、
 セラピーとして麻雀を取り入れました」

「これが劇的な効果を生んだのです。
 麻雀は思考が必要ですから、
 彼女の意識を死から遠ざける事ができる」

「才能も有りました。日常生活では問題になる彼女の気質も、
 麻雀にはプラスになる事が多い。
 原理は解明できていませんが、
 麻雀では思いが力に変わる事があるようですね」

「彼女の思いの力は強い。強過ぎる。そういう病気ですからね。
 『迫りくる怒涛の火力』。はは、何度その炎に焼かれた事か」

「こうして彼女は生業を手に入れました。
 自殺未遂も止まり、措置入院も解かれました」

「いえ、完治はしていません。
 恥ずかしながら匙を投げたのです。
 『魔法の言葉』で自分をごまかしていますが、
 本当の彼女は、いまだ12歳程度の少女です」

「私には、彼女が求める愛を与える事はできなかった。
 できるはずがありません。そんな事ができるとしたら、
 その人も完全に病気でしょう」

「だから、貴女も無理はしないでください。
 境界性パーソナリティ障害の恐ろしいところは、
 周りをも巻き込んで破滅していく事です」

「受け入れようと頑張っても、
 いずれ疲弊して共倒れになる。
 受け入れ過ぎない事が肝要です」



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「わかってくれましたか?針生さん」




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発狂し意識を失った三尋木プロ。

慌てて救急車を呼ぼうとして、
どう説明するべきか判断に迷った。
間違いない。これは完全に心の病気だ。
普通の病院では意味がない。

そこまで考えてある事実を思い出す。
そう、彼女は妙に薬に詳しかった。

私は彼女の荷物を漁る。答えはすぐに見つかった。
診察券。発行元は『神奈川メンタルクリニック』。

私はすぐさま電話を掛ける。
そして私は全てを知った。
彼女を蝕む病名も、歩んできた凄惨な歴史さえも。



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思い出す。自分が彼女に掛けた言葉を。


『麻雀さえ強ければ、こんなお子様でも
 もてはやされる。まったく、いい御身分ですよね』


もし過去に遡れるなら。
自分を殴り殺してやりたい。

逆なのだ。彼女は大人になる事ができなかった。
子供のまま苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで。
唯一できたのが麻雀だったのだ。


『またそう言ってはぐらかす。
 いい加減にしてくれませんか?』


逆なのだ。正直者は馬鹿を見た。
素直に何でも答えたせいで、
彼女は愛してもらえなかった。
はぐらかし、偽り、覆い隠すしか、
彼女が生きる道はなかったのだ。


全てを暴いて見透かした今。
自身の罪深さに怖気が走る。

本当は誰よりも人恋しく寂しがり屋なくせに。
愛され方を知らなくて、人を信じられなくて、
死にたいのに生かされ続けた。

そうして文字通り血を吐きながら生き続けた人間を、
私は『お子様』と馬鹿にし、心のどこかで軽蔑して、
『ギフテッド』だなんて嫉妬していたのだ。


愚かしい。悍ましい。品行方正が聞いてあきれる。


病院の個室、パイプ椅子に座りながら、
いまだ眠る彼女を見つめる。
向精神薬を投与され、死んだように眠る三尋木プロは、
まるで幼い子供のようだった。

あまりに小さく儚い姿。こんなちっぽけで痩せぎすな体で、
どれだけの苦しみを背負ってきたのだろう。


「…………」


眠る三尋木プロ、でもその両腕が掲げられる。
ベッドに横たわったまま、まるで抱擁を求めるように。

涙が零れそうになる。唇を噛み締めた。
反射的に身を乗り出して、でも警告が体を止める。


『受け入れ過ぎない事が肝要です』
『周りをも巻き込んで破滅していく』


『破滅』


知ったことか!私は彼女を抱き締める。
かたく、かたく、かたく、かたく。


「……っ!?」


委ねられた体重が軽くなり、彼女が目覚めた事を知る。
それでも強く抱き締めた。

『抱き締められた事がトラウマ』――
そんな理不尽を許すわけにはいかない!

彼女は叫びだそうとして、だから咄嗟に口を塞いだ。
それでも暴れる彼女の耳に、届けと願って言葉を注ぐ。


「いくら暴れても離しません!」

「たとえ腕を折られても、
 貴女を抱き締め続けます!」

「貴女が愛されなくてこうなったと言うのなら――



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――私が!貴女を愛して見せる!!!」




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彼女の抵抗がピタリと止まり。
やがて小刻みに震え始める。

胸に冷たい何かがしみ込んできて。
彼女が泣いている事に気づいた。



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事件が起きて数日後。
私はテレビ局に辞表を提出した。

皆が皆驚いて、引き留めようと食い下がる。
その全てを遮ると、私はこう切って捨てた。


「心配ありませんよ。もう、
 私に利用価値はなくなりますから」


時を同じくして、咏が
無期限の活動休止を宣言した。
この二つの騒動を結び付け、
マスコミは好き勝手に騒ぎ立てる。

『咏えり、熱愛の末引退か!』

当たらずも遠からずなあたり、
失笑を禁じ得ない。
無論、現実はそんなに甘くはないのだけれど。


境界性パーソナリティ障害。
医者すらも匙を投げる病。

そんな咏を愛すと決めた以上、
こうせざるを得なかっただけだ。
あえて明言するならば、
『看病のため退職』とする方が妥当だろう。


「え、えりちゃん。終わったかい?」

「ええ。終わりましたよ。では帰りましょうか」


「私達二人の家に」


彼女の手を取り歩き出す。差し出した手を
おどおどと握り返してくるその様は、
まるで臆病な幼女のようで。
ううん、これが本当の三尋木咏なのだろう。


家は新しいマンションを借りた。
咏は大きな一軒家を持っていたけれど、
環境を変える必要があると思った。

一度見せてもらった咏の家。
正直二度と思い出したくない。



「はい、ここが新しい家ですよ」

「へぇぇっ……」


借りたばかりの新築マンション、
玄関の扉を開けて、先に一歩踏み入れる。
そして振り返って一言。


「おかえりなさい」


ただそれだけで、咏はみるみる目を潤ませて、
大粒の涙をこぼし始める。


「た、だ。いま……っ!!」


なんとかそれだけ呟くと。
咏は私にしがみついて泣きじゃくった。



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本音を明かしてしまうなら。

私が咏に向ける感情は、『愛情』よりも
『同情』の割合の方が強い。
もう少し要素を増やすなら『憐憫』。
『贖罪』も多分にあっただろう。


聡い咏の事だ、もちろんそんなのは見抜いている。
だから事あるごとに私を抱き締めて。
『捨てないで』何度もそう繰り返しては、
幼子のように泣きじゃくるのだ。


「捨てないでっ、捨てないでっ」

「捨てませんよ」

「でもっ、えりちゃんっ、ホントは
 私の事好きじゃないでしょっ?」

「好きですよ。愛の形は複雑ですが」


甘やかす。求めるならいつまでも抱き締めてやる。
トイレにも行かず二人で漏らし、
汚物と化しても笑って見せた。


「ほら。ここまでしてくれた人は居ましたか?」

「う、ううん」

「嫌な前例は全部覆します。過去の誰かが
 貴女を拒絶してトラウマを与えたなら、
 それを全部教えてください」

「私が全部受け入れて、払拭して見せますから」


私に促された咏は、過去のトラウマを挙げ連ねる。
私は思わず眉根を寄せた。


『私を見つめ続けて欲しい』
『ずっとなでなでして欲しい』
『両手を繋いで離さないで欲しい』


一見簡単に聞こえる『お願い』。
だが、病気の咏による要求となれば、
一気に実現困難な難問へと早変わりする。

何時間見つめ続ければいい?睡眠中はどうすればいい?
いつまで撫で続ければいい?たとえ掌が擦り切れてでも?
両手を繋ぐ?食事も摂るなと言う事か?


「やっ、やっぱり……無理、かな。
 私のためにそこまでするとかあり得ないかな」


いぶかしむ。もしかして愛を試されているのだろうか。
無理難題を突き付けて、どこで私が折れるかを
確かめようとしているのではないか。


「大丈夫ですよ。二言はありません。
 私は貴女を愛して見せる」


まずは咏を見つめ続けた。無論咏が寝ている間も。
数時間経過、一瞬生まれた意識の空白。
慌てて頭を振り乱し、咏の顔色をそっと窺う。
ほっと安堵のため息をついた。
よかった、まだ眠っている。

さらに数時間経過。ようやく咏は満足したのか、
次は『なでなで』を所望した。
ひたすら頭を撫で続ける。

すると一体どうなるか。
まずは関節が熱をもって痛くなる。
次に、掌が髪の毛で擦れて疼き始める。
それでも撫で続けると、やがて手首の感触が消え失せて、
掌の痛痒さだけが脳を支配した。
寝不足も相まって、意識がどんどん摩耗していく。

続ける事6時間、右手は完全に血に染まった。

咏がおずおずと手を伸ばし、
血まみれの手をぎゅっと握り締める。


「い゛っっっ……」


痛みに思わずうめき声が漏れた。
反射的にその手を払いのけそうになる。
だが耐えた。私は静かに微笑むと、
咏の小さな手を握り返す。

咏は目を見開くと、やがて眼に涙を溢れさせた。


「もしかしてっ、本当に、愛してくれるの、かなっ……」

「……だから、最初からそう言っているでしょう」


決壊、咏は火が付いたように泣き始める。
私の胸に顔を埋め、何度も涙をこすりつけた。



--------------------------------------------------------



咏が私に求める愛は、
日に日に重さを増していった。

それを盲目に受け入れ続け、
可能な限り叶えようと尽力した。

となれば当然、私は摩耗して衰弱していく。



--------------------------------------------------------



周囲を振り回し疲弊させる。
境界性パーソナリティ障害の典型的な症状だ。
それは自己表現のひとつであり、
周囲を試す天秤だった。

結論はほぼ収束する。
いずれ周囲が耐えきれなくなり、拒絶。
そして患者は、嘆きながらこう叫ぶ。

『ほらやっぱり。結局は私を見捨てるんだ』と。



--------------------------------------------------------



朦朧とする意識の中、時々私は自問する。
どうして私は、ここまで咏に尽くすのだろうと。

確かに彼女を傷つけた。
心ない言葉を浴びせ、トラウマを抉り、
彼女の精神を崩壊させた。

だがそれは、一生を犠牲にして
償うほどの罪だろうか。


無罪放免を望むつもりはない。
相応の罰は受けるべきだと思う。
でも『情にほだされて彼女を抱き締めた』、
それが重罪だとは思えない。

ならどうして?ごくごく平凡な正義感?
こんな哀れでみじめな少女を、
放っておくわけにはいかないから?


それもある。でも、同情や憐憫だけで
ここまでできるものだろうか。

咏が求める愛は重く、
誰でも施せるものではない。
彼女の主治医も言ったではないか。


『できるはずがありません。
 そんな事ができるとしたら、
 その人も完全に病気でしょう』


――あれ?引っ掛かりを覚えて反芻する。


『そんな事ができるとしたら、
 その人も完全に病気でしょう』

『その人も完全に病気でしょう』

『その人も完全に病気でしょう』

『その人も完全に病気でしょう』



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病気。




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「あっ……あははははははははっ!!!!」




--------------------------------------------------------



一気に頭が覚醒する。謎の全能感に支配され、
気づけば笑い出していた。

真理を得た。何の事はない、
きっと私も病気なのだ。

病気で、狂人で、だからこそ。
狂った咏を受け入れたがる。

いつ病んだのかはわからない。
咏を壊してしまった時か、
あるいは摩耗してからか。

どうでもいい。『いつ』発症したかは重要じゃない。
大切なのは、『今』壊れていると言う事だ。


「だったら、私は咏を受け入れられる!」


大声で笑う私の声に、
咏が目をこすって起き上がった。


「ど、どしたのえりちゃん」

「何でもありませんよ。ただ、
 素敵な事実に気づいただけです」

「どうやら、私も壊れたみたいなんですよ」


寝起きで頭が働かないのか、
きょとんと首をかしげる咏。

でも、そこは流石の狂人だろう。
私の異変にはしっかり気づく。


「それ、私と同じって事?」

「ええ」

「えりちゃんも、ニンゲンじゃないって事?」

「ええ」

「もう試すような事はしないでいいんです。
 だって、私達は――」



--------------------------------------------------------




『二人とも、同じ病気なんですから!!』




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歓喜に震える声を聞き、咏の様子に変化が生まれる。

これまで何をしても泣きじゃくっていた咏。
その表情が弛緩して、だらしない笑みへと変わる。

まるで痴呆。でも、どこまでも幸せな笑顔だった。


「そっか。えりちゃんも……
 えりちゃんもビョーキなんだねっ!」

「だったら私、捨てられないよねっ。
 だって二人ともビョーキだもんねっ」

「うれしいなぁっ、本当にうれしいっっっ」


喜びを全身で表現するかの如く、
咏がぴょんぴょんと跳ね始める。
私もつい嬉しくなって、咏の手を取り一緒に跳ねた。


それは、私と咏が、本当の意味で
心を通じ合わせた瞬間。

そして、私達の人生がハッピーエンドで終わる事が
確定した瞬間だった。



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数年後。三尋木咏の主治医のもとに、
分厚い封筒が届けられる。

差出人は針生えりおよび針生咏。
封筒を一瞥した主治医は顔をしかめるも、
逡巡した末に封を切った。

中から出てきたのは何十枚にも及ぶレポート。
全ての紙に、みみずがのたくったような
汚らしい文字が綴られている。

困難を極める作業だった。
だが、主治医としての矜持だろうか、
数時間もの格闘の末、彼女は全てを読み終える。


「……はぁ」


大きく息を吐き出すと、
彼女はどかりと椅子に腰掛け、
背もたれに深く背中を預けた。

唇を強く噛み締めながら。


「境界性パーソナリティ障害の
 画期的な解決方法、ねぇ……」


再度まとめに視線を落とす。
相当興奮していたのだろう、
大きく歪んだ文字でこう書かれていた。


『境界性パーソナリティ障害の人を助ける方法。
 それは、パートナーを同じ病気にしてしまう事です』

『お互いがお互いを必要としあうなら、
 もはや病気は害をなさない。
 ただの、幸せのエッセンスになり下がるのです』


彼女は嫌悪を隠す事無く、乱雑に紙を机に放る。
そしてまるで唾棄するがごとく、低い声で呟いた。


「そういうのはね、共依存って言うんですよ。
 追加で別の病気を発症しただけです」


境界性パーソナリティ障害のパートナーが病む。
別に珍しい事ではない。その大半は鬱病だが。

次に多いのが共依存。受け入れ、甘やかし、
だから病気が寛解せず、泥沼の悪循環に陥っていく。
迎える結末は等しく破滅だ。


「でも」


万が一。否、億が一の可能性ではあるが。
本当に、患者とパートナーが求めるものが、
ぴたりと完全に符合するなら。


「それは確かに、ハッピーエンド
 なのかもしれませんね」

「……まあ、まともな生活は送れませんし。
 世間一般には決して
 受け入れられるものではないでしょうが」


おそらくは世界初。稀有で貴重な症例だ。
学会で発表すれば相当な『波紋』を生むだろう。


「…………」

「見なかった事にしますよ。
 貴女達は貴女達で、
 閉じた世界を幸せに生きてください」


彼女は紙束をまとめると、
据え付けのシュレッダーに流し込んだ。



(完)


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<症状>
・境界性パーソナリティ障害(重度)
・共依存(重度)
・異常行動(重度)
・希死念慮(重度)
・自殺未遂(重度)

以下のリクエストに対する作品でした。
・三尋木咏と何回か一緒に仕事して
 見た目が子どもっぽいだけでなく
 内面も何か子どもっぽいと感じる針生えり
 
 境界性パーソナリティ障害を抱えて
 子供の頃からプロに至るまで
 珍獣のごとく奇異の目で見られ続けてきた咏さん

 その処世術としてわかんねー知らん
 と言って他人とは壁を作ってきた

 本当は誰よりも人恋しく寂しがり屋だけど
 人間不信で常に内心ビクビクしながら過ごす日々
 昔のトラウマをえぐる出来事に
 咏はとうとう心の限界を超えてしまう
 
 心配したえりはその真相を知り咏の全てを受け止める
 えりにべっとり依存した咏は
 プロの時の面影はなく
 心が弱く脆くなって子供のように甘えて
 拒絶されると捨てないでと泣きじゃくる
 
 えりは次第に咏が甘えてくれる事に喜びを感じて
 2人とも共依存に陥る
 
 ※えり「この際、全部吐いてください」を読みまして
  心から不安な時着物の裾を掴む咏ちゃんを想像して
   「折れた鋼に幸福を」(後編)のまほさんみたいに
   かつての面影は無くなり
   弱さをさらけ出す姿を見てみたいと思い
   こんな感じのSSをリクエストしました。

(完)
 Yahoo!ブックマーク
posted by ぷちどろっぷ at 2019年04月27日 | Comment(7) | TrackBack(0) | 咲-Saki-
この記事へのコメント
堕ちた時のうたえりすごくかわいい…
Posted by at 2019年04月28日 00:38
リクエストした者です、とてもスバラなヤンデレ小説ありがとうございました。薬の名前や病気の事など所々に書かれていて見応えが良かったです。咏ちゃんが辛い過去をさらけ出し弱くなっていく姿がたまりませんでした。えりちゃんも献身的に受け入れて最後は壊れている事に気付くシーンのヤンデレ感がすごかったです。
Posted by at 2019年04月28日 01:53
うえーふ……、
大変心が苦しい……。
でも仄暗いゾクゾクとした感覚が心地いい……。
すばらっ……。
Posted by at 2019年04月29日 23:24
面白かったけど、考えさせられる話だったな。
他者から見るとバッドエンドだけど本人が幸せだからハッピーエンド。ヤンデレならではの難しさを見た感じだったな。
Posted by at 2019年05月02日 14:12
咏えりの共依存、新鮮で面白かったです。
また、作中に出てきた、咏さんが所有していた大きな一軒家について、針生さんは二度と思い出したくないと言っていましたが、何があったのかわかるヒントは作中にありますか?
これだけが心残りです。
Posted by at 2019年05月03日 12:41
なんとも形容しがたいけどすごく業が深いというか……重い……、
しっとりビター……。
Posted by at 2019年05月05日 21:20
面白かったです(*´꒳`*)
Posted by at 2019年05月06日 12:52
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