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【咲-Saki-SS:宮永照】 『私は麻雀、好きじゃないんです』−前編−【シリアス】
<あらすじ>
咲との縁を繋ぐため、麻雀を打ち続けて来た宮永照。
努力が実る事はなく、二人は麻雀を打つ前に決定的に決別する。
人生のすべてに絶望し、引きこもりになってしまった咲。
その元凶となった宮永照も、そのまま生きる事はできなかった。
『私は、何のために麻雀を打ってきた?』
その日から、彼女は牌を握る事すらできなくなる。
精神病院に入院し、ただ死を希うだけの照。
そんな彼女のに手を差し伸べたのは、酷く意外な人物だった。
彼女の名前は西田順子。彼女は照を見舞った後、
笑顔でこう問い掛ける――。
『宮永さん、記者にならない?』
<登場人物>
宮永照,西田順子,弘世菫,宮永咲,大星淡,山口大介,埴渕久美子
<症状>
・シリアス
・心的外傷後ストレス障害
・自殺未遂
<その他>
欲しいものリクエストに対する作品です。
ご支援ありがとうございました!
※リクエスト内容がすごく詳細で
『ほぼほぼプロット』状態だったので、
本作品完結時の末尾に記載させていただきます。
※最後は純然たるハッピーエンドになります。
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咲との縁を繋ぐため、その手段に麻雀を選んだ。
見てくれてるかはわからない、それでも私は打ち続ける。
それはか細い一縷の望み、酷く不器用な逃げの一手。
だけど私は弱くって、こんな手段しか取れなかった。
ホントはとっくに気づいてた。
私に必要だったもの。それは縁でも麻雀でもなく、
ただただ、あの子に話し掛ける勇気。
何が『麻雀を通して通じ合う』だ、
結局逃げ回ってただけじゃないか。本気で解決する気があるなら、
さっさと実家に顔を出し、一言声を掛ければよかったのだ。
『いままでごめんね』、その8文字さえ言えたなら、
全てはあっさり解決していた。
そこまでわかっていながらも、私は言葉を紡がない。
全国大会の決勝戦、偶然出くわした会場の廊下。
数年前の『あの日』と同じ、咲を『無視して』立ち去った。
それでおしまい。麻雀は咲との縁を繋がなかった。
違うか、私が縁を断ち切っただけだ。
菫が与えてくれたチャンスも、咲の努力もすべて無にして、
一切合切を灰燼に帰す。
今も毎日問い掛けている。『貴女は何を繋ぎたかったの?』
私は答える事ができず、ただただ拳を握り潰した。
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『私は麻雀、好きじゃないんです』
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人伝に聞いた話では、咲は引きこもりになったらしい。
希望を失ってしまったのだろう。当然だ。
この愚かな姉に会うために、死に物狂いで麻雀を打ち続け。
得られた結果は『前と同じ』、無視による拒絶だったのだから。
絶望するなと言う方が酷だろう。
ならば私はどうかと言うと、それなりの報いを受けていた。
あの日から牌を握れない。牌を手に取るその瞬間、
心の咲が語り掛けてくる。
『お姉ちゃんは何のために打ってるの?』
『私と縁を繋ぐためじゃなかったの?』
『私との縁はお姉ちゃんが断ち切ったよね?』
『何のために麻雀してたの?』
絶叫のすえ倒れ伏す。意識は反転、舞台は病院へと移動していた。
そして私に病名がつく。『心的外傷後ストレス障害』、
いわゆる『PTSD』と呼ばれる心の病だ。
いい身分だなと自嘲する。何がPTSDだ、
お前はただ逃げ続けているだけじゃないか。
今度は病気に逃避するのか? 何を偉そうに被害者面する?
心の咲が泣いていた。泣いて、泣いて、最後に嗤った。
『私は頑張って追い掛けたのに、
お姉ちゃんは逃げてばかりだね』
今度は首を掻き毟った。言われなくてもわかっているよ、
私は卑怯な臆病者だ、もはや生きる価値などない。
数日後には自殺未遂、病棟が閉鎖病棟に移った。
麻雀牌どころの騒ぎじゃない、鉛筆すら握れない日々が続く。
ただただ咲に謝って、自らの死を希う。
救いは訪れなかった。皆は、なぜか私を裁かないから。
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私が置かれた状況について、もう少しだけ付言しておこう。
ただこれは私が閉鎖病棟に行く前の事だから、
今はもっと酷い事になっているかもしれないけれど。
幸か不幸か、私に対する世間の評価は、私のそれと一致していた。
全ての行動には責任が伴う。これまでメディアを好きに騒がし、
咲への広告代わりに使った私。なのにいきなり麻雀をやめた私に対し、
世間の風は酷く冷たかった。
『宮永照、突然の失踪!? ポスト小鍛治は今どこに』
『宮永照プロ行きをドタキャン!? 違約金は果たしてどうなる?』
『三連覇を成し遂げた白糸台高校に赤信号、
来年は予選突破も怪しいか?』
メディアが、ネットが、学校が、後ろ指を指し私を責める。
仕方のない事だと思った。私はそれだけの事をしたのだ。
妹の人生を破壊した、学校にも多大な迷惑を掛けた。
麻雀界の期待をさぞ裏切りまくっただろう。そして母は泣いていた。
ああ、私は一体何なのだろう。
咲との縁を繋ぐ麻雀、なのに咲とは一度も打てず。
たくさんの人の夢を壊して、破壊の限りを尽くして逃げた。
脳内の咲が甘く囁く。
『お姉ちゃん、もう死んだ方がいいよ。
生きてても迷惑掛けるだけだもん』
まったくもってその通りだ。
でもごめんね、今は自殺する気力もない。
早く気力を取り戻さなければ、
自分を罰する事すらできない――。
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今日も菫が面会に来た。
これでもう何度目だろう。菫はいつもとまるで変わらず、
ただ世間話をして去って行く。違う、目を背けるな。
菫はあれから随分痩せた、理由は私に決まってる。
「新部長には亦野の奴が選ばれたよ。
本人は辞退しようとしたが、私もあいつが適任だと思う。
あいつは負ける悔しさと、弱者の痛みを知ってるからな」
「私も部長を引退だ。というか3年全員だな。
そろそろ身の振り方を考えなければ」
「と言っても、正直この3年気を張り過ぎたのも事実だ。
私ものんびり羽を休めて、しばらく休養しようと思う」
真意は容易に推測できた。
『だからお前も気にするな、今はしっかり休んでおけ』。
菫はそう言いたいのだろう。甘えたい。でも、
思えばいつもそうだった。私は菫に甘え続けて、
この3年間逃避し続けてきたのだ。
菫の休養とはまるで違う、むしろ、今こそツケを払う時だった。
虎姫のみんなも菫と同じだ。まるで現状に触れる事無く、
ただ私を励ましては去って行く。
本当は自分達の方が辛いだろうに、笑顔を模り話し続けた。
雑誌の見出しが脳裏をよぎる。『白糸台高校に赤信号』、
思わず眉間にしわが寄った。
菫と私が積み上げた、全国大会3連覇という記録。
これはもはや『呪い』だろう。
次は4連覇を求められる。そして達成できなければ、
全ての栄光が泡と消え、皆は汚名に塗れるのだ。
(ああ、本当に私は最悪だ、やる事なす事裏目ばかり)
自分を支えてくれる最愛の親友に、更なる重荷を背負わせて。
導くはずの後輩には重圧を残し、なのに不安げな顔で心配されて。
ひとたび視線を前に向ければ、見えるのはただ真っ白な病室。
これが私の作り上げた『成果』、18年に及ぶ集大成。
『死のうよ。死んだ方がいい。もうお姉ちゃんは癌なんだよ。
生きてるだけでみんなを巻き込む、
悪性腫瘍になっちゃったんだ』
『ううん、ちょっと違うね。お姉ちゃんはずっと癌だった。
周りを傷つけ続けてきたの、ようやくそれに気づけたんだよ』
『だから――死のう?』
わかってる。でもごめんね。私はまた間違えた。
咲は知ってる? 人は、舌を噛み切っても死ねないんだ。
この病室に居る限り、死ぬ権利すらないんだよ。
「咲からもみんなを説得してくれないかな。
私は死ぬべきなんだって」
言葉は返ってこなかった。
どうやら見捨てられたらしい、当たり前だ。
脳内の妹にまで甘えるな、自分の始末は自分でつけろ。
わかってる。わかってはいるけれど、
どうにも涙が止まらなかった。
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人生の目標が定まった。
この病院を退院し、その後速やかに自殺する。
そうと決まれば話は早い。今の私がすべき事、
それは健常者を装う事だ。
日に日に私は回復していく。それは案外嘘でもなかった。
心の傷は治らない。でも、目標があるだけでも人は変わる。
『心に決めてから』数ヶ月。私は開放病棟に住処を移していた。
『もう自殺できるんじゃない?』
『駄目だよ、失敗したら目も当てられない。
退院して、もっと確実な方法で死ぬ』
『そうだね。お姉ちゃん頑張って』
脳内の咲に励まされ、私は独り拳を握る。
招かれざる客が来たのは、ちょうどそんな時だった。
「お久しぶりね。私の事は覚えてる?」
「…………西田記者」
正直予想外だった。病院側の考えでは、
私が自殺未遂をした一因に、
メディアの悪評があったと捉えられている。
そうでなくとも、精神病院にマスコミが踏み込むのは
どう考えても悪影響だ。
ゆえにこれまで報道陣は、完全に排除されていた。
まあ今の私では、そもそもマスコミが
『ここ』を押さえているのかもわからないが。
「取材ですか? 今の私に商品価値があるとは思えませんが」
「違うわよ。むしろ私は、
貴女に関する情報をもみ消す方向で動いてる」
「もみ消す……? 何のために」
「貴女が普通に生きるためよ」
点と点が繋がった気がした。
ずっと疑問に思っていたのだ。あの忌まわしい全国大会で、
咲と私を繋げた情報は一切報道されなかった。
どう考えても異常な事だ。
片や全国三連覇が掛かった学校のエース、
片や彗星のように現れたダークホース校の大将。
そんな二人の名字が一致、騒がない方がおかしいだろう。
事実この人にも一度、『血縁なのか』と聞かれている。
もしこの人が、記者として真実を暴くためでなく。
むしろ事実を秘匿するために動いていたとするならば。
面会を許された理由も頷けた。
「もしかして、全国大会の時も動いてくれてました?」
「ええ。本当に微力ながら、だけどね」
「……ありがとうございます。そして、ごめんなさい」
「謝られる理由がわからないわ。むしろこっちが謝らないと。
私達マスコミのせいで、随分貴女達を傷つけてしまったから」
西田さんが頭を下げた。
なんとなく、昔読んだ作品を思い出す。
井上ひさしの『握手』だったろうか。
何も悪い事をしていない人間が、
なぜか勝手に日本人を代表して謝罪する話。
まさに今の彼女そのものだ。
「西田さんは何も悪い事をしてませんよね?
なのに、勝手にマスコミを代表して謝るんですか?
それはある意味傲慢だと思いますが」
「残念ながら、謝る理由がちゃんとあるのよ。
私は貴女の許可を得ないで、
貴女の周辺を勝手に嗅ぎ回った。
その結果、『とても報道できない』って
分かったから隠ぺいに動いただけ」
「私と彼らのやった事は、正直あんまり大差がないわ。
だって面白おかしい内容だったら、
私は記事に使ってたもの。まあ、
流石に記事にする前に、本人の許可は取ったでしょうけど」
なるほど、つまりこれは『彼女に必要な謝罪』なわけだ。
私を苦しめた事実に苦しみ、許されるために謝りたい。
つまりは完全な自己満足、なら付き合う必要があるだろう。
当たり障りなく営業スマイル、彼女が欲しい言葉を告げる。
「いいですよ、気にしないでください。
少なくとも、私は西田さんの行動に救われました。
だから顔を上げてください」
西田さんが顔を上げる、でも表情は浮かないままだ。
ううん、むしろ謝る前より険しい。
彼女は顔を強張らせ、硬い声を吐き出した。
「宮永さん。私は貴女に『サービス』して欲しくて
ここに来たんじゃないのよ」
「……? なら、何のためにいらっしゃったんです?」
「貴女を救うために来たの」
今度は私が眉を顰めた。大言壮語にも程がある、
たかだか『知人』程度の貴女が、私を救って見せるだと?
そもそも『救う』事自体が見当違いだ、
必要なのは『断罪』だから。
私の表情から悪感情を読み取ったのだろう。
だが西田さんは止まる事無く、そのまま言葉を重ねていく。
依然として声は硬いまま、
でも確かに――彼女は確信を突いてきた。
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「宮永さん。貴女、退院したら自殺するつもりでしょ?」
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驚愕に目を見開いた。誰にも話していない秘密、
菫ですら知らないはずの。なのにほぼ交流のなかった彼女が、
びたりと正解を言い当てる。
反射的に『鏡』を使った。この人は脅威だ、敵になり得る。
ギロリと彼女を睨みつけ、その全身を鏡に映す。
(……疑わしいところは何もない。『前回と同じ』だ)
どこか抜けてておっちょこちょい。割と思考はブレブレで、
頼りにするのは忍びない。でも案外芯は一本通っていて、
曲げざるべきところは譲らないタイプ。
基本的に善人で、特に害にはならない人種だ。
特筆するような能力もない、ならどうして彼女は見抜けた?
得体が知れなくて気持ち悪い。思わず彼女を睨み続ける。
「そんなに睨まなくたって、別に大した理由じゃないわよ?
洞察力に優れてるってわけでもないし、
秘密の情報を掴んだとかでもないわ」
「なら、どうしてそう思うんです?」
「単純よ。過去にね、同じような行動を取った雀士が居たの」
彼女は遠い目をして語る。
将来を有望視された少女が居た。その実力は頂に届くほど。
でも彼女は、麻雀をそれほど愛してはいなかった。
彼女にとってはあくまで『手段』。
自分の存在を他者に――もとい、家族のもとに知らせるための。
生き別れていたのだ、愛すべき家族達と。
結果は悲惨、彼女は絶望に染められる。
打ち続ける事はや数年、彼女は最悪の事実を知った。
彼女の家族はもう居ない。とっくに『旅立って』しまっていた。
「宮永さん、貴女弘世さんに言ったそうね。
『私は何のために麻雀を打っていたんだろう』って」
「……はい」
「一字一句同じなのよ。その、『自殺しちゃったトッププロ』と」
なるほど。『同じ言葉を吐いた雀士が自殺した、
ならば私も危ういだろう』、ごくごく自然な発想だ。
そしてその予想はビンゴ、私は自殺を考えている。
「そこまでわかっているのなら、
どうして放っておいてくれないんですか?」
「死にたいと思う程の苦痛に耐えて、
それでも生き続ける事に意味がありますか?」
「私のせいで周りまでもが破滅していく。
プラスマイナスで考えても大きくマイナスです。
ゼロにすらなりません」
「どう考えても、私は死んだ方がいい」
「今の宮永さんにとってはそうかもね」
予想外の回答だった。どうせ頭ごなしに、
『死んだら何もかもおしまい』、
そんな正論をぶつけてくると思ったのに。
彼女の瞳を覗き込む。その眼はどこまでも優しい。
何よりそれは――痛みを知る者の瞳だった。
「宮永さん。私には正直、貴女の気持ちはわからないわ。
割と普通の人生だったし、死にたいと思う程の
逆境に追い込まれた事もないもの」
「ただね、確実に一つ言える事がある」
「……何ですか?」
「貴女が死んだら、連鎖するわよ」
全身の毛が逆立った。それはどんな励ましよりも効果的で、
何よりあまりに残酷な『脅迫』。手足の先がカタカタ震える、
温度が2度ほど下がった気がした。
「……そんな、馬鹿な」
「逆を考えてごらんなさいよ。
例えば同じ条件で妹さんが死んだらどうする?
自分のせいで家族が死んで、貴女は笑って暮らせるの?」
「それ、は」
無理だ。生きていけるはずがない。
「そういう事よ。『逃げるな』とは言わないわ。
正直貴女が感じる苦痛は、私では想像もつかないレベルだもの。
無責任に『その程度で死ぬな』なんてとても言えない」
「でもね、それでも死なないで。貴女が死んで悲しむ人がいるの。
それこそ、確実に『後を追っちゃう』人がいる。
それでも自殺できるほど、貴女が『自分勝手』だとは思えないわ」
「っ……!!」
思わず両手で顔を覆った。
彼女はどこまでも残酷で、酷く私の心を抉る。
薬を飲む前だったなら、そのまま発狂していただろう。
あっさり希望を取り上げられた、絶望が全身を浸し始める。
だって私はもう、死ぬためだけに生きているのに。
「じゃあ、私は――何のために生きればいいの?」
口をついて出た疑問。それはあくまで自問自答、
西田さんへの問いではなかった。でも彼女は微笑むと、
前もって準備していただろう言葉を紡ぐ。
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「それなんだけど――宮永さん、記者にならない?」
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あまりに慮外で荒唐無稽、疑問符の海に襲われた。
私が記者? なんで? 何のために?
まるで意味が分からなかった。でも西田さんは微笑むと、
あえて話題を転換させる。
「宮永さん。宮永さんは、
麻雀雑誌の記者ってどんな仕事だと思う?」
「どんなって……選手や試合を取材して、
それを記事にして大衆に伝えるお仕事ですよね」
「そうね。そこはどんな記者でも一緒。
でもね、『麻雀雑誌の記者』は少しだけ違うのよ」
「どんな点が?」
「少し傲慢な言い方だけど――私は、命を救う仕事だと思ってる」
再び疑問符が舞い上がる。麻雀雑誌の記者が命を救う?
個人的には、むしろ『殺す側』だと思う。
「宮永さんも雀士だから知ってると思うけど。
雀士――特に女性の強い雀士は、
心に闇を抱えている事が多いの。
正直怖いくらいにね」
「……」
「でもね、そこを理解してない記者は多いわ。
普通の報道と同じだと思ってる。
ただ記事の面白さだけを優先して、好き勝手に書き散らかす。
その結果――自殺した雀士は結構多いの」
確かに容易く想像できた。
私が個人的に知っているだけでも、危うい雀士はたくさん居る。
例えば千里山女子の園城寺さん。
チームを勝利に導くために、彼女は命を懸けてきた。
他の競技であり得るか? たかが『部活動の団体戦』に、
命を費やし倒れるなんて。
阿知賀女子もかなり危うい。ドラをため込むその気質、
そこにどす黒い情念を見た。最終的に彼女は手放す、
でも、その眼は涙で輝いていた。
たかがドラを手放しただけ、なのに彼女は涙に濡れる。
インターハイの1試合だけでもこれだ。
4分の3が病んでいた。これだけ病人が多いなら、
マスコミに気を散らされて命を絶つ雀士も居るだろう。
「そういう悪質な記者から雀士を守るだけでも、
命を救う事ができるわ。でもね、私は思うのよ。
もし私達が集めた情報で、
彼女達に希望を与えられたなら、って」
「正直宮永さん達についても、
そんな気持ちで探ってたんだけど……
ごめんなさい、一歩及ばなかったわね」
考える。もし、西田さんのような記者がそばに居て、
もっと早く情報を掴んでいたらどうなったか。
もし仮に『全てを勝手に知る人』がいて、
その人が独断で動いていたら。
例えば伝言だけでもいい。
『お姉さんも咲との再会を願っている』、
一言だけでも伝えてもらっていれば。私達の結末は、
もう少しましだったんじゃないだろうか。
無論、それは『ギリギリのライン』だ。
当時の私が気づいていれば、『余計な事をしないでください』、
『家庭の事情に土足で踏み込まないでください』、
それくらいの事は言っただろう。
それでも思ってしまうのだ。
もし彼女が独断専行してくれて、
私の背中を押してくれていたら。
きっと救われたに違いないと。
「一つ聞かせてもらってもいいですか?」
「いいわよ! 一つと言わず何でも聞いて!」
「西田さんがそうやって『でしゃばって』、
実際救われた子はいるんですか?」
西田さんが勝気に笑う。彼女は薄い胸を張り、
意気揚々と成果を告げた。
「もちろんいるわ! まあ数は少ないけどね、
『守った』分も含めれば、普通に二桁は越えてるわよ!」
「でもね、やっぱり私じゃ限界があるのよ。
だって私は雀士じゃないし、
彼女達の一番深いところを理解できないから。
だからこそ、宮永さんは適任だと思う」
私なんかにできるだろうか。
妹とすら和解できず、向き合う勇気も出ない私が。
自分と同じく傷ついた子の、心を癒す事なんて。
『他人より先に自分を何とかしろよ』、
そんな指摘がよぎるのも事実だ。
でも。万一それが叶うなら、私はやってみたいと思った。
危うくて、傷ついて、歪な私だから事こそできる仕事。
そうして誰かの命を救って、
自分に自信が持てたなら――その時こそ、
咲に思いを伝えられるかもしれない。
「ちょっと考えさせてもらっていいですか?」
「いいわよー。と言うか、まずは退院しないと始まらないしね。
今すぐの話だとは思ってないわ!」
西田さんが朗らかに微笑んだ。
ああ、彼女の言う通りだ。
今まさにこの瞬間、彼女は一人の命を救った。
それは親友の菫でも、後輩の淡達でもできなかった事。
あくまで彼女は赤の他人で、でも知識をもって私を救った。
『ああ、私もこうなりたい』。そんな風に思ったのは、
これが初めてかもしれなかった。
数か月後。私は病院を退院すると、西田さんに電話を掛ける。
わずかな逡巡を押し込めて、努めて平静な声を出した。
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「西田さん。今から会ってもらえませんか」
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こうして私は麻雀をやめて、
麻雀雑誌の記者としての道を歩み始めた。
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記者となった私の前途は、決して明るいものではなかった。
当然だ。そもそも当の私自身が、
『取材を拒否した側』なのだから。
『他人を取材する前に、まずはお前の秘密を明かせや』、
何度言われたかわからない。
挙句、記者としては新米どころか卵にすら満たない私。
そんな私を見るたびに、同業者は白けた目を向けた。
『なんで宮永照が記者やってんだ』
『お前は取材される側だろう?』
『遊んでないで麻雀打てよ』
自分で言うのもなんだけど、正直もっともだと思う。
私だって西田さんに誘われるまでは、
記者になるなんて考えもしなかったのだから。
それでも私は折れなかった。
腐らず続けられたのは、細やかながらも抱いた願い。
『私も誰かを支えたい』。そして何より、
一緒に働く同僚の支えがあったからこそだろう。
「ぜーんぶ気にしなくっていいわよ!
照ちゃんが取材に応じなかったのは、
記者側にそれを聞き出す力がなかっただけでしょ?
そんなのただの負け惜しみ!」
「誰にだって触れられたくない事はあるわよ。
『自分を素っ裸にしないと記者はできない』、
そんなルール誰が決めたの?
それ言った人は自分を晒してる?
どーせそう言う事言う奴は、自分はコソコソしてるのよ!」
「『宮永照がなんで記者?』、そんなに変でもないでしょうに。
引退したプレイヤーが解説側に回るなんて、
ごくごく一般的でしょうよ」
西田さん達は事あるごとに、私の事をかばってくれた。
素直に受け入れられたのは、『それが本心だから』だろう。
『私を慰めるため』じゃない、『心からそう思ってる』。
事実その意見には筋が通っていた。
「と言うわけで。何の権利もない癖に、わけわかんない理屈で
うちの新人を虐めるのやめてくれませんか?」
言われた他社はそそくさ逃げた。
悪態をつきながら消える同業者を尻目にしながら、
その場に居た埴渕さんと山口さんに話し掛ける。
ちなみに埴渕さんは私が高3だった頃に入社した先輩記者で、
山口さんは結構昔から西田さんとタッグを組んでいるカメラマンだ。
「あの、かばってくれるのは嬉しいんですけど。
あんな言い方ばっかりしてたら、
今度は西田さんが目の敵にされませんか?」
「うん、されちゃうね。でも大丈夫、西田さん味方も多いから。
そもそも照ちゃん関係なしに敵多いから関係ないよ」
埴渕さんは苦笑しながら、『問題ないよ』と答えてくれた。
その内容は確かに失笑、とても大丈夫とは思えない。
「あの人、なんで記者続けられてるんですか?」
こういう仕事で同業に目を付けられると、
相当やりにくくないだろうか。
実際私も嫌がらせを受けている、他人事とは思えない。
素直な疑問を口に出すと、今度は山口さんが答えてくれた。
「西田さんは選手に気に入られてるんだよ。
ぐいぐい突っ込んでは来るんだけど、
本当に触れて欲しくないところは記事にしない。
むしろ隠すのに協力してくれる。そう言うところが評価されて、
彼女以外の取材を受け入れない選手も多い」
「どうせこの業界、『横はほとんど敵』ですしねー。
選手に気に入られるのが何より一番。最悪選手に嫌われちゃったら、
それだけで取材拒否くらっちゃいますし。
……だから山口さん、セクハラはホント止めてくださいね?」
「うお、こっちに飛び火した」
成程。正直一緒に仕事をしてると、
結構な頻度でボイスレコーダーの中身が空だったりするし、
スケジュール土壇場で変更したりして、
若干ポンコツ気味に見える西田さんだけど。
記者として一番大切な能力が高いという事なんだろう。
「私も、あんな風になれるかな」
ほとんどそれは独りごと、何気ない呟きだった。
あえて言うなら『きっとなれるよ』、
そんな言葉を期待していたのかもしれない。
でも埴渕さんは眉根を寄せて、少し苦そうに笑って見せる。
「うーん、なれるかどうかは置いといて……
あまりお勧めはしないかな」
「どうしてですか?」
「入社してからずっと見てたからわかるんだけど、
あの生き方はしんどいよ? 正直止めた方がいいと思う」
今度は私が眉を顰めた。いや、不快を覚えたわけじゃない。
埴渕さんの言いたい事が、肌で理解できたからだ。
「他の記者がね、あんまり雀士と仲良くないのは、
割とちゃんとした理由があるんだ。
心が引っ張られちゃうんだよ。
雀士って病んでる子が多いから、
一緒になって堕ちていっちゃう」
「そこまでして記事を取っても、使えない事多いしね。
案外麻雀のファンってミーハーな人が大半だから。
『アイドルっぽいキライラした記事以外要らない』、
そういう人も多いんだよ」
なんとなくわかる気がする。
私が現役だった頃も、雑誌は3つのタイプに分かれていた。
純粋な雀士として応援する雑誌と、
妙にアイドル扱いしてくる雑誌。
そして最後の3つ目は、
人のプライベートを暴こうとする最悪のタイプ。
闇記事を欲しがるのは一番最後だけ、
まともな雑誌は嫌がるだろう。
「……そうやって考えると、
西田さんの行動って無駄が多いですね」
「ま、まあ! その無駄がまわりまわって、
独占記事によく繋がるから!」
そもそも西田さんの仕事を、『単なる記者の仕事』として
考えてはいけないのだろう。彼女は私にこう言った、
『命を救う仕事』だと。私が目指すのもこっちの方だ、
記事としての出来は正直二の次。
一人彼女を見つめていると、山口さんに声を掛けられた。
不穏を感じ取ったのか、少し諭すような声色が含まれている。
「まあ、最初から彼女を目指すのはやめた方がいい。
まずはじっくり、普通の仕事に慣れるといいよ」
「そもそも激務ですからねー」
埴渕さんがそれに合わせた。そうだ、
まずは最初に記者として、『半人前』程度にはならないと。
一人でインタビューを任せてもらうくらいにならなければ、
やりたい事もできやしない――。
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仕事が軌道に乗り始めた。
これは自慢になっちゃうけど、私はもの覚えが速い。
そもそも雀士は頭を使う、思考速度が磨かれるのだ。
それに加えて、私は西田さんとの相性も良かった。
西田さんは『人』としては優れてるけど、
『記者』としての嗅覚はかなり鈍い。
いいや、少しおまけした。『相当鈍い』が正しいだろう。
聞けば、清澄高校の予選を取材した時も、
ほとんど咲はノーマークだったそうだ。
聞いた時は耳を疑った。たったの半荘で46800点を
削りきって飛び終了させた大将を目の当たりにして、
『原村和の出番が終わった清澄に見所なんてないんじゃない?』
などと言い放ったそうで。絶望的に見る目がない、
そう言わざるを得なかった。
「いやー助かったわ! 私だけだとどうしても、
埋もれてる選手には目が届かないし」
「いや、西田さんはザル過ぎですよ。と言うか、
割と麻雀記者の人って見る目無いですよね」
「まー雀士じゃないからねー、
どうしても実績重視になっちゃうわ。でもそう考えると、
照ちゃんにとっては天職なんじゃない?」
言われてみればそうかもしれない。
もう麻雀は打てないけれど、相も変わらず照魔鏡がある。
例え無名の雀士でも、今後伸びる事がわかるのだ。
これは記者として相当大きい。無名のうちに接触できれば、
独占記事は間違いなしだ。
「新コーナー作りましょうか。
宮永照の『この雀士が熱い!』みたいな」
「任せてもらえるなら書きますけど、
そんな簡単に決めていいんですか?」
「いーのいーの! どうせ麻雀雑誌なんて
ネタに飢えまくってるんだから」
ちなみにこの発案は、結構大きなアタリを生んだ。
他社が目をつけてない無名の雀士、でも『宮永照のお墨付き』。
実際私が目を付けた雀士は、その後大半が活躍した。
実績が認められ、記者として受け入れられる。
『宮永さんにこの記事をお願いしたい』、
名指しの仕事も増えてきた。
もう一つ大きかったのは、
やはり私が『元雀士』と言う点だろう。
記者と雀士には思った以上に、認識の壁が存在する。
言ってしまえば記者は『人間』、雀士は別の『何者か』だ。
例を挙げるとわかりやすい、例えばこんな感じになる。
これはこの前愛宕洋榎選手にインタビューした時の会話だ。
「いやー、この前の取材は参ったわー。
『何でここ止められたんですか』とか聞かれてな?
いやそんな事言われても、聴牌気配でまるわかりやん?
『むしろ何で止めへんの?』って返したら、
めっちゃすごい顔で見られたわ」
「わかる。正直感覚なんだよね、
『雰囲気的になんか大きそう』とか。
肌でビリビリ感じるって言うか」
「せやろ? なのに『一般人にもわかるように説明してください』
って言われても、『いやだから勘やって』としか言いよう無いわ。
長年培ってきた勘っちゅうか」
もちろん私はわかっている。彼女は『勘』とは言いながら、
実際には理論と経験に裏付けられた打ち方をしていると。
河の状態や残りの手数、相手の打ち筋の傾向などなど。
そういった情報を、意識せずとも総合的に判断していて、
それが『勘』として出てくるのだろう。
だがそれを噛み砕いて記事にできる記者はいない。
酷く馬鹿正直に、『愛宕洋榎は勘で打つ』なんて
雑な記事を雑誌に載せる。
挙句『やっぱりこの世界は才能が全て』だとか
余計な一文を付けるのだ。
そうして彼女の努力を否定し、晴れて『取材拒否』を食らう。
……まあ、雀士側も正直伝える努力をしてないのはあるけれど。
ちなみに愛宕さんはまだ『ましな例』だ。
もっと酷い選手になれば、本当に感覚のみで打っている。
そして、自分で自分の特性をわかっていない選手も多い。
その事実に気づいてからは、新しいサービスを始めてみた。
希望する雀士を照魔鏡で覗いて、
本質や打ち筋について本人だけにコメントするサービス。
これがまた人づてに大ヒット。最近では、
取材相手の方からインタビューを希望される事も多い。
「照ちゃんもすっかりうちのエースね!
来年からは後輩をつけるから育成よろしく」
「え、早くないですか? 私まだルーキーですよ?
埴渕さんに任せた方が……」
「それが本人たっての希望で。実際照ちゃん人気だし、
しっかり教えてあげて頂戴」
「……はあ」
少し不安ではあったけど、結局特に問題はなかった。
入って来た新人は素直で優秀、むしろ仕事が楽になる。
と言うより、最初から私の負担増を見越しての増員だったのだろう。
優しい先輩、優秀な後輩に恵まれて、私は少しずつ成長していく。
記者生活が3年を越える頃には、
いっぱしの先輩風を吹かせるようにもなっていた。
「雀士にインタビューする時は、視点を雀士に切り替えて。
基本的に雀士は孤独、『理解できない別の生き物』
みたいな扱いをすごく嫌う」
「はい! その辺は何となくわかります!」
「うん。まあでも実際プロレベルになると、
それでもわからない事もある。それはもう仕方ない、
でも理解しようと努力して。雀士は当然『一人の人間』。
敬意を払って、知人を思いやる様に取材する事」
「はい!……でも、私にそんなのできますかね……?」
「大丈夫。3年前の私も、
貴女と全く同じ事を先輩にぼやいてたから」
「貴女は私と同じで雀力がある、
その時点で他の記者より有利なはず」
実は事前に提案していた、『採用基準に雀力も加える事』。
麻雀雑誌の記者をするのに、雀力が不問とか意味不明過ぎる。
その必要性を切々と訴えて、ようやく彼女を獲得したのだ。
私の就職を皮切りに、雀士の就職先に、
『メディア関係』の選択肢が生まれ始めた。
例えば麻雀番組の解説。少し前はプロ雀士に丸投げだったけど、
実はこれにも問題がある。
「なーなーコークスクリューちゃん。
今度の対局、私の代わりに解説してくんね?」
「何でですか? 三尋木プロならわかりにわかってると思いますが」
「いやそりゃさー、実はこっそりわかってるけどさー。
ほら私も雀士じゃん? 解説中に見つけた仲間の打ち筋とかさ、
そんなの暴露できないっしょ?」
そう、つまりはこういう事だ。
解説相手が味方なら、不利になる様な事は言えない。
逆に相手が敵だとしたら、見つけた弱点には口をつぐむ。
うっかり『解説』で教えてしまえば、すぐに対策されるから。
「前から思ってたんだよねー。
解説は利害関係絡む奴にやらせちゃ駄目だってさー。
第三者にやらせるべきだよ。そっちの方が公平じゃん?」
「そうですね……高校麻雀の解説だとしても、
その後プロになる子も多いですし。
そんな子にうっかり『一巡先を見る者――!!』とか
言っちゃったら、本気で恨まれてもおかしくない」
「あいたたたた。何でそこで刺してくるのかわっかんねー。
と言うわけで考えといてよ、コークスクリューちゃんなら
ネームバリュー的にも大丈夫っしょ?」
「まあ、『雑誌記者』の業務に支障が出ない範囲なら」
「オッケーオッケー、なんなら
独占インタビュー権つけちゃうよん?」
全てが順風満帆だった。私は周りに支えられ、
どんどん『麻雀記者の宮永照』としての地位を確立していく。
もはや記者の枠を超え、幅広く活躍するようにもなっていた。
麻雀が打てなくても人の役に立てる。
その事実は、とても大きな自信になった。
やりがいのある仕事に追われ、精力的に仕事をこなす。
働いた分評価され、だからさらに頑張って――。
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そうして、精神を軋ませていった。
(『後編』へ続く)
咲との縁を繋ぐため、麻雀を打ち続けて来た宮永照。
努力が実る事はなく、二人は麻雀を打つ前に決定的に決別する。
人生のすべてに絶望し、引きこもりになってしまった咲。
その元凶となった宮永照も、そのまま生きる事はできなかった。
『私は、何のために麻雀を打ってきた?』
その日から、彼女は牌を握る事すらできなくなる。
精神病院に入院し、ただ死を希うだけの照。
そんな彼女のに手を差し伸べたのは、酷く意外な人物だった。
彼女の名前は西田順子。彼女は照を見舞った後、
笑顔でこう問い掛ける――。
『宮永さん、記者にならない?』
<登場人物>
宮永照,西田順子,弘世菫,宮永咲,大星淡,山口大介,埴渕久美子
<症状>
・シリアス
・心的外傷後ストレス障害
・自殺未遂
<その他>
欲しいものリクエストに対する作品です。
ご支援ありがとうございました!
※リクエスト内容がすごく詳細で
『ほぼほぼプロット』状態だったので、
本作品完結時の末尾に記載させていただきます。
※最後は純然たるハッピーエンドになります。
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咲との縁を繋ぐため、その手段に麻雀を選んだ。
見てくれてるかはわからない、それでも私は打ち続ける。
それはか細い一縷の望み、酷く不器用な逃げの一手。
だけど私は弱くって、こんな手段しか取れなかった。
ホントはとっくに気づいてた。
私に必要だったもの。それは縁でも麻雀でもなく、
ただただ、あの子に話し掛ける勇気。
何が『麻雀を通して通じ合う』だ、
結局逃げ回ってただけじゃないか。本気で解決する気があるなら、
さっさと実家に顔を出し、一言声を掛ければよかったのだ。
『いままでごめんね』、その8文字さえ言えたなら、
全てはあっさり解決していた。
そこまでわかっていながらも、私は言葉を紡がない。
全国大会の決勝戦、偶然出くわした会場の廊下。
数年前の『あの日』と同じ、咲を『無視して』立ち去った。
それでおしまい。麻雀は咲との縁を繋がなかった。
違うか、私が縁を断ち切っただけだ。
菫が与えてくれたチャンスも、咲の努力もすべて無にして、
一切合切を灰燼に帰す。
今も毎日問い掛けている。『貴女は何を繋ぎたかったの?』
私は答える事ができず、ただただ拳を握り潰した。
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『私は麻雀、好きじゃないんです』
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人伝に聞いた話では、咲は引きこもりになったらしい。
希望を失ってしまったのだろう。当然だ。
この愚かな姉に会うために、死に物狂いで麻雀を打ち続け。
得られた結果は『前と同じ』、無視による拒絶だったのだから。
絶望するなと言う方が酷だろう。
ならば私はどうかと言うと、それなりの報いを受けていた。
あの日から牌を握れない。牌を手に取るその瞬間、
心の咲が語り掛けてくる。
『お姉ちゃんは何のために打ってるの?』
『私と縁を繋ぐためじゃなかったの?』
『私との縁はお姉ちゃんが断ち切ったよね?』
『何のために麻雀してたの?』
絶叫のすえ倒れ伏す。意識は反転、舞台は病院へと移動していた。
そして私に病名がつく。『心的外傷後ストレス障害』、
いわゆる『PTSD』と呼ばれる心の病だ。
いい身分だなと自嘲する。何がPTSDだ、
お前はただ逃げ続けているだけじゃないか。
今度は病気に逃避するのか? 何を偉そうに被害者面する?
心の咲が泣いていた。泣いて、泣いて、最後に嗤った。
『私は頑張って追い掛けたのに、
お姉ちゃんは逃げてばかりだね』
今度は首を掻き毟った。言われなくてもわかっているよ、
私は卑怯な臆病者だ、もはや生きる価値などない。
数日後には自殺未遂、病棟が閉鎖病棟に移った。
麻雀牌どころの騒ぎじゃない、鉛筆すら握れない日々が続く。
ただただ咲に謝って、自らの死を希う。
救いは訪れなかった。皆は、なぜか私を裁かないから。
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私が置かれた状況について、もう少しだけ付言しておこう。
ただこれは私が閉鎖病棟に行く前の事だから、
今はもっと酷い事になっているかもしれないけれど。
幸か不幸か、私に対する世間の評価は、私のそれと一致していた。
全ての行動には責任が伴う。これまでメディアを好きに騒がし、
咲への広告代わりに使った私。なのにいきなり麻雀をやめた私に対し、
世間の風は酷く冷たかった。
『宮永照、突然の失踪!? ポスト小鍛治は今どこに』
『宮永照プロ行きをドタキャン!? 違約金は果たしてどうなる?』
『三連覇を成し遂げた白糸台高校に赤信号、
来年は予選突破も怪しいか?』
メディアが、ネットが、学校が、後ろ指を指し私を責める。
仕方のない事だと思った。私はそれだけの事をしたのだ。
妹の人生を破壊した、学校にも多大な迷惑を掛けた。
麻雀界の期待をさぞ裏切りまくっただろう。そして母は泣いていた。
ああ、私は一体何なのだろう。
咲との縁を繋ぐ麻雀、なのに咲とは一度も打てず。
たくさんの人の夢を壊して、破壊の限りを尽くして逃げた。
脳内の咲が甘く囁く。
『お姉ちゃん、もう死んだ方がいいよ。
生きてても迷惑掛けるだけだもん』
まったくもってその通りだ。
でもごめんね、今は自殺する気力もない。
早く気力を取り戻さなければ、
自分を罰する事すらできない――。
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今日も菫が面会に来た。
これでもう何度目だろう。菫はいつもとまるで変わらず、
ただ世間話をして去って行く。違う、目を背けるな。
菫はあれから随分痩せた、理由は私に決まってる。
「新部長には亦野の奴が選ばれたよ。
本人は辞退しようとしたが、私もあいつが適任だと思う。
あいつは負ける悔しさと、弱者の痛みを知ってるからな」
「私も部長を引退だ。というか3年全員だな。
そろそろ身の振り方を考えなければ」
「と言っても、正直この3年気を張り過ぎたのも事実だ。
私ものんびり羽を休めて、しばらく休養しようと思う」
真意は容易に推測できた。
『だからお前も気にするな、今はしっかり休んでおけ』。
菫はそう言いたいのだろう。甘えたい。でも、
思えばいつもそうだった。私は菫に甘え続けて、
この3年間逃避し続けてきたのだ。
菫の休養とはまるで違う、むしろ、今こそツケを払う時だった。
虎姫のみんなも菫と同じだ。まるで現状に触れる事無く、
ただ私を励ましては去って行く。
本当は自分達の方が辛いだろうに、笑顔を模り話し続けた。
雑誌の見出しが脳裏をよぎる。『白糸台高校に赤信号』、
思わず眉間にしわが寄った。
菫と私が積み上げた、全国大会3連覇という記録。
これはもはや『呪い』だろう。
次は4連覇を求められる。そして達成できなければ、
全ての栄光が泡と消え、皆は汚名に塗れるのだ。
(ああ、本当に私は最悪だ、やる事なす事裏目ばかり)
自分を支えてくれる最愛の親友に、更なる重荷を背負わせて。
導くはずの後輩には重圧を残し、なのに不安げな顔で心配されて。
ひとたび視線を前に向ければ、見えるのはただ真っ白な病室。
これが私の作り上げた『成果』、18年に及ぶ集大成。
『死のうよ。死んだ方がいい。もうお姉ちゃんは癌なんだよ。
生きてるだけでみんなを巻き込む、
悪性腫瘍になっちゃったんだ』
『ううん、ちょっと違うね。お姉ちゃんはずっと癌だった。
周りを傷つけ続けてきたの、ようやくそれに気づけたんだよ』
『だから――死のう?』
わかってる。でもごめんね。私はまた間違えた。
咲は知ってる? 人は、舌を噛み切っても死ねないんだ。
この病室に居る限り、死ぬ権利すらないんだよ。
「咲からもみんなを説得してくれないかな。
私は死ぬべきなんだって」
言葉は返ってこなかった。
どうやら見捨てられたらしい、当たり前だ。
脳内の妹にまで甘えるな、自分の始末は自分でつけろ。
わかってる。わかってはいるけれど、
どうにも涙が止まらなかった。
--------------------------------------------------------
人生の目標が定まった。
この病院を退院し、その後速やかに自殺する。
そうと決まれば話は早い。今の私がすべき事、
それは健常者を装う事だ。
日に日に私は回復していく。それは案外嘘でもなかった。
心の傷は治らない。でも、目標があるだけでも人は変わる。
『心に決めてから』数ヶ月。私は開放病棟に住処を移していた。
『もう自殺できるんじゃない?』
『駄目だよ、失敗したら目も当てられない。
退院して、もっと確実な方法で死ぬ』
『そうだね。お姉ちゃん頑張って』
脳内の咲に励まされ、私は独り拳を握る。
招かれざる客が来たのは、ちょうどそんな時だった。
「お久しぶりね。私の事は覚えてる?」
「…………西田記者」
正直予想外だった。病院側の考えでは、
私が自殺未遂をした一因に、
メディアの悪評があったと捉えられている。
そうでなくとも、精神病院にマスコミが踏み込むのは
どう考えても悪影響だ。
ゆえにこれまで報道陣は、完全に排除されていた。
まあ今の私では、そもそもマスコミが
『ここ』を押さえているのかもわからないが。
「取材ですか? 今の私に商品価値があるとは思えませんが」
「違うわよ。むしろ私は、
貴女に関する情報をもみ消す方向で動いてる」
「もみ消す……? 何のために」
「貴女が普通に生きるためよ」
点と点が繋がった気がした。
ずっと疑問に思っていたのだ。あの忌まわしい全国大会で、
咲と私を繋げた情報は一切報道されなかった。
どう考えても異常な事だ。
片や全国三連覇が掛かった学校のエース、
片や彗星のように現れたダークホース校の大将。
そんな二人の名字が一致、騒がない方がおかしいだろう。
事実この人にも一度、『血縁なのか』と聞かれている。
もしこの人が、記者として真実を暴くためでなく。
むしろ事実を秘匿するために動いていたとするならば。
面会を許された理由も頷けた。
「もしかして、全国大会の時も動いてくれてました?」
「ええ。本当に微力ながら、だけどね」
「……ありがとうございます。そして、ごめんなさい」
「謝られる理由がわからないわ。むしろこっちが謝らないと。
私達マスコミのせいで、随分貴女達を傷つけてしまったから」
西田さんが頭を下げた。
なんとなく、昔読んだ作品を思い出す。
井上ひさしの『握手』だったろうか。
何も悪い事をしていない人間が、
なぜか勝手に日本人を代表して謝罪する話。
まさに今の彼女そのものだ。
「西田さんは何も悪い事をしてませんよね?
なのに、勝手にマスコミを代表して謝るんですか?
それはある意味傲慢だと思いますが」
「残念ながら、謝る理由がちゃんとあるのよ。
私は貴女の許可を得ないで、
貴女の周辺を勝手に嗅ぎ回った。
その結果、『とても報道できない』って
分かったから隠ぺいに動いただけ」
「私と彼らのやった事は、正直あんまり大差がないわ。
だって面白おかしい内容だったら、
私は記事に使ってたもの。まあ、
流石に記事にする前に、本人の許可は取ったでしょうけど」
なるほど、つまりこれは『彼女に必要な謝罪』なわけだ。
私を苦しめた事実に苦しみ、許されるために謝りたい。
つまりは完全な自己満足、なら付き合う必要があるだろう。
当たり障りなく営業スマイル、彼女が欲しい言葉を告げる。
「いいですよ、気にしないでください。
少なくとも、私は西田さんの行動に救われました。
だから顔を上げてください」
西田さんが顔を上げる、でも表情は浮かないままだ。
ううん、むしろ謝る前より険しい。
彼女は顔を強張らせ、硬い声を吐き出した。
「宮永さん。私は貴女に『サービス』して欲しくて
ここに来たんじゃないのよ」
「……? なら、何のためにいらっしゃったんです?」
「貴女を救うために来たの」
今度は私が眉を顰めた。大言壮語にも程がある、
たかだか『知人』程度の貴女が、私を救って見せるだと?
そもそも『救う』事自体が見当違いだ、
必要なのは『断罪』だから。
私の表情から悪感情を読み取ったのだろう。
だが西田さんは止まる事無く、そのまま言葉を重ねていく。
依然として声は硬いまま、
でも確かに――彼女は確信を突いてきた。
--------------------------------------------------------
「宮永さん。貴女、退院したら自殺するつもりでしょ?」
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驚愕に目を見開いた。誰にも話していない秘密、
菫ですら知らないはずの。なのにほぼ交流のなかった彼女が、
びたりと正解を言い当てる。
反射的に『鏡』を使った。この人は脅威だ、敵になり得る。
ギロリと彼女を睨みつけ、その全身を鏡に映す。
(……疑わしいところは何もない。『前回と同じ』だ)
どこか抜けてておっちょこちょい。割と思考はブレブレで、
頼りにするのは忍びない。でも案外芯は一本通っていて、
曲げざるべきところは譲らないタイプ。
基本的に善人で、特に害にはならない人種だ。
特筆するような能力もない、ならどうして彼女は見抜けた?
得体が知れなくて気持ち悪い。思わず彼女を睨み続ける。
「そんなに睨まなくたって、別に大した理由じゃないわよ?
洞察力に優れてるってわけでもないし、
秘密の情報を掴んだとかでもないわ」
「なら、どうしてそう思うんです?」
「単純よ。過去にね、同じような行動を取った雀士が居たの」
彼女は遠い目をして語る。
将来を有望視された少女が居た。その実力は頂に届くほど。
でも彼女は、麻雀をそれほど愛してはいなかった。
彼女にとってはあくまで『手段』。
自分の存在を他者に――もとい、家族のもとに知らせるための。
生き別れていたのだ、愛すべき家族達と。
結果は悲惨、彼女は絶望に染められる。
打ち続ける事はや数年、彼女は最悪の事実を知った。
彼女の家族はもう居ない。とっくに『旅立って』しまっていた。
「宮永さん、貴女弘世さんに言ったそうね。
『私は何のために麻雀を打っていたんだろう』って」
「……はい」
「一字一句同じなのよ。その、『自殺しちゃったトッププロ』と」
なるほど。『同じ言葉を吐いた雀士が自殺した、
ならば私も危ういだろう』、ごくごく自然な発想だ。
そしてその予想はビンゴ、私は自殺を考えている。
「そこまでわかっているのなら、
どうして放っておいてくれないんですか?」
「死にたいと思う程の苦痛に耐えて、
それでも生き続ける事に意味がありますか?」
「私のせいで周りまでもが破滅していく。
プラスマイナスで考えても大きくマイナスです。
ゼロにすらなりません」
「どう考えても、私は死んだ方がいい」
「今の宮永さんにとってはそうかもね」
予想外の回答だった。どうせ頭ごなしに、
『死んだら何もかもおしまい』、
そんな正論をぶつけてくると思ったのに。
彼女の瞳を覗き込む。その眼はどこまでも優しい。
何よりそれは――痛みを知る者の瞳だった。
「宮永さん。私には正直、貴女の気持ちはわからないわ。
割と普通の人生だったし、死にたいと思う程の
逆境に追い込まれた事もないもの」
「ただね、確実に一つ言える事がある」
「……何ですか?」
「貴女が死んだら、連鎖するわよ」
全身の毛が逆立った。それはどんな励ましよりも効果的で、
何よりあまりに残酷な『脅迫』。手足の先がカタカタ震える、
温度が2度ほど下がった気がした。
「……そんな、馬鹿な」
「逆を考えてごらんなさいよ。
例えば同じ条件で妹さんが死んだらどうする?
自分のせいで家族が死んで、貴女は笑って暮らせるの?」
「それ、は」
無理だ。生きていけるはずがない。
「そういう事よ。『逃げるな』とは言わないわ。
正直貴女が感じる苦痛は、私では想像もつかないレベルだもの。
無責任に『その程度で死ぬな』なんてとても言えない」
「でもね、それでも死なないで。貴女が死んで悲しむ人がいるの。
それこそ、確実に『後を追っちゃう』人がいる。
それでも自殺できるほど、貴女が『自分勝手』だとは思えないわ」
「っ……!!」
思わず両手で顔を覆った。
彼女はどこまでも残酷で、酷く私の心を抉る。
薬を飲む前だったなら、そのまま発狂していただろう。
あっさり希望を取り上げられた、絶望が全身を浸し始める。
だって私はもう、死ぬためだけに生きているのに。
「じゃあ、私は――何のために生きればいいの?」
口をついて出た疑問。それはあくまで自問自答、
西田さんへの問いではなかった。でも彼女は微笑むと、
前もって準備していただろう言葉を紡ぐ。
--------------------------------------------------------
「それなんだけど――宮永さん、記者にならない?」
--------------------------------------------------------
あまりに慮外で荒唐無稽、疑問符の海に襲われた。
私が記者? なんで? 何のために?
まるで意味が分からなかった。でも西田さんは微笑むと、
あえて話題を転換させる。
「宮永さん。宮永さんは、
麻雀雑誌の記者ってどんな仕事だと思う?」
「どんなって……選手や試合を取材して、
それを記事にして大衆に伝えるお仕事ですよね」
「そうね。そこはどんな記者でも一緒。
でもね、『麻雀雑誌の記者』は少しだけ違うのよ」
「どんな点が?」
「少し傲慢な言い方だけど――私は、命を救う仕事だと思ってる」
再び疑問符が舞い上がる。麻雀雑誌の記者が命を救う?
個人的には、むしろ『殺す側』だと思う。
「宮永さんも雀士だから知ってると思うけど。
雀士――特に女性の強い雀士は、
心に闇を抱えている事が多いの。
正直怖いくらいにね」
「……」
「でもね、そこを理解してない記者は多いわ。
普通の報道と同じだと思ってる。
ただ記事の面白さだけを優先して、好き勝手に書き散らかす。
その結果――自殺した雀士は結構多いの」
確かに容易く想像できた。
私が個人的に知っているだけでも、危うい雀士はたくさん居る。
例えば千里山女子の園城寺さん。
チームを勝利に導くために、彼女は命を懸けてきた。
他の競技であり得るか? たかが『部活動の団体戦』に、
命を費やし倒れるなんて。
阿知賀女子もかなり危うい。ドラをため込むその気質、
そこにどす黒い情念を見た。最終的に彼女は手放す、
でも、その眼は涙で輝いていた。
たかがドラを手放しただけ、なのに彼女は涙に濡れる。
インターハイの1試合だけでもこれだ。
4分の3が病んでいた。これだけ病人が多いなら、
マスコミに気を散らされて命を絶つ雀士も居るだろう。
「そういう悪質な記者から雀士を守るだけでも、
命を救う事ができるわ。でもね、私は思うのよ。
もし私達が集めた情報で、
彼女達に希望を与えられたなら、って」
「正直宮永さん達についても、
そんな気持ちで探ってたんだけど……
ごめんなさい、一歩及ばなかったわね」
考える。もし、西田さんのような記者がそばに居て、
もっと早く情報を掴んでいたらどうなったか。
もし仮に『全てを勝手に知る人』がいて、
その人が独断で動いていたら。
例えば伝言だけでもいい。
『お姉さんも咲との再会を願っている』、
一言だけでも伝えてもらっていれば。私達の結末は、
もう少しましだったんじゃないだろうか。
無論、それは『ギリギリのライン』だ。
当時の私が気づいていれば、『余計な事をしないでください』、
『家庭の事情に土足で踏み込まないでください』、
それくらいの事は言っただろう。
それでも思ってしまうのだ。
もし彼女が独断専行してくれて、
私の背中を押してくれていたら。
きっと救われたに違いないと。
「一つ聞かせてもらってもいいですか?」
「いいわよ! 一つと言わず何でも聞いて!」
「西田さんがそうやって『でしゃばって』、
実際救われた子はいるんですか?」
西田さんが勝気に笑う。彼女は薄い胸を張り、
意気揚々と成果を告げた。
「もちろんいるわ! まあ数は少ないけどね、
『守った』分も含めれば、普通に二桁は越えてるわよ!」
「でもね、やっぱり私じゃ限界があるのよ。
だって私は雀士じゃないし、
彼女達の一番深いところを理解できないから。
だからこそ、宮永さんは適任だと思う」
私なんかにできるだろうか。
妹とすら和解できず、向き合う勇気も出ない私が。
自分と同じく傷ついた子の、心を癒す事なんて。
『他人より先に自分を何とかしろよ』、
そんな指摘がよぎるのも事実だ。
でも。万一それが叶うなら、私はやってみたいと思った。
危うくて、傷ついて、歪な私だから事こそできる仕事。
そうして誰かの命を救って、
自分に自信が持てたなら――その時こそ、
咲に思いを伝えられるかもしれない。
「ちょっと考えさせてもらっていいですか?」
「いいわよー。と言うか、まずは退院しないと始まらないしね。
今すぐの話だとは思ってないわ!」
西田さんが朗らかに微笑んだ。
ああ、彼女の言う通りだ。
今まさにこの瞬間、彼女は一人の命を救った。
それは親友の菫でも、後輩の淡達でもできなかった事。
あくまで彼女は赤の他人で、でも知識をもって私を救った。
『ああ、私もこうなりたい』。そんな風に思ったのは、
これが初めてかもしれなかった。
数か月後。私は病院を退院すると、西田さんに電話を掛ける。
わずかな逡巡を押し込めて、努めて平静な声を出した。
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「西田さん。今から会ってもらえませんか」
--------------------------------------------------------
こうして私は麻雀をやめて、
麻雀雑誌の記者としての道を歩み始めた。
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記者となった私の前途は、決して明るいものではなかった。
当然だ。そもそも当の私自身が、
『取材を拒否した側』なのだから。
『他人を取材する前に、まずはお前の秘密を明かせや』、
何度言われたかわからない。
挙句、記者としては新米どころか卵にすら満たない私。
そんな私を見るたびに、同業者は白けた目を向けた。
『なんで宮永照が記者やってんだ』
『お前は取材される側だろう?』
『遊んでないで麻雀打てよ』
自分で言うのもなんだけど、正直もっともだと思う。
私だって西田さんに誘われるまでは、
記者になるなんて考えもしなかったのだから。
それでも私は折れなかった。
腐らず続けられたのは、細やかながらも抱いた願い。
『私も誰かを支えたい』。そして何より、
一緒に働く同僚の支えがあったからこそだろう。
「ぜーんぶ気にしなくっていいわよ!
照ちゃんが取材に応じなかったのは、
記者側にそれを聞き出す力がなかっただけでしょ?
そんなのただの負け惜しみ!」
「誰にだって触れられたくない事はあるわよ。
『自分を素っ裸にしないと記者はできない』、
そんなルール誰が決めたの?
それ言った人は自分を晒してる?
どーせそう言う事言う奴は、自分はコソコソしてるのよ!」
「『宮永照がなんで記者?』、そんなに変でもないでしょうに。
引退したプレイヤーが解説側に回るなんて、
ごくごく一般的でしょうよ」
西田さん達は事あるごとに、私の事をかばってくれた。
素直に受け入れられたのは、『それが本心だから』だろう。
『私を慰めるため』じゃない、『心からそう思ってる』。
事実その意見には筋が通っていた。
「と言うわけで。何の権利もない癖に、わけわかんない理屈で
うちの新人を虐めるのやめてくれませんか?」
言われた他社はそそくさ逃げた。
悪態をつきながら消える同業者を尻目にしながら、
その場に居た埴渕さんと山口さんに話し掛ける。
ちなみに埴渕さんは私が高3だった頃に入社した先輩記者で、
山口さんは結構昔から西田さんとタッグを組んでいるカメラマンだ。
「あの、かばってくれるのは嬉しいんですけど。
あんな言い方ばっかりしてたら、
今度は西田さんが目の敵にされませんか?」
「うん、されちゃうね。でも大丈夫、西田さん味方も多いから。
そもそも照ちゃん関係なしに敵多いから関係ないよ」
埴渕さんは苦笑しながら、『問題ないよ』と答えてくれた。
その内容は確かに失笑、とても大丈夫とは思えない。
「あの人、なんで記者続けられてるんですか?」
こういう仕事で同業に目を付けられると、
相当やりにくくないだろうか。
実際私も嫌がらせを受けている、他人事とは思えない。
素直な疑問を口に出すと、今度は山口さんが答えてくれた。
「西田さんは選手に気に入られてるんだよ。
ぐいぐい突っ込んでは来るんだけど、
本当に触れて欲しくないところは記事にしない。
むしろ隠すのに協力してくれる。そう言うところが評価されて、
彼女以外の取材を受け入れない選手も多い」
「どうせこの業界、『横はほとんど敵』ですしねー。
選手に気に入られるのが何より一番。最悪選手に嫌われちゃったら、
それだけで取材拒否くらっちゃいますし。
……だから山口さん、セクハラはホント止めてくださいね?」
「うお、こっちに飛び火した」
成程。正直一緒に仕事をしてると、
結構な頻度でボイスレコーダーの中身が空だったりするし、
スケジュール土壇場で変更したりして、
若干ポンコツ気味に見える西田さんだけど。
記者として一番大切な能力が高いという事なんだろう。
「私も、あんな風になれるかな」
ほとんどそれは独りごと、何気ない呟きだった。
あえて言うなら『きっとなれるよ』、
そんな言葉を期待していたのかもしれない。
でも埴渕さんは眉根を寄せて、少し苦そうに笑って見せる。
「うーん、なれるかどうかは置いといて……
あまりお勧めはしないかな」
「どうしてですか?」
「入社してからずっと見てたからわかるんだけど、
あの生き方はしんどいよ? 正直止めた方がいいと思う」
今度は私が眉を顰めた。いや、不快を覚えたわけじゃない。
埴渕さんの言いたい事が、肌で理解できたからだ。
「他の記者がね、あんまり雀士と仲良くないのは、
割とちゃんとした理由があるんだ。
心が引っ張られちゃうんだよ。
雀士って病んでる子が多いから、
一緒になって堕ちていっちゃう」
「そこまでして記事を取っても、使えない事多いしね。
案外麻雀のファンってミーハーな人が大半だから。
『アイドルっぽいキライラした記事以外要らない』、
そういう人も多いんだよ」
なんとなくわかる気がする。
私が現役だった頃も、雑誌は3つのタイプに分かれていた。
純粋な雀士として応援する雑誌と、
妙にアイドル扱いしてくる雑誌。
そして最後の3つ目は、
人のプライベートを暴こうとする最悪のタイプ。
闇記事を欲しがるのは一番最後だけ、
まともな雑誌は嫌がるだろう。
「……そうやって考えると、
西田さんの行動って無駄が多いですね」
「ま、まあ! その無駄がまわりまわって、
独占記事によく繋がるから!」
そもそも西田さんの仕事を、『単なる記者の仕事』として
考えてはいけないのだろう。彼女は私にこう言った、
『命を救う仕事』だと。私が目指すのもこっちの方だ、
記事としての出来は正直二の次。
一人彼女を見つめていると、山口さんに声を掛けられた。
不穏を感じ取ったのか、少し諭すような声色が含まれている。
「まあ、最初から彼女を目指すのはやめた方がいい。
まずはじっくり、普通の仕事に慣れるといいよ」
「そもそも激務ですからねー」
埴渕さんがそれに合わせた。そうだ、
まずは最初に記者として、『半人前』程度にはならないと。
一人でインタビューを任せてもらうくらいにならなければ、
やりたい事もできやしない――。
--------------------------------------------------------
仕事が軌道に乗り始めた。
これは自慢になっちゃうけど、私はもの覚えが速い。
そもそも雀士は頭を使う、思考速度が磨かれるのだ。
それに加えて、私は西田さんとの相性も良かった。
西田さんは『人』としては優れてるけど、
『記者』としての嗅覚はかなり鈍い。
いいや、少しおまけした。『相当鈍い』が正しいだろう。
聞けば、清澄高校の予選を取材した時も、
ほとんど咲はノーマークだったそうだ。
聞いた時は耳を疑った。たったの半荘で46800点を
削りきって飛び終了させた大将を目の当たりにして、
『原村和の出番が終わった清澄に見所なんてないんじゃない?』
などと言い放ったそうで。絶望的に見る目がない、
そう言わざるを得なかった。
「いやー助かったわ! 私だけだとどうしても、
埋もれてる選手には目が届かないし」
「いや、西田さんはザル過ぎですよ。と言うか、
割と麻雀記者の人って見る目無いですよね」
「まー雀士じゃないからねー、
どうしても実績重視になっちゃうわ。でもそう考えると、
照ちゃんにとっては天職なんじゃない?」
言われてみればそうかもしれない。
もう麻雀は打てないけれど、相も変わらず照魔鏡がある。
例え無名の雀士でも、今後伸びる事がわかるのだ。
これは記者として相当大きい。無名のうちに接触できれば、
独占記事は間違いなしだ。
「新コーナー作りましょうか。
宮永照の『この雀士が熱い!』みたいな」
「任せてもらえるなら書きますけど、
そんな簡単に決めていいんですか?」
「いーのいーの! どうせ麻雀雑誌なんて
ネタに飢えまくってるんだから」
ちなみにこの発案は、結構大きなアタリを生んだ。
他社が目をつけてない無名の雀士、でも『宮永照のお墨付き』。
実際私が目を付けた雀士は、その後大半が活躍した。
実績が認められ、記者として受け入れられる。
『宮永さんにこの記事をお願いしたい』、
名指しの仕事も増えてきた。
もう一つ大きかったのは、
やはり私が『元雀士』と言う点だろう。
記者と雀士には思った以上に、認識の壁が存在する。
言ってしまえば記者は『人間』、雀士は別の『何者か』だ。
例を挙げるとわかりやすい、例えばこんな感じになる。
これはこの前愛宕洋榎選手にインタビューした時の会話だ。
「いやー、この前の取材は参ったわー。
『何でここ止められたんですか』とか聞かれてな?
いやそんな事言われても、聴牌気配でまるわかりやん?
『むしろ何で止めへんの?』って返したら、
めっちゃすごい顔で見られたわ」
「わかる。正直感覚なんだよね、
『雰囲気的になんか大きそう』とか。
肌でビリビリ感じるって言うか」
「せやろ? なのに『一般人にもわかるように説明してください』
って言われても、『いやだから勘やって』としか言いよう無いわ。
長年培ってきた勘っちゅうか」
もちろん私はわかっている。彼女は『勘』とは言いながら、
実際には理論と経験に裏付けられた打ち方をしていると。
河の状態や残りの手数、相手の打ち筋の傾向などなど。
そういった情報を、意識せずとも総合的に判断していて、
それが『勘』として出てくるのだろう。
だがそれを噛み砕いて記事にできる記者はいない。
酷く馬鹿正直に、『愛宕洋榎は勘で打つ』なんて
雑な記事を雑誌に載せる。
挙句『やっぱりこの世界は才能が全て』だとか
余計な一文を付けるのだ。
そうして彼女の努力を否定し、晴れて『取材拒否』を食らう。
……まあ、雀士側も正直伝える努力をしてないのはあるけれど。
ちなみに愛宕さんはまだ『ましな例』だ。
もっと酷い選手になれば、本当に感覚のみで打っている。
そして、自分で自分の特性をわかっていない選手も多い。
その事実に気づいてからは、新しいサービスを始めてみた。
希望する雀士を照魔鏡で覗いて、
本質や打ち筋について本人だけにコメントするサービス。
これがまた人づてに大ヒット。最近では、
取材相手の方からインタビューを希望される事も多い。
「照ちゃんもすっかりうちのエースね!
来年からは後輩をつけるから育成よろしく」
「え、早くないですか? 私まだルーキーですよ?
埴渕さんに任せた方が……」
「それが本人たっての希望で。実際照ちゃん人気だし、
しっかり教えてあげて頂戴」
「……はあ」
少し不安ではあったけど、結局特に問題はなかった。
入って来た新人は素直で優秀、むしろ仕事が楽になる。
と言うより、最初から私の負担増を見越しての増員だったのだろう。
優しい先輩、優秀な後輩に恵まれて、私は少しずつ成長していく。
記者生活が3年を越える頃には、
いっぱしの先輩風を吹かせるようにもなっていた。
「雀士にインタビューする時は、視点を雀士に切り替えて。
基本的に雀士は孤独、『理解できない別の生き物』
みたいな扱いをすごく嫌う」
「はい! その辺は何となくわかります!」
「うん。まあでも実際プロレベルになると、
それでもわからない事もある。それはもう仕方ない、
でも理解しようと努力して。雀士は当然『一人の人間』。
敬意を払って、知人を思いやる様に取材する事」
「はい!……でも、私にそんなのできますかね……?」
「大丈夫。3年前の私も、
貴女と全く同じ事を先輩にぼやいてたから」
「貴女は私と同じで雀力がある、
その時点で他の記者より有利なはず」
実は事前に提案していた、『採用基準に雀力も加える事』。
麻雀雑誌の記者をするのに、雀力が不問とか意味不明過ぎる。
その必要性を切々と訴えて、ようやく彼女を獲得したのだ。
私の就職を皮切りに、雀士の就職先に、
『メディア関係』の選択肢が生まれ始めた。
例えば麻雀番組の解説。少し前はプロ雀士に丸投げだったけど、
実はこれにも問題がある。
「なーなーコークスクリューちゃん。
今度の対局、私の代わりに解説してくんね?」
「何でですか? 三尋木プロならわかりにわかってると思いますが」
「いやそりゃさー、実はこっそりわかってるけどさー。
ほら私も雀士じゃん? 解説中に見つけた仲間の打ち筋とかさ、
そんなの暴露できないっしょ?」
そう、つまりはこういう事だ。
解説相手が味方なら、不利になる様な事は言えない。
逆に相手が敵だとしたら、見つけた弱点には口をつぐむ。
うっかり『解説』で教えてしまえば、すぐに対策されるから。
「前から思ってたんだよねー。
解説は利害関係絡む奴にやらせちゃ駄目だってさー。
第三者にやらせるべきだよ。そっちの方が公平じゃん?」
「そうですね……高校麻雀の解説だとしても、
その後プロになる子も多いですし。
そんな子にうっかり『一巡先を見る者――!!』とか
言っちゃったら、本気で恨まれてもおかしくない」
「あいたたたた。何でそこで刺してくるのかわっかんねー。
と言うわけで考えといてよ、コークスクリューちゃんなら
ネームバリュー的にも大丈夫っしょ?」
「まあ、『雑誌記者』の業務に支障が出ない範囲なら」
「オッケーオッケー、なんなら
独占インタビュー権つけちゃうよん?」
全てが順風満帆だった。私は周りに支えられ、
どんどん『麻雀記者の宮永照』としての地位を確立していく。
もはや記者の枠を超え、幅広く活躍するようにもなっていた。
麻雀が打てなくても人の役に立てる。
その事実は、とても大きな自信になった。
やりがいのある仕事に追われ、精力的に仕事をこなす。
働いた分評価され、だからさらに頑張って――。
--------------------------------------------------------
そうして、精神を軋ませていった。
(『後編』へ続く)
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今回素晴らしいSSありがとうございました。
照魔鏡で無名の雀士に接触や プロ相手に本質や能力を教えるサービスや 麻雀解説に利害関係が絡む雀士よりも記者などストーリー的に違和感なく麻雀記者と麻雀を合わせる所がとてもすごいです。
照ちゃんの成長や思いや西田記者の優しさが存分に伝わってとても良かったです。
続きがとても楽しみです。
登場人物欄に名前があるけど前編ではほぼ名前しか出てきてない咲と淡がどのように絡んでくるのか・・・
照魔鏡で無名の雀士に接触や>
照「案外普通に向いているのではないか」
順子
「トッププロレベルに活躍できる人材の
使い道としては微妙かも知れないけどね」
自殺しちゃったトッププロってあの>
順子
「特にモデルはいないわよ?
……いないはずよ?」
照「思い当たる節が出て来ちゃうのが怖いところ」
記者人生が軌道に乗りながらも不穏な影を感じる>
照「実際のところ後半が本編」
順子
「結局照ちゃんの悩みは
何一つ解決してないからねぇ……」